アン・ミー・レー インタビュー(2)

風景が語り出す歴史に耳をすませば
インタビュー / アンドリュー・マークル
Ⅰ.


US Marine Expeditionary Unit, Shoalwater Bay, Australia (2005), from the series “Events Ashore.”

Ⅱ.

ART iT 先程「Small Wars」の話が出ましたが、アメリカでベトナム戦争のリエナクトメント(再演)*1 を行なう人々を撮影したとき、あなたも実際に参加していたそうですね。

AML 参加は前提条件でした。少人数のグループだったので、撮影させてもらうために私も参加しなければなりませんでした。当時の私は自分が望んでいる画のためなら、どんなことでもすべきだと思っていましたが、考えてみると、そこにいて、参加したり、主導権を主張したりすることで自分の可能性を発揮できたように思います。例えば、女性狙撃兵のさまざまなシナリオを構成したり、参加者に嫌がられつつも撮影に応じてもらうことができました。
自分の中での重大な決断は、ベトナムの恐怖を再現しないことでした。それよりも、リエナクトメント自体における心理や、戦争神話、また、それがアメリカの一般的なイメージの中に未だに生々しく、未解決のまま残されていることに興味がありました。アメリカの本屋では、ベトナム関連のさまざまな書籍が目に入るし、当然ながら、私が見て育ってきたようなベトナム関連のハリウッド映画を挙げていけば、長いリストが出来上がるでしょう。

ART iT そのリエナクトメントについて具体的に教えてください。例えば、南北戦争に関しては大規模なリエナクトメントの文化があり、それらはゲティスバーグの戦いのような実際にあった戦闘から正確に記録された動きに基づいていますが、ベトナム戦争に関して、それと同じような仕組みが既に出来上がっているとは思えないのですが。

AML おっしゃる通りです。このリエナクトメントに参加した人々は、具体的な出来事を再現するというよりも、個々が思い付いた行動を演じていました。「この週末は偵察パトロールの場面をやろう」、「片方がGI(アメリカ軍)役で、もう片方がARVN(南ベトナム軍)役」、「だったら、小競り合いか襲撃のシーンだな」などと話しました。彼らはそうしたシナリオに私を参加させたのです。誰かが村をパトロールしていて、待ち伏せていた私が彼らに奇襲をかけるといったシナリオ。彼らはそういうシナリオを気に入っていました。ベトナム時代の戦闘機を見つけて、パイロットを救出する場面を彼らが演じる。こうしたシナリオを私が設定し、撮影したりしました。あまりにふざけていますが、ある意味、それは私がその「軍隊」に参加するための挨拶代わりでした。参加者のほとんどは、肉体的にも精神的にも実際のベトナム戦争の経験に比べてどれだけ厳密かどうかなんて、なにもわかっていなかったと思います。さて、ここで問題です。このリエナクトメントに実際のベトナム帰還兵は参加していたでしょうか。答えはもちろんNOです。あまりにもトラウマ的で再び体験したいなどとは誰も考えません。だから、このリエナクトメントはどこか、少年たちが集まって、週末を通してカウボーイとインディアンを演じているようなものでした。もちろん彼らには、軍事の歴史や文化への激しい陶酔感や、人生にあらゆるものを持ち込もうという強迫観念があるので、少年のそれより複雑で興味深いものでしたが。

ART iT それはむしろ願望を叶えたり、世界を構築したりするためのエクササイズのようなものだったのでしょうか。

AML 彼らはシナリオに「あなたたちがここまで来る/私たちが襲いかかる/待ち伏せ攻撃」と書き、それはまるで映画のようでした。私たちはペイントボールを使わずに、互いに狙撃するふりをしたり、倒れ込むふりをしていました。彼らは私にたくさん撃たれても倒れ込まず、自分たちが先に私を撃ったように見せていました。この活動は彼らにとって、みんなで集まり、所有品を交換したり、実際と同じ時計や髪型をしたり、ケータイを外したりと装備一式を身につけるといった以上のものとしてありました。そうして数年間続き、それから自然に解散していきました。彼らにとって私が実際と同じ「本物」なのだと気づき、ある意味非常に捩じれたものでした。私は本物のベトナム人で、ベトコンの装備一式を身につけている。そして、私は女性ゲリラで破壊分子でなければなりませんでした。

