11:古屋誠一:開かれたメモワール(II)

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『Christine Furuya-Gössler Mémoires 1978-1985』(1997)は、絶対的な特異点となった「クリスティーネ」の写真を、知り合った時点から死の時点まで時間系列に沿って編集し、それぞれの写真に古屋が簡単な解説を添えたものである。特異点の効果によって時の流れから外れていた(”the time is out of joint (*1)”= aus den Fugen)写真群を、リニアな時間経過のなかへもう一度「嵌めこんだ(einfügen)」ということだ。さらに9年後の『Mémoires 1983』(2006)は、クリスティーネが精神を病みはじめた年、すなわち自死という特異点が形成されてくる起源となった年、1983年を、彼女の日記とともに、やはり時系列に沿って再構成した。2冊は対象をクリスティーネに限定して、時間軸を一つに、さらには期間も一年間に絞り込んだもっとも求心的な写真集となるはずであった。が、特異点とその起源を求める求心的な行為によって古屋が発見したものは「ある延び拡がった持続」、つまり写真の本質的な遠心性であったように思われる。「不思議なもので写真と記録文書を同時に見読すると、撮影前後の状況が動く映像となってはっきりと再現された。もし写真がなかったら絶対に思い出せなかったであろう過去が突如として現れる (*2)」。写真とは、本質的に横滑りするものなのだ。

『Christine Furuya-Gössler Mémoires 1978-1985』を開けば、基本的にそこには、初々しい女子学生、新婚旅行の新妻、母親、女優志願のモデル、神経質な女、病気の女、やつれた女、寂しげな女としての…そして最後に遺影としての「クリスティーネ」が、すなわち一人の女性の人生のドキュメントが見出される。しかしそれと同時に、入れ替わり立ち替わり現れる日本人訪問客との記念写真や、クリスティーネと歓談する数多の写真界の著名人(John Szarkowski, Nathan Lyons, Allan Porter, 森山大道ら)を発見し、古屋のコメントを読み進むにつれ、いつのまにかドキュメントは反転して、クリスティーネの写真は、初々しい若い女、新婚旅行で嬉しそうな女、子供を抱く母親、ポーズをつけるモデル、神経質な女、病気の女、やつれた女、寂しげな女、夫をサポートする写真関係の女…の写真へ分解し、さらに当時のファッション、当時の写真界、当時ヨーロッパに棲息した日本人たち、ウィーン近郊のお馴染みの観光地などが生み出す、時代の空気感の中へと拡散していくのである。それに加えて『Mémoires 1983』(2006)を見ながら、日記という形でクリスティーネの肉声を読むとき、そこには、夫は仕事で超多忙、反抗期の息子は祖母に囲い込まれて、自分が孤独でネグレクトされているという感情に苦しむ女性がおり、自立したいと思いながら果たせない主婦のストレスがある。つまり(その悲劇的結末を考えればとうてい口に出せはしないが)よくある話なのである。クリスティーネは、屹立する単一的存在から、ある一定の世界と時代のなかの複数の存在へとほどけていった。まさに「被写体は、もはや単体のもの(simple)ではなく複合的なものとして現れるようになり、あの時あの場所の内部にさまざまな下位の出来事が形成され、いろいろな細部とミクロな変容が現れて」きたわけである。

見る者を突き刺す特異点としてあった「クリスティーネ」を、まさにクリスティーネに絞り込むことによって複合的な時空間へとほぐすことの出来た古屋が、最初の『Mémoires 1978-1988』(1989)を読み直し、作り直した写真集が、2010年の『Mémoires 1984-1987』である。決して忘れえぬあの日あの時を、写真の遠心性・横断性によって再構成すること、それは近代写真の本質としての特異点を脱構築する作業でもあった。


Potsdam, October 6, 1985 – Falkenberger Chaussee 13/502, Berlin-Ost, October 7, 1985


Potsdam, October 6, 1985 – Falkenberger Chaussee 13/502, Berlin-Ost, October 7, 1985 (detail)

「1978-1988」とは、作家がクリスティーネと知り合ってから、彼女の自死を経てはじめての写真集を編む時点までの時間である。特異点の出現によって、その前後のあらゆる事象—−互いに無関係なモチーフの写真群—−が、もともとの文脈から外れ、来るべき最後の耐え難いあの瞬間=1985年10月7日へ向かって、その予兆として、残響として、求心的に積み重ねられ結びつけられていくさまが、一曲の音楽作品のように編集されている。そのフィナーレは、一枚のコンタクトシートである。窓際に揃えられたサンダル、見下ろせば芝生の上にクリスティーネがうつ伏せに横たわっている、この衝撃的な一コマを一枚の写真にすることはありえなかった。それには感情的な理由もあったはずだが、なによりもまず、この写真集の目的が、特異点の出現とそれによる写真の変質、すなわち近代写真を「見る」ということの本質をなぞることにあったからだ。悲劇のヒロインの物語を、傍流から語り始めラストのクライマックスへと歌い上げる、といった真似は避けねばならなかった。

