「ウルの牡山羊」シガリット・ランダウ展 プレスカンファレンスインタビュー

「ウルの牡山羊」 シガリット・ランダウ展
プレスカンファレンスインタビュー
2013年5月16日(木)メゾンエルメス8Fフォーラム

メゾンエルメスフォーラム「ウルの牡山羊」シガリット・ランダウ展 記者会見
(本文記者会見をもとにエルメスにて編集したものです。)
 
H:ランダウさんは1969年にエルサレムでお生まれになり、現在もイスラエルのテルアビブを拠点に活動していらっしゃるアーティストでいらっしゃいます。
 2011年ヴェネツィア・ビエンナーレのイスラエル館の代表も務められ、同じく2011年横浜トリエンナーレでも作品を発表されました。横浜での作品はご記憶におありの方も多いかと思われます。ランダウさんのほうからいろいろと作品について、そして展覧会の開催についてもお話をいただきたいと思います。

ランダウ:今回の展覧会は、基本的に二つのインスタレーションを関連させています。一つは私が最近ずっと発展させてきているインスタレーションの発展型であり、今回のエルメスの展示では新しい要素も含んでおり、もう一方は今回全くの新作の作品ということになります。
 まず、この作品の主題について、それからそこで使われている言葉について、簡単に説明します。私の作品だけでなく、イスラエルの文化というものを理解する場合には、常に「場所」ということが問題になりますけれども、少なくとも二つの場所があるということです。
 一方の場所というのは、つまりそれは家の空間です。これは私が自分の記憶をもとに、1950年代の私のおじいさんの家の空間を私の想像で再現したものです。この家の空間にはまた複数の場所が、その場所に絡んできます。一つには、そこに置かれているもの、例えば、私の義理の祖母にあたる人は、ヨーロッパのゴブラン織りの作品を作ることが趣味でした。そういった刺しゅうや家具がそこに置かれている。でも、この家具に構成された空間の中で、何か、あるいは誰かが、そこが空虚になっている。その人の存在がないということが、喪失が一つの問題になっています。
 その居間に入るためのプロローグとして、まず台所の空間を皆さんは通ることになると思いますが、この台所の空間ではヘブライ語の女性の声が聞こえてくるわけです。ここでは四人のヘブライ語でしゃべっている女性、それぞれに世界中の異なった場所からきたイスラエル人の四人の女性の言葉です。一人は自分の子ども時代のことを、もう一人は自分の少女だった思春期の時代のことを、一人は自分が家庭の主婦だった、妻であったときのことを語り、そしてもう一人は自分の老年のことをそれぞれ語っています。そして、ここで語られている言葉の日本語訳をヘッドホンで聞くことができます。
 そこから居間の空間をぬけて、その家庭の空間に私はもう一つ別の空間を付け加えることにしました。それは一つの回廊であり、この回廊に表現されていることを通じて、この私的な空間の中で行われていることの公的な意味というものを考えていただくことができるのではないかと思います。
 これは今回初めて試みたことですが、扉を開けることによって、その歴史的な回廊から、また元の台所の空間に戻ること、そして巡ることができ、別の方向、逆方向からこの作品を見たり、体験したりできることを目指しました。そうすることによって、私的なものと集団的なもの、つまり個人の体験と国家あるいは社会としての体験というものの相互関係を皆さんに体験していただけることができるのではないかと考えたのです。
 細かなディテールを積み重ることによって作り上げられたこの空間の一方で、もうひとつのスペースには全くそれと対照的な異なった空間を作りました。皆さんはたぶん私の今までの作品から、主にビデオアーティストとして私のことをご存じなのではないでしょうか。例えば死海で西瓜とともに浮いている作品であるとか、ビデオアートの作品をご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、そのビデオアートの一つの作品として、こちら側の空間は全く言葉を用いない、むしろそこで素材になっているものは現在のイスラエルの日常生活の一部である、イスラエル南部でのキブツにおける農作業の風景をもとに作り出した作品を展示しています。
 この作品は、もちろんビデオ作品ですが、もう一方で空間的なインスタレーションとして構成している作品です。4チャンネルのビデオを用いて、音楽家たちと共同作業で制作した音楽がかなりの大音響で流れており、皆さんに体でその空間にいることを感じていただきたいと思って作った作品です。
 ここで、皆さんの中にも勇気を持って試した方もいらっしゃるでしょうが、映像の中で出てくる木を揺さぶる機械を皆さん自身にも感じてほしいと思い、体を揺さぶる、いわゆる人間のためのシェーキングマシンを置きました。そこで自分の体で、ここで、キブツで行われていることの背景にあるなにか、強い意志、つまり生き延びていこうという強い意志であるとか、一方で、そこで生き延びていくことの結果としての暴力性であるとか、そういうことを感じていただけるといいなと思って、そういうものを置いています。
 
