Curators on the Move 13

ハンス・ウルリッヒ・オブリスト+侯瀚如(ホウ・ハンルウ) 往復書簡
知の未来

 

親愛なるHHR

熱い思いにあふれた手紙、とてもうれしかった。確かにイマニュエル・ウォーラーステインはエドゥアール・グリッサンと並ぶ、現代を考える上で重要なツールボックスだ。

僕は最近、諸制度の脱商品化とか知的生産の新たな枠組についてよく考えるんだ。ウォーラーステインも、自著『ユートピスティクス』の中で21世紀の歴史的選択について語りながら、現実の制約内で完全な社会とは言わないまでも、可能性を秘めたよりよい社会を模索している。

様々な夢に裏切られ、予測不能かつ不確実な構造的危機に瀕した世界システムを目の当たりにしたいま、僕らは新たな世界システムへと向かう途上にある。新たな達成感を得るためには、個人レベルでも社会レベルでも、脱商品化がますます加速されるだろう。僕がインタビューした際のウォーラーステインの言葉を借りるなら、「病院や学校を営利団体化する方向で議論するのではなく、それとは別の視点に立って考えてみようではないか。思うに、これまでずっと商品と見なされてきたものの多くが、いまや脱商品化の傾向にある。これは分権化が一歩進んだと見ていいだろう。(中略)世界レベルで起こっている様々な運動、地域・社会レベルの運動を見渡してみても、それらが異を唱えているのは往々にして、商品として扱うべきでないものの商品化だ」。考えてみれば、公共図書館は無料で利用できるし、公共ギャラリーの多くは入場無料だものね。

アーティストのグスタフ・メッツガー(1939~2009年に制作された作品の回顧展を、サーペンタイン・ギャラリーで今秋開催予定)は、商品化に背を向けて芸術活動を展開する先駆的存在だが、こんなふうに言っている。「僕らは一致団結して(アートの)商品化体質を変える。ラジカルな社会に立ち向かうにはラジカルすぎるくらいがちょうどいい。そうすれば広い意味で、社会の中で自分なりの生と創作活動を取り戻せるような気がするんだ」

これから生まれる新世界システムにとって、知的生産の新たな枠組こそが重要な側面になる。18世紀末、科学と哲学は絶縁状態にあった。状況をそっくり変えるには、現状を疑い、新たに統合された認識論を見出さねばならない。ウォーラーステインが言うように「『ふたつの文化』は150~200年にわたり疎遠だったが、複雑系の研究やカルチュラルスタディーズは求心的であり、すなわち互いに歩み寄り始めている」。

 

公共空間を取り戻すためのレシピ

イギリスの建築家、セドリック・プライスが考案した先見的プロジェクトに、領域横断的芸術センターと領域横断的学校施設という求心的モデルがある。「ファン・パレス(The Fun Palace)」と「ポタリーズ・シンクベルト(Potteries Thinkbelt)」だ。といってもプライスは(逆説的ながら)ユートピア思想の建築家ではない。例えばユートピア的設計図に関心を注いだアーキグラムに比べたら、その色は希薄だし、あくまでも実質的な観点から工学技術上の課題に取り組んだ。「ファン・パレス」計画は60年代末に展開したが、結局、実現には至らなかった。このプロジェクトが、21世紀の領域横断的文化システムの格好のモデルとなりうるのは、これが複数の可動式設備を備えた複合型施設だからだ。劇場プロデューサーのジョーン・リトルウッドが、こうした施設に求められる様々なアイディアを出し、それを具現化するはずだった。プライスによれば、この複合施設は個人参加型の教育および娯楽を実現するためのもので、その性格上、施設の寿命も設けられていた。人々が気軽に立ち寄れて、しかも試験の場としても機能する、いわば「路上の大学」だ。

