37:再説・「爆心地」の芸術(14)除染される大地と芸術(前編)

2013年11月14日

赤城修司「20120220福島県立図書館2」、2012年、H31.5×W42cm、ライトジェットプリント
Courtesy of ARATANIURANO & YAMAMOTO GENDAI


前にこの連載で、惜しまれる逝去となったインディペンデント・キュレーター、東谷隆司(以下、敬称略)への一文を寄せた。あれから一年が経ち、アラタニウラノ、山本現代という東谷と親交のあった二つのギャラリーから声を掛けられ、僕は死んだ彼と遺されたわれわれのために先日、「未来の体温 after AZUMAYA」という展覧会をキュレーションした。展覧会の概要については図録に寄稿したので、ここでは繰り返さない。それでもなお、本展をここで扱うのは、この連載の標題となって久しい「再説・『爆心地』の芸術」をめぐって、「3・11以後」を説くために欠かすことのできない作家がこの展覧会に入っているからだ。

近年、東谷は学芸員として彼が初めて出がけた「時代の体温」展(世田谷美術館、1999年)の続編にあたる展覧会、「時代の体温 2」をキュレーションする構想を持っており、簡単な企画書まで準備していた。残念ながら人選まではつまびらかにされていなかったが、そこでは、「国内の」「同時代の」作家を扱うことが明言されていた。晩年の東谷は韓国の「釜山ビエンナーレ」に深く関わり、2010年の開催では総合コミッショナーに抜擢され、みごと大任を果たしていたから、キュレーターとしての仕事の規模は、むしろ国際的になりつつあった。なぜ、まるで業績を逆行するかのように、あえて自身の原点を確認するような発案へと至ったのか。様々な理由が考えられるし、いまとなってはもう、永遠にわからない。が、僕は彼の追悼展を引き受けるにあたって、まずこのことを念頭に置くことにした。

いま、国内の、同時代の美術について考えるとき、震災と原発事故の及ぼす影響を度外視することは不可能だろう。たとえそれを扱わないとしても、そこには「扱わない」というある種の意思が必要だからだ。まして東谷は、遺されたツイッターのログだけ見ても、何度かにわたり「原発」について否定的な見解をつぶやいていた。けっして社会派のキュレーターではなかったが、その彼をしても無視できないくらい、震災と原発事故が大きな出来事であったということだろう。

3・11以後、ますます先行きの見えなくなりつつある2013年のいま、彼の唱えた「時代の体温」を伝える者はいったい誰か。僕はそれを、東谷のいなくなった「未来」へと向けて送り届けるべく、5名の作家を人選した。そのなかには、学芸員になる前の、東京芸大の学生だったころの彼の作品、「マドンナ」の連作も含まれている。


東谷隆司「(I WILL BE)BORNE BY MADONNA」、1992年
H223xW197.5xD8.5cm、チバクロームプリント
Photo by Kioku Keizo
Courtesy of ARATANIURANO & YAMAMOTO GENDAI


今回は、そのなかのひとり、赤城修司について触れてみたい。もっとも、赤城を「作家」と呼ぶのは多少の留保が必要となる。たしかに赤城は、筑波大学で油画を専攻し、現在は福島県の公立高校で美術を教える現役の教員である。が、少なくとも彼が現代美術の世界と関わったことはこれまで一度もない。卒業後も絵は描いていたけれども、発表する機会はごく稀で、主な作品は団体展(新制作)に出されている。つまり、ART iTのウェブサイトで取り上げるような「アート」とは、まったく接点のない人物であったのだ。少なくとも震災の「前」までは。

僕が彼の活動に注目をしたのは、ツイッター上でのことである。あるとき、彼をフォローしている作家の柳美里さんのツイートに関連してその存在を知った僕は、赤城が「東京電力福島第一原子力発電所から直線距離64km地点に居住」(ツイッター・アカウント @akagishujiのプロフィールより)していることを知った。そして、原発から飛散した放射性物質で酷く汚染されてしまった福島市内で、震災以後の日常を膨大な量の写真で記録し、独特のつぶやきとともに発信していることを知ったのである。そこには原発事故の被害についての、一概には肯定とも否定とも取れない、あきらめにも似て醒めた雰囲気が漂っていた。

