パク・シュウン・チュエン[白雙全]インタビュー

身体で計る偶然性
インタビュー/アンドリュー・マークル


From A Zebra for 5 Persons, 2006-12-28, 12:30-13:00, Cheung Sha Wan, Hong Kong. All images: Courtesy Pak Sheung Chuen.

ART iT あなたの作品において個人的に特に印象に残っているのは、中国語で言う「缘分」[yuánfèn、以下「縁分」]の概念です。意味としては縁やゆかりということですが、例えば「Waiting for a Friend (without appointment)」[原題「等一個朋友」](2006)という、駅の前でじっと立って誰か知っている人が通りかかるのを4時間も待つ作品などに特に顕著に現れていると思います。この「縁分」というコンセプトは、意識的に作品の中に採り入れているのでしょうか?

パク・シュウン・チュエン[白雙全](以下、PSC) 私は作品を通して日常をもっと意義深いものにしたいと思っているのですが、「縁分」は予期しない可能性との巡り会いに関わることなので、私のその理念をうまく反映していると思います。「縁分」とはとても仏教的な概念で、これから先、何か良いことが起こると信じ、万事うまく行くと信じることでもあります。ときには私自身にとって良いものを作り出すこともありますし、もっと先のことを考慮したものを作り出すこともあります。それはつまり、地面に花の種を撒いておくと、ある日突然たくさんの花が手に入るというようなことです。その気持ちが好きですね。

ART iT 通常、「縁分」は私たちにコントロールできないものとして考えられるものですが、あなたの作品では、駅で友達に偶然出会うという「縁分」が構築された状況の一部を成しています。コントロールと偶然性との両方の要素、ある種のコスモロジーのようにさまざまな身体がどのように時空に関わるのかについて関心を持っているということでしょうか?

PSC そういうわけではありませんが、このような状況を作ればそのうち何かが起こるに違いないと考えています。それは時間の問題でしかなくて、十時間かかるかもしれませんし、一日、二日かかるかもしれません。
実際の信仰で言うと私はキリスト教徒ですが、仏教思想についての本はたくさん読んでいます。仏教の教えのひとつに、花とは、ただ花だけではない。それは太陽であり、水であり、土であり、あなたでもある。花の周りにある全てのものも、その花の一部である——というのがあります。私もその考え方を共有しています:私は一人の人であると同時に、私の周りの人々でもあります。2003年から2007年辺りの4年ほど、明報新聞[Ming Pao]という地元の新聞の日曜版のためにアートプロジェクトを毎週作る仕事をしていました。この期間中は多くの時間をただひたすら街をブラブラして過ごしました。何か私に語りかけてくるものを見つけるまで歩き続けて、そこからアイディアが生まれるのです。例えば、ある日、手を繋いだ男性と子供を描いた道路標識を見て、母親はどうしたのだろうと考えました。そして街を見回すと、大人と子供が色んな組み合わせで描かれている標識を発見し、みんなひとつの家族なのだと想像してみました[この作品が2003年の「Ethic of the Single Parents: Father and Son / Mother and Son / Mother and Daughter / Father and Daughter」(原題「単親倫理:父子/母子/母女/父女」)となる]。
また別の作品ですが、「Familiar Numbers, Unknown Telephone」[原題「熟悉的数位、陌生的電話」](2005)では、91、91M、92、96Rという4つの系統のバスが停まるバス停を見つけて、この数字の組み合わせは携帯電話の番号とよく似ていると思いました。そのとおりに電話してみたら、誰かが電話口に出たので、バス停で番号を見たと伝えました。彼は驚いていました。「何かの宣伝に載っていたのですか?」と聞かれて、「いいえ、バス停自体にシルクスクリーンのような感じでプリントされています」と答えました。「それは新型のバス停でしたか? それとも旧型の方でしたか?」とも聞かれました。このようなおかしい会話を数分続けて、それを全部録音しておきました。
その後、新聞のプロジェクトのひとつとしてそのことについて書きました。そうしたら、その番号に実際に電話を掛けてしまった人たちが現れたことを知ったので、またその男性に電話を掛けて謝りました。そして後日、またそのバス停の近くを訪れたときに見に行ったら、番号が盗まれていました。これには作品を新聞で発表するということは他の美術メディアとは全く違うことなのだと強く意識させられました。でも、全然知らない人と交流を持って繋がりを築くことができるという点では気に入っています。これは私の作品の大きな特徴だと思います。知らない人と関わって関係を作るということをいつも自分に課しています。


