連載 田中功起 質問する 11-6:星野太さんから3

2015年6月22日
第11回(ゲスト:星野太)——参加が目指すところはいったいどこなのだろうか

美学/表象文化論の星野太さんと「参加」を考える今回。星野さんの最後の書簡は、「制度」のとらえ方を広げた上で、これに関わる「方法論としての参加」を考えます。

往復書簡 田中功起 目次


件名:制度分析としての「参加」の可能性

田中功起さま

ご無沙汰しております。

数日前から台湾に来ています。この数日間、国立交通大学で「東亞社會與共生哲學(East Asian Societies and Philosophy for Co-existence)」という会議が行なわれており、そちらに参加することが今回の目的です。ちょうどこの半年ほど、田中さんとの往復書簡や別の仕事を通じて考えていた「参加」の問題を整理しておきたいと思ったこともあり、今回の会議では、現在の東アジアにおける社会と芸術の関係について、ごく簡単なスケッチを試みようと考えています。


新竹市の国立交通大学にて。この時期に台湾に来るのは初めてですが、こちらの湿気は日本の梅雨よりも格段に厳しく感じられます。

制度内存在

さて、先日のお便りは、こちらから投げかけた「原−参加(archi-participation)」という概念を下敷きに、田中さんの立場を非常にクリアに展開していただいたものとして読みました。全体的な感想を言えば、前回の田中さんの整理によって、これまでの議論はいくぶん綺麗に「着地」したような印象を受けます。その意味で、ここから先のお返事は、これまでの対話の「補遺」のようなものになるかもしれません。しかしひとまずは屋上屋を架すことを恐れず、わたしがそこから受け取ったことについて若干の付け足しをしておきたいと思います。

まずは「参加」と「原−参加」をめぐる話題から発展的に登場した「制度」の問題についてですが、わたしたちを取り囲む制度がそもそも「原−参加」的であるという認識は、やはり何度でも立ち戻っておくべきものだろうと思います。

田中さんも挙げてくださったように、大きな話で言えば、ある国家に属する個人は戦争に賛成する/反対するという主体性(=参加)の手前においてすでに、国家が措定する「原−参加」の形式に巻き込まれてしまっている。また、同じく田中さんが挙げられた別の例で言えば、カンヴァスの「矩形」という形式に疑問を抱き、その変形や立体化について試行錯誤する美大生は、「美術史」や「イーゼル絵画」や「ミニマル・アート(によるその解決策)」の歴史の中におり、それゆえに各々が身を置く「原−参加」の枠組みにつねにすでに巻き込まれている。そして、わたしたちは原理的に、そのような枠を完全に「外す」ことはできない(せいぜい、みずからを囲っている枠に少しだけ力を加えることができるにすぎない)。その意味で――ハイデガーの「世界内存在」に倣って言えば――わたしたちは多かれ少なかれ「制度内存在」であると言えるでしょう。

美術の問題に限定せずに言えば、この種の事柄に対するわたしの立場は、いささか両義的な二つの方向に引き裂かれています。そしてそれは、先の書簡で田中さんが言及されていた二つの立場とほぼ重なりあうものです。

すなわちそこで取るべきひとつの態度として、わたしたちがそうした諸々の制度に否応なく巻き込まれてしまっている以上(すなわちそれに反対することも、それを無視することも織り込み済みである以上)、わたしたちはそうした制度と交渉し、ありうべき打開策を考案していくほかない、というものがある。ごく平たく言ってしまえば、これがいわゆる「真摯な」態度だということになるでしょう。しかしそこにはある種の居心地の悪さ(制度への過敏な反応など)が付きまとうし、さらにそれが自己目的化していくと、むしろ退行的な兆候すら示すことになりかねない。