なかでも僕が強く興味を惹かれたのは、赤城が追う福島市内の風景のなかに、福島県立美術館の庭を除染する様子が収められていたことだ。震災下の美術館(たとえば地震によって被災した気仙沼のリアス・アーク美術館)については僕自身、これまで各所で詳しく論じて来た。また福島の美術館については、前例のない状況に置かれた学芸員が内部でどのような困難に直面していたかについての類書も出ている(黒川創 ・編『福島の美術館で何が起こっていたのか』 SURE、2012年)。また学芸員による公式のブログでも、除染のことはわずかながら触れられていた。だが、放射性物質で汚染された美術館について、行政が具体的にどのようなかたちで除染を進めたのかについては見えてこなかった。本来であれば、このことは行政の当事者でも学芸員であってもよい——税金を投じてでも後世に伝えるべく、体系的に記録し保存されてよい歴史的な「史料」であるように僕には思われた。放射性物質で汚染された美術館が除染される経緯は、世界的にも例のないであろう事態である。赤城の写真のなかでは、その様子が何日にもわたり、執拗に捉えられていた。

被写体となった福島県立美術館は、隣接する福島県立図書館と併せ、前庭に大きな芝の広場を持っている。恵まれた環境だが、放射性物質はこの恵まれた芝の上にも容赦なく降り注ぎ、高い線量の爪跡を残した。福島市内での「除染」は最初、学校や公園などの公的な施設から始まったから、美術館の前庭が除染されたのは、かなり早い時期にあたっている。芝が枯れており、雪の影響も感じられないことから、2012年の初春、震災から1年ほどが経過したころではないかと思われる。




いずれも2012年2月20日 撮影:赤城修司(以降すべて)

赤城の写真を見ると、汚染された芝は重機を使い、庭の表土ごと5センチほどまくり上げ、ロール・カーペットのように均一の寸法で切り取られ、巻かれながら剥がされている。この作業を広い庭の全面にわたって行い、剥がした表土はいったん、一箇所に貯められる。その様子を観て僕は、まるでアメリカのアース・ワークや日本の「もの派」の作品のようだと感じた。美術館にあるから、なおさらのことである。もしも誰かに作品だと言われたら、にわかに信じ込んでしまうだろう。除染作業と美術作品とのあいだで、なぜ両者が「似て見えてしまう」のかについては、あらためて触れることにしよう。いまは除染の手順を追う。

こうして集められた汚染土は、本来であれば回収のうえ、放射性物質の中間貯蔵施設へと送られ、外部からの影響を絶つかたちで暫定的に保管されることになる。ゆくゆくは、放射性廃棄物の最終処理場で長期間にわたり保管されるのを待つのだ。ところが実際には、日本ではこの最終処分場はおろか、中間貯蔵施設についてさえ、いまなお建設の目処が立っていない。


2012年3月2日


2012年3月6日


2012年3月9日

とはいえ、汚染された危険な表土をそのまま地上に晒しておくわけにもいかない。やむなく一箇所に集積し、ブルーシートで防水処理が施された。むろん、長期にわたりそのままというわけにはいかないから、そのあと庭の一部に大きなトレンチを掘って汚染土をそこに埋め、周囲に遮蔽土を施し、上からもう一度埋め戻し、新たな芝を敷くのである。したがって、作業が終わってしまえば、見た目にはまったくわからなくなってしまう。


2012年3月18日


2012年5月13日

が、地中に貯蔵された汚染土は、いずれもう一度掘り起こされ、中間貯蔵施設に移送されなければならない。けれども、その目処がまったく立っていないのは、すでに触れた通りである。いまはもう、なにごともなかったかのように、公共の施設として「その上」は市民に活用されている。このような「美術館の除染」(歴史的に前例がないにもかかわらず、期間にすればごくわずかにすぎない)について、継続的に記録を撮ったのは、ひとり赤城だけではなかっただろうか。

それにしても、いったいなにを目的に、彼はこれらの写真を撮り貯め、定期的にツイートし続けているのか。なんらかの表現として行っているのか。それとも、なにかまったく異なる理由でもあるのだろうか。そもそも、彼は「作家」なのか——まったく知己のない赤城への僕の関心は、まず、そこから始まった。(次回に続く)

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