Top: Waiting for a Friend (without appointment), 2006-12-29, 12:47-16:38. Bottom: Familiar Numbers, Unknown Telephone, 2005-5-16, 13:15-13:18.

ART iT 新聞の仕事の前からこのような方法で作品を作っていたのでしょうか?

PSC 明報新聞が始まりです。アーティストがプロジェクトを行なうために紙面を提供したらどうかと私が提案したのです。今はもう定期的には関わっていませんが、そのコラムはまだ続いています。それまではずっと画家として活動していたので、最初は私自身にとっても全く新しい試みでした。でも、身の回りのことには敏感なので、それをもとにどのようにして新聞のために作品を作ろうかと考えました。2003年当時、香港では重症急性呼吸器症候群[別名SARS]が発生したために本当に酷い状況に陥っていて、なかなか仕事が見つかりませんでした。だから、街を歩くことに専念してみました。そして歩いていたら、奇跡が起こったのです。まるで誰かか何かが私に話しかけて、何をすればよいのか教えてくれたかのようでした。そうやって、次第に新聞を使ってアイディアや作品を展開させていく方法を見つけていくことができました。

ART iT 近年の作品に大抵なんらかの行動、そのドキュメント、そして物語が関わっているのは、新聞での経験が影響しているのでしょうか?

PSC はい。新聞の仕事をしていた間は、ギャラリーという環境に戻ることには強い違和感がありました。戻るまで本当に長い時間がかかりました。今でも時折新聞のためにプロジェクトをすることはありますが、常時香港で過ごしていないと力強い作品を作ることはできないと感じています。そうでないと、新聞の読者と同じような関係を持つことができないので。2007年に一年間のレジデンスをするためにニューヨークに発ったときに定期的にプロジェクトを行なうのを止めました。

ART iT では、あなたの作品は香港のコミュニティに限定されたものだと考えているのでしょうか? 世界の鑑賞者に届くということは意識していないのでしょうか?

PSC 最初期には、あくまでも新聞の読者のために作品を作っていました。4年間ほど続けることで、私の作品制作そのものを発展させる有意義な活動となりました。もちろん、その当時のプロジェクトのいくつかは他国の鑑賞者にも関心を持たれ得るでしょうけれど、私は日常生活の一環として、料理や買い物などをするかのように作品を作ることが好きです。あまり深く考える必要はありません。
また、街を歩いているときに出会うアイディアを基に作品を作るプロセスは、一種のセラピーのように感じます。私の周りの環境や人々がもっとフレンドリーになりますし、住んでいる街をよりポジティブに捉えることができます。それこそが新聞の読者に伝えようとしていたことで、楽しんでいただくことを祈っていました。
しかし、レジデンスのために香港を離れてから、私の制作方法は変化しました。ターゲットが変わったとも言えるでしょう。


Top: Installation view of Inexistent Time (2008) at the 3rd Yokohama Triennale, 2008. Bottom: Installation view of A Travel Without Visual Experience (2009) at Vitamin Creative Space, Guangzhou.

ART iT 2008年の第3回横浜トリエンナーレのために作った作品、「存在しない時間と存在する時間」(2008)はどうでしたか? そこでのターゲットはありましたか?

