「木村伊兵衛のパリ」

【タイトル】 木村伊兵衛のパリ  
Kimura Ihei in Paris: Photographs 1954 – 1955
空間デザイン: コンスタンティン・グルチッチ
【会期】 2006年10月28日~2007年1月21日

パリへ

今のパリは天候すこぶる悪く暗やみのパリとなる。しかしパリ情緒は身にしみて来た。しぐれもようとでもいうのか、さあっと雨が降っては止み、時々雲の切れ間から太陽がさす。その瞬間はぬれた舗道が光ってみごとだ。良い場所でこんな瞬間にぶつかればしめたものだが、不幸にしてまだぶつからない。ここでよい写真をとるには相当ねばらなければだめなので、私のようなせっかちは我慢するのに一苦労する。気をながくしてパリの空気を身につけないといけないらしい。(「撮影日記」『木村伊兵衛外遊写真集』朝日新聞社、1955年)

カルティエ=ブレッソンと

カルティエさんのパリの生活は非常に忙しくて、ゆっくりと話もできない始末であった。それを察して、よかったら4、5日、自分のいなかのうち(彼の仕事場)へ行って遊ぼうと誘ってくれた。場所はパリから自動車で3時間ほど行ったブロアという古い町である。その近くのルイ十四世の時の重臣が住まっていたシャトー(城)がそれである。

ブロアの町へ着いてから、私に写真を撮らせようと思った心づかいは身にあまる思いであった。実は欧州旅行でカルティエさんに対面する前は気持が落ち着かず、ろくな写真が撮れなかった。このブロアの町の親切さと、彼の撮影ぶりをみて、私の気持ちがパッと明るくなったせいか、それ以後はどんどん写真が撮れるようになった。(「パリであった彼の印象 アンリ・カルティエ=ブレッソン」『カメラ毎日』1957年5月号、毎日新聞社)

ドアノーという人

裏街に行かぬとほんとのパリ祭の面影が残っていない。ドアノーは、昼間自身で私にみせようというところをすっかり自動車でロケハンしてくれ、そして前夜祭に、一緒にパリ情緒の残っているメニルモンタン(「赤い風船」のロケーションをしたところ)とサンマルタン運河付近(映画「北ホテル」でおなじみの場所)へ出かけた。

それについても面白いのは、ドアノーという人の人柄である。そういう下町の人に本当に可愛がられている写真家である。だから細い横丁に行っても、ドアノーは自動車で乗り入れるが、他のものが乗り入れようものならひっくり返される。ところがドアノーだといえば道を開いてくれる。自動車をなぜ乗り入れるのかというと、自動車の屋根に乗らないとうまく写せないのだ。彼の自動車の屋根には鉄のテスリがちゃんととりつけてある。私もドアノーと一緒に屋根に乗って写した。(「ヨーロッパ撮影記」『木村伊兵衛第2回外遊写真集 ヨーロッパとその印象』1956年、朝日新聞社)

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