刺す糸、縫う糸−−感性と思考のミシン
取材・文:内田伸一(編集部)
ポートレート:永禮賢
古ミシンで生み出す驚くべき刺繍作品は「絵画と見間違えるような」と形容されることも多い。緻密な表現の陰には常にコンセプチュアルな側面(例えば異メディアによる絵画史への言及(?)も垣間見えるが、この作家の活動は「始めにミシンとの出会いありき」だった。ゴールドスミス・カレッジのテキスタイル学科時代のことだ。
「デザイナーへの興味などもあってそこを選んで、ミシンでの制作は初期衝動に導かれたようなものでした。予想外だったのは、その学科は9割が女性で、工芸と美術の関係だけでなくジェンダーやフェミニズムへの意識が高かったこと。必然的に、男の自分がここで何をやれるか、その意味は何かを考えずにいられなかった。ミシンも歴史的には“女性の労働の象徴”との捉え方があったりして、一方で自分には古い機械へのロマンみたいな男子的思い入れもある。 あれこれ葛藤した結果、最も古いテクノロジーのひとつであるこの機械で、現代の環境を再定義する作品をつくる、という姿勢が生まれた気がします」
Glitter Pieces #2, 2008, 21.7×21cm Photo: Miyajima Kei
Courtesy the artist and Mizuma Art Gallery
個展『Glitter Pieces #1-22:連鎖/表裏』では、従来モチーフとした日常の風景やオブジェとは違い、印刷メディアから選んだ写真イメージが刺繍された。 音楽フェスティバルでの熱狂、米国前大統領の最後の会見、一見ありふれた集合写真など。このシリーズでは各作品が黒糸と1、2色のメタリック糸のみで刺し縫いされ、絵画や写真のような……といった感覚とも違う存在感を放つ。あるいはそれは、時々刻々と消費され「どうでもいい」ものと化した図像が、刺繍の新たな地平から生々しく再提示されたときの胸騒ぎか。
数作品では、選んだ写真の裏に印刷されていたイメージも対の形で刺繍した。偶然性に依るその組み合わせが、米国の経済危機を象徴する報道写真と、相も変わらず豪奢なマンションを勧める広告とであったとき、我々は何を思うべきだろう?
「これまでのように絵画的なものをつくる意識とも違って、それも自分にとって新発見だった。光る糸はコンピュータのモニタやTV画面にもつながる気がするし、もともと刺繍はピクセル表現に近いと感じていたのも関連するかな」
そう語る作家に、道なき道ゆえの行き詰まりの懸念はないかと聞くと、ニヤリと笑った。
「初個展でも同じことを言われました。でも、それから10年くらい経ったいまも、試したいことはまだたくさんありますから」
Glitter Pieces #1, 2008, 17.4×23.2cm
Photo: Miyajima Kei, Courtesy the artist and Mizuma Art Gallery
元になっているのは、ウィリアム・モリスらによる社会主義同盟の記念写真か。
あおやま・さとる
1973年、東京生まれ。98年、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ・テキスタイル・アート科卒業。2001年、シカゴ美術館付属美術大学大学院ファイバー&マテリアル・スタディーズ科修了。工業用ミシンによる美しい刺繍表現に、批評性を宿した作品群を展開する。『Glitter Pieces #1-22:連鎖/表裏』は3月11日から4月11日まで、ミヅマアートギャラリー(東京)で開催された。上野の森美術館で7月15日まで開催中の『ネオテニー・ジャパン-高橋コレクション』に出展。府中市美術館での公開制作を11月に予定している。
ミヅマアートギャラリー
http://mizuma-art.co.jp/artist/0020/