他方「1984-1987」とは、古屋一家が東ドイツに滞在していた期間である。「複合的なもの」「下位の出来事」として古屋は「東ドイツ(ドレスデン、東ベルリン)」を見出した。それは、前書でフィナーレを形成していたコンタクトシートそれ自体の内部に撮されていた、東ベルリンの光景に他ならない。つまり「唯一の、最初で最後の撮影の時間が、すでにある異質な時を含」んでいたのであり、「異質な時」とは東ドイツという時空間なのであった。事実、10月7日はドイツ民主共和国の建国記念日であり、街はパレードで賑わっていた。「パレードのお陰で救急車も警察も電話をしてから1時間以上経ってから来た (*3)」。クリスティーネが死を選んだあの日あの時という特異点のなかをくぐり抜けることで、古屋は「点」を「1984-1987」という持続へとおし拡げ、まさに「クリスティーネ」を通路として、東ドイツ(ドレスデンと東ベルリン)という時空間へと出たのである。

これらのスナップショットのなかに、我々は共産主義社会の「楽しみと日々」を見出す。それは、東西統一をテーマとした最近のドイツ映画に好んで登場する、ステレオタイプ化された「過去」の「東ドイツ」とは異なる。なるほどベルリンの壁は崩壊し、以降20年間に東西ドイツ人の心理的隔壁もなくなりつつあるだろう、しかし、「東ベルリン」そのものは決して過ぎ去りはしない。たとえば古屋夫妻が住んでいたファルケンベルガー・ショセー(アレクサンダー広場から路面電車で30分くらいの高層住宅街)の建物群は基本的にそのままである。古屋の東ベルリン写真は、かつての住人たちに「オスタルギー (*4)」 ではなく、いまだに潜在する風景として衝撃を与えるはずだ。


上2点とも:East Berlin 1986

メモワール・シリーズは開かれた。あらゆる写真がクリスティーネに結びつけられた事態は25年をかけて反転し、古屋はクリスティーネを通じてあらゆる写真へと出て行けるようになった。とは言え、まだその写真が展開する方向の大部分は、すでに存在しない閉鎖世界である。古屋誠一の写真がよりいっそう現在と未来の方向へと開かれる時、クリスティーネは本当の出口となって、彼の写真を多方向へ分岐させていくだろう。そのことは、部分的ながらこの写真集にはっきりと見て取れる。オーソドックスなスナップシューターとしての眼を如実に示す優れた写真群(葬儀屋の隣の肉屋、食い込むハイレグ水着や筋肉マンのビキニなど妙に明るいエロス、落書きのないベルリンの壁…)、単なる脱力家族写真、多重露光、中景に浅いピントを合わせた風景、適度なリズムで再帰し交響するモチーフ群(食卓の静物、植物、ミレー、キリスト教)、写真史からの引用(ウォーカー・エヴァンス)、そしてこれらを自然に重なり合わせるレイアウト配分 (*5)は、この写真集を繰る者に豊かな写真的経験をもたらしてくれる 。


上2点とも:East Berlin 1987

・古屋誠一 メモワールシリーズ
『Mémoires 1978-1988』(1989)
『Mémoires 1995』(1995)
『Christine Furuya-Gössler Mémoires 1978-1985』(1997)
『Mémoires 1983』(2006)
『Mémoires 1984-1987』(2010)

