森村泰昌(前編)

なにかを確かめながら、20世紀を歩み直す旅をしたかった

あるときは美術史上の名画に、あるときは銀幕の女優たちになりきることで切り拓いてきた、独自のセルフポートレート表現。最新シリーズの集大成となる大型個展で、作家は自身が生きてきた20世紀を辿り直す旅へ出た。幾多の偉人や市井の人々がファインダーの前を駆け抜けた「写真の時代」を写真で問う、その巡礼の行方とは——。

取材・文:内田伸一

——『なにものかへのレクイエム—戦場の頂上の芸術』展は、モリムラ流のセルフポートレートを通して20世紀を振り返る試みですね。同じく歴史を扱うにしても、絵画の中ヘ入っていく『美術史の娘』シリーズとは異なり、森村さんが「なりきる」対象として、報道写真や肖像写真が選ばれています。その理由を教えてもらえますか。

まず、美術家なので歴史を考える際も視覚イメージから入っていくというのがあります。『美術史の娘』では、18〜19世紀の時代を映し出すビジュアルはやはり絵画だと思ったのです。一方で20世紀は、いわば「写真の時代」ではなかったか——。そんなふうにとらえて制作していくと、必然的に政治的な出来事をとらえた報道写真も扱うことになりました。

——撮影年が一番早いのは、ベトナム戦争時の有名な報道写真を元にした「VIETNAM WAR 1968-1991」だそうですね。


「なにものかへのレクイエム(VIETNAM WAR 1968-1991)」2006年 ゼラチンシルバープリント
1968年、サイゴン警察が捕虜となったベトコン兵士を路上で射殺する光景をとらえた報道写真「サイゴンでの
処刑」が参照されている。

はい。1991年、ニューヨークでの初個展で発表したものです。『美術史の娘』シリーズ中心の展示でしたが、当時の湾岸戦争が制作にも影響を与えました。ゴヤのレジスタンス虐殺の画を参照したものなどを出展したのですが、絵画での置換よりも直接的な作品化の試みとして、あの写真を使った作品が生まれました。大阪の御堂筋で撮影したものです。

いつか続きをと思いつつ、やがて迎えた21世紀は、どうやら全面的に肯定的にとらえてよい時代でもなさそうでした。やはり、美術の世界からいまを見つめることをしてみたい。ただその際、慌てて先に進むのでなく、時計の針をひとつ前の時代まで戻し、なにかを確かめながら、自分なりに20世紀を歩み直す旅をしたかったのです。

——シリーズ化を意識したのは、三島由紀夫を参照した作品からだとも聞きました。「烈火の季節/なにものかへのレクイエム(MISHIMA)」では、三島の演説における「憲法」「自衛隊」を、「芸術」という言葉に置き換えた森村さんのパフォーマンスが映し出されます。


「なにものかへのレクイエム(MISHIMA 1970.11.25-2006.4.6)」2006年
発色現像方式印画

1970年11月25日、三島由紀夫は自らが率いる「楯の会」の会員と、市ヶ谷の陸上自衛隊
東部方面総監部を訪問。面会した総監を人質にとり、バルコニーから自衛官の決起を促す
演説を行った後、割腹自殺を遂げた。作品ではその演説が森村によって再構築される。

実際シリーズとして始める際、そこに僕の個人史をどう位置づけるかという課題がありました。客観的な批評精神の一方で、自身に引き付けた地点から出発することでリアリティが欲しかった。そこで僕の20世紀にどこからとりかかるべきか考えました。三島の自決事件は1970年のことで、51年生まれの僕は当時19歳。もっとも気持ちが揺らぎやすい、そんなころに起きた事件だけに、強く印象に残っています。

70年には大阪万博もあり、地元なので観にも行きました。三島を芸術家としてとらえるとき、このふたつの出来事は、芸術の意味というのをいまも考えさせます。表現とは何なのだろうと。国家的プロジェクトとして膨大な予算を使い、記録的な動員数を達成した万博ですが、僕の頭に強く残り、かつ深く考えさせるのは三島のほうなのです。そんなわけで、ここから精神的な20世紀の旅へ向かうことになりました。

モリムラを生み育てた「戦後」


左:「なにものかへのレクイエム(独裁者はどこにいる1)」2007年 ゼラチンシルバープリント
アドルフ・ヒトラーを彷彿とさせる政治家に扮する森村だが、実際はチャップリン(ヒトラーと同年生まれでも
ある)による映画『独裁者』(1940)でナチズムの風刺として描かれた独裁者(および彼と入れ替わる無名の床屋)
がモチーフか。鉤十字の紋章の代わりに「笑」の文字が見られ、独裁者の後ろに控える人々は獣の姿をしている。

