菅木志雄 インタビュー (2)


Limitless Situation (window) (1970), installation view at the National Museum of Modern Art, Kyoto. Courtesy Kishio Suga and Tomio Koyama Gallery, Tokyo.

認識 枠 行為 イベント 放置 占有

I. 認識・枠

ART iT まず、情報産業全盛の時代、つまり物事がほぼヴァーチャル化されつつある現在において、彫刻はどんな意味を持ち得るのだろうかというところから話を始めたいと思います。
菅さんが作品作りを始められた当時、例えば70年代初期に「観念ともの」との関係を考え始めるきっかけは何だったのでしょうか。

KS 僕はその当時から、イマジネーションとかイメージによって表現が出来上がることに少なからず違和感を覚えていました。その頃は、イメージという一種の幻想や虚構性、つまり、頭の中で考えた映像が中心となって、絵でも、彫刻でも、出来上がっていました。しかし、なぜ、ここにものがちゃんとあるのに、そのリアルなものを捨てて、頭の中に幻想を持つ必要があるのかと思っていました。従って、それ以後、イマジネーション、イメージという言葉は絶対に使わない、使いたくないものとなりました。リアルなもの、そこにあるものを何故リアルと感じて使わないのか。
概念という言葉や、観念、当時はコンセプチュアルと言っていましたが、そういった言葉も文章では使っていましたが、あまり好きではありません。そういった言葉の代わりに、「もの」というような一種の存在性を主に考えて言葉にしていました。「もの」と「もの」、人と「もの」がどのように接触しているのか。そういうことを考えれば、人間の側から見ると、観念性が成立するわけです。一方、観念性と同時に接触しているということは、ある種の関係性、つまり依存関係がある。片方がもう片方にずっと依存しているわけではなくて、双方に等質の依存関係があって「もの」は成立しているというのが僕の考えです。独立しているけれども、その独立性を保っているのは、なにかそれを支えているものがあるから。そういう考えが当時からありました。

ART iT ということは、菅さんのインスタレーションは状況をめぐって非表象的かつ非観念的であったということでしょうか。

KS そうです。今言った依存関係を支えているものは状態性であると同時に、もっと大きい状況だろうと考えています。状況というのは一枚岩ではなくて、いろんな状況が複数重なって全体の空間を作ってということが言えると思います。ひとつの状況を作るのに、Aがあり、違う状況を作るのにBがあり、また違う状況のためにCがあるというふうにして、それぞれ質感の違うものがある。それをまとめていくものが思考であると同時に行為であると言えます。

ART iT そういった非コンセプチュアルな作品を作る必然性はどこから生まれてきたのでしょうか。

KS 僕はアーティストですから、必然的に作ってしまいます。僕はそういう意味で、アートを離れて自分の生活があると考えたことは一度もありません。常にアートが朝から晩まで頭の中にあって、どういうふうに自分がものとの依存関係を保ち、どちらのリアリティも成立させるかについて考えています。また、ものがより大きくなり、空間的になる際に、空間と自分がどういう関係を持ち、お互いのリアルを出し得るかに興味を持っています。そういうことが楽しみであると同時に、それが僕の人生そのものです。

ART iT 今までの活動を振り返ると菅さんは「枠」ということに対して、自然に受け入れているように思えます。それは最初から外でインスタレーションやイベントをするなど「枠」の外に出ていた経験がある故に、逆に「枠」を受け入れやすかった、ということでしょうか。

KS 「枠」というのは、僕にとって、一種の縁や境界線のイメージです。人間の認識は一種の形態に対して強い。従って、まず形態を提示してから、それを壊す方向に行く。それを分解していく、という方法論をとります。だから、四角や円など単純なものしか使いません。そして、大きさや縁などを境界線としてまず最初に提示してしまう。そうしてみんなが認識したものを壊していくということを行なっています。何もないといったいどういうものを目指しているかわからないわけだよね。単純に認識に入ってきたものを分解していくことにより、みんなが意識しやすくなると思っています。

ART iT ところで、ギャラリーという枠が時代とともに変わってきたということがあります。例えば、70年代には貸し画廊というシステムがあって、それはアーティストに対して経済的な関わりもあったし、空間的な関わりもあった。そして、現在は、小山登美夫ギャラリーのような貸し画廊ではない企画ギャラリーで代表(リプリゼント)してくれる。そういった展示する場と作家との関係はアートにも影響を与えるでしょうか。

KS 影響を与えたと思います。最初の頃は貸し画廊での展示でした。つまり、お金を出して空間を買うという感じです。でも、それはたしかに買った空間だから、自分の好きなように出来ますが、だからといって、考えていることを全て全面的に出せるわけではありません。やはり第三者の目みたいなものがどの時代にも必要です。貸し画廊にきて、見る人は結構勝手なことを言ってました。当時は画廊へ行って論議するということがあり、土曜日などに行くとみんな集まっていてわいわいしゃべっていました。それを踏まえて次の機会には違うものを出したりと、互い影響をする議論が70年代は多かった。今はもうほとんどそういうことはないと聞いたので、どこで自分の考え方を研磨していくのかなという気がします。もちろん自分ひとりで磨けないことはないけれども、よほどでないと苦しい。ただ、僕はどちらかといえば、昔からあまり人にちょっかいを出されると嫌だから自分で鍛えることに慣れています。ものの見方、触り方などについて、また、それをどういう場所でどのようにするかと朝から晩まで考えていましたし、今でも考えています。

ART iT 当時、ときわ画廊でこういうことをやりたいと思って実現したとか、東京画廊で空間にふさわしいものを考え出すというように、各画廊の空間に応じて変化させていたのでしょうか。