そしてもうひとつの態度として、制度が要請する力学をうまくはぐらかすための「戦術」を考案していくという方向性が考えられます。これまでの言葉を用いれば、それは文字通りの作家/鑑賞者の「怠慢」とは異なる、「擬態としての怠慢」に近いものでしょう。しかし田中さんもただしく指摘されているように、そのような「てきとうな態度」は本来しりぞけるべき反知性主義と紙一重のものかもしれませんし、あるいは本人が意識的に「擬態」しているつもりが、ある段階でいつの間にか本質化してしまうという危険とも無縁ではないでしょう。

さまざまな「制度」の析出

当初の前提とは矛盾する方向へと進むことになるかもしれませんが、こうした隘路を前にしてわたしたちが取るべき別の態度があるとすれば、それは「制度」というものを過度に本質化しないことではないでしょうか。

より正確に言えば、それは個々の「人間」や「作品」を「制度」に対置するのではなく、前者に秩序を与えている内的な力学を緻密に析出していくことだと言えるかもしれません。さらに言えば、見かけ上は個体としてのまとまりを与えられている事物(物事)の内部に、それらを構成する多種多様な「制度」の存在を見いだしていくことである、と。

あらためて確認するまでもなく、わたしたちの身体もまた、生理機能や運動神経のようなさまざまな機構によって秩序づけられており、作品と呼ばれるあらゆるものもまた、その外部にある(いわゆる)「制度」とは異なる内的なオーダーによって、ある種の秩序を与えられています。その意味で、われわれが慣習的に「制度」と呼んでいるものは、個を取り囲む大きな枠組みを名指すための、ごく限定的な意味での「制度」にすぎないとも言える。ここでは詳しく展開する余裕はありませんが、少しだけ自分のフィールドに引きつけて言えば、わたしがこうした「制度」の問題を人間の身体や精神に即して考えるさいにかつて示唆を受けたのは、メルロ=ポンティの講義録(死後刊行の草稿)に登場する「制度化(l’institution)」や、ガタリの「制度分析(l’analyse institutionnelle)」といった諸概念です(*1)

だいぶ当初の文脈から離れてしまったような印象を与えるかもしれませんが、田中さんがこの往復書簡で当初から触れてくださっている「方法論としての参加」の問題も、以上のような「制度」(の分析/あるいはその拡張)という問題と無縁ではないように思えます。たとえば前回の書簡で、田中さんがこれについてまとめてくださった部分を、少し長めに引用してみます――「「参加」における成功/失敗の価値判断を解き放すため、まずは「原−参加」を導入する。これによってアーティストはいかなる結果をも受け入れる。アーティストがそれを受け入れるかぎり、強力な枠組みとしてすべては含み込まれる。その枠組みは参加者にとって、ときに居心地が悪いかもしれないけれども(そこにアーティストの「暴力」を自覚するかもしれない)、非日常的な現場の中でいつもとは違う感覚に満たされるかもしれない(……)」。

わたしの関心に即して言うと、これは先に触れたような意味での「制度」分析のひとつの「方法論」にほかならないと思います。「参加」を作品の方法論として導入するということは、作品を取り巻く内/外の制度にフォーカスを当て、それを析出することと軌を一にするものではないか。ここまでの長い「前提」の確認を経て、いまあらためてそのようなことを考えています。

「参加」と弱い主体性

当初、この往復書簡ではもう少し理論的な補助線を引くことを想定していましたが、結果的にいくつかの重要な問題にフォーカスが当てられたことによって、狭義の美術をめぐる状況論はむしろ後景にしりぞいたように思います。それによって、ここでの対話もより本質的な方向に傾斜していったという印象をもっていますが、反対にこの場で語り残した事柄についても、最後にごく手短に触れておきたいと思います。

まず、この往復書簡の最初の方で話題になった、昨今の芸術実践における「参加(participation)」の広がりということで言えば、グラント・ケスターの『カンヴァセーション・ピーシーズ』(2004)や、クレア・ビショップの『アーティフィシャル・ヘルズ』(2012)のような、リレーショナル・アートの文脈で引き合いに出される理論書を挙げておく必要があるでしょう(*2)。特に後者のビショップの著作(とりわけその理論的な導入に当たる「社会的転回」のような論考)は、どこか曖昧な領域を含んでしまう「参加」の複数の位相を精緻化するにあたって、きわめて示唆的なものであると思います。

