笠原恵実子 インタビュー

真空に詰まった軽やかな塊
インタビュー / 大舘奈津子


:「OFFERING – Collection #5」2014年. :OFFERING – Collection #27」2014年.

ART iT まず最初にお伺いしたいのは、ヨコハマトリエンナーレ2014に出品した「OFFERING」(2005-14)と、PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭に出品しているふたつの作品、「K1001K」(*正しくは、最後のKが横向きに反転)と「TSR 14」(共に2015)の作品についてです。これらの作品は、それ以前に笠原さんが発表していた彫刻作品と極めて違う性格を持つ作品に見えます。いわゆるそれ自体が自立している形としての彫刻作品というよりは、フィールドワークに端を発し、調査を重ねた上で、既存の表象に立ち返るような作品です。その変化にどのように至ったのか、経緯を教えていただけますか。

笠原恵実子(以下、EK) そういった調査を重ねて制作した作品は以前にもあります。特に「PINK」(1996)は私のなかではそういったリサーチの面白さに目覚めた作品でした。当時、ニューヨークに移住し少し経った頃で、日本の社会や家族制度を、距離を持ち考えるようなってきた時期です。子宮口を撮影するというプライベートに立ち入る問題であったため、なぜこの作品を作るのかを何人もの人に説明し、協力していただくお医者さんと女性たちを探していきました。それまで会ったことや話したことのない人々とコミュニケーションをとりながらフィールドワークと言えるプロセスを取り込んだ制作は、私にとって重要な契機となるものでした。最終形態としての作品は、制作しているときの興奮やその過程で現れた社会問題などを直接的に展開したものではなく、極めて抽象的な、カラーフィールドペインティンクの様相ともいえる写真のシリーズです。しかし作品の背後には濃密なフィールドワークが存在し、その意味は作品に包含されているのです。調査した内容と、結果としての作品の間には断絶がありますが、美術によって昇華された作品の強度になっていると思います。出版は行っていませんが、調査した内容や出来事は本としてまとめてあります。作品との対峙とは別な形で発表すればいいと思っています。

ART iT 「PINK」を制作したのは何がきっかけだったのでしょうか。

EK 視覚芸術における表現は、その素材、形態、展示方法、すべての在り方を含めて、それらが自分自身の言葉になっているかが重要です。だからアーティストはその表現にすべてをかけるのです。しかしそれ故に、永遠に自身への問いかけだけで制作を続けるその厳格な行為のみが神格化され、形骸化した表現となっていくことも起こりうる。最初期の「A FLOWER OF STONE」(1987−91)では、この様な表現の停滞を問題としていました。鏡に向かって話を続けるその行為を止めることなく、しかしその鏡には自分以外の真実をも写そうとすること、私にとって「PINK」は、こういった意思を持ちアートの形骸化に挑戦した作品だと思います。最終的に出て来た作品は、言葉を発することもできない程の美的体験としてあり、何も言えない行き止まりの現実を示したのかもしれません。「OFFERING」の箱の中がなにもなく空洞であるということや、「PINK」の写真が非常に抽象的なものになったことは、同じような繋がりを持っています。そういう意味で、フィールドワークを行い、たくさんのリサーチを経たとしても、私の作品はウィトゲンシュタインが言葉を発することで言葉の限界を示した様に、ブラックホールのようなものが抽象的に表出する、そういうものかもしれません。

ART iT そうした行き止まりがあるとわかっていながら、「OFFERING」については、あれだけの長期間、もはや取り憑かれたとも思えるようなフィールドワークで、キリスト教の制度を確かめていく調査をしていました。

