アンドレアス・グルスキー インタビュー

拡大のヴァンテージ・ポイント
インタビュー / アンドリュー・マークル


99 cent (1999) © Andreas Gursky / JASPAR 2013. Courtesy Sprüth Magers Berlin London

ART iT あなたのほとんどの写真作品は、あるひとつの場面に対する多角的な遠近感を合成し、デジタル加工を施しています。そのような作品がもたらす世界の拡大図はひとつの解釈といえるでしょう。このような考え方を前提としたとき、あなたは写真における現実と表象、客観性と技巧との伝統的な乖離をどのように考えていますか。また、あなたの作品は西洋美術における遠近法のイデオロギーを補強していますか。それとも、破壊していると考えていますか。

アンドレアス・グルスキー(以下、AG) 私の作品は非常に現実的であり、合成されているとはいえ、すべてが想像上のものというわけではありません。それは、例えば「バーレーン I」(2005)に見ることができます。バーレーンのサーキットはコンクリートで舗装され、レース毎に新たに塗り直されます。そのため、トラックの部分がとても奇妙に見えます。これは私の想像力の産物というよりも、むしろ現実に起因します。しかし、画像自体はモンタージュでもあり、構図上の理由からいくつか修正もしています。この作品では遠近感が増大し、地面は急角度で傾いて、抽象的なパターンが形作られていますが、地平線や空も写っています。このような構造は、私の作品の多くに見られます。加えて、「シカゴ証券取引所 II」(1999)や「タイムズ・スクエア」(1997)では中心投影画法を、「バンコク」シリーズやそれ以前の無題のいくつかの作品のみ、遠近法的構造ではなく、抽象を使っています。

ART iT 中国山水画を連想させる「クラウゼン峠」(1984)や「ケーブルカー、ドロミーティ」(1987)のような作品は、自然環境と人間の大きさの対比が印象的ですが、そのような感性は「カミオカンデ」(2007)のような建造物を撮影した作品にも適用されています。作品の構成において、人間と自然、人間と建造物の関係性をどのように考えているのでしょうか。

AG 「クラウゼン峠」は1984年にスイスアルプスで撮影したもので、最初は気に入っていなかったのですが、最後には目に留まったものです。事実上、旅行中に偶然捉えたもので、半年ほど経って現像してみると、撮影時には見えていなかったものが写っていました。そこには目に焼き付くような山の風景と、その山腹に散らばった非常に小さな登山客が写っています。この登山客が風景に馴染んでいる様が、非現実的かつ異様で構図も非常にバランスが取れています。それ以来、社会的に構築された環境における人々ということについて考えるようになりました。


Kamiokande (2007) © Andreas Gursky / JASPAR 2013. Courtesy Sprüth Magers Berlin London

ART iT あなたは以前、メディア上のイメージを素材にアーカイブを作成し、自身の作品を準備する際の参考やリサーチにしているとおっしゃっていましたが、具体的な対象をどのように決定し、何をそのリサーチ過程に取り込むのかについて教えていただけませんか。ほとんど演劇的に人物が配置されている「F1 ピットストップ」(2007)と、チャオプラヤー川を抽象的な視点で撮影した「バンコク」(2011)、これらは共に同じリサーチ過程から生まれたものなのでしょうか。あなた自身が世界各地の撮影場所を移動していくように、アプローチや遠近法も変化していくのでしょうか。

AG モチーフはほぼ毎回、視覚的体験に基づいています。大抵は印刷媒体で見つけた画像を忘備録として集めたり、興味がわいたものをインターネットから印刷します。それから、そのモチーフが適切かどうか、作品にする価値があるかどうかを検討しながら、熟慮していく過程が続きます。それからようやく制作をはじめ、常に多大な技術的努力を払ってモチーフを撮影し、自分自身のものにしていくのです。
こうした制作過程について、「バンコク」シリーズがどのように生まれたのか説明してみましょう。もともとは別のアイディアがあって、バンコクに興味がありました。結果的にそれは実現できず、それでも帰国のフライトまでは二日間残っていたので、物思いに沈みながら、桟橋から川の流れを見ていました。そのとき、その川がドイツのライン川やルール川とは全く違って見えることに気がついたのです。それは水上の交通機関が原因で、チャオプラヤー川には油分がたくさん含まれていて、それ故にそこに反射しているあらゆるものが非常に抽象的に見えたということに関係しています。この抽象に強く興味を惹かれ、その二ヶ月後にバンコクに再訪し、その川の流れを一週間見つめてみようと決心しました。こうしてこのシリーズは生まれたのです。
この写真にはバンコクの空を見ることができますが、川の汚染も可視化されています。詳細に見ていけば、ホテイアオイ(別名:ウォーターヒヤシンス)や使い捨ての容器、コンドームが水面に浮かんでいるのがわかります。私はチャオプラヤー川をあるがままに見せているわけで、上辺を取り繕おうとはしていません。しかし、殺風景な作品を制作しているわけでもありません。興味があるのは、これらの作品が美と誘惑を同時に描き出しているだけでなく、世界の河川における地球規模の汚染を強調しているところです。

ART iT 今日、ノートパソコンやタブレット、スマートフォンの普及により、スクリーンを持つメディアが現代生活のかなりの部分を占めていて、スクリーン自体もどんどん小さくなる傾向にあります。現在のこうしたメディア環境について、どう考えていますか。また、このような変化は、写真を通して何が表現可能かということに対するあなた自身の考え方に影響を与えているのでしょうか。

AG もちろん、そのような変化から逃れられませんし、逃れたいと思っているわけでもありません。私も作品のために、コンピュータ、タブレット、スマートフォン、デジタルカメラを使っていますし、ちなみにそれらはどんどん小さく、便利になっています。そうしたあらゆるものによって、作品制作も以前よりやりやすくなり、数年前ですら考えられなかった選択肢も現れてきました。最高の質と耐久性を確保するために、作品には常に最新の技術を取り入れようと努めています。同時に、アナログ写真に対する考えも失ってはいません。そこには独特の魅力があり、いずれそれを使うのに適したプロジェクトに出会うかもしれませんから。

アンドレアス・グルスキー|Andreas Gursky
1955年ライプツィヒ生まれ。先端技術産業やグローバル市場や観光など、資本主義社会を象徴する場所を、デジタル技術を取り入れた独特な画面構成で表現した巨大な写真作品で知られる。エッセンのフォルクヴァング芸術大学を経て、1980年にデュッセルドルフ芸術大学に入学。ベルント・ベッヒャーに師事する。90年代以降、カンディダ・ヘーファー、トーマス・シュトルート、トーマス・ルフらとともに、デュッセルドルフ・スクールと称される現代写真のひとつの潮流を代表する写真家として世界各地で作品を発表している。
これまでに、2001年にポンピドゥー・センター、国立ソフィア王妃芸術センター、ニューヨーク近代美術館を巡回した個展をはじめ、ハウス・デア・クンストやフランクフルト近代美術館、ストックホルム近代美術館などで個展を開催し、ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展(2004年)やサンパウロ・ビエンナーレ(2002年)といった国際展に参加しているほか、日本国内では、2005年から2006年にかけて、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館を巡回した『ドイツ写真の現在—かわりゆく「現実」と向かいあうために』に出品している。
現在、日本初個展を国立新美術館で開催(2013年7月3日-9月16日)、来年は国立国際美術館(2014年2月1日-5月11日)に巡回する。

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