60:再説・「爆心地」の芸術(27)種差デコンタ2016(1)

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八戸市美術館「赤城修司+黒田喜夫——種差デコンタ2016」展示風景(会場1階) © ICANOF
写真提供: ICANOF(以降すべて)

8月の末、釜山ビエンナーレ2016のキュレーションのため滞在していた韓国から一時帰国し、息つく間もなく新幹線で青森、八戸へと向かった。八戸市美術館での展覧会「赤城修司+黒田喜夫——種差デコンタ2016」に関連し、初日より3日連続で開かれる「デコンタ・フォーラム」に招かれたためだ。「デコンタ」とはなにか。一般にコンタミネーション(contamination)は科学の実験や臨床医術などで生ずる有毒物質による汚染を意味し、「デ(de)」はこれを解・除する接頭語だから、私たちが通常の生活を送るかぎり、あまり縁のない、縁があってほしくない語であったと言えるだろう。

ところが福島原発事故以来、「デコンタミネーション」は、私たちにとって急速に身近な言葉となった。原子炉から放出された有害な放射性物質を広範囲にわたって土壌から取り除く「除染」が、あたりまえのように語られることになってしまったからだ。今回の八戸での展覧会では、原発事故以来、この除染の様子を福島市で継続して撮り続け、その総数がすでに35万枚を超えるという赤城修司による写真を主に、それを伝えるツイッターでのつぶやきの言葉、その過程で残された様々な記録物、さらには赤城の日常生活を伝える映像までが、3フロアにわたってくまなく展示されている。一階は、赤城による東日本大震災直前から現在に至るツイートが時系列に沿って並べられ、二階にはプリントされた写真、三階では赤城が写真と並行して撮影してきたビデオが佐藤英和の手で編集された映像作品、そしてこれまでに収集された様々な「もの」が、暗闇のなか明示されないまま並べられており、異様な雰囲気を醸し出していた。


赤城修司 上から順に「2012年2月20日 福島県立美術館」「2013年6月21日」「2014年5月10日」 © Shuji Akagi

他方、フォーラムでは、この赤城の写真をめぐって、「1・写真とカリオキバ」「2・種差とカリオキバ」にわたる二つの趣旨が、写真家の露口啓二とキュレーターの豊島重之によって準備され、総勢12人を数える登壇者が、組み合わせと場所を変え、長時間にわたって議論を続けた。ちなみに、ここで登場する「カリオキバ」という言葉は、放射性物質が降り注いだ土壌から「デコンタ」された汚染物質を貯蔵するための施設、つまり「仮置き場」である。なぜ「仮」なのか——放射性物質を最終的に廃棄するための施設が、いまだに決まっていないからである。それにしても、このカリオキバと写真とが、いったいどのように関係するというのだろう。加えて、八戸市内からもほど近く風光明媚で知られる種差海岸から取られた「種差」が、いったいここにどう絡むのか。


上:デコンタ・フォーラム2(2016年8月27日、市内レストラン「Rody’s」)
下:デコンタ・フォーラム3(2016年8月28日、八戸市美術館) © ICANOF

しかし、そのことについて考える前に、本展ではもっと大きな謎が残されたままだ。赤城と並んで展覧会に名前を連なる重要人物であるはずの黒田は、いったいどこに介在するのだろう? 実のところ、黒田にまつわる展示を会場で見つけることはいっさいできない。いや、そもそもが詩人であり、赤城とまったく接点のない黒田は、美術館に展示されるために召喚されたのではなかろう。むしろ赤城の写真を媒介に、参加者たちがこの不在の死者を、展覧会というカリオキバへといかにして呼び寄せるかが試されていると言ってよい。そして、この無謀な問い掛けを、参加者と見る者に対し一斉に仕掛けたのが、本展そのものの発案者である豊島にほかならない。そう、これは、美術展のキュレーターであると同時にみずから主宰するモレキュラーシアターの演出家でもある豊島が、ここ八戸市美術館を拠点に2001年から始めた「ICANOF企画展」による最新の試みなのだ。そこには、訪れるものを惑わす迷宮のように仕上げられた謎が、いくえにも折り畳まれて仕掛けられている。この「ICANOF」(イカの府? イカの腑?)の由来については、彼らのサイトによる詳しい説明を読んでもらうとして、そこから浮かび上がるのは、八戸では、豊島を中心にアートを通じた市民による街の内部からの変容と外部との接続が、現在のように芸術祭や「地域アート」が盛んに俎上に上がるはるか以前から、行政の主導によるのではなく、もっとはるかに自発的に形成されてきたということだろう。

