53:墓としての写真 — 松江泰治の『JP-01 SPK』(後編)

さて、もうひとつ、この写真集の中で印象的な「逸脱」が、斜めの構図であり、それはJP01-73とSPK44134の2点だけに該当する(*1)。繰りかえせば、斜めの構図とは、画面全体の前面化の代わりに、空間的な奥行き、「彼方」を感じさせる構図であった。それはJP01-73(空撮)では画面の外、左斜め上の消失点へ向かう街路の線によって、SPK44134(札幌、藻岩山からの地上撮影)では画面上方の彼方、雪の白色へ消えていく空気遠近法として表現されている。


上:「JP01-73」 巨大な碁盤の目を描く住宅街 下:「SPK44134」 雪に煙る札幌市街
© TAIJI MATSUE Courtesy of the artist and TARO NASU(以降すべて)

雪景色—空中撮影—線遠近法による彼方、雪景色—地上撮影—空気遠近法による彼方。札幌に捧げられた写真集の、2つの撮影方法のそれぞれにつき1枚ずつ「彼方」が写されている。雪景色の「彼方」には何があるのだろうか?

アナログ写真の「ピント」とはエッジの立った輪郭線のことである。線がくっきりと切り立つためには、明るい光と濃い影が必要である。光を乱反射させる雪景色は、従ってアナログ・ピントにとっては不倶戴天の敵なのだ。松江泰治のデジタル作品が示してきたように、「ピント」は輪郭線の話ではなく、ある画像がどれだけ稠密な画素数で構成されているか、そこにどれだけの情報の深さがあるかに拠る。松江の厳密なフォーマットは、奥行きを遮断して画面全体をフラットにし、情報の深さへと眼を導くためのものであり、「ピント」はその必要条件であった。それが「絶対ピント」である。レンズにとっての絶対的な、肉眼に依存しないピント位置と言えば、もちろん焦点であり、全ての光が焦点で像を結ぶのは、その光が無限遠からやって来るときである。つまり「絶対ピント」とは、無限遠に合わせて撮影し、レンズの原理から自動的に得られるピントであり、そのとき「絶対」とは人間が見ることを前提としていないという意味である 。

絶対ピントは松江作品のデフォルトであるから、当然、これら2つの写真もまた絶対ピントで撮影されている。それなのにそこに「彼方」が導入されているのは、絶対ピントだけでは十分でないから、ということになるだろう。絶対ピントには人間の眼が欠けていたのであった。つまり、この例外的な雪景色は、人間の眼で見られて初めて完成する写真として、斜め構図におかれているわけである。「彼方」にあるものは、人の眼だけに見える。それは何だろうか。

前回強調したように、本写真集でまず例外として目を引く地上撮影写真(タイトルがSPK で始まる作品群)は、実は松江写真の常道であって、その多くは空撮を模した正対および鉛直構図の写真であった。しかし地上での模擬空撮写真ではなく、地上の地上写真と言う他ない、ほぼ同型の民家の写真2点は、やはりきわめて例外的と呼べるだろう。
 


上:「SPK132113」 下「SPK132116」

札幌生まれ札幌育ちの現地の人に尋ねたところ、これは昭和40年代の北海道で典型的な住宅様式であるという。墓だけでなく、札幌には昭和期の住宅までも残っていたのであった。作者はおそらくその様式を認識したのであろう。2つの例外的な斜め構図と、2つの例外的な地上風景を重ね合わせて考えれば、雪景色の「彼方」にある、人間の眼だけが見るものとは、現在の札幌に現れた昭和40年代、つまり、記憶である。これまでの写真集とは異なり、『JP-01 SPK』には地域的なあるいは世代的な記憶の眼差しが加わっている。墓としての写真が、記憶の写真として蘇るのだ。

                   *

最後に、札幌国際芸術祭2014「都市と自然」のメイン会場の一つ、札幌芸術の森美術館での松江泰治のインスタレーションについて述べよう。写真集を締めくくる2枚の写真SPK35243とSPK44134(本稿前編参照)が、部屋の最初と最後におかれて軸線となっていた。その間の一方の壁面には、写真集から選ばれた作品群が一列に並び、その反対側の壁には、ヴィデオモニターが2台設置されて、「都市」の写真群と「自然」の写真群が同じ速度で上方向へゆっくりスクロールされていた。


松江泰治「JP-01 SPK」展示風景 『札幌国際芸術祭2014』展示風景
Photo: Keizo Kioku 画像提供:創造都市さっぽろ・国際芸術祭実行委員会

写真集『JP-01 SPK』を知らない人にとってこの部屋は、芸術祭の趣旨に沿った「都市」と「自然」の軸に、夏と冬という季節の移り変わりの軸を交差させる、つまり時間の流れの中の人為と自然を表現するインスタレーションとして理解されたであろう。それはそれで良い。しかし、本稿で述べてきたように、SPK35243とSPK44134は、「絶対ピント」の写真と、「絶対ピント+記憶」の写真という対比でもある。つまりこの部屋は、時間の流れの中の人為と自然の上に、見る人が記憶を重ねるため、ヴィデオモニターのなかを流れる写真群のように、記憶を頭のなかでスクロールするための、インスタレーションでもあった。

私は会場に1時間ほど留まって、松江作品に対する観客の反応を観察していたのだが、それは実際なかなか興味深いものだった。彼らはまず、写真の精緻なディテールや色彩の美しさに目を奪われたが、やがて特定の場所(藻岩山!自衛隊駐屯地!)を認識すると、自分たちの記憶のなかの風景と眼前の写真を口々に比較しはじめたのだ。それは当然、作品としての写真が、ただの写真に変化する瞬間であった。墓が誰かの墓であるように、写真はどこかの(誰かの、何かの)写真であるほかないという、写真の固有名性を、私は改めて感じさせられた。

松江泰治写真集『JP-01 SPK』(赤々舎)
http://www.akaaka.com/publishing/books/bk-matsue-jp-01.html

札幌国際芸術祭2014「都市と自然」
会期:2014年7月19日〜9月28日
会場:北海道立近代美術館 / 札幌芸術の森美術館ほか複数会場
http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/


1. 「斜め構図」は条里構造を前提とするから、写真集全64点のうち、森に始まり折り返し点の墓地(条理で並んだ墓の写真。本稿中編参照)までは「斜め」でありえないし、郊外の住宅街はランダムに曲がっている。条理構造が始まる都市の写真はすべて正対構図で、SPK35243と対をなすSPK44134本稿前編参照も当然そうであるが、雪煙で「遠く」「彼方」が霞んでいる点が例外的ということである。実はこのクライマックス2点に到達する直前の空撮写真では、徐々に高度が上がり、画面上部中央へと続く遠近線の消失点がどんどん「遠く」なっていくプロセスが形成されている。しかし作者は、そのような距離的な「遠さ」を捨て、地上に降りてしまう。そしてラストの写真で、距離ではない「遠さ」としての記憶が肯定される。直前の否定、ラストの肯定が、なにか感情的な昂ぶりと切なさを伝える。

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