シュッタブラタ・セングプタ インタビュー(2)


Escapement (2009), installation with 24 Clocks, three reverse clocks, four video screens, sound track. All images: Courtesy Raqs Media Collective.

 

私のうちにあって緯度は拡がり
インタビュー / アンドリュー・マークル
I.

 

II.

 

ART iT ここまでは惑星的意識のこと、人々や知識の移動について話してきました。今日のアートはかつてないほどグローバルなものになっていますが、助成金やインフラ、市場規模の不均衡が原因となって、同時代性に関する言説は以前より普及し、多中心化してきたにもかかわらず、未だにその大部分がアメリカ合衆国やヨーロッパを中心に回っていると思いませんか。

シュッタブラタ・セングプタ(以下、SS) 同時代性を北ヨーロッパとアメリカ東海岸という大西洋を挟んだ両岸の現象だと思い込むのは間違っています。それは20世紀という特異な条件が生み出した幻想で、過去にもこのような幻想はありました。12、13世紀のバグダッドやバスラの知識人や著述家、アーティストは、自分たちこそが世界の中心にいると考えていたことでしょう。当時の商業資本を基盤とした社会資本や文化資本を理由に、彼らは北西ヨーロッパの人々をグローバルな文化の一員として数えないという幻想に囚われていました。事実、彼らはグローバルな文化の一員ではなかった。中国も自らをあらゆるものの中心だと捉えていたでしょう。真ん「中」の「国」と称していたわけですから。これもまた一時的な現象のひとつに過ぎません。

長い目で見たとき、私たちは今、過去のいかなる時代とも異なり、地球上のどこよりも優れた帝国があるという主張が意味をなさない絶好の機会を手にしています。これからはアジアの世紀であるなんて思い込むのは間違っているし、それはヨーロッパの時代の焼き直しに過ぎない。いまは、惑星の世紀です。これからは局所的な文化や国民国家が生み出してきたものとは違った観点で考える必要があります。

この問題の最前線にコンテンポラリー・アートがあります。コンテンポラリー・アートは翻訳不要とでも言わぬばかりの感覚的な言語を使っているからです。文学の場合、ある言語から別の言語へと1語ずつ翻訳し、書籍として出版するという骨の折れる仕事が必要となりますが、コンテンポラリー・アートの場合、作品の輸送ということであれば、作品をある場所から別の場所に動かし、展示壁のラベルの言語を取り替え、作品についてのエッセイを書くだけでいい。こうした文化を結びつけるものは透明であるという前提があります。しかし実際は、なんの仲介も必要なく見えるときでさえ、文学と同じような翻訳の労力がアートにも必要です。ヨーロッパ出身のキュレーターがアフリカやインドのコンテンポラリー・アートの作品を見るとき、作品はほかのあらゆるオブジェやイメージと同じように見えている。まるで作品を理解するためにほかに何も必要ないかのように。ここで、キュレーターはふたつの間違いを犯しています。まずは、そのオブジェが派生語、つまり、ヨーロッパで発明された言語を話していると考えていること。もうひとつは、オブジェを理解できると思い、理解できない場合、問題は自分自身ではなく、オブジェの方にあると考えていること。なぜ、こんなことが起きるのでしょうか。その原因は、自分たちが話していることについて、実は自分たち自身がわかっていないのかもしれないという考え方に踏み込んでくる人々を、キュレーターや批評家、美術館のディレクターになるための教育が必要としていないからです。ほかの学問分野では、研究対象についてわからないことがあるかもしれないという暗黙の了解があります。しかし、アートの場合、美術史という学問の制限から、対象となるオブジェを即座に分類できるように、来歴や様式、さまざまな指標を知っているという前提がある。実際、エキゾチックに見えるものの方が見慣れたものよりも、そうした分類で理解しやすい。ここに同時代性における謎があり、問題が生まれてくるのです。

 

