ワークショップ「0人もしくは1人以上の観客に向けて」での制作 2023年(作者:サラ・デュルト、神戸大学大学院人間発達環境学研究科) 撮影:飯川雄大
| αMプロジェクト2025‒2026「立ち止まり振り返る、そして前を向く vol.5 飯川雄大|デコレータークラブ:すべて違う姿」 | |
| 会期 | 2026年4月11日(土) – 6月13日(土) 開催前11日後開催 |
|---|---|
| 会場 | gallery αM |
| 住所 | 〒162-0843 東京都新宿区市谷田町1-4 武蔵野美術大学市ヶ谷キャンパス 2階 [MAP] |
| 開館時間 | 12:30–19:00 |
| 休館日 | 日、月、祝 |
| 企画 | 大槻晃実(芦屋市立美術博物館学芸員) |
| URL | https:/ |
動き出す世界─未来の観客へ宛てて
大槻晃実
飯川雄大さんの作品は、設置される場所と密接な関係性を持っています。それは、その場所の歴史や物語といった背景ではなく、その場所が持つ空間の「構造」そのものとの結びつきです。展示の準備期間中、飯川さんは時間帯や季節を変えながら会場を何度も訪れ、人の動きや空間の癖、音や明るさ、スタッフや来場者のふるまいを丹念に観察します。こうした観察と調整の積み重ねは、作品を「そこ」に立ち上げるための基礎工事にほかなりません。
αMの空間に備わる、視線の抜けや天井高、音の反響といった微細な条件は、来場者のふるまいを変化させます。そうした空間の「癖」を鑑賞者の行為と結びつけるかたちで、飯川さんは設計に取り込んでいきます。そこから見えてくるのは作品の成立が物体の配置だけではなく、人の動きや気配の回路によって支えられていることに気付かされます。
αMで立ち上がるのは、鑑賞者が各会場へと運搬する《デコレータークラブ―新しい観客》とドローイングなどです。「など」に含まれるのは何か、ここでは内緒にしておきます。ぜひ会場へお越しください。
《新しい観客》は、誰かに運んでもらうのを首を長くして待っている。なぜならそれは、鑑賞者が「運ぶ」という行為に参加することで初めて完成する作品だからです。通常は設置・固定されるはずの彫刻が、本作では鑑賞者の「運ぶ」という行為を受け入れることで、彫刻の概念そのものを拡張してみせます。それにもかかわらず、その姿はきわめて日常的で、一見すればごく普通のスポーツバッグです。キャリーに載せて移動する人の姿も、日常の運搬の風景と区別がつきません。しかし、非常に重たいそのバッグを移動させるためには大きな動作が必要となるし、普段なら気にならない段差が思いがけない障害となって運搬を困難にすることもあります。そうした微かな「ひっかかり」を目撃した第三者は、理由のわからない違和感に目を向けます。
こうして作品は、展示室の外へと持ち出されるたびに街の風景へと紛れ込み、その一度きりの光景に出会ってしまった人が、思いがけず「目撃者」となります。それを作品だと知らなくても、その違和感が思考を動かす契機となり、とたんにその場で「新しい観客」になってしまうのです。
飯川さんの作品には、鑑賞者がハンドルを回すと配置されたロープが動き、どこか別の場所で「何か」が変化するものがあります。ロープは確かにどこかへ伸び、何かにつながっているのですが、その回転がもたらす変化をすぐには目視できないように設計されています。実際にはロープは有線でつながっていますが、私たちが感じ取るのはむしろ、目に見えない関係性、まるで無線としてのつながりでしょう。
《新しい観客》も根底では同じ構造を有します。運ぶ人、見ている人、状況を意識しないままであっても空間を共有する人、それぞれが見えないロープのような線で結ばれ、行為が関係を生み出します。時間をかけて観客から次の観客へと体験がリレーされることで、離れた会場同士が結ばれ、地域と地域が関わり合いはじめます。いまはまだ点を結ぶ細い線かもしれませんが、やがてはそのつながりが地域という枠を超えて、思いがけない関係が生まれていく未来を思い描けるでしょう。運ぶという行為が、世界を動かす力へと変わるのです。
