ものを建てる、関係を築く
インタビュー / 日埜直彦
All Images: MOMAT Pavilion designed and built by Studio Mumbai at The National Museum of Modern Art, Tokyo 2012.8.26 – 2013.1.14. Photo: Masumi Kawamura
日埜直彦(以下、NH) あなたの建築はインドのローカルな状況とグローバルな文脈との間を行き来しています。最初に西洋的な文脈における建築との出会いについて教えてもらえますか。その出会いはあなたの建築家としてのこれまでの旅の中で重要なものでしょうか。
ビジョイ・ジェイン(以下、BJ) 今日の建築の正規教育という点では、日本であれ、インドであれ、ほかのどの地域であれ、基本的に近代における建築を学び、それが建築への導入の基本になっているでしょう。私の場合、アメリカ合衆国(セントルイス、ワシントン大学)へ留学することで、そうしたものがより強化されましたが、モダニズムに触れた後、インドへと戻ってきても、依然としてローカルな建築やインフォーマルと呼ばれるようなものに魅力を感じていました。それらは伝統的な様式というよりも、むしろセルフビルドの実践から生まれたものです。ふたつのタイプの建築が同時に存在していることが魅力的でした。一方で、私は近代建築を享受し、惹かれてもいたので、これまで自分がやってきたこと、学んできたことへのこだわりを捨て去ることは無理でした。このようにして私の建築家としての旅は始まったのです。
ちょうどその頃に小さな住宅を建てる依頼を受けました。かなり辺鄙なところだったので、大工や石工、そのほかの仕事を地元の人々に頼らざるを得ませんでした。図面を描いてみても、彼らはそれを理解しないし、それどころか私達が取り組んでいるプロジェクトがどういった種類のものといったことさえ理解されなかったのです。そこで、私は設計の途中で彼らに会うことに決めました。もともとの計画の基本的な考え方を残しつつ、それをもっと彼らにとって身近なやり方で伝え、そこから彼らとの恊働が始まりました。
とはいえ、これはまったく意図しなかったもので、これがグローバルなものとローカルなものとを繋ぐと意識して考えたわけではなかったのです。伝統や歴史を懐かしんではいません。私にとって重要なのは、彼らがそこでやっていることの可能性やそこに育まれている精神です。彼らと私の差異よりもその重なるところに興味があり、そのようにしてなにかほかのものになることが重要なのであって、近代とか伝統とかいうことは問題ではなく、その起源は曖昧なものです。
NH その一方で、TOTOギャラリー・間(東京)の展覧会では、伝統的と思われる素材や過去のそうしたものから由来する素材が並べられ、まるでそれらを過去から現在へと掘り起こしたかのようでした。そのような関心はどこから来ているのでしょうか。
BJ 今でも私たちにとってあのような素材は調達可能です。アルミニウムよりも石材を調達する方が簡単で安いのです。単純に便利なのか不便なのか、もしくは実現可能性の問題です。もちろん、アルミニウムや今日馴染みのある素材を扱うこともできます。それらは社会システムの一部で、それを責任を持って扱っている人もいますから。とはいえ、私が石材や木材を選ぶのを邪魔するものは何もないわけです。その場合は私がその責任を負うというだけのこと。そこには責任の所在に違いがあります。
8/22 The first day of the construction at MOMAT
NH この責任という感覚はいっしょに働く人々や使用するものにどのように影響するのでしょうか。
BJ 責任とは自分自身で負うものであり、誰かが責任を負っているかどうかとそれは関係ありません。石材や木材といった素材には可能性があります。そういう素材に出会うためにいろいろな人々を集め、そうしてはじめて作ることが出来るものです。
システムに依存する必要はありません。システムからの独立、それは音楽や詩のように自分自身を表現できることを意味しています。それこそが私たちが潜在的に持っているものなのです。それが新しいとか古いとかいうことはまったく考えません。木材が使いたければ、それが経済的かつ調達可能な規模であり、それを生かすことが出来る条件が整っていることが必要です。そうであれば値段が高くつきすぎるということはないものです。いかなる規模にも挑戦しなければいけません。ときに先入観にとらわれたり思い違いをしたりして正しい選択が見えなくなることもあるでしょう。しかししばしば、とりわけ今日では、かつて試みられたことのないこと、耳慣れないことに挑戦する必要があり、それをうまくやってのけられるという自信をもたねばなりません。そうした可能性を確信していることがある意味で非現実的で非実用的に聞こえるのだとしたら、そうした可能性への信念を我々が失ってしまっただけなのだと思います。
NH あなたは恊働する人々とインドに根付くなんらかの空間的語彙を共有していると推測しますが、それはそういうことでしょうか。
BJ イエス&ノーです。数時間前に起きたことを例にあげましょう。先程、あきる野市に織物工房を持つクライアントを訪ねてきました。時間があったので禅寺を見て回ることにしたのですが、そのときに今回私といっしょに来日した大工がその屋根を見て、「まるで鳥の翼のようだ」と言ったのです。彼はそれを屋根とは呼ばず、屋根という単語すら使いませんでした。彼にとってそれは鳥の翼で、これこそが彼の内に呼び起こされたものです。
イエスであり、ノーであると言ったのは、このような感情もしくは喚起は普遍的なものだからです。それは日本的であり、インド的でもあり、私たちを繋ぐものなのでしょう。私はただそれを屋根として見て、鳥の翼とは思わなかった。これは私にとって学びの体験でした。この体験は私と彼のものの見方の違い、私が受けた建築の正規教育と彼の日常的な経験からの視点の違いを示しているのだと思います。長い間このことについて考えています。どちらがどうということではなく、両方必要で、それこそが私たちをなんらかの形で結びつけるものなのでしょう。ふたつのものがいっしょになるのです。
特別寄稿 ムンバイについて 文/日埜直彦
ビジョイ・ジェイン インタビュー
ものを建てる、関係を築く
Part I | Part II|Part III
特別寄稿 スタジオ・ムンバイについて 文/日埜直彦