  1. 『ハムレット』1幕5場188行。個展『アウス・デン・フーゲン』(ヴァンジ彫刻庭園美術館、2010年)の元となった言葉。

  2. 『Christine Furuya-Gössler Mémoires 1978-1985』作者の序文(強調は著者による)。光琳社出版、1997年。

  3. 『Christine Furuya-Gössler Mémoires 1978-1985』、作者のあとがき「Adieu-Wiedersehen」より。

  4. Ostalgie=Ost(東)+Nostalgie(ノスタルジー)の造語。旧東ドイツのダササを懐かしむ流行。東ドイツデザインの、チープで可愛らしいプラスチック製品など。

  5. 古屋誠一のレイアウト(とくに余白の取り方、見開き、縦位置、横位置のリズム)、過去と現在の自作品を区別せず同居させ、中心となるモチーフに一見脈絡のない食卓の静物や日常の断片を織り交ぜる編集法、一枚の写真から複数の写真へスライドしていくという単数=複数的な本質は、愛した者の死が重要な契機になっていることも合わせて、ヴォルフガング・ティルマンスを連想させる。ティルマンスにおいて、写真は映像自体や被写体の表層的エロス的な等価性によって他の写真へと連続していく(清水穣「ヴォルフガング・ティルマンス—等価性の芸術」『写真と日々』所収、現代思潮新社、2006年 ; Minoru Shimizu, The Art of Equivalence in Wolfgang Tillmans Truth Study Center, Taschen, 2005参照)。が、古屋誠一の場合、それとは異なり写真から写真への移行はあくまでも「クリスティーネ」という個人のなかを通ることで遂行される。クリスティーネは、いわば写真の壺中天である。

  6. メモワール・シリーズを締めくくるに相応しい写真集である本書の、かなり残念な玉に瑕(きず)は、アイナー・シュレーフのテキストの翻訳がまことに拙いことである。二つほど例を挙げる。

    Die Porträts schwimmen. Die Porträtierten grüßen ihr jugendliches Gesicht, das ihnen aus dem Strom entgegenschwappt, der sich zwischen den Häuserfronten durchwälzt. Ein anrückendes Hochwasser, dessen Existenz nicht verheimlicht wird. Die Fahnenbegleitung.

    「肖像写真が泳いでいる。写真の被写体たちが、自分たちの若々しい顔に挨拶する。家並みの間をゆく流れから、音を立てて彼らの方にこぼれてくるものに向けて。押し寄せる洪水、その存在は隠すことが出来ない。旗がついてゆく。」

    訳者が意味を取り損ねているから、日本語としても意味をなしていない。これは、建国記念日のパレード(所収写真を見ればわかるように、人々は共産主義や共産党の著名人の巨大な肖像プラカードや、国旗を掲げて行進する)の人波に逆らって、救急車に乗せられたクリスティーネ(の遺体)が進んでいく場面の描写である。「ihr」は「Gesicht」が単数形であることからしても当然「彼女の」。本文中wasはdasの誤植であろう。隠れもなく押し寄せる洪水=群衆とは、4年後に起こるベルリンの壁崩壊を作者が幻視していると思われる。
    「肖像写真が浮かんでいる。写真の肖像たちが彼女の若々しい顔に挨拶を送る。彼女は人の波に逆らって進み、その人波は家並みのあいだを怒濤のように流れていく。押し寄せる洪水、その存在は隠すことが出来ない。旗がついてゆく。」

    シュレーフの凝った散文はたしかに難解かもしれないが、本文以外のドイツ語理解にも疑問が残る。

    Erstveröffentlichung 2002 im Begleitheft zur Ausstellung Einar Schleef – Schwarz Rot Gold / Glaube Liebe Hoffnung der Kestner Gesellschaft Hannover. Schleefs Text wird hier erstmals in dem Zusammenhang abgedruckt, in dem und für den er ursprünglich entstanden ist.

    「ハノーファー・ケストナー協会主催『アイナー・シュレーフ展 — 黒・赤・金/信仰・愛・希望』(2002年)のプログラムノート所収。この文章は成立時の経緯との関連では、本書によって初出となる。」

    誤訳ではないだろうが、意味の伝わらない訳文である。要するに、初出はアイナー・シュレーフ展のパンフレットだが、もともとこのテキストは古屋誠一「メモワール」の為に書かれたものなので、本書においてはじめて正しい場所を得て印刷された、ということ。
    これは一般にドイツ語力の問題であって、このような意味不明の翻訳を許した作家本人にも責任がある。実際、クリスティーネの日記を読んでその古屋訳を読むと、ニュアンス(皮肉や洒落など)を取り損ねているのではないかと思われる箇所が散見される。例えば1983年9月27日の日記(『Christine Furuya-Gössler Mémoires 1978-1985』p.224):
    Heute ist wieder einmal Zeit zu schreiben. Es war so lange keine. Der Sommer war – das ist gut, das Imperfekt zu verwenden: Er war und war imperfekt. […] 」
    「今日はまた久しぶりに書く時間がある。長い間書かなかった。夏が終わった。過去形を使うのはいいことだ。それは過去の過去だった。」
    最後の部分は意味不明の訳。ここは、過去形=Imperfekt→Im+perfekt→否定辞+「完璧な」→「まったく完璧ではない」というクリスティーネの言葉遊びである。「夏は過ぎ去った、文字通り、ひどい夏だった。」

「古屋誠一 Mémoires.(メモワール.)」展
2010年9月18日(土)〜11月28日(日)
熊本市現代美術館

清水穣 批評のフィールドワーク 目次

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