「蹄の音」 フルヴィオ・チンクイーニ展

[タイトル] 蹄の音
[アーティスト名] フルヴィオ・チンクイーニ
[会期] 2002年1月11日-3月17日

ギャロップで世界を知る

歴史は馬と共に築かれた。この高貴な動物の口に革紐をつけようと決めたのは誰だったのか。知ることは不可能だ。事によると、ハミを認識することができるシリアのテラコッタ人形のあるものや、ハーネスとの接触のせいで歯がすり減っている馬の彫像のあるものから、時期が推定できるかもしれない。5000年前か、それとも、もっと遡るのか。この動物の背に飛び乗るなどという、向こう見ずな度胸の持ち主は一体誰だったのか。馬を手なずけ、人間はケンタウロスとなる。馬の脚と心臓を、人間の心と意志を持ち、駿足で、並はずれた耐久力を備えた比類のない動物だ。やがてすぐに相当数の馬を獲得した者が大帝国を築き、富を蓄え、商業ルートを支配するようになる。戦闘のための駿馬を保有することは、紀元前2世紀の中国人ハンの代名詞となったが、放牧にはあまり適さない領土の問題から、彼らは馬を育てるまでには至らなかった。それでも、この地方の歴史は馬によって完全に変えられた。馬を手に入れるための遠征の後ハンは戦略を覚え、貴重な絹や馬たちの相手のために遊牧民族との交易を開始し、これが後に西洋にまで広がるシルク・ロードの起こりとなった。
馬がいなくては、アメリカ大陸の征服や、サハラ領域の征服も成し得なかっただろう。馬の歴史、つまり人間が馬を支配して以来の歴史を思い起こしてみると、それがもたらしたものは、歴史、地理、人類史学、植物学、民間伝承、呪術、宗教、遺伝学、戦争技術の普及であり、通商では、金属工芸、繊維、皮革、木工、食餌の研究、動物の習性、音楽、衣料、狩猟、スポーツや美術史にまで及ぶ。感嘆すべきこの馬のおかげで、歴史は人間に当初定められてはいなかった土地へと突き動かした。馬に乗り、風に心を浮き立たせ、そのスピードで駆けぬける風景に感動を味わう。馬なしでは人間は翼のない鳥だとモンゴル人は信じている。太古、アジアの果てしないステップは遊牧民族の馬乗りたちに自然に通路を開いていた。越せない山はなく、渡るに困難な川もなく、丘から丘へと、どんな重武装の歩兵部隊でも疲弊するだろうこの広大な空間を行くことができた。チンギス・ハンの戦士たちはそれぞれ20頭の馬を操っていたと言われているが、モンゴル人はまた、襲撃に際して24時間で350kmの距離を走破したのだ。
しかしながら、現在我々は乗馬クラブや厩舎や牧場以外のどこで馬を見つけることができるのだろうか。パキスタンのラホールという都市では、今でも1万頭の馬が荷を引いていることを知ったら、驚かれることだろう。それらは観光客向けの魅力的なローマ風馬車とは対極の、貧しい者のタクシーである。今なおアフリカやアジアの高原には、最後の遊牧民族としてイラン人、エチオピア人、チベット人、キルギス人、カザフ人、タジク人などの部族が生きている。彼らは家畜の牧草を求め、地球上を旅し続ける。一方西欧世界では、日常的な馬の使用はほぼ消え失せている。だが馬は現在も、言語やその他象徴的な形で慣習や風習のうちにその姿を留め、また祭りやスポーツの主役を担っている。馬には人間の内にある陽性の資質が投射されるのであり、騎士の称号は、依然として栄誉な印なのだ。我々はまた、現代の芸術的馬術を通し、それに触れることで記憶の中に繰り返し馬の姿を呼び覚ます。その限りにおいて、馬は我々の前から消え去ることはないのである。

フルヴィオ・チンクイーニ

註:本稿は仏『ジェオ』誌2001年12月号に収録のフルヴィオ・チンクイーニ執筆原稿を翻訳・編集したものである。

Copyrighted Image