右:「なにものかへのレクイエム(創造の劇場/マルセル・デュシャンとしての私[ジュリアン・ワッサー氏撮影
のイメージに基づく]」2010年 発色現像方式印画
(作中作品:マルセル・デュシャン「彼女の独身者たちによっ
て裸にされた花嫁、さえも(大ガラス、東京ヴァージョン)」東京大学教養学部美術博物館蔵 ©Marcel Duchamp Foundation)
1963年、デュシャンは自作の前で裸婦とチェスに興じるパフォーマンスを行う。森村はここでデュシャンとその
別人格として知られるローズ・セラヴィとに扮する。盤上にはオノ・ヨーコの許可を得て複製された彼女の作品
「ホワイト・チェス」。背後の「大ガラス」含め全てが「もうひとつの存在」から成る世界とも見て取れる。

——展覧会は4章構成で、様々な20世紀人たちが登場します。政治的暗殺事件などを扱う『烈火の季節』、レーニン、ヒトラー、アインシュタインらが登場する『荒ぶる神々の黄昏』、ピカソからデュシャン、ウォーホルまで巨匠芸術家の姿に迫る『創造の劇場』。そして最終章『1945・戦場の頂上の旗』では、1945年という年に焦点を当てていますね。森村さんの精神的な誕生年である、といった意味のコメントもなさっていました。

このときからアメリカが本格的にやってきて、日本を統治するために色々な事をしていく。生まれたのは少し後ですが、45年から始まる時代に僕も生きていて、当然、自分を生んだ母と父のことも考えます。そのとき「そういうことか」と思ったのが、天皇とマッカーサーのあの会見写真です。一言でいうと、ある種の結婚写真のようでもある。マッカーサーが夫で、天皇は妻。主導権のかなりの部分は夫が持つという構造の中で「戦後」が始まるわけです。

支配/被支配の敵対関係になりそうですが、「結婚」なので一概にそうとも言えない。日本はアメリカ文化を迎え入れ、憧れた。複雑な愛憎関係の中で、日本的なものとアメリカ的なものが妙なからまり方をしていきます。両者を「親」として生まれた自分が見えてきました。

そこから生まれた作品「思わぬ来客/1945年日本」は、僕が生まれ育った実家のお茶屋さんで撮影しました。いわば、個人史と大きな歴史とがクロスするようなもの。僕たちはいつもそういう場所に生きています。自分の個人的な思いや考えが反映された部分というのは、このシリーズの他の作品にも色々あります。


「なにものかへのレクイエム(思わぬ来客/1945年日本)」2010年 発色現像方式印画
1945年9月、GHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーと昭和天皇が会見。その写真は、
翌々日の新聞に掲載された。実際の会見は駐日アメリカ大使館公邸にて行われている。

さらに1945年は、19世紀を引きずりつつ21世紀に向かい進路を取る、そんな分岐点でもある。この時期に、他の場所ではどんな事があったのか。ドイツでは、アメリカでは、インドでは……。それらを同時に示すことで、もう少しふくらませた世界を作れたらなと考え、それが展覧会の最終章になりました。

後編はこちら

もりむら・やすまさ
1951年、大阪生まれ。自らの身体を用いたセルフポートレートの手法を使い、さまざまな存在に「なりきる」表現で知られる。歴史的名画をモチーフにした『美術史の娘』シリーズ、性差を越えて往年のスターたちを演じる『女優』シリーズなど、各作品に漂うユーモア・違和感・切実さが、観る側の価値観に揺さぶりをかける。自伝的エッセイ『芸術家Mのできるまで』ほか、著書も多数。
http://www.morimura-ya.com/

最新個展『なにものかへのレクイエム—戦場の頂上の芸術』開催日程

2010年3月11日(木)〜5月9日(日) 東京都写真美術館
http://www.syabi.com/

2010年6月26日(土)〜9月5日(日) 豊田市美術館
http://www.museum.toyota.aichi.jp/

2011年10月23日(土)〜2011年1月10日(月・祝) 広島市現代美術館
http://www.hcmca.cf.city.hiroshima.jp/

2011年1月18日(火)〜4月10日(日)兵庫県立美術館

http://www.artm.pref.hyogo.jp/

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