Q1:イスラエルにおいて、オリーブの木や収穫が喚起するものはありますか?

ランダウ:まず、当然ながら、オリーブの木、あるいはオリーブの実というのは地中海を象徴するものですし、そこも含めて多くのイスラエル人がなんとなく持っているイメージというのは、田園的な風景の一つの象徴というイメージがあると思います。これはある種の、昔ながらの古代的なイメージとしてのオリーブの姿ですし、実際のところパレスチナの大地においてオリーブの木は極めて重要なもので、例えばエルサレムには樹齢2000年あるといわれているようなオリーブの古い木もあります。ただし今回の作品で皆さんがご覧になっている木は、オリーブの古木ではなく新しい木です。
 一方で、現在のイスラエル、あるいはパレスチナの政治的な状況の中では、さまざまな別の、むしろ恐怖の物語に近いことがオリーブの木には付きまとっています。例えば、パレスチナ人の農家が大事にしてきた古いオリーブの木がイスラエル政府によって切り倒される。それは防護壁を造るために、パレスチナ人の育ててきた古いオリーブの木が切り倒されることであるとか、あるいはオリーブの実を収穫に行くときにでも、入植地の人間は軍隊に護衛してもらわなければ安心して収穫に行けないといった、そのような恐怖にまつわる話もまたこのオリーブの木から連想されるのかもしれません。
 しかし、一つだけ言えるのは、私が子どものころから育んできたオリーブの木のイメージ、例えば平和のイメージ、つまりハトがオリーブの葉をくわえているという平和のイメージというのとは、全く矛盾した意味をまたオリーブというものが現在では持ってしまっているということを考えなくてはならないということです。
 とはいっても、私たちには現実の生活もあるわけです。私自身、今や6歳の娘の母親ですし、母親として現実の社会を見たときに、また別のことが見えてきます。つまり、例えば今回展示しているオリーブの果樹園ですけれど、ここはキブツに属しているとはいっても、実際に働いているのは、ほとんどがパレスチナ人の労働者です。ですから、これを揺すっているのはパレスチナ人なわけですけれど、こうやってイスラエルの現実の中ではパレスチナ人とユダヤ人が共同して働いている、共に生活をつくっているという現実がいくらでもあるわけです。パレスチナ人にしても、そこで働くことで給料をもらえることが極めて重要な生活の糧になりますし、人間はやはり日々生活を続けて生き延びることが、どうしても必要になるわけです。
 一方で、あそこのキブツで育っている子どもたちにしても、大人になってどういう仕事に就くのかといえば、ハイテク産業のほうに行く人もいれば、仕事に就けずに失業者になってしまうような人たちもいるわけです。現実を見れば、たかだか一世代半、農民になろうとしてイスラエル人が努力しても、とても長い間ずっとこの仕事をしてきた、何世代にもわたってその伝統を築いてきたパレスチナ人にかなうわけもなく、実際、このキブツでパレスチナ人に農作業を実際に任せているというのも、それは現実的にパレスチナ人のほうがはるかにおいしいオリーブを育てることについて彼らが一番技術や知識を持っているからでもあります。
 かなり政治的なことを言ってしまいましたが、私は自分の作品が決してそのような政治的、理論的、そして頭で考えたものであるとは考えていません。オリーブの木そのものも、むしろ私は自分の作品を、もっとエロチックなものとして捉えていただきたいというふうに思っています。オリーブの木は、そこから取れる油でせっけんをつくることもできるし料理にも使えます。野菜にかければおいしいし、体に油を塗ることもできる、そういったエロチックなイメージを含めた感情的な体験としても、私の作品を見ていただきたいと思っています。
 
