前回はこちら 吉原悠博 個展『プレジャー・ドーム』、スパイラル・ガーデン、1989年 100台のテレビモニターと5台のビデオプロジェクター、6 x6 x7m (w/d/h) 撮影: 畠山直哉 以前、本連載で書いた「核と新潟」と題する3編のなかで「水と土の芸術祭2012」をとりあげView More >
アーカイブ: 椹木 野衣
33:絵描きと「贋金つくり」——会田誠「天才でごめんなさい」展をめぐって(3)
前回はこちら 会田誠+21st Century Cardboard Guild「MONUMENT FOR NOTHING II」2008年− Courtesy Mizuma Art Gallery 激情と虚無との間にあって、この生きた少女の肉体が僕を一つの死へと誘惑する限り、僕はView More >
32:絵描きと「贋金つくり」——会田誠「天才でごめんなさい」展をめぐって(2)
※本連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。 前回はこちら 会田誠「犬(雪月花のうち“雪”)」1998年 パネル、和紙、岩顔料、アクリル絵具、ちぎり絵用の和紙 73x100cm 撮影:宮島径 © AIDA Makoto Courtesy MizumView More >
31:絵描きと「贋金つくり」——会田誠「天才でごめんなさい」展をめぐって(1)
※本連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。 『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 2012/11/17-2013/3/31 Courtesy Mizuma Art Gallery 撮影:渡邉 修 写真提供:森美術館 森美術館(東京、View More >
30:再説・「爆心地」の芸術(10) 核と新潟(後編)
前回はこちら アン・グラハム「Shinohara’s House」より(会場:五ケ浜・篠原幸三郎家住宅) 写真提供:水と土の芸術祭実行委員会 新潟(以下、ここでは新潟市の意)が、かつて小倉と並び、原子爆弾の投下目標の候補になっていたことは、今ではよく知られている。実View More >
29:東谷隆司——その「存在と体温」
※本連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。 大竹伸朗『ダブ平&ニューシャネル』(部分)(1999年) 「時代の体温 ART/ DOMESTIC」展より 撮影:中野正貴 写真提供:世田谷美術館 インディペンデント・キュレーターの東谷隆司が亡くなったView More >
28:再説・「爆心地」の芸術(9) 核と新潟(中編)
前回はこちら 大友良英×飴屋法水たち「Smile」 撮影:村井勇 撮影日:7月16日 写真提供:水と土の芸術祭実行委員会 不思議とこの夏は、なにかと新潟に足を運ぶ機会に恵まれた。前回とりあげた大林宣彦監督の映画『この空の花』が縁となり招かれた長岡の大花火大会のほかにも、十日町を中View More >
27:再説・「爆心地」の芸術(8) 核と新潟(前編)
前回はこちら 映画『この空の花 長岡花火物語』より ©「長岡映画」製作委員会・PSC All rights reserved. 2012年8月6日、朝8時15分 −−−広島市の中心部に原子爆弾が投下された瞬間からちょうど67年後のそのとき、僕は新潟県長岡市にあるホテルの一室で、テView More >
26:再説・「爆心地」の芸術(7) 中原佑介と核の批評(後編)
前回はこちら 「大地の芸術祭の作品に感じられるのは、ある開放感です。美術作品は展示空間+作品という通念をくつがえし、大地の芸術祭は「脱芸術」の方向に向かっている。」 ————中原佑介(美術評論家) 震災が勃発し、原子炉が壊れて大量の核燃料がメルトダウン、国土の広範囲にわたり放射能View More >
25:再説・「爆心地」の芸術(6) 中原佑介と核の批評(前編)
前回はこちら シンポジウム「未来の美術館のかたち」壇上での中原祐介(2010年9月、直島ベネッセハウス) 提供:瀬戸内国際芸術祭実行委員会事務局 撮影:中村脩 去る4月24日、北川フラムさんと故・中原佑介について語る対談を公開で持った(*1)。 僕が最後に中原さんにお目にかかったView More >