シュッタブラタ・セングプタ インタビュー(エピローグ)

私のうちにあって緯度は拡がり
インタビュー / アンドリュー・マークル
I. II. III.


Still from The Capital of Accumulation (2010), two synchronized video projections with sound, 50 min; two books in vitrines. All images: Courtesy Raqs Media Collective.

エピローグ

ART iT あなたの考え方にはマルクス主義の強い影響が感じられます。若い頃にはローザ・ルクセンブルクの読書会に参加していますし、その経験は「The Capital of Accumulation」(2010)にも落とし込まれています。その一方で、マルクス主義はインドで独自の発展を遂げました。マルクス主義との関わりについて教えてもらえますか。

SS 今年(2017年)は第1巻刊行150周年ということで、『資本論』全3部を読み直していましたが、あまりにも同時代的で驚きました。おそらく、20年前に読んだときよりもよっぽど同時代的なものに感じました。あの頃、マルクス主義はどこか時代遅れだと思われていましたが、現在、時代遅れには思えない。20年前にマルクス主義者を自称していたものとして、そう思います。自分が今、マルクス主義者なのかどうかよくわかりません。かつて、マルクスの分析がどこか少し遠い、19世紀のリアリティを記述しているようで、その思想を理解するのに苦労しましたが、今日、彼の分析は時代を言い当てているような気がします。

私たちはのちにブッダとなるゴータマ・シッダールタという歴史的人物が実在したかどうかわかりませんが、カール・マルクスという歴史的人物が実在したことはもちろん知っている。しかし、ここではシッダールタが存在したとして考えてみましょう。彼が残した言葉はあまりにも優れていて、まるで昨日語られたかのように感じられます。あらゆる哲学体系が「世界はどこか別のところにあり、あれもこれも現実ではない」と告げるインドという文脈において、ブッダは「あなたが病気でお腹が痛くなったとき、その苦痛は現実のものです」と告げました。「苦」は実在する、それは幻想ではない、と。数多の哲学者が人々の気を紛らわそうと、死や苦しみ、痛みを実在しないと説いてきたことを、ブッダは完全に覆しました。ブッダが人間の意識にもたらした唯一最大の貢献は、人々のリアリティを強く主張したことです。「苦」は実在する、ではどうするか。マルクス、そして、少なくともマルクス主義の変革のための遺産を考えるとき、そこには数々の闇や拒絶すべきものもありますが、その思想の核は、この世界に価値の生産というものがあるということ。誰もが生産し、生産によって世界を維持し、そして、世界の生産を通じて、お互いに交渉可能なものを理解する。それはつまり、20ヤードのリネンと一脚の木製の椅子とがいかに等価値になりうるかということ。『資本論』はそう要約することができます。生産物を介した抽象的なものがあり、それが人間労働力の発達、人間労働ではなく人間労働力。この労働力をどのように利用するのかが、この時代の最重要な問いのひとつではないでしょうか。

実際、私にとって、この時代における、そしておそらく過去においても最も重要な問いから生じた要点が4つあります。「私たちの身体は時間のたまもので、生命の多様性との関係を表している」というのが、ダーウィン。「眠っているときに私たちの内部で目覚め、ほかなる可能性に気づかせるものがある」といのが、フロイト。「この世界には苦がある」というのが、ブッダ。「物が生産され、破壊される。この生産と破壊は交換を可能にする接着剤のようなものである。私たちはこれを生産的なものにすることもできるし、これによって自分たちを破壊することもできる」というのが、マルクス。私の頭のなかには、この4つにイスラム教の伝統に由来する団結、ユダヤ教やキリスト教の恩寵と贖罪を加えた6つがあり、私たちは人生を通じでこれら6つとか7つのものに取り組んでいるのです。そして、そこにあらゆるものの混沌が生じるチャンスがある。とはいえ、私にとって、マルクスやマルクス主義はほかのあらゆるものへとつながる路です。この世界の生産について考えられるなら、あとはどうにかなるでしょう。


Still from The Capital of Accumulation (2010), two synchronized video projections with sound, 50 min; two books in vitrines.

