エリック・ボードレール インタビュー(2)

風景論の折り紙
インタビュー / アンドリュー・マークル


The Anabasis of May and Fusako Shigenobu, Masao Adachi and 27 Years Without Images (2011), Super 8 and HD video, 66 min. All images: Courtesy Eric Baudelaire.

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ART iT あなたにとって、日本での経験、特に2008年の京都にあるフランス人のためのアーティスト・イン・レジデンス ヴィラ九条山の滞在は、アーティストそして映画監督としての意識を変化させたのではないかと思います。この効果は、特に足立正生さんとの出会いによってもたらされたのでしょうか。それとも、その背後にあるもっと一般的なことなのでしょうか。

EB 足立さんにお会いしたのは日本を離れてからです。したがって、そこには二度に渡る転換がありました。2008年に日本に到着したとき、私は基本的には写真家でした。既にふたつの映像作品をつくっていましたが、どちらも非常に写真的な作品でした。「Sugar Water」(2007)は、写真と映画の関係についての作品で、静止画と動画の差異を扱ったものです。一方、「Circumambulation」(2006-07)は、9.11に対して直感的に応答したものです。どちらの映像作品も編集を行なわず、映画的な言語で構築しようという考察もありませんでした。ビデオカメラは持っていましたが、写真家として使っていました。しかし、日本に来て、写真を撮影しないだろうなと自ら気がつきました。もちろん写真は撮りましたが、それらは個人的なもので、観察日記といったものでした。写真自体は、私の実践において、日本で限界に到達したと言っていいでしょう。自分がここで観察したものに関して、メディアとしての写真がまったく面白いと感じられませんでした。戦後の日本写真が絶対的なものとしてあって、私がそれを超えて寄与すべきものが見当たりませんでした。これは挫折のような感情ではなく、謙虚で美しい感情でした。さらに、ロラン・バルトの『表象の帝国』のようなテキストが、自分が日本と関わりたいと思っていた領域を位置づけるのに非常に役立ちました。それは言葉を必要とするもので、私のイメージに対するアプローチについて再考を促すものでした。
最初に制作した映像作品は「[sic]」(2009)で、輸入された本を手で引っ掻き、潜在的に「猥褻な」性器の写真を自己検閲する行為についての作品でした。その作品ではまったく言葉は存在していませんが、イメージの消失と欲望、死、場所、時間といった実体のない概念に関わるものを含むイメージについての理解のずれを扱っています。このように、写真というものが物理的ではないが故に直面しにくい、いわば、実体のない概念とその日物質性にアプローチすることを映像で試みたのです。二番目に制作した映像作品は、フランスに帰国してから制作したもので、日本で見つけた素材を使用しています。「The Makes」(2009)は、ミケランジェロ・アントニオーニの制作できなかった映画が、まるで日本で撮影されたかのように想像してつくられたものです。
一年後、「重信房子、メイと足立正生のアナバシス そしてイメージのない27年間」(2011)の制作のために日本に戻りました。このときに二番目の大きな変化がありました。足立さんと出会い、「風景論」を通して映画について考えはじめる一方で、ボイスオーバーと映像との関係についての自分自身の理論を発展させていくことができました。「アナバシス」は、ある意味、編集という作業を使って、コンセプトの構築という無限に広がる可能性をもとに、私自身の写真のイメージへの愛と、風景、物語とオーラルストーリーを結合させたものです。

ART iT 日本という国があなたをレバノンに導いたのですか。それとも既にレバノンに対して何らかの興味を持っていたのでしょうか。

EB 日本が私のレバノンに対する興味をつくりだしたわけではありません。ただし、いよいよレバノンに行くという結果を引き出すいい理由を与えてくれました。政治的な面において、私は昔から中東に関心を持っていて、大学では中東研究を専門とする政治学を学んでいました。アラビア語も勉強して、研究論文はイラクにおける最初の戦争についてのものでした。ですので、日本経由でベイルートに行き着いたのは偶然ですが、この地勢的な移動は、日本やレバノン、もしくはパレスチナの話としてテーマを扱うのではなく、イタリア、ドイツ、フランスなど、このテーマに関わる別の複数の場所に渡る政治の話として、この問題を扱える可能性を開いてくれました。


Circumambulation (2006), two-channel video and wall text. Installation view at Galeria Juana de Aizpuru, 2007.