ART iT ラックス・メディア・コレクティブの活動はドキュメンタリーからはじまっていますが、コンテンポラリー・アートに関わるきっかけについて教えてください。

SS それは惑星的なものの進歩的かつユートピア的な可能性が信じられていた時代のホスピタリティですね。映画や映像の世界には私たちがやっていたことに対する受け手がそれほどいなかったのですが、コンテンポラリー・アートの展覧会からの招待はひっきりなしにありました。そのうちの最初のふたつが、ドクメンタとウォーカー・アートセンターで、ドクメンタが先だと思われていますが、順番としてはウォーカー・アートセンターが先に声をかけてくれました。ただ、ウォーカー・アートセンターの方が展覧会に至るまでに時間がかかったというだけです。2000年前後に、さまざまな文化事業が世界各地、とりわけアジアで立ち上げられていきました。あの頃にトーキョーワンダーサイト(現・トーキョーアーツアンドスペース)が設立されて、私たちも議論のためのプラットフォーム、リサーチプログラムのための場所として「Sarai」をニューデリーに設立しました。文化活動に従事する人々のコミュニケーションの手段としてのインターネットの可能性が知れはじめたのもこの頃でした。このように、コンテンポラリー・アートの関心が私たちのようなものに向かうようになったという必然的な結果だけでなく、数々の偶然もありました。まるで私たちがパイオニアだったかのようですが、そうではありません。ただ自分たちが存在するのに必要なことをしていただけです。私たちを未来の前触れとして捉えようとする動きもたくさんありましたが、私たちは自分たちの現在に集中していたのであって、未来への提言を試みていたわけではありません。

 


Escapement (2009), detail.

 

ART iT コンテンポラリー・アートのなかに存在するということは、歴史のなかに存在している、あるいは、歴史のなかで活動しているということでもあるのでしょうか。「コンテンポラリー・アート」という名前には、こうしたことが潜在的に含まれていると思いますか。

SS ええ。文学や哲学であればそこまで含まれていないかもしれませんが、しかし、私たちはコンテンポラリー・アートが異なる芸術的実践のあいだの対話に再び参加するための招待だと主張することができるのではないでしょうか。〈個〉としてのアーティストや特定のアート・フォームは、アートの歴史における一時代のことに過ぎません。18世紀以前には現在私たちが知っているような〈個〉としてのアーティストなど存在していないし、特定のアート・フォームも同じ。複数の実践が交差するところにアートがあった。私たちは別の段階で似たような可能性へと再び戻っている、あるいはむしろ、前進しているのではないでしょうか。そして、そこにいるということは常に歴史のなかにいるということではないでしょうか。もし、私たちが未来を見越しながら自分たちの時代の意識を表現しているのなら、何をしていようとも、私たちは歴史のなかにいるのではないでしょうか。

 

ART iT あなたはしばしばラビンドラナート・タゴールと岡倉天心の関係について言及しますね。彼らの交流は100年前にも同時代性という概念があったことに気づかせてくれます。ほかにも、未来派宣言がフィガロ紙の表紙を飾ったわずか数ヶ月後に、日本語の部分訳が文芸誌『すばる』の1909年5月号に掲載されています。翻訳を手がけた森鴎外は、世界各地の短いニュース記事をまとめたコラム「椋鳥通信」を担当していて、これは今風に言えば、「ヨーロッパからのツイート集」といった感じでしょうか。一方、今日の翻訳状況は、著作権や使用許諾の問題に陥りやすく、日本での顕著な例として、ニコラ・ブリオーの『関係性の美学』には未だに正式な日本語訳がありません。

SS 先日、東京藝術大学取手キャンパスを訪れたときに面白いことがありました。学生には調べているもののいろんな資料や、自分たちが抱えている問題や疑問を持ってくるように伝えていました。そこで中国出身の学生が見せてくれたのが、ラックス・メディア・コレクティブの書籍の中国語版の画像で、海賊版のものでした。そう、物事は明らかに私たちが想像しているよりも早く動いていて、その原因のひとつが、人々は知的財産の障壁を必ずしも尊重することのないネットワークを使い、海賊版を手にしていることにあるわけです。そこで学生が投げてきたのが、「これ、読んだ方がいいですか?」という質問。私にとってはこの質問の方がより興味深く、この質問の根底には、こんなに簡単に手に入るものをわざわざ読む必要があるだろうかという前提があるのではないでしょうか。日本の美術大学に通う中国出身の若いアーティストが、ラックス・メディア・コレクティブの書籍の海賊版中国語訳をダウンロードして、読まなきゃいけないかどうか訊ねる、ここにはなにか美しいものがある。これは、他者に対する好奇心を表現することからずいぶんと進歩したことを示しています。彼女はこのリアリティを当然のものとして捉えています。これが彼女を取り巻く環境であって、それは特別なことでもエキゾチックなことでもない。ありふれたこと。彼女の意識のなかの私たちの存在の純粋な陳腐さこそが、私にとって、私たちが進歩している最大の徴です。

だから、私たちは残念な結末を迎えてしまった岡倉とタゴールのややこしい関係性を讃えるわけで、そこにはふたつの〈個〉、あの時代の非凡な両巨頭が互いに繋がろうとした超人的な努力が表れています。ただし、この繋がりたいという欲望はもはや欲望ではないということも覚えておきましょう。今、それは現実そのものです。コルカタの蒸し暑い夏の日に、岡倉が「アジアはひとつ」と書いたとき、彼はアジアがひとつではないことを知っていた。彼はそう切望した。しかし、私は「アジアはひとつ」と言う必要さえありません。もはや、それが一であれ多であれ、アジアや世界を数値化する必要はありません。そういうリアリティを生きているのだから。