ART iT マルクス主義の落とし穴は、その思想が科学だと勘違いされたため、信望者が自分の倫理のすべてをその「客観的な方法論」に委ねてしまいがちだということにあります。

SS しかし、それはあらゆるものに当てはまりませんか。歴史上、最も暴力的な体制であるモンゴル帝国は、自己の科学へと還元可能だったために、仏教を真摯に受けて止めていました。そのモンゴル帝国が、いまでは愛を説く柔和な人物として知られるダライ・ラマという制度をつくりだしたということを、私たちは忘れていますし、チベットのラマ教や仏教が歴史において、強大な軍事拡張政策の中心的なイデオロギーだったことはほとんど知られていません。それはモンゴル帝国(汗国)で心理学が高度に発達する非常に大きな要因となりました。

ですから、マルクス主義がグーラグ(旧ソ連の強制労働収容所)を生み出したと考えると、仏教はモンゴル帝国を生み出したと考えることができる。だからといって、そこまで責められるべきではなく、私たちがそれらをどのように理解し、位置づけるかによるのではないでしょうか。スターリン主義や毛沢東主義の歴史的な経緯を踏まえずに、自らをマルクス主義者だと名乗るのは、マルクス主義に対するとてつもない不正義を働くことになるし、今日、グーラグで起こったことに関心を持たずにマルクス主義者を名乗るのは無責任です。事実、私にとって、今日、倫理的にマルクス主義者であるためには、なぜマルクス主義がグーラグに至ったのかに対する説明責任を負う以外にはありません。そうでなければ、誰もそれを本気にせず、一次的なものに過ぎないと思われるでしょう。それは、あなたがカソリックなら、宗教裁判のことを考えなければならないのと同じことです。カソリックがなければ、反ユダヤ主義も存在しなかったということも考えなければなりません。ただ、それでも私はカソリックを真摯に受け止めています。


Revoltage (2010), text sculpture with light bulbs and electricity, three pieces.

ART iT 私たちは未だに資本主義がしてきたことを適切に語ることができませんね。

SS 私は資本主義を真面目に受け取っていないので、資本家に対して倫理的な責任を持つべきだと問うことはありません。ただ、あなたの言う通り、私たちは適切な語り方を手にしていませんね。

シュッタブラタ・セングプタ|Shuddhabrata Sengupta
1968年ニューデリー生まれ。92年にジャミア・ミリア・イスラミア大学マスコミュニケーション研究所を卒業。同年、モニカ・ナルーラ、ジベーシュ・バグチとともにRaqs Media Collective(ラックス・メディア・コレクティブ)を結成し、作品制作のみならず、書籍の編集や展覧会企画など、さまざまな活動を展開している。また、2001年には、理論家、研究者、アーティストなどとともに、南アジアの同時代の都市空間や文化を考察するためのプラットフォーム「Sarai」をデリーに共同設立した。Raqs Media Collectiveとして、マニフェスタ7(2008)や上海ビエンナーレ2016などのキュレーションを手がけ、ドクメンタ11(2002)をはじめ、3度のヴェネツィア・ビエンナーレ(2003、2005、2015)、マニフェスタ9(2012)、台北、リバプール、シドニー、イスタンブール、上海、サンパウロ、ベルリン、ミラノ、シンガポール、コチ・ムジリスなどの都市の国際展に参加。2015年にはデリーの国立近代美術ギャラリーで大規模個展『Untimely Calendar』を開催した。日本国内では、岐阜おおがきビエンナーレ2006や『チャロー!インディア:インド美術の新時代』に出品。2017年には、奥能登国際芸術祭に参加したほか、セングプタは東京藝術大学大学院 美術研究科グローバルアートプラクティス専攻の招聘で、公開講義「三角法:Raqs Media Collectiveの活動と思想」を行なった。
http://www.raqsmediacollective.net/

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