KS 時代性はありますね。ものに対する興味や思考の向かう方向、そして、ある種の社会状況の中の傾向など。そういうことはやはり無視できないから考えます。70年代、80年代、90年代とみんな違う傾向があり、アートの世界においても違うものが次から次に出てくる。最初の頃はアンチ・フォーム、つまり形のないものがあったりして、80年代になって形はあるけれど、意識が先行したりする。90年代に入るとある種の模倣性が先行し、今度はオリジナリティがなくなってきます。アプロプリエーションです。それによりオリジナリティがだんだん評価されなくなる。これは僕にとっては時代の流れですから、それなりには認識します。でも、自分のやり方は保持します。ここは絶対にやりたいというところは譲れない。確かに時代の傾向をまったく無視しているわけではなく、ある意味で、場合によってはそれを応用したりします。でも、全部がそれによって支配されることはありません。自分の見ている世界、世界のリアリティというものがどうなっているか、いつの時代でも僕は見ています。多少は変わっても、根本はやっぱり変わっておらず、僕はそこに表現の基盤があると思います。いくら時代が変わり、表向きの記号と概念は変わっても、それを支える土台は変わりません。そして、アートいう表現は基本的に土台にくっついていて、出て成立するのです。なんにもないところにひとつの形式ができるわけです。

ART iT 菅さんはキャリアのかなり早い段階で海外でも活動されていました。少なくとも、1973年にパリ・ビエンナーレに出ています。海外に出ることによって、自分の考え方やものの見方に影響があったのでしょうか。

KS あったとは思います。やはり日本の中だけではわからないこともあります。例えば外国人は同じものでも別の形で扱っているのだなというような違いがわかりました。そういう意味での反作用みたいなことは外国に行かないとなかなかわからない。同じ事柄でも外国人はこう考えて、日本人はこう考えるということが具体的にわかりました。例えばパリ・ビエンナーレでも階段を使って「行為」をすると、非常に怒る。何を工事しているんだとか言うんですよ。そういうふうに認識の世界観が違うことがわかりました。

ART iT 菅さんの作品は文化的な文脈と繋がっていると言えるのでしょうか。

KS 繋がっていますね。一般的な「もの」は社会とか文化とかある種の日常の世界を形作っているため、必ずしもアートの「もの」としてあるわけではなく、人間が普通に関わるものとして存在しています。そういう「もの」をたまたま僕は使うと。彼らは、そういう使い方をするなよ、困るじゃないかと当然言ってきます。だから、その造形世界と日常のそういう人間の住んでいる世界の認識論みたいなものも全然違っているわけですよね。だから、それをどうこうするのではなくて、その違いを明確にしていくことによって、その差異を論理化していくということがアートのひとつの主題です。そうすることによって、いろんな認識を拡げていけるわけですよね。普通の人もアーティストも。

ART iT そうした考え方はパリに行く前からすでにお持ちでしたか。

KS そうですね。もの派の考え方は「もの」のリアリティ、アイデンティティについて考え始めた時から持っていました。アーティストはメディアではなくて、「もの」自体をもっと素直に見て、それは何かというところから始めるべきだというのが、もの派のアプローチです。そのときから、ものの在り方を通して、その先端の方にいったい何があるかなということはアーティストだけではなくて、いろんな不特定多数の人間にとって、重要な課題でした。日本人に共通した思考性があるかもしれない。そして同じようにフランス人同士にも、イギリス人同士にも共通したものがあるかもしれない。そういう人間の違いみたいなものも当然入ってきます。特に当時は外国に行って、力を完全に出し切れるかというのはなかなか難しかったです。お互いにいったい何を考えているのかわからないからです。僕がいいなあと思ってやっても、ものへの近づき方、アプローチが違うわけですから、全然わかってもらえませんでした。

ART iT パリでの展示の際、使用した鉄パイプや石ころは「もの」のアイデンティティ自体が日本と違ってくるのでしょうか。それともそれらを配置する行為性が日本と違うのでしょうか。

KS 全部違います。具体的な「もの」に対する考え方も違えば、それがどこに放置されたのかも彼らにとっては意味が違う。ましてや階段に鉄パイプがあったら、なんだこれ?となるわけです。そういう違いをいちいち検証して、出来上がっていくのです。あえて彼らと同じことをせずに、違うことをすることによって、それぞれが違う世界の在り方を知るに至るのです。そこに造形の役割というのがあります。少なくとも、今までなかった認識を多少なりとも拡げるという意味があるのです。社会的な意味性が変わらないというのはありえない。70年代と今では全然違いますからね。そういうものをひとつひとつ変えていく土台にアートは存在している。そこにアーティストは存在しているのです。

ART iT 以前、菅さんがヴェネツィア・ビエンナーレに参加した際に、どういうものが求められているかというのがわかったとおしゃっていました。今回もロサンゼルスに行って、自分がやりたいことに対し、鑑賞者はこれが見たいとわかっている場合もあるのではないでしょうか。そういう場合、自分が作りたいものを追求するのか、それとも応じていくのか。場所に応じてどのように展開していくのでしょうか。

KS アートそのものは人にとやかく言われて出来るようなものではなくて、どんなに小さなものでも、自分がなにかをしないと出来ない。外国の場合に多いですが、ここをこういうふうに使ってはいけないとか、こうやれとか、いくらでも規制があります。そういう外部からの一種の断りが即、造形理念に反映してくることはあります。でも、そのマイナスの部分を自分の造形の中で有利に使わないと、造形はできません。そういう考えがないと造形、表現はできない。だから、どんな変な場所でも、どんなものを使っても僕は出来ます。アーティストは常に思考をしているので、それぐらいの訓練をしています。今回もロサンゼルスで大木を使いました。あまった角材を一日で作品化して建てました。そういうふうにどんなものでも使うのです。

II. 行為・イベント

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第17号 彫刻

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