38:漆の花 – Flowers of Japan 白子勝之「exhibition 4」@ eN arts


白子勝之「scribble」シリーズより「untitled」(以降、作品名はすべて同様)、2009年
All images: © Katsuyuki Shirako Courtesy of eN arts

戦後日本の工芸は、多かれ少なかれモダニズムの洗礼を受けた結果、どのジャンルにおいても伝統工芸と現代工芸(モダン工芸)に分裂するという不幸を経験してきた。モダニズムとは、あるメディア(例えば漆芸)を、その純粋なアイデンティティ(漆芸を漆芸たらしめている本質)へ還元せよという命令である。その純粋主義は、歴史的に規定された用途や伝統的なフォルムを不純とみなしたため、多くの現代工芸はそこから「自由」な「オブジェ」制作へと向かったが、たいていの場合、現代美術のオブジェを表面的に真似るか、「自由」の通俗的イメージ(不定形〜波や風のフォルム)に寄りかかった画一的な表現に陥って、現代美術の工芸版を量産するだけであった。反対に、そのような「オブジェ」は作者の主観的な自己表現に過ぎないから工芸の純粋還元ではありえない、という批判的意識をもった作家たちは、古の無名職人たちの無私の表現に理想を見て、歴史的伝統の反復のなかに工芸のアイデンティティを追求する道を選び、結局、古美術の現代版を量産してきたのであった。

このような伝統工芸かモダン工芸かという分裂から自由な数少ない作家の一人として、白子勝之(1984年生まれ)は21世紀漆芸の新世代に属し、2008年のデビュー以来、内外で様々なシリーズを展開してきている。フリーハンドで自動書記のように描かれた何百という線描の中から選び抜いた形態を、素材(MDF)から削り出し、必要最低限の色漆のパーツを付け加える「scribble」のシリーズ。紙に書かれた二次元の線描が、三次元の立体として素材の中から取り出され、そこへ美しく輝く漆のパーツが添えられると、削り出された立体は塊になってしまわずに線描性を取り戻す。漆だけの「scribble」を見れば、漆のパーツが線描と結びついていることが判る。


「scribble」シリーズより、2013年


「scribble」シリーズより、2011年
*壁面に落ちる影が元々の線描を蘇らせる。

細かなパーツを精緻に組立てた木のオブジェの上へ、微妙にトーンや光沢の異なる白漆や色漆を組み合わせた「assemble」は、極めて自己完結的な作品群。ときに蓮弁や密教の法具を思わせ、カミソリのように薄く屹立する作品には緊張感が漂っている。


「assemble」シリーズより、2010年(左)、2012年(右)


「assemble」シリーズより、2011年

その「assemble」の厳格な完結性が解かれて、細かなパーツが、波間に散った花びらあるいはジグソーパズルのように、壁面や床面に散らばったものが「scatter」である。「scatter」の表面は胡粉のみで仕上げられ、漆は加えられない。


「scatter」シリーズより、いずれも2010年

さて、4回目の個展となる本展は、植物の一部に、そのためだけに作られた漆の鞘を嵌めて撮影する「connect」のシリーズを発展させた写真作品をメインとしている。「connect」は、花の刹那に漆の永遠を合わせ、二つの時間の美しい対比を表現するものであった。今回の作品の中にも漆のオブジェがミニマムな花器を演じて、生花のみずみずしさを強調する作品が見られる。


「connect」シリーズより、2008年 *植物の代わりに鳥の羽


「connect」シリーズより、2009年 *プチトマト


「connect」シリーズより、いずれも2013年

しかし、漆を用いず、木地ないし胡粉仕上げの木地に花弁を組み合わせた新作は、全く別コンセプトの作品に変化したと言うべきだろう