おそらくこの文を読んでいる人の中には、こうした経緯と今回の企画が持つ重層的な語や概念設定の厚みに、いささか戸惑っている向きもあるかもしれない。しかしそれは逆に言えば、ICANOFの試みが、一時的なイベントなどではなく、いかに長い時間と試行錯誤を通じ、問いと応えを積み重ねてきたかを照らし出しているとも言える。それは、この展覧会とフォーラムの開催に合わせて、東京をはじめとしていろいろな場所に散らばっている様々な分野で活動する人たちが、その場を共有するため、みずからの意思で時間を割き、八戸へと続々に集まってくる様子にも、軽い驚きとともに見てとることができた。

もっとも、新幹線から下車した新八戸駅で待っていてくれた赤城と再会したのが私だけでなく、演出家の飴屋法水、美術家の山川冬樹(それぞれが福島市、韓国・釜山市、茨城県、愛媛県から合流した)であったのは、今回のフォーラム=「異化の府」に豊島の声で招かれたのが、この4人からなるユニット「グランギニョル未来」によるものだったからだ。私たちはすぐに展覧会場には向かわなかった。八戸から北に車でまっすぐ向かった先にある、日本で建造中の最大規模の「デコンタ」のための「カリオキバ」である六ケ所村の核廃棄物再処理センターを訪ねておく必要を感じていたからだ。


六ケ所原燃PRセンター 撮影:岩田雅一

豪雨の中、しだいに東北というよりは北海道を思わせる原野をひたすら続く道を走り続けるうち、周囲には次第に湖沼が目立つようになり、新八戸から1時間半ほどで到着した六ケ所村は、はじめ、要塞のように周囲に何重もの柵を巡らした敷地境界として姿を現した。もっとも、私たちが見学できたのは、施設の内部ではなく、PRセンターにすぎない。しかしそれでも、最上階から360度にわたるパノラマ・ウインドーより見渡せる周囲の起伏豊かな緑の土地には、聞き覚えのない原子力関連の施設が土地を占め、さながら人里離れた秘密基地のような印象を覚える。

私たちはこのあと、急いで八戸市内に車で駆け戻り、赤城と私によるそれぞれ短い講演に加え、フォーラムの初日にあたる共同のセッションをこなす予定になっている。そして最終日には、この4人で参加している福島県の帰還困難区域内での「見に行くことができない展覧会」Don’t Follow the Windに出品している「デミオ福島501」にまつわる、短い公演(ラジオドラマ、豊島の命名では「ラヂオアクティヴ・ドラマ」)を披露しなければならない。滝のように降り注ぐ雨と大きな水溜りをタイヤが跳ねる水しぶきをフロントガラスに浴びて一瞬、視界を失いながら、私はかつてこの同じ4人で、帰還困難区域という、見方によってはこれもまた巨大な「カリオキバ」化=中間貯蔵施設計画受け入れを余儀なくされた土地に作品を設置するため、会場内に置き捨てるための車で防護服に身を包み、パスポートや身分証明書とともにバリケードを超えたときのことを思い出していた。(続く) 

著者近況:釜山ビエンナーレ2016の展覧会「プロジェクト1」(会場:釜山美術館)にキュレーターのひとりとして参加。「an/other avant-garde china-japan-korea」をテーマに、日中韓における90年代以前の前衛美術を軸とした構成となる。2016年11月30日まで開催中。
http://www.busanbiennale.org/

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