
© Wael Shawky, courtesy the Museum of Modern Art, New York.
向こう端の物語り
インタビュー / アンドリュー・マークル
ART iT 「十字軍芝居:聖地カルバラーの秘密」(2015)を見たり、「十字軍芝居」三部作が持つ広範な背景について考えたりするときに真っ先に思い浮かぶのは、このマリオネットは何を表しているのだろうか、それはメディウムとしてどのような機能を果たしているのだろうかという疑問です。あなたはこの三部作が扱う歴史にアプローチする上で、なぜマリオネットという形式を使わなければいけないと感じたのでしょうか。
WS マリオネットを使うというアイディアは、(11世紀のローマ教皇)ウルバヌス2世がフランス南部のクレルモンで開かれた教会会議で、1095年の第1回十字軍を呼びかけた演説について読んで思いつきました。それは十字軍の200年の歴史における最も重要な演説にもかかわらず、実は記録されていません。演説のオリジナルの原稿はなく、代わりに4つほどの異なるバージョンが存在しますが、それらはいずれも再構成されたものです。このことは私に歴史の有する不安定な見解について多くを語っています。それは記録された歴史でさえも同じことです。この演説自体も重要ですが、それが基本的には出来事の後に人々が創造したものだということも同じように重要でした。それぞれ少しずつ言い回しが異なるので、誰もウルバヌスが何を語ったのか正確にはわかりませんが、彼が述べたことの帰結、つまり、200年にわたる戦争と占領のことは知っています。そうして、私は権力者のことや、教会や制度と人々との関係性について考えはじめることになりました。そこにはたしかに人心の操縦や操り人形という要素があります。三部作の第一部では、ウルバヌスの演説を再現し、すべての登場人物をマリオネットにしました。もちろんウルバヌスもマリオネットです。彼もまたある意味では操られていたでしょうから。

ART iT 第一部「ホラー・ショー・ファイル」(2010)では、アンティークのマリオネットを使用していましたね。それらのマリオネットは登場人物を表すという機能だけでなく、ファウンドオブジェとして、マリオネットそのものやその文化的連想に関するものを反映していました。しかし、続く第二部「カイロへの道」(2012)ではセラミック、第三部「聖地カルバラーの秘密」ではガラスと、それぞれ素材を変えていましたね。それはなぜでしょうか。
WS 第一部ではトリノのあるコレクションから110体のアンティークのマリオネットを使いました。ヨーロッパのマリオネットを使うことが重要で、これだというものを見つけるまでに数々のコレクションを調べました。運良くトリノのコレクションが貸出に同意してくれて、実現するなんて思ってもみなかったけれど、その説得にはミケランジェロ・ピストレット財団が大きな役割を果たしてくれました。コレクションの中には状態の悪いものもあったので、貸出の条件にはマリオネットの修復も含まれていました。なにより、映像作品のためにマリオネットの衣装を変えなければならないし、撮影が終わったら元に戻さなければならないし、実現のために大人数がいっしょに働くという大掛かりな制作作業になりました。
第一部はアラブの視点に基づき、アミン・マアルーフの著作『アラブが見た十字軍』もかなり参照しましたが、ビジュアルはむしろルネッサンス風にしました。これにはふたつの理由があります。まず、この作品では十字軍の最初の4年間に焦点を定め、ヨーロッパでの出来事を中心に置いていたので、ヨーロッパのマリオネットを使うのは理にかなったことでした。もうひとつは、ヨーロッパ文化において、マリオネットは娯楽のみならず道徳教育にも使用されていたので、それらを用いてアラブの視点から十字軍を語るのは役割を交換するというような意味もありました。
第二部で自分のマリオネットの制作を決めたのはロケーションと関係していました。第二部の映像は、クレルモンにほど近いオーバーニュという都市で制作しました。クレルモンを含むその地域は、教会でキリスト降臨の物語を伝えるために使うセラミックの人形「サントン人形(santons)」の生産で知られています。それはキリスト教的で、ヨーロッパ的でもあり、教会の表象に対する私の見解にも強く結びついていました。そこで、私はその技術を利用してマリオネットを制作することに決めました。大胆な挑戦でしたが、完璧な結果になりました。第二部では十字軍の歴史における46年間を扱っています。十字軍がエルサレムに到着し占領していた1099年から、イスラム教指導者のイマードゥッディーン・ザンギーが暗殺された1146年までの間。それは自己保身のために互いを裏切りはじめるという、イスラム指導者たちの内部抗争を辿るものです。私は映像の美学とイスラムの細密画の伝統を結びつけたくて、舞台美術をより平面的に感じるようにつくりました。一方で、粘土はイスラム美術と非常に強い結びつきがあるので、セラミックの人形はヨーロッパのキリスト教的伝統だけでなく、イスラム美術の伝統も喚起しました。