「ファン・パレス」の概念を学校や大学に応用したものが、「ポタリーズ・シンクベルト」に代表されるプロジェクトだ。前身は「アトム計画」という、町全域に原子(アトム)のように施設を分散させた教育施設だった。対象は一定の年齢層に限定せず、コミュニティ全住民のニーズに応えられるような教育内容になっていた。したがって、ここには職業訓練の場や、家庭学習ステーション、誰でも利用できる教育玩具、戸外学習サービス、生涯教育施設、視聴覚教材などが完備し、これらを総称して「町の頭脳(タウンブレイン)」と呼んだ。これが「ポタリーズ・シンクベルト」の基礎となり、シンプルな構造による複雑なシステムという、プライスが追求した建築理念の頂点を飾ることになる。プライスの構想はハード面の設計だけでなく、プログラム全体にも及んだ。サイバネティクス学者、ゴードン・パスクとの議論に因るところが大きい一大プロジェクトだ。この計画は、当時斜陽になりつつあった窯業都市地域、英国スタフォードシャー北部全域の再利用と結びついたものだった。窯業の衰退で鉄道や駅が使われなくなっていたので、プライスは、こうした基幹施設を再活用すべく、地域全体を網羅した、帯状に広がる大学研究施設の建設を提案したんだ。鉄道網と道路網上に学生数約2万の大学を作り、それぞれの鉄道駅を知の生産拠点にするという計画だ。「移動する教室」をコンセプトに、教授、研究員、学生それぞれのために用意された住居は、クレートハウス、スプロールハウス、カプセルハウス等々。既存の施設で間に合わなければ、プライス考案の風船型宿舎(インフレータブル)も容易かつ迅速に調達できるといった具合だ。

「ポタリーズ・シンクベルト」も「ファン・パレス」も実現されずに終わったけれど、「過去のプロジェクト」への郷愁からではなく、再検討する価値はありそうだ。アーティストと建築家が新たな批評眼を持って公共空間と関わり、これを取り戻すために、これらを教育モデル、レシピ、あるいは契機として捉えることは可能だろう。

 

ビバ・マニフェスト!

「ファン・パレス」と「ポタリーズ・シンクベルト」は、僕がコンテンツマシーンとして立案した一連のマラソン企画にも影響を与えている。

昨年、サーペンタイン・ギャラリーでは「マニフェスト・マラソン」を行なった。毎年恒例の「パーク・ナイツ」の際に開催されるマラソン・シリーズの3回目で、今回はフランク・ゲーリー設計の仮設パビリオンが会場となった。マラソン企画はシュトゥットガルトで立ち上げた後、最初のサーペンタイン版は、ジュリア・ペイトン=ジョーンズと僕が声を掛けて、レム・コールハースとセシル・バルモンドに2006年度のパビリオンを共同設計してもらったときに開いている。今回は「未来学会議」と銘打ち、アート、建築、科学、文学、哲学、音楽、ファッション、映画など各界を代表する人たちが集い、2日間にわたって各自のマニフェストを披露しあった。ヒントになったのは、ギャラリーに程近いハイド・パーク内のスピーカーズ・コーナー。カール・マルクスやウラジーミル・レーニン、ジョージ・オーウェルやウィリアム・モリスといった人物たちも演説した由緒ある一角だ。

20世紀初頭のいわゆるアバンギャルド、そして60年代と70年代に起こったネオ・アバンギャルド、このふたつは革新的マニフェストの一時代を築くものだった。

いま僕らは、ばらばらにアトム化し、芸術運動の結びつきが弱い時代に生きている。まさにそういう時期に、詩的かつ政治的な意味をこめたマニフェストが現れたというわけだ。今回のマラソン企画によって、参加者たちはアーティスティックな意志を新たにし、前向きな気持ちを見出したようだ。文書や急進的冊子の形でアイディアを発信するのには、(ネットなど)新形態の出版・制作物が用いられている。

サーペンタイン・ギャラリーでの「未来学会議」は、21世紀に向けてのマニフェストを提起した。昨年大晦日から元旦にかけて開催された北京のヴィタミン・クリエイティヴ・スペースでのイベントにも引き継がれ、北京オリンピック関連の様々な催しとは一線を画し、知の停滞を乗り越えるべく、僕らは様々な学術分野の複眼的展望に照準を合わせた。そういえば、2005年の広州トライエニアルできみと共同キュレーションした「the Laboratories」(編注:急激な都市化についての調査研究と、アート作品制作を行ったジャンル横断型プロジェクト)にもリンクする、ブックマシーンも登場したんだ。

親愛なるハンルゥ、僕らが協働を開始した90年代は経済危機の真っ只中で、アート界における喫緊の課題についてよく話し合ったものだったね。今回の手紙にも、21世紀に求められているものについてさらに考えを深められたらという思いを込めたつもりだ。

ロンドンより東京経由で、サンフランシスコにいるきみに
ハンス・ウルリッヒ拝

(初出:『ART iT』No.23(Spring 2009)

 


 

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