ART iT 90年代からはじまった現代のグローバリゼーションの波において、人々を繋げていた幻想としての国際主義(インターナショナル)という考え方が縮小してしまったというのは皮肉なことです。その状況がどのように起こったのか。さらに、その国際主義から取り戻すものがあるのかどうかを理解し直すことは重要だと思います。ここで「風景論」に対する質問があるのですが、あなたは自分が撮るイメージをどうやって観光客のそれになることを避けたのでしょうか。

EB 足立さんが初期の映画で実践した問題ですね。『略称・連続射殺魔』(1969)には、夕焼け、花、人々が自転車を乗りまわる長いショットがありました。それらはまるで絵葉書のようなイメージです。「風景論」に対するドイツ的なアプローチは極端に厳格なものでしたが、それらのイメージはもっと「普通」にあるべきでした。この最初の実践で、足立さんやグループにいたほかの映画監督は、貧困、老朽化した家、路上や米軍基地における産業や軍の編成と並列する、美しいイメージを探しているというアイディアを完全に受容していました。そして、それらの映像を完璧に美的に機能しているフリージャズのサウンドトラックとともに編集したのです。
「風景論」は映画制作の実践的な装置というより、もっと概念的理論だと思っています。画期的なテキストや「風景論」のマニフェストといったものは存在せず、ただひとつ実践した映画『連続・射殺魔』は、最初からその理論の非常に構造主義的な性質を裏切るものでした。足立さんと彼の仲間たちの考え方には、自由な何かが存在していて、私はそこがとても美しいと思っています。「風景論」は主張であり、広く伝わったわけですが、我々がそれについて考えることは開かれています。実際、「風景論」の最も大きな効果は、今日、我々が道を歩きながら風景を見ているときに、我々自身が各々の「風景論」をつくりだすということです。だからこそ、私は「アナバシス」で同じように自由な形で「風景論」を実践したわけです。私は重信房子と足立正生が住んでいた場所を通じて、歴史的に正確な道程をつくろうとしたわけではありません。彼らが住んでいた街や近隣の場所は訪れましたが、その風景を自ら体験して、それをフィルムに収めただけです。
「アナバシス」では、委嘱というアイディアを組み込むことで「風景論」を方向転換させました。足立さんの要求に応えて、私が彼のためにいくつかの風景を「アナバシス」の映像に収めたことがわかると、この映画の中に「風景論」のイメージの範囲で委嘱されたイメージが存在し、その委嘱されたイメージの範囲内で、私が足立さんの指示に服従していないイメージがあることがわかるでしょう。彼は私にベイルートの美しい海辺のイメージを撮ってくるように依頼しましたが、私はその代わりに波が岩に打ちつける映像を撮り、また、彼はバールベックのローマ遺跡を撮影してくれと言いましたが、私はイラン人の観光客が遺跡でお互いの写真を撮影し合う様子を映像に収めました。これが必要だったのだと思っています。なぜなら、「風景論」の実践という約束はとても面白いのですが、一方で、「風景論」は決定論的な理論であるがために、そこにはなにか非常に問題となる部分があったのです。風景の中で可視化できる、弾圧の構造によって引き起こされた精神的な異常が原因で、たくさんの罪なき人々を殺しているのだと、男は語ります。個人的な作用を排除しており、単にこれらの構造こそが主題であると断言している。それ故に、私はこの理論を額面通りには受け取れません。しかし、この限界を認識していれば、面白い提案として受け取ることはできます。それが葉書のイメージに戻る理由です。遊び心に溢れ、そのなかに詩的な場所を創出する必要があったのです。
昨夜、足立さんと話をしたとき、興味があるものとして、個人の主観性を持てる場所や個人による革命を挙げました。これは、事情が違えば非常に阻喪させるだろう、現代の正解政治的な分析に対する彼なりの答えです。左派はもう負けてしまった。新自由主義が勝利した。上部構造が建設的な改革や革命の可能性を潰してしまった。そのように言えるかもしれませんが、足立さんが言っているのは「ええ、そうでしょう。しかし、個人の変革こそが解決である」ということです。つまり、彼は現在も彼自身の物事の見方においては、完全に非決定論者なのです。