PSC あの作品は展覧会のテーマ、「Time Crevasse」に反応して作りました。私の人生における時間、時間とは私にとってどのような意味を持っているかについて考えていると、いくつかのアイディアが生まれてきました。ひとつはライフライン[この場合は、人の人生を表す一本の線]という概念。誰もが自分のライフラインを持っているけれど、ふたつのライフラインを合わせると、一致しない部分は一体何を意味するのか? それを彫刻のポジティブスペースとネガティブスペースのように捉えて考えてみました。
でも、全体的に言えば——読者がもっとプロフェッショナルになってきたとでも言いましょうか——私の作品は本という形式に向いているのではないかと思っています。

ART iT ギャラリーという環境で展示するときにはどうなるのでしょうか?

PSC 最初は、それまでに積んできた経験が、新聞紙面、紙にアイディアを載せる仕事だったので、ギャラリーでの展示は難しく感じました。新聞だと全てが平らで、私はその中でもひとつの特定の場所だけを扱いますが、展覧会という場ではギャラリーを空間として捉えて、その空間に入ってくる人たちの気持ちも考える必要があります。ただ純粋にアイディアだけというわけにはいきません。それならわざわざギャラリーに行かずとも、本を見れば済むことになります。ですから、最近では展覧会にはどちらかと言えば画家として取り組んでいます。正確には、ひとつの空間のためにふたつの展示を同時に準備します。ひとつめの展示は私の作品のコンセプトについて、そしてふたつめは私の作品のあらゆる要素を通して空間の中にコンポジションを作るという展示です。そのふたつめの展示は、空間に立ち入る人に三次元的な抽象画を見ているような感覚を与えて、より容易にアイディアに身が入るようにします。マレーシアでの旅中に目隠しをして撮った写真のインスタレーション「A Travel Without Visual Experience」[原題「與視覚無関的旅行」](2009)ではその効果をより深いものにするべく、鑑賞者に作品のコンセプトを直接体験してもらうために、カメラのフラッシュを使わないと写真が見えないほどに展示室を暗くしました。


Installation view of Valleys Trip (2007), map of Tokyo’s 23 wards, 1:10000 scale, 2006 edition.

ART iT 先ほどは「縁分」とコスモロジーについて話しましたが、地図を使った作品も作られていますよね。例えば、「Mountains Trip」[原題「山之旅」](2007)や「Valleys Trip」[原題「谷之旅」](2007)は、それぞれ山折りにされた紙と本のノドを使って東京での旅程を決めるという作品です。どうして地図に関心を持たれたのでしょうか?

PSC はっきりとした理由は分かりませんが、基本的に、地図は私がどこにいるかを知る方法を与えてくれるものだと考えています。地図を見るときの視点はまるで地上を見下ろす神の視点のようで、私たち人間はとても小さく映ります。もしかしたらその気分が気に入っているのかもしれません。
東京で作った作品は、香港での作品と同様に、街中をブラブラすることによって生まれました。「Valleys Trip」は、ある日書店に入って東京23区の地図を見つけたことがきっかけになりました。とても分厚いけれど小さな本でした。それぞれの地図が2つのページをまたいでいましたが、その本を平らに押さえつけてもノドの部分はどうしても見えませんでした。そして押さえつけていたら、この隙間のところに沿って旅をしたらどうだろう? それは一体どういう意味を持つだろうか? という、興味深くて抽象的なアイディアが生まれてきました。そしてその隙間を旅しながら自分の写真を撮ることに決めました。このプロジェクトもいつか本に収録することは分かっていたので、ちょうど写真のフレームの真ん中に自分が写るようにしました。そうすれば、私の写真もその本のノドの隙間に入るようになります。
日常生活とはそんなものだと思っています。私たちはあまりにも多くのものに取り囲まれています。ただ注意を払って、落ち着いていればアイディアは自然と生まれてきます。それはとても宗教的な体験とも言えますね。そうした宗教的な精神修行をしていると、なんらかのアイディアが生まれて全身を満たしていく。こういったことが私の命を支えています。

ms_WbNY-5nc
From A Zebra for 5 Persons, 2006-12-28, 12:30-13:00, Cheung Sha Wan, Hong Kong.