第三部を制作するにあたり、マリオネットに対してどのようにアプローチすべきか迷いがありました。映像はイマードゥッディーン・ザンギーが暗殺された1146年からはじまり、1204年の第4回十字軍まで続きます。あの時代と関係するものにしたかったので、第4回十字軍を制作全体の中心に据えることにしました。ヴェネツィアは第4回十字軍における極めて重要な扇動者だったので、そこからムラーノグラス(ヴェネツィアングラス)でマリオネットを制作するという考えに至りました。木製のアンティークのマリオネットであれ、セラミックであれ、ガラスであれ、素材の選び方はなんらかの形で物語と結びついていました。


ART iT マリオネットの形が人間から動物のような、もっと言えば、怪物のような姿に徐々に変わっていったのはどうしてですか。
WS それにはいくつかの理由がありました。ひとつには、もっと自分のドローイングの実践に結びつけたいという思いがありました。私はしばしば人間と動物とが混ざった混成的なものを描いていました。また、アラブ文学の語りの伝統にも繋がっていて、その他多くの文化にも見られますが、そこには動物が主要な登場人物や語り部として出てきます。
ドラマや演技から逃れることが、私のマリオネットを使う主な理由です。マリオネットはモノなので「演技」の技術といったものを必要としません。そして、基本的にマリオネットの表情は変わらないから、ただ登場人物がいるだけになります。その登場人物が良い人間か悪い人間かという判断は、観客がその対象に自分自身をどのように投影するかに大きく依存しています。つまり、マリオネットはドラマの拒絶のようなものです。さらに、それらは動物の姿をしているのでより不明瞭なものになります。また、実際には同じマリオネットを衣装を着せ替えるだけでイスラム教指導者と十字軍の両方に使うこともありました。これにより物語の道徳的な側面が複雑になります。一方が善で、もう一方が悪とかそういうものではありません。どちらもまったく変わらず、基本的には欲望に突き動かされているということ。
しかし、第三部の映像はあまりにもたくさんの異なるレイヤーが含まれているので、より複雑なものになりました。ビジュアルの面でも強い印象を持たせたいと考えていたので、なによりもまず、ジョットの絵画、その色彩や装飾の使い方を踏まえた舞台美術をつくることにしました。一方で、地球を真ん中に据えて、地球の真ん中に人間を置くという、十字軍の時代の宇宙論のことも考えていました。登場人物が彼らのまわりを全世界が回っている地図のような空間でやりとりをしている場面が多いのはそのためです。それはマリオネットをデザインする上でも影響しました。
ART iT あなたはマリオネットを使うことで演技やドラマから逃れられると言いましたが、マリオネットを操るために人形師にはかなりの技術が必要とされるのではないでしょうか。
WS それはとても難航しました。大規模な場面を撮影するときには特に、舞台美術に合わせながらマリオネットと人形師の配置を調整する必要がありました。ほとんどの時間、操り人形師たちは映像に映らないように画角から数メートル上に離れていなければなりませんでした。それから、私たちは2、3台のカメラを使用しましたが、撮影の自由度を与えたかったので、配置はより複雑なものになりました。人形師がマリオネットを操る際の理想的な距離は約1メートルですが、私たちの場合、人形師のいる作業用の橋は3メートルから4メートルほどの高さになることもあり、そのような長さの糸でマリオネットを操るのはものすごく難易度の高いことでした。加えて、台本は古典アラビア語で、約80人ほどの制作チームでアラビア語を知っているのは私だけでした。人形師は台本をほとんど音楽のようにして取り組まねばならず、そうすることで台詞の意味がわからなくても、口を動かしたり、動きをつけたりするタイミングを理解していました。制作には多大な努力が必要とされました。
ART iT 制作は3作ともすべてヨーロッパでしたか。