ART iT あなたの作品には、潜在的に彫刻的な要素があるように思えます。例えば、折り紙のような紙の素材を使って「折る」行為。「Sugar Water」では、大きな紙を使って仕事をする身体性を伝えており、「The Makes」(2009)では、批評家のピエール・ザウイが折れたり、破れたりした古い写真を扱っています。そこには、突然ふたつの対立する点で繋がったり、もしくは完璧な飛行機と交差したり、一体化した物質から外れた複雑な形をつくりだすという、折れたものの可能性についての逆説的なものがあります。「折り目/襞」は結合であると同時に分離でもある。これはあなたが作品において意識的に葉展開しているものでしょうか。

EB ドゥルーズは、「襞」に非常に興味を持っていました。彼なら、波の襞の中に生きるが故に、サーファーという存在が興味深いのだと言うのではないでしょうか。私はこの話がすごく気に入っています。
我々の議論に戻すと、襞はイメージを動きやボリュームといったものに転換します。襞は物事を隠したり、露呈したりして、イメージを変化させます。私はこのことに関して、「3/1000 Cranes」(2008)という作品をつくりました。広島を訪れたことがあるので、千羽鶴をつくると願いが叶うという言い伝えは知っていましたし、広島において、佐々木禎子さんが被爆による白血病からの回復を願って、千羽鶴を折り続けながらも、亡くなってしまったという話と関連していることももちろん知っていました。制作したのは、バラク・オバマ大統領が選出された選挙のすぐ後のことで、そこには大きな希望の波があり、オバマの顔が表紙に印刷されたものが山のようにありました。そこで私はオバマの表紙を集めては、それを破って、建築家のキウ・グエンといっしょに折り鶴をつくったのです。もちろん、雑誌の表紙から1,000羽の鶴を折れるとは思っていませんでした。ですので、それは希望が実現するという実現不可能な機会とともに残されることとなりました。当然、がっかりしましたが。これが襞についての作品をつくったときの話です。


13/1000 Cranes (2008), with Kieu Nguyen. Origami cranes made with magazine covers of President Obama published the week of his inauguration, gold paint.

ART iT もし、革命的な美学が、別々の要素をとり、それらがどのように関係しているのかを組み合わせてみせる構成主義だったとすれば、ひょっとすると襞(折り)はポスト革命的な美学かもしれません。

EB 襞(折り)とコラージュはどちらも異なる編集のためのメタファーです。私にとって、編集とは、声の形をとり、イメージの上に乗せている、折られたテキストなのです。どうやってイメージの上にテキストを折るかによって、完全に異なる読み書きができるでしょう。脳は、声とイメージとが関係していると期待している状態にあって、—そうして映画は長きに渡って制作されてきたのですが—だからこそ、目に見えているものと、声が話していることが分離しはじめると、面白い領域が現れているのではないかと考えています。
たぶん、私が作品の中で熱心に探求していることは、このふたつの間のギャップをつくりだすことだと思います。そこには、声の内容と完全にシンクロしているイメージのときと、イメージがボイスオーバーの内容に反しているときの両方があり、さらに、その間の領域にどちらとも言えないときがあります。この空間は非常に興味深く、これまであまり探求されていない場所だと思います。これが、足立さんが言うところの反映画だと思うのです。とはいえ、襞がポスト革命的な美学でしょうか。それはわかりませんね。