あるいは、比較的没交渉になりがちな美術と演劇という二つの領域を「参加」や「パフォーマンス」という切り口から論じたものとして、シャノン・ジャクソンの『ソーシャル・ワークス』(2011)という書物を挙げることもできます(*3)。ここでは十分に展開できませんでしたが、一口に「参加」と呼ばれるものを、演劇やパフォーミング・アーツの研究の蓄積を踏まえつつ精緻に腑分けしていくというのも、わたしたちがここまで考えてきた「参加」をめぐる議論においては、今後より広くなされるべき作業のひとつでしょう。

とはいえ、上に挙げた著者たちの問題意識と、ここでのわたしたちの対話のあいだに一定の距離があるとすれば、それは芸術における「参加」の問題が、どちらかと言えば「社会的なもの」に還元されがちな傾向にあるからだろうと思います。わたしの最初の書簡でも触れたことですが、「参加(participation)」という言葉には「社会参加(engagement)や「コミットメント(commitment)」とは異なる曖昧なニュアンスがあり、そこには強く主体的な「参加」には還元できない、弱く受動的な「参加」もまた含まれる。ともすれば否定的にも捉えられかねないこの意味の広がりに一定のポテンシャルを認めることが、ここでの対話におけるわたしの出発点でした。今、それをより明示的に言いかえれば、「参加」という営為が内包する主体性の希薄さが、ある一定の状況において既存の(強固な)前提や構造を潜在的に骨抜きにしうる可能性をもつ、ということになります。そしてこれは、田中さんが「参加という方法論」に見ている「ラディカルな失敗」の可能性にも、ダイレクトに繋がる問題だと考えています。

まだ書き残したことはありますが、ひとまずここで筆を擱くことにします。それでは、また近くお会いできることを楽しみにしています。

星野 太
2015年6月 台北にて


近況:上記の「補遺の補遺」になりますが、先日blanClassで行なわれた岸井大輔さんの「アジアで上演する #10」というイベントで、寺尾恵仁さん、武藤大祐さんとディスカッションを行ないました(2015年6月5日)。その機会にスケッチした「上演=解釈(interpretation)」をめぐる問題は、ランシエールの『解放された観客』の議論とも境を接しつつ、ここでの「参加」をめぐる対話を発展させるひとつの契機になったと考えています。いずれ、またそのあたりのことについてもお話しできる機会が持てればと思います。


1. Maurice Merleau-Ponty, L’institution. La passivité: Notes de cours au Collège de France (1954-1955), Paris: Belin, 2003; Félix Guattari, Psychanalyse et transversalité: Essais d’analyse institutionnelle, Paris: La Découverte, 1974.(後者の邦訳:フェリックス・ガタリ『精神分析と横断性――制度分析の試み』杉村昌昭/毬藻充訳、法政大学出版局、1994年)
2. Grant Kester, Conversation Pieces: Community and Communication in Modern Art (2004), updated edition, California: University of California Press, 2013; Claire Bishop, Artificial Hells: Participatory Art and the Politics of Spectatorship, London: Verso, 2012.
3. Shannon Jackson, Social Works: Performing Art, Supporting Publics, New York and London: Routledge, 2011.



【今回の往復書簡ゲスト】
ほしの・ふとし(美学/表象文化論)
1983年生まれ。共著に『人文学と制度』(西山雄二編、未來社、2013年)など。現代美術に関わる著作に『奥村雄樹――ジュン・ヤン』(美学出版、2013年)、「Relational Aesthetics and After|ブリオー×ランシエール論争を読む」を寄せた共著『コンテンポラリー・アート・セオリー』(筒井宏樹編、EOS ArtBooks、2013年)、『拡張される網膜』(編著、BAMBA BOOKS、2012年)などがある。東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」特任助教、慶應義塾大学文学部非常勤講師も務める。
http://starfield.petit.cc/

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