Q2:きっとご自身のご経験から、かなり結果的に政治的な意味を持つ作品をたくさん作られていると思うんですが、アートが政治的である重要性ですとか、そういったことについて、お話しいただけますか。

ランダウ:例えば非常に個人的なことを主題にして作品を作る。そのことで観客の人が感動とか強い力を感じてくださるとしたら、そのことは、その行為自体が、それが多くの関係になればなるほど、既に政治的な行為になるんだろうと思います。あるいは、逆に言えば、その政治的なテーマを取り上げながら個人的な作品を作ることもできるわけで、実のことを言えば、その作品自体の政治性は、余り重要なことではないだろうと私は考えています。
 ただ、一つ重要なことは、私自身は決して何かの政治的なメッセージを一つのスローガンにして、一言で表現できるような作品を作っているつもりはないし、いずれにしても、あらゆるアーティストというのは政治的な存在であって、何かを無視する、例えば政治的なことを無視して作品を作ろうとすること自体が極めて政治的な行為であるし、それはまた極めて危険な政治的な行為でもあり得るだろうと思います。
 いずれにしても、私は、実際にイスラエルの現実の中で生活して作品を作っています。その中で、さまざまなものをつなげていくということが、私のアーティストとしての仕事だろうと考えています。

Q3:先ほどのご説明では、世界中の異なった場所出身の四人の女性のヘブライ語によるストーリーが語られているというご説明でした。イスラエルの歴史。世界中から移住してきたユダヤ人の方々によって構成されたイスラエル社会、その現実が社会を難しくするとか、その中で生きていくことに困難を感じさせるという、状況について教えてください。

ランダウ:まず語っている女性はみんな70歳を越えているおばあさんたちですが、みんな、およそ私たちが普通に予測できることを、全く裏切るような話をしています。インタビューの条件は「歌を歌うこと」でした。一人のサラという女性は現在イランの一部であるクルジスタンの出身で、14歳で非常に年上の男性と結婚させられ、その夫は彼女を常に暴力的に扱ってきたという経験を持っている人です。その後双子の子どもが生まれたときに、病院であなたの子どもは死産でしたというふうに言われたと。彼女の疑っているところでは、その子どもは金持ちの養子に売られるために奪われたのではないかと。
 そんなひどい目に遭っていながら、一方で彼女は歌は歌い、笑い、料理の話をしています。彼女は今70歳過ぎても、大変貧しいながら毎日ちゃんと働いています。彼女の仕事というのは、裕福な、お金持ちの人のところに行って料理を作ったり、あるいは洗濯をするという仕事をあの年齢になってもずっと続けて、引退もしていません。一生ずっと働き続けている女性です。
 彼女の名前はサラですけど、サラというのは歌うという意味です。そして、他の三人の女性はリリー、アイリス、ヘブライ語でショシャナ(バラ)、つまり花の名前が名前になっている女性です。
 私自身は彼女たちの話をとにかく驚きながら聞いているわけです。どうやったらそうやって自分の人生に立ちはだかるさまざまな困難を、うまくお手玉でもやるように切り抜けながら生きていくことができたのかというのは、インタビューをしながら驚きでした。彼女たちは、こういった年齢になって、いろんな苦労を乗り越えながらも、それぞれ自分の家を持ち、生活しているわけですし、一方で自分の生活を維持するということのために、さまざまな矛盾も引き受けながら生きてきた人たちです。そういった意味で成功だといえるでしょう。私たちの世代が、今から20年後に、果たしてあんな風に自分の人生を語ることができるでしょうか。

「ウルの牡山羊」 シガリット・ランダウ展

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