ART iT あなたの作品の多くはあなた自身の身体——その大きさや空間においてどのように在るか——から始まっています。ときには不条理でありながらも、あなた自身を含む5人の人が立ち並び横断歩道を塞いでしまう「A Zebra for 5 Persons」[原題「五個人行的斑馬線」](2006)のように、非常に力強い作品にもなります。

PSC その作品は、レジデンスの最中に一ヶ月だけ香港に戻ったときに作りました。香港にいる間はカレンダーを地図に挟んで、毎日、日付をもとに新しい場所を訪れて何かが起こるのを楽しみにしていました。行く先々で受けたインスピレーションに反応して作っていたので、これもまた一種の「縁分」でした。そんなある日、妙に細い横断歩道を見つけて、強く刺激されました。歩行者用の信号が渡ってもよい合図としてテンポの速い音を大音量で流すので、かなりうるさい場所になっていました。そして香港では何故そういった場所が生まれるのかについて考えてみました。要するに、政府が人々にもっと速く動いてもらいたいので、速く動くように促すべく横断歩道を細くして、心をかき乱すような音を流すのではないかと。私は、人にそのように速く動くことを止めさせて道の速度を落としたいと思いました。そこで友達を呼んで30分ほど横断歩道を渡り続ける作品を作って、たくさんの人に伝わるように、それを撮影した映像をYouTubeに載せました。


All: From A Present to the Central Government (2005). Top: Part 1, 2005-7-1, 15:00-17:00, Causeway Bay, Hong Kong. Middle: Part 2, 2005-7-17, 10:00-17:35, around the periphery of Tiananmen Square, Beijing. Bottom: Documentation of route for Part 2 action.

ART iT では、それは道路に黄色い布を敷いて毎年恒例の7月1日の公民権デモ行進の参加者の足跡を集めた「A Present for the Central Government」[原題「香港人給中央的禮物」](2005)のような、香港の政治に関わる作品にも繋がっているのでしょうか?

PSC はい。新聞の仕事をしていた頃、私のコラムを通して香港の人々の気持ちを表現しなければならないという責任を感じていました。ちょうど、香港における政治的にとても重要な時期と重なっていました。アクティビストではなく、一個人として、そして美術家として発言していました。私の友達の大半はアクティビストなのですが、彼らの考え方は私とは全く違います。彼らは政府は糞だと言い、戦うべき相手と見做しています。でも、私が思うには、香港政府と戦うためにはいろんな人が必要であって、ひとつだけの方法では足りません。誰かが政府と同調して、誰かが政府と戦って、誰かが段階的な変化をもたらすためのアイディアを政府に提供する必要があるのではないでしょうか。
私の作品は小規模で私的なものだと言えるかもしれませんが、それでこそインパクトが増すのです。人々は私の作品を新聞で見て、自分も私と同じだと気付きます。まるで1989年に天安門広場で戦車の前に立ちはだかった男性のように。あのイメージは何故あれほど力強いのかと言うと、彼はどこにでもいる普通の人でありながらも、自分の力で戦車を止めることができました。私たちも自分自身の身体を彼に重ね合わせることができます。この等身大であるということは、私の作品にとって非常に大事なことではないかと思います。鑑賞者に作品を自ら直接体験してもらいたいので、作品はあまり大きくしないように心がけています。ですから、殆どの作品は私の個人的な気持ちを表しています。私自身の力を使って制度に抵抗し、現在の政治状況の背景にある考え方に抵抗しています。でも、これはただ怒りを表すということだけではありません。人々が落ち着いて、周りの状況についてそれぞれ自分の考えを持ち、それが前向きな思考に繋がっていくことを私は祈っています。どちらも必要なのです。

パク・シュウン・チュエン[白雙全]インタビュー
身体で計る偶然性

第16号 記憶

Copyrighted Image