EK 疑問を解くために行う調査によって、さらに新たな疑問が増えていく、といった感じで、「OFFERING」におけるフィールドワークは止めることが困難でした。納得できないことや、奇妙な印象を持つものが、各地を訪れながらどんどん増えていき、何層にも重なっていきました。着眼すべき点は沢山あったのです。献金箱の真ん中に存在するスリット、そこにお金をいれていく行為、その箱に施された装飾、教会という場所にあるという事実、キリスト教という宗教が世界に広がっていった経緯、などすべてが重要でした。私はセオリーが先にあり作品の対象を決める訳ではなく、「おや」と思った最初の直感的疑問をもとに、文献的なリサーチや、実際に触ったり、訪れたりと様々な体験を通して対象へアプローチをし、考えていきます。「OFFERING」はイタリアのピサで出会った美しい献金箱が始まりです。その形、その意味、その置かれ方、その素材、すべてが私の疑問の発端でしたが、その疑問がこんなに深度を持っているとはその時にはわかりませんでした。その結果、予想以上の長い年月をかけ、歴史を検証し、植民地主義について考えることとなったわけです。しかしここでも、最終的な作品形態で、私が見たこと考えたことのすべてが語られているかというと、そうではありません。自分に取り入れたすべての要素を、もう一度全部海に返すような行為を行っています。結局、そうした知識の量を示すことが作品になることで、問題を解決することにはならないと思っています。私の作品は私の知識とは別の次元で疑問を提示し、見る人へと受け渡されていきます。

ART iT その一度取り入れてからすべてを海に返す、ということは、見たもの、触れたものをすべて抽象化するという作業なのでしょうか。「OFFERING」の写真作品に見られた、画一的なインデックス化は、それによって意味を剥奪する、ということなのでしょうか。

EK インデックス化は「OFFERING」が初めてではなく、「Manus-Cure」また、先ほど話にでた「PINK」、更に「A FLOWER OF STONE」でも行われていると思います。ひとつひとつが本来違うものを、同じもののように並列し、逆説的にその違いが隠遁されている状況そのものが浮かび上がる。そういうパラドキシカルなものの在り方に非常に興味があるので、こうした手法に帰結するのだと思います。今回の「K1001K」も、コインを使った「TSR 14」もその意味でインデックス的な展示と言えます。


:「PINK #2」1996年. :「OFFERING – Marina」2005年.

ART iT 先ほど植民地主義に対する問題意識について触れましたが、「OFFERING」でのリサーチで見えてきたことが、今回の「K1001K」や「TSR 14」に繋がっているのでしょうか。

EK 「K1001K」「TSR 14」の双方とも「OFFERING」のリサーチから繋がっていると思います。「OFFERING」ではキリスト教の布教と深く関わる植民地主義を調べましたので、その自然な流れとして、近代終焉に起きた最後の植民地化された場所である旧満州国周辺への興味が出てきました。「OFFERING」の制作には長く時間をかけたので、その間に様々な作品構想が浮かんでいました。そこで、ヨコハマトリエンナーレ2014で「OFFERING」の展示が始まってすぐに、中国東北部とロシア極東地方へリサーチに行きました。そこで未だ残る当時の兵器や、戦場跡、建築物などをたくさん見ましたし、並行して日本国内に残る当時の遺物も調べていきました。こういったリサーチを通して川越のびん沼川近辺に存在した薬莢充填会社を知ることとなり、そこに全国の窯業者からおくられた大量の陶器製手榴弾の容器が存在したこと、そして戦後それらが川辺に大量遺棄された経緯に行きあたりました。最初にその川辺にある遺棄現場を訪れたとき、それはアンビバレントな美的体験でした。確かに死体や遺骨の集積を見ている様な気持ちになりましたが、それは決して暴力的であったり、悲惨であったりするだけではない、静寂な美しい喪失でした。「K1001K」はこの最初に見たびん沼川の光景のその意味を考えることから作られています。
「TSR 14」の制作もまた、忘れることのできない情景が起因しています。「OFFERING」のリサーチでボリビアの高地に行った時、一直線に地平を横切る鉄道のレールに遭遇し、その時たまたま、一週間に一回の列車が通過する直前だったので、私は興味本位で2ユーロをレールに置きました。やがて列車がやってきて、その硬貨は引かれて跳ねあがり、空中できらっと光って地面に落ちてきました。私が硬貨を拾い上げるとそれはただの金属のかけらとなっていました。その時の光景、ボリビアの高くて青い空と乾いた土の色のその圧倒的なコントラストの中で、その金属のかけらを手に取った時、私は世界が少し動いた様な、そんな気がしました。もしかしたらこんな些細な行為で世界は変わるのかもしれないと思えるような、そんな力を持った強烈な美的体験でした。後で調べると、この鉄道は昔栄えた錫の鉱山を起点とし、太平洋側の港町まで繋がっている歴史ある鉄道で、植民地主義の利権が絡んだ複雑な背景を持っていました。その線路を使って、西欧の貨幣のその意味を剥奪したことに私は感激し、シベリア鉄道での「TSR 14」の制作に到ったのです。
陶器製手榴弾の話に戻りますが、その形が中に空洞を孕んだ壺のような形であったことはとても大きな要因であると思います。その形は「PINK」や「OFFERING」でも見られるものです。もちろん、今回の手榴弾は、破壊されたかけらとして最初に出会っていますが、その原型が中に空洞を持つ容器であったことは大きく興味を惹かれる要因でした。その使用された歴史や意味だけではなく、その形自身が非常に強く美しいものとして、私の目に映りました。とても肉体的な受動性を帯びたこういった形に、能動的な政治性や社会性を持ったコンセプチュアルな構造を逆説的に重ねています。

