連載 田中功起 質問する 13-1:菅原伸也さんへ1

第13回(ゲスト:菅原伸也)――現在の日本で共同体を再考することについて

今回から13人目のゲスト、美術批評の菅原伸也さんを迎えます。田中さんの第一信はロサンゼルスからの転居報告と、水戸芸術館で開催中の個展にも重なりそうな、「共同体の再考」について。

往復書簡 田中功起 目次

件名:共に、同じことをする、身体

菅原伸也さま

ここ数ヶ月頻繁に会う機会がありましたね。ぼくがこの企画に誘ってしまったせいで、いろいろと足を運ばなければと思われたのかもしれません。それだったら気を遣わせてしまったかもですね。まあ、しかしそれによって何かしらの問題意識を共有できたかもしれませんが。菅原さんとは、ツイッターを介して出会ったわけですが、ツイッターの最初期にはそういうかたちで見ず知らずの誰かと、書かれている内容を通してお互いに興味が生じ、現実でも繋がりができていったってことがありましたね。ぼくにとっては、ロサンゼルスにいる間の、日本との繋がりの手段のひとつでもあったけど。


床下の隙間に侵入を試みるシロアリ駆除業者

まずはぼくにとってのここ最近の出来事から書いてみます。ついこの間、7年のロサンゼルス滞在を終えて、京都に引っ越しました。7年分の荷物は、まだ船の上、届くのはもう少し先です。新居はなかなか広くて、古い工場もついていて、使いやすそうです。「どうして京都に?」と聞かれそうですが、「どうしてロサンゼルスに?」という問いかけには結局ロサンゼルスにいる間にはうまく答えられなかったし、今回も大きな理由はありません。まして京都(やその文化)に興味があるわけでもないし、東京よりはのんびりしているのはいいけど、気候は良くないし、観光客も多すぎるし。自転車で回れる小さな街というは身体感覚的にはかなり新鮮です。ロサンゼルスは車でしか移動できないから広大な空間感覚がいつの間にか身体化していて、大概の広いと言われる美術館を見ても、そこまで広さを感じないし、いま展覧会をしている水戸芸術館も、もうちょっと広くてもよかったかもなあ、って思ってしまったり。

「天使の街」のボーダーから、別の果てへ

京都は、古い街であるから伝統もあるけど、大学も多いから若い知も入り込んでいて、その意味では新旧の良さが混じり合っている土地であるとも言えるかもしれません。一方で長らく部落問題が残っていて、むしろそれは逆説的な意味でしっかりと可視化されている地域でもあって、日常レベルでの会話にも垣間見えます。この土地ならではの、直接的な言及をさけたコードが使われるんだけれども、ぼくのように外から入ってきたものからすると、あからさますぎてちょっと驚くぐらい。例えば、とある地元のアーティストを紹介されたとき、ぼくらが新しく住んでいるエリアの話をしたら、「果てやなあ」と言われて、なんかその響きにぞわっとするものを感じて。

小さな世界のことではあるけど、例えば洛中洛外というかつての「首都」であった京都の中心部における境界線をいまでも念頭において、土地と出自に自らのアイデンティティを重ねる。それが自分の内にあるものならばかまわないけど、他者にも同様の思考法を無意識に迫り、適応しようとする欲望は、いったいどういうものなのだろうか。ぼくはそこから民族共同体のようなものへはあっという間に到達しかねない、とも思ったんだけど、この分断の言葉は、別の事柄にも感じたことがあります。それは他者をさげすむ言葉としてではなく、むしろ真逆に自らの経験の差を低く見積もるというか。3.11における当事者性の問題です。

自分も被災をしたけれども、もっとひどい被災の経験をしている人たちがいる、というようなある種の負い目。重度の被災と軽度の被災の差はあります。でも、軽度の被災者がその差に負い目を感じる必要はないと思う。これは同じように、自らを非当事者と区分する人びとにも当てはまります。経験をしないとわからない。もちろん経験をすることで分かることもあると思う。でも経験主義には限界があるわけで、非経験者も想像力によって問題の所在を理解することはできるはず。簡単に線を引くのではなく、そのあいまいな境界線をそのままにして、その都度対処し、考えるという方策はなぜできないのだろうか。

住む地域によって相手を判断し、分断を促す価値観を強要すること。経験の差によって、立場に線を引いてしまうこと。

地域共同体というときについて回るある種の面倒くささの原因は、分断する思考を日常レベルのやりとりの中で個人の内面に刷り込み、無意識にそれが機能するように隅々まで行き渡らせる伝統的な技術にあるのかもしれません。それは都市や地方の区別に関係なく。これが日本に帰ってきてまっさきに感じたこと。

信頼について

映画「スターウォーズ フォースの覚醒」の始まりは、抵抗軍のパイロット、ポー・ダメロンがファースト・オーダーに捉えられ、それをなぜか逃がそうとするストームトルーパーのフィン(出会いの時点では名無し、でもダメロンが「フィン」と名づける)との出会いから始まる。二人は初見でお互いを信頼する。そこには明確な説明がない。

ぼくたちが初対面の人物に対するファースト・インプレッションについて語るとき、友人になったあとに「初対面ではこう思った、でも違っていた」と語っていたとしても、なぜか相手を受け入れているということがある。なぜそれでも友人になれたのだろうか。おそらく言語的なやりとりとは別の、微細な身体的なジェスチュアがその後の信頼を先取りしたんじゃないだろうか。名前を名乗らずとも相手を理解すること。もちろんそこには相手をどのように捉えるかの、微細で瞬時の判断があると思う。

見知らぬ誰かが信頼に足る人物であるのかどうかの判断は、現在社会では死活問題である。例えばアメリカでエレベーターに乗るとき、そこに誰かがいればほとんどかならずあいさつをする。同じ空間を一時的に共有する誰かに、自分は怪しい人物ではないとあいさつ一つで理解させる。同時に相手が自分に危害を加えない人物であるかどうかを判断する。あいさつへの反応は、お互いの一時的な取り決めのようなもの。

共同体の系譜

今回のこの往復書簡では「共同体」を考えてみようと、菅原さんとは話していたのでした。コミュニティというのは、共有することを前提にする場でもあります。けれどもぼくは、まったくばらばらでありながらも、共にいることは可能ではないか、と考えています。そこで共有されていることは、一時的にでもその場を共に占拠しているという感覚。それはもはや共同体とは呼ばれないのかもしれない。でもかつてナンシーがファシズムへの反省から『無為の共同体』を書き、それによってブランショが、のちにアガンベンが、そしてリンギスが、共同体を再考する、その流れを辿ると、全体主義の記憶を持つ日本はどうなんだろうと思います。おそらく現在の問題にも繋がるからです。そういえばポール・チャンも。

菅原さんが共同体をめぐってここのところどのように考えていたのか、まずはそれを聞かせてください。
楽しみにしています。

田中功起
2016年4月 五反田を経由して京都から

近況:水戸芸術館での個展に際して作った「共にいることの可能性、その試み、その記録」(グラムブックス)が出版されています。また今月は28日からロンドンのshowroomで個展があります。

【今回の往復書簡ゲスト】
すがわら・しんや(美術批評・理論)
1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学表象文化論修士課程修了。主な論文に「百瀬文論/分裂する空間」、「高橋大輔論/絵画と絵画でないもの」(ともに「北加賀屋クロッシング2013 MOBILIS IN MOBILIー交錯する現在ー」展覧会カタログ)。

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