飯川さんは、鑑賞者を信じています。いまは届かなくても、いつか別の場所で、誰かが気づいてくれる。その信頼が作品を支えています。行為はメッセージとなり、言葉よりも遠くへ届く。受け取った誰かが、次の誰かへと手渡していく。その連鎖のなかで私たちは、いつのまにか世界の動きに参加しているのです。
大槻晃実
飯川雄大さんの作品は、設置される場所と密接な関係性を持っています。それは、その場所の歴史や物語といった背景ではなく、その場所が持つ空間の「構造」そのものとの結びつきです。展示の準備期間中、飯川さんは時間帯や季節を変えながら会場を何度も訪れ、人の動きや空間の癖、音や明るさ、スタッフや来場者のふるまいを丹念に観察します。こうした観察と調整の積み重ねは、作品を「そこ」に立ち上げるための基礎工事にほかなりません。
αMの空間に備わる、視線の抜けや天井高、音の反響といった微細な条件は、来場者のふるまいを変化させます。そうした空間の「癖」を鑑賞者の行為と結びつけるかたちで、飯川さんは設計に取り込んでいきます。そこから見えてくるのは作品の成立が物体の配置だけではなく、人の動きや気配の回路によって支えられていることに気付かされます。
αMで立ち上がるのは、鑑賞者が各会場へと運搬する《デコレータークラブ―新しい観客》とドローイングなどです。「など」に含まれるのは何か、ここでは内緒にしておきます。ぜひ会場へお越しください。
《新しい観客》は、誰かに運んでもらうのを首を長くして待っている。なぜならそれは、鑑賞者が「運ぶ」という行為に参加することで初めて完成する作品だからです。通常は設置・固定されるはずの彫刻が、本作では鑑賞者の「運ぶ」という行為を受け入れることで、彫刻の概念そのものを拡張してみせます。それにもかかわらず、その姿はきわめて日常的で、一見すればごく普通のスポーツバッグです。キャリーに載せて移動する人の姿も、日常の運搬の風景と区別がつきません。しかし、非常に重たいそのバッグを移動させるためには大きな動作が必要となるし、普段なら気にならない段差が思いがけない障害となって運搬を困難にすることもあります。そうした微かな「ひっかかり」を目撃した第三者は、理由のわからない違和感に目を向けます。
こうして作品は、展示室の外へと持ち出されるたびに街の風景へと紛れ込み、その一度きりの光景に出会ってしまった人が、思いがけず「目撃者」となります。それを作品だと知らなくても、その違和感が思考を動かす契機となり、とたんにその場で「新しい観客」になってしまうのです。
飯川さんの作品には、鑑賞者がハンドルを回すと配置されたロープが動き、どこか別の場所で「何か」が変化するものがあります。ロープは確かにどこかへ伸び、何かにつながっているのですが、その回転がもたらす変化をすぐには目視できないように設計されています。実際にはロープは有線でつながっていますが、私たちが感じ取るのはむしろ、目に見えない関係性、まるで無線としてのつながりでしょう。
《新しい観客》も根底では同じ構造を有します。運ぶ人、見ている人、状況を意識しないままであっても空間を共有する人、それぞれが見えないロープのような線で結ばれ、行為が関係を生み出します。時間をかけて観客から次の観客へと体験がリレーされることで、離れた会場同士が結ばれ、地域と地域が関わり合いはじめます。いまはまだ点を結ぶ細い線かもしれませんが、やがてはそのつながりが地域という枠を超えて、思いがけない関係が生まれていく未来を思い描けるでしょう。運ぶという行為が、世界を動かす力へと変わるのです。
飯川さんは、鑑賞者を信じています。いまは届かなくても、いつか別の場所で、誰かが気づいてくれる。その信頼が作品を支えています。行為はメッセージとなり、言葉よりも遠くへ届く。受け取った誰かが、次の誰かへと手渡していく。その連鎖のなかで私たちは、いつのまにか世界の動きに参加しているのです。