ART iT 「アナバシス」はスーパー8で撮影していて、ほかの作品はデジタルで撮影していますよね。撮影の方法という点で、なんらかの物質的な影響はありましたか。

EB 私は物質性という点で興味があります。そこには映像をつくる段階で、フレーミング、光、色彩の理論に関する、非常にリアルで快い感覚があるのです。私はこのイメージに対する伝統的なアプローチを固く信じています。しかし、決して質の低いイメージが好きだということではありません。カメラの向こう側にあるものとの関わりがあり、その関わりは身体的なものです。これは通常、映像の構造を決めるとき、編集の中で和らげられます。編集とは、知的に組み立てられる構造と有機的な問題、感覚的な決定とカット自体のエレガンスの間の非常にデリケートなバランスなのです。誰かが歩いているシーンを継ぎ足すとき、床に足がついている瞬間なのか、床から足をあげている瞬間なのか、歩いている途中なのか、あなたは決めなければなりません。正しい場所を決めるのに一時間かけることもあります。そこには絶対的に編集に対する感覚的な関係があり、私はそれを楽しいと感じられます。あなたのフィルムの物質性についての質問は、どういうわけか、この編集の感覚的な心地良さと関連づけてしまいます。私がフィルムで楽しむのは、この感覚的、官能的といってもよい経験と、慎重に決定する構造的な選択との間のバランスなのです。この考察と感覚のバランスを見つけるのは難しいところですが、これが映画制作のあるべき場所ともいえます。

ART iT 編集といえば、中国の古典的な哲学者、荘子にすばらしい話があります。肉屋が雄牛をどうやって切るかという議論をしていて、要約すると、その肉屋は、肉に対して自分で決めた順番を押しつける必要はなく、肉の構造がどのように切ってほしいかを教えてくれる、というものです。

EB それはすごくいい類比ですね。私は最近、肉屋の肉の切り方が国によって違うことを発見して、そのことに興味を持ちはじめました。それは単に伝統だけでなく、法的な規則によっても決められていて、例えば、アメリカ合衆国では、農務省は肉屋にある特定の切り方を禁止しています。その切り方はブラジル料理では伝統的な方法なので、「違法」の切り方をした肉をニューヨークで不正に購入することはできるけれども、アメリカ合衆国では違法なのです。ある肉をある種の切り方しかしてはいけないという考え方を気に入っていますが、もしそれが本当なら、ほかの文化ではまた違う方法を強制し、同じ肉の部分が違う切り方で違う料理方法を生み出すのだと思います。これと同じことが編集にも言えます。あるイメージはある特定の編集方法を課しますが、当然のことながら、それは文化的に誘導されたものです。ときに、編集するものとして、イメージの流れがある編集の仕方を課してきますが、そのように編集したとき、正しい、上手い具合にいったと感じるのです。とはいえ、同じイメージを違う編集担当の前に置いたとして、彼が優れていれば、また違う編集方法を見つけるのでしょうけれど、それも同じく美味しく仕上がるわけです。