ART iT  日本に戻ってきたことと、近代日本の植民地主義に対する関心の強さは関連があるのでしょうか。

EK どうでしょうか。あまりないと思います。ただ、「OFFERING」で10年近くリサーチのための旅行をし認識したこととして、世界が常に動き物事は毎秒変わっていくなかで、私の知りたいという欲求は決して満たされることはない、ということがあります。どんなに旅行をしても、どんなに政治や社会問題を見聞したとしても、自分の背中を向けているところで物事は常に変化をしていきます。知れば知るほど知の欲求は強くなるのに、すべてを知ることは決してできない、その現実的な限界を知ることになりました。10年続いた「OFFERING」のリサーチは終わったのではなく、この認識を持って止めたといえるかもしれません。この経験から、私は物質的に限定された状況においても、リサーチをし、制作をする術を学んだのだと思います。テーマがなにであれ、極めることができる方法はあり、小さいものの中にも多義性を見つけていくことは可能です。そういった意味で世界も国内も等価です。


ともに:「OFFERING」2011年 展示風景, ヨコハマトリエンナーレ2014 写真:大高隆.

ART iT 「OFFERIING」ではおよそ10年間、フィールドリサーチを続けたわけですが、最初のころと後半とでは、同じ主題にもかかわらず、その見方は変化したのでしょうか。それとも変化をしないように努力をしたのでしょうか。少なくても作品をみる限りは記録として、ある一定の距離は保つようにしていると見受けられます。

EK 難しい質問です。多分迷いはたくさんあったと思います。最初にピサでみた、オファリングボックスの、あの視覚的な美を超えた強さ、それを感じとり不思議に思った肉体的体験が、「OFFERING」の長い作品制作期間を貫いていました。その時不思議に思った疑問を探求するために、いくつもの場所に行きましたが、なかなか納得できなかった。当時よく行っていたフランスとベルギーだけを最初は集中的に見ましたが、それだけで完結することは違うと思いました。では、ヨーロッパを全部見てみよう、結果それでも違う、といったようにだんだん対象が広がっていったのです。それは最初から構造が見えていて、それを確認していく作業ではなく、感覚的に感じた疑問を触手のようにどんどん伸ばしていくという方法で、非常に混沌としたリサーチでした。

ART iT しかも、最終的に分類をしたのはすべて旅を終えてからでしたよね。

EK 物理的には旅を終えてからですが、あれだけたくさん見ていたので、ひとつの括り方で世界を規定することはできない、という認識を、旅の途中から持っていました。政治的、歴史的、もしくは経済的な繋がりといった尺度から世界を分類する事には、強い抵抗がありました。明快な規定だけでは世界を捉えることはできず、むしろ逆に、そういった尺度自体に内包される断絶を視覚化することに意味があるのです。そのために、ああいったフォルムによる分類化という位相を取り入れることになったのです。それは、規定の存在を否定するランダムな並列という選択ではなく、かつ既存の文脈に集約される分類方法でもないのです。そこでは、世界が否定されることも、逆に肯定されることもありません。物事がひとつの方向へ導かれるというその演出に美術を使うことへの抵抗があります。