ART iT あなたは風景写真家ということですが、サブカルチャーに入り込んで、その内側から記録していく写真家たちに似ているところがあるのではないかと思いました。

AML たしかに。友人や親密なコミュニティを撮影したナン・ゴールディン。*2 親しい友人の薬物使用をラリー・クラーク*3 は写真集『Tulsa』に纏めている。こういうことなんでしょうね。
私に軍隊へのアクセスや軍事文化について聞いてくる人もいます。異なる場所に移動し、その度に順応しなければならないことについて、深く考えていますが、それは私が望んでいる試みです。戦艦や空母に乗ると、あなたは自分の仕事を成し遂げなければならない。だから、挑戦とは如何に順応できるかであり、わがままにならずにどうやって欲しいものを手に入れるかということ。

ART iT 軍隊であれ、ほかの集団であれ、この「定着」という概念は写真にも内在していますよね。

AML 私もそう思います。馴染めば馴染むほど、周りの人々もリラックスできる。というのも、私は大判カメラを使っているので、写真を撮る準備に時間がかかります。それは反射的にできるものではなく、指示しなければなりません。とはいえ、インスピレーションを得るためには、なにかを見る必要、少なくとも物事の始まりを見る必要があります。ときには事前にアイディアを用意して、それを再現するために人や状況を利用します。しかし、大抵の場合、事前によく理解しているわけではないし、あちこち動いて学ばなければならないので、目の前で見たことに直接的にインスピレーションを受けます。そう、じっと目を凝らすのも重要なのです。

ART iT 先程あなたがおっしゃった「Small Wars」の女性狙撃兵の写真から、プンクトゥム*4 のようなものを感じました。その写真で私たちは、パトロールするGIを植物の茂みからまさに撃とうとする彼女をその背後から見ます。暗黙のうちにGIに共感してしまうようなほかの写真と比べると、この写真ではカメラが狙撃兵側にある、つまり、カメラには忠誠心がないということに気がつき、衝撃を受けました。

AML ええ。そこまで加害者が不在だったわけですね。主に私は自分がそこで目にしたものからインスピレーションを受けていました。頭の中にさまざまな撮影したいもののリストがあり、『フルメタル・ジャケット』*5 みたいですが、女性狙撃兵のシナリオはリストの上位にありました。とはいえ、実現するのは大変でした。
シリーズ全体に対して、風景が面白いものになるよう何度も練習をしました。まず、男性参加者の優先事項はリエナクトメントで、写真のためにポーズをとることではないので、ともに作業するのは大変なことでした。常に交渉しなければいけません。常に素早く作業しなければならず、すべてがバラバラに見えましたが、すぐにわかったのは、どんな軍事行為を組み立てるか計画を立てる前に、風景がそれ自体で立ち上がらなければならないということで、そういう作業の進め方になりました。私は風景を探しまわるようになりました。

ART iT あなたは過去のインタビューで、自分の実践に関するさまざまなインスピレーションやソースについて雄弁に話していましたが、「Small Wars」から「29 Palms」や「Events Ashore」の撮影に移る際に、戦争写真について徹底的に調べていたのでしょうか。

AML もちろんニューヨーク・タイムズの一面を毎日見たり、異なる場所で戦争がどのように報道されているかについては調べています。しかしながら、私のリサーチの大部分は、美という概念の理解、そして、美の戦争や破壊との関係性の理解にまつわるものです。どう折り合いを付けていいのか難しい問題でした。美の役割とはなにか。それはこの作品の価値を損なうものだろうか。この作品を複雑なものにしているか。私はそれを正しく使っているか。「Small Wars」を制作しているとき、私は北ベトナム軍の写真家の作品について調べ、そこから風景や美という要素の重要性を学びました。これは私にとって重大な発見でした。「崇高」を理解したいと考えていました。そこには異常なほど美しく、あまりに複雑なものがありました。
「陸上の出来事」では、海上にいるということが私自身初めての出来事でした。どのように海を撮影するか。突如として現れる水平線。これをどう扱うべきか。これは難題です。一貫した水平線を保つ、ギュスターヴ・ル・グレイや杉本博司は昔から好きです。*6 *7 当初はただ海軍の活動を撮影するだけで、そこで終わってしまっていたのですが、旅が進むにつれ、米軍が活動の全体やあらゆる活動がどのように入り組んでいるのかに気がついてきました。人道的なものがあったり、情報収集だったり、ただ在るだけのものだったり。非常に複雑で、彼らが何をしているのかよくわかりませんが。