ART iT それでは、スーパー8からデジタルに編集する場合は、フィルムとは違う決定方法をとるのでしょうか。

EB 大きく違いますね。それが「アナバシス」をスーパー8で撮影した理由のひとつでもあります。まず、私は東京でハイビジョンカメラを使って撮影を始めました。東京はハイビジョンの街ですから。でも、そのハイビジョンのスクリーン上でイメージを見ながら、なにか問題があると感じました。そこには、なにも映画的な変位がありませんでした。その時期、ベイルートと東京を同時に編集する方法をとらなければならず、そのこともあり、フィルムというものがハイビジョンよりも、もっとなにか印象に基づいたものを必要としたのです。スーパー8での撮影は偶然のことで、東京にいた私の友人が専用のカメラを持っていたのです。そこで、それを持っていろいろと遊んで試してみました。そうしてすべての映像をスーパー8で撮ろうと決めたのでした。これが大きな選択となったわけです。東京の路上でスーパー8を使って撮影すると、ハイビジョンカメラを持っているときとは、歩行者と違う関係を結ぶことができて、ハイビジョンカメラで撮影するときよりも容易だということに気がつきました。おそらく、より個人的で報道的ではない、映画という表象の形式を扱っていて、路上で撮影した通行人は彼らの子供時代にスーパー8となんらかの関係を持っていたからなのかもしれませんし、ある種の許容があって、それが静かな躍動を創出したのです。


[sic] (2009), SD video, 15 min.

ART iT それはまた「風景論」について考えさせられることですね。特に、それがあなたの手によって進化していくように思えます。足立さんの「風景論」の定義と、ベンヤミンの「遊歩者」とを関連づけようとしているのではないかと思いましたが。

EB もちろんです。「風景論」はベンヤミンだけでなく、ボードレールとも繋がっていると思います。街をぶらぶらするという「遊歩者」の考え方は、さらにギー・ドゥボールやシチュアシオニストの心理地理学とも関係すると思ってます。それは数多くの漂流や観察といった考え方に関連しています。

ART iT それでも、「遊歩者」がその後どのように美学を展開させたかということについて、私の印象では、なにか奇妙に非政治化されてしまったように思えます。それ自体が政治的なものとしてではなく、逆に近代性をもたらしたものとして見られているという。

EB ええ、それは大きな間違いですね。「遊歩者」という考え方には、確実になにか政治的なものが含まれています。なぜなら、サーキットの外側にいて、その流れを観察しながら、その有用性と自分自身との距離をとっています。これこそ、アーティストが行なうことでしょう。有益や有用といったものから意識的に距離を置いているために、必然的に芸術が抵抗の可能性と新たな主体の発展を未だに提案できるのです。
また、「遊歩者」という単語には、それ自体に「方向が無い」という意味が含まれるわけで、そもそも政治的なのです。これは心理地理学においても同様で、「風景論」が実行されたように、あなた自身がどこへ行くかを決めるのと同じくらい、街があなたの動きを誘導していくという考え方です。世界を観察している間は、世界に対して敏感で、その中で動いている間は、世界に影響されているのです。

ART iT 敏感な肉屋のナイフとしての「遊歩者」が、街という肉体を切り取っていくのでしょうか。

EB そうとも言えますね。カメラが路上を動いて切り取っていくのです。

エリック・ボードレール|Eric Baudelaire
1973年ソルトレイクシティ生まれ。現在はパリを拠点に活動している。イメージと出来事、ドキュメントと物語(フィクション)の関係性への関心に基づいた映像作品で知られる。入念なリサーチに基づいた複雑な構造は、観客に対して、イメージの生産と消費の現状に関する問題を投げ掛ける。ニューヨーク映画祭やトロント国際映画祭をはじめ、数多くの映画祭で作品が上映されると同時に、映像作品のみならず、写真や版画、インスタレーションをロサンゼルスのハマー美術館(2012)での個展や、パレ・ド・トーキョー、バルセロナ現代美術館で発表している。日本国内では、2008年、ヴィラ九条山に半年間滞在し、「[sic]」(2009)を制作。その後、2013年には京都国立近代美術館で開催された『映画をめぐる美術――マルセル・ブロータースから始める』(翌年、東京国立近代美術館に巡回)で、「重信房子、メイと足立正生のアナバシス そしてイメージのない27年間」(2011)を発表している。ヨコハマトリエンナーレ2014では、足立正生の脚本を基にしつつ、裏切り合うような複雑な関係を結ぶ映像作品「アグリー・ワン」を発表した。

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