ART IT そのフォルムによる分類を取り入れたことは美学という尺度によって規定したことにはならないのでしょうか。

EK それは、フォルムに代表される視覚的な美学が、思考による括りに対抗できるものだと私が考えているからだと思います。

ART iT ということはいわゆる政治性に対して、あえて視覚的な美学に基づく形式を使うことによって対抗し、政治性を排除しようとしているのでしょうか。

EK 何をやっても、政治性を排除する事はできません。なぜなら美学と政治は共生しているからです。しかし、私は地理、歴史、経済といった視点で分類を括ることは絶対にしない、と最初から思っていましたし、政治性から物事を見ていくのではなく、美学から政治性を導きだしたいと考えていたことは間違いありません。一括りにできない政治性の混在を、端的な方法で見せるシステム、並べ方にしたいと思っていました。形という美はそういった思考の統一性へのクリティックです。


「K1001K」2015年(部分)写真:ART iT *正しくは、最後のKが横向きに反転

ART iT そうした思考を聞くと、今回の「K1001K」は、逆にそうした政治性がそのまま形式に結びついた作品のように思えます。

EK そうでしょうか。私が川辺で拾い上げた遺物である陶器製手榴弾のかけらをそのまま使っていたら、政治性はそのまま形式として棚上げされたことになったかもしれません。拾われたかけらは、もちろんそのままでも意味のある美しいものでしたが、私はそれらをそのまま使うことに大きな抵抗を感じました。それをしてしまうことで、大事な思考の一部が排除され、嘘のある大河小説を書き上げてしまう様な感覚を持ちました。そして、ひとつずつのかけらの欠損部分を磁土で作り上げる、という逆転した考えに到りました。このことによって、政治性を強く帯びた元のかけらの負の部分、つまり非政治性の存在を創出することができたのです。政治性は「K1001K」を支えるストラクチャーとして存在しますが、唯一のものではなく、そこに私は芸術の可能性を見ています。こういった意味で、この作品もまた「OFFERIING」における開かれた政治性に近いと思っています。

笠原恵美子 インタビュー(2)

笠原恵実子|Emiko Kasahara
1963年東京都生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科修了後、1995年から2014年までニューヨークを拠点に活動。現在は神奈川県に拠点とする。大理石やシリコン、人工毛髪といった無機質でありながら女性的な質感も連想させる素材を用いて、冷静かつ繊細に世界を捉えた作品を制作。2000年より、世界85カ国にあるキリスト教会の献金箱を撮影した写真と、その記録を元に自ら作り出した彫刻作品で構成されるインスタレーション「OFFERING」を制作、グラーツ民族学博物館(オーストリア・グラーツ、2005)、ヨコハマトリエンナーレ2014で発表した。これまでに、『日本の現代美術1985–1995』(東京都現代美術館、1995)、横浜トリエンナーレ2001、第14回シドニー・ビエンナーレ(2004)など、世界各地の国際展や企画展に参加している。
PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015では、京都市美術館で同建築の帝冠様式と第二次世界大戦中に製造された陶製手榴弾の遺物から着想した作品「K1001K」(*正しくは、最後のKが横向きに反転)と、近代化における越境をテーマにした「TSR 14」を発表。また、新作の背景を補完するものとして、戦中の日本および満州国が製作した国策映画、ソヴィエト連邦で製作された戦後初のカラー長編映画からなるシネマプログラム「trigonometry」を構成、京都府京都文化博物館フィルムシアターで上映を行う。
http://www.emikokasahara.com/


PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015
2015年3月7日(土)–5月10日(日)
http://www.parasophia.jp/

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