(協力:東京都現代美術館)


*1 リエナクトメント:事前に決められた計画の下、参加者が歴史的出来事や過去を再現する教育・娯楽活動のひとつ。

*2 ナン・ゴールディン(1953-):70、80年代に自身や友人が所属するゲイ・コミュニティやドラッグ・カルチャーの日常や親密な関係性を記録した写真を発表。なかでも、コミュニティを中心に音楽とともにスライド形式で発表していた「性的依存のバラード」は、85年のホイットニー・ビエンナーレに出品、翌年には同名写真集が出版されるなど代表作として知られる。

*3 ラリー・クラーク(1943-):セックスやドラッグに溺れる若者の日常生活をその内部から、また、自身の10代の経験を重ねるように撮影した写真集『Tulsa』(1971)やハーモニー・コリン脚本の映画『KIDS/キッズ』(1995)で知られる。また、60年代半ばにはベトナム戦争のために徴兵された経験を持つ。

*4 プンクトゥム:ロラン・バルトが最後の著作『明るい部屋』(1980)で用いた概念。ラテン語で「刺し傷、小さな穴、斑点」などを意味する。バルトは主観に訴える写真の持つ二重性の要素として、写真に関する一般的関心をストゥディウム、それを破壊し、主観に突き刺してくる細部をプンクトゥムと名付けた。バルトはまた、プンクトゥムは「私が写真につけ加えるものであり、しかもすでにそこにあるもの」だと記している。

*5 『フルメタル・ジャケット』:1987年にスタンリー・キューブリックがベトナム戦争を題材に製作、監督を務めた戦争映画。グスタフ・ハスフォードがベトナム戦争の体験を元に執筆した小説『The Short Timers』(1979)を原作としている。

*6 ギュスターヴ・ル・グレイ(1820-1884):写真黎明期を代表する写真家のひとり。1850年代後半に発表した「海景」シリーズは、当時の感光材料の問題から、水平線の上下(空と海)をそれぞれ撮影した2枚のガラスネガからつくられている。

*7 杉本博司(1948-):精巧な技術と厳密なコンセプトに基づいた写真作品を中心に、70年代後半から現在に至るまで世界各地の美術館で発表を行なう。建築への造詣も深く、近年は文楽など伝統芸能も手がけている。「原始人の見ていた風景を、現代人も同じように見ることは可能か」という問いとともに、80年より世界各地の海を、水平線を中央に配し、空と海を二分割する構図で撮影した「海景」は、「ジオラマ」や「劇場」とともに初期の代表的なシリーズとして知られる。

アン・ミー・レー インタビュー(3)

アン・ミー・レー|An-My Lê
1960年サイゴン生まれ。ニューヨーク在住。ベトナムやアメリカ合衆国のみならず世界展開する米軍の活動や、戦争を再演する人々、戦争が変えた風景を大判カメラで撮影した写真作品で知られる。ベトナム戦争が終結した75年に家族とともに政治難民として渡米。生物学を専攻していたスタンフォード大学時代に写真に出会い、85年に修士号を取得した後、美術や写真を学ぶためにイェール大学に進み、93年に修士号を取得する。98年以降はバード・カレッジの教育にも携わり、現在は同校の教授を務めている。
これまでに、ボルチモア美術館(2013)やディア・ビーコン(2006-07)、シカゴ現代写真美術館(2006)で個展を開催。ニューヨーク近代美術館やメトロポリタン美術館、ホイットニー美術館、サンフランシスコ近代美術館などの企画展に参加。老舗写真集出版社アパチャーから、写真集『Events Ashore』(2014)、『Small Wars』(2005)を出版している。
http://www.anmyle.com/

他人の時間
2015年7月25日(土)-9月23日(水、祝)
国立国際美術館
http://www.nmao.go.jp/

他人の時間
2015年4月11日(土)-6月28日(日)
東京都現代美術館
http://www.mot-art-museum.jp/

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