これは未来派宣言にも言えることです。マリネッティは未来派宣言を自動車事故の後に書いています。彼は自動車事故の際にその速度に驚愕し、スピードと時間が決定的に変わったのだと実感した。彼は事故によって未来にアクセスすることができた。時間に対する他なる考え方に触れることができたのです。ただし、事故の原因は、車が1919年当時としては想像できないほどのスピード、時速25キロという驚異的なスピードで走っていたことでした。今日、世界は高速で動いているため、私たちはいかに時間を圧縮できるかを考えていますが、ビデオカメラのシャッタースピードを上げたときに起きるようなある種のスローモーションで自分たちが生活していることを忘れてはいけません。今や、距離とスピードは奇妙に反転しています。はるか遠くにあるように思えるものが近くに、近くにあるように思えるものが実はかなり遠くにある。こうした反転が現在の目眩いの一因です。

 


Revolutionary Forces (The Three Tasters) (2010), rotating platforms, custom built surfaces, apparel, script, two DVDs, two DVD players, monitors, actors.

 

ART iT その目眩いにどう対応するのでしょうか。そこにアンカーを下ろそうとするのか、それとも、その波に乗ろうとするのか。

SS 私たちが名前に選んだ「ラックス」という言葉には、渦巻き、回転、ムーブメントやキネシスといった運動における存在の革命的な形という意味が含まれています。矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、運動や速度もそれ自体が瞑想的な動きであるという考え方を示したいと思って、この言葉を選びました。瞑想は、感覚の減速や静止から生まれてくるものだと思われがちですが、その一方で、今日私たちが暮らす世界では、瞑想にふけるとき、動いていなければいけないと考えられています。たとえば、子どもの遊びのようにくるくる回ってみるとき、目が眩むのは動いているときではなく、動きを止めたときだということは誰ものが知っていますよね。自分が止まっても、感覚は回ったままで世界も回転し続ける。私たちは明確さ(clarity)の瞬間を掴もうとしている、いや、おそらく明確さというのは適当な言葉じゃない。私の好みではあるけど、ほかのふたりが好きな言葉ではないですね。「同期(in sync)」の瞬間と呼び直してみましょう。異なるリズム、平衡を保った加速を求める「同期」の瞬間。平衡は回転の力を通じて生まれますから。

 

ART iT あなたたちの作品には愛をテーマにしたものもありますね。あなたたちが取り組んでいるテーマのなかでも際立ったものだと思いますが、それは欲望や同時代性、あるいは「同期」について考えることに確実に関係しています。この傾向はどこから来ているのでしょうか。

SS ああ、それは私たちが年齢を重ね、中年になり感傷的になっているからでしょう。とはいえ、世界における愛の欠如を感じるとき、愛の不在を見て取るとき、人は世界や人生における欲望や愛の存在にもっと注意を払うのではないでしょうか。愛は革命の原動力だと思います。

 

シュッタブラタ・セングプタ インタビュー(3)

 


 

シュッタブラタ・セングプタ|Shuddhabrata Sengupta

1968年ニューデリー生まれ。92年にジャミア・ミリア・イスラミア大学マスコミュニケーション研究所を卒業。同年、モニカ・ナルーラ、ジベーシュ・バグチとともにRaqs Media Collective(ラックス・メディア・コレクティブ)を結成し、作品制作のみならず、書籍の編集や展覧会企画など、さまざまな活動を展開している。また、2001年には、理論家、研究者、アーティストなどとともに、南アジアの同時代の都市空間や文化を考察するためのプラットフォーム「Sarai」をデリーに共同設立した。Raqs Media Collectiveとして、マニフェスタ7(2008)や上海ビエンナーレ2016などのキュレーションを手がけ、ドクメンタ11(2002)をはじめ、3度のヴェネツィア・ビエンナーレ(2003、2005、2015)、マニフェスタ9(2012)、台北、リバプール、シドニー、イスタンブール、上海、サンパウロ、ベルリン、ミラノ、シンガポール、コチ・ムジリスなどの都市の国際展に参加。2014年にはデリーの国立近代美術ギャラリーで大規模個展『Untimely Calendar』を開催した。日本国内では、岐阜おおがきビエンナーレ2006や『チャロー!インディア:インド美術の新時代』に出品。2017年には、奥能登国際芸術祭に参加したほか、セングプタは東京藝術大学大学院 美術研究科グローバルアートプラクティス専攻の招聘で、公開講義「三角法:Raqs Media Collectiveの活動と思想」を行なった。
http://www.raqsmediacollective.net/

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