WS ええ。イタリア、フランス、ドイツ。いずれも十字軍の主な勢力を輩出した地域です。もちろん当時ドイツは存在していませんでしたが、多数の歴史的資料によれば、十字軍の最初の高まりはラインラント、つまり現在のデュッセルドルフ、ケルン辺りだそうです。だから、第一部をイタリアのビエッラ、第二部をフランスのクレルモン近郊で制作した後で、第三部をデュッセルドルフのK20で制作できるとは思いもよりませんでした。クレルモンは十字軍が発足した場所、ビエッラは200年間ずっと兵士を送り続けた十字軍のエンジンのような場所でした。


ART iT この三部作が、ヨーロッパの十字軍の源泉の地に位置しているということでしょうか。
WS ええ、この3つの都市で制作することは重要でした。
ART iT あなたはアラブ側の視点から十字軍を語るというアイディアからはじめましたが、その物語をヨーロッパの地で、ヨーロッパの資産を使ってつくりだしました。これは完全に客観的な視点に到達しうるのではないかという私たちの期待を裏切るものです。
WS この三部作がヨーロッパによって生み出されたことはとても重要です。もちろんアラブ世界からの資金提供もありましたが、制作費のほとんどはヨーロッパのスポンサー、さらにヨーロッパの政府による支援でした。ヨーロッパが自分たちの歴史の最悪な部分を見せることに問題がないのは素晴らしいことだと思いました。いずれの制作グループも地元の人々で構成し、第三部ではK20内で制作しました。キュレーターたちが美術館で最も大きなホールを与えてくれて、そこは全展示空間の三分の一ほどもある広さで、セットを建てたり、映像を撮影したり、約5ヶ月もの間使用させてくれました。私は制作過程を観客に公開することに決め、作業が見えるように空間の一角に大きな窓を設置しました。こちらから観客を見ることはできませんが、観客は一日中でも私たちを見ていることができる。そんな状態を3ヶ月ほど続けていました。そこにはライブパフォーマンスの要素も付け足されていました。光が当たらない仕事だとわかっていても、制作グループ全体が積極的に参加し、支えてくれました。これは昨今ますますナショナリスティックに、不寛容になりゆく人々が起こしているあらゆる出来事に異議を唱えるものでした。
協力:ヨコハマトリエンナーレ2017
ワエル・シャウキーは、横浜美術館の一室に絨毯を敷き詰めた空間で、「十字軍芝居 聖地カルバラーの秘密」を上映。作品内に使用されたマリオネットも同じ空間内で展示していた。
ヨコハマトリエンナーレ2017 島と星座とガラパゴス
2017年8月4日(金)-11月5日(日)※会期終了
http://www.yokohamatriennale.jp/
ワエル・シャウキー|Wael Shawky
1971年エジプト・アレクサンドリア生まれ。94年にアレクサンドリア大学で美術の学位を取得した後に渡米。2001年にペンシルヴァニア大学で修士号を取得。広範なリサーチに基づいたシャウキーの作品は、国籍、宗教、アイデンティティなどの概念を問い直す作品を発表している。2003年に第50回ヴェネツィア・ビエンナーレ内の展覧会のひとつ「Fault Lines」(企画:ジレイン・タワドロス)で、マルチメディア・インスタレーションを発表。2010年より、十字軍の物語をヨーロッパの資料を用いつつ、アラブ視点から物語る「十字軍芝居」三部作の制作を開始。同年、イタリア、ビエッラのピストレット財団のチッタデラルテでの個展『Contemporary Myths』で第一部を発表。2012年のドクメンタ13で第二部を発表。第三部は2014年にK20ノルトライン・ヴェストファーレン州立美術館で公開制作し、翌年、第14回イスタンブール・ビエンナーレで発表している。その間も第9回光州ビエンナーレ(2012)、第11回シャルジャ・ビエンナーレなどといった国際展に参加。近年は、サーペンタイン・ギャラリー(2013-2014)、MoMA P.S.1(2015)、マトハフ・アラブ近代美術館(2015)、クンストハウス・ブレゲンツ(2016)などで個展を開催。2017年には、フランク王国とイスラム帝国の戦いを描いた叙事詩「ローランの歌」を題材にした演劇「Song of Roland: The Arabic Version」を制作し、ハンブルクで開催された世界演劇祭で上演。同作はアムステルダム、チューリッヒへと巡回。自身の制作活動のほか、2010年にはアレクサンドリアに若手アーティストのためのスタジオ・プログラム「MASS Alexandria」を設立している。日本国内では、ヨコハマトリエンナーレ2017で「十字軍芝居:聖地カルバラーの秘密」を発表し、同年のフェスティバル/トーキョー17では「十字軍芝居」三部作を池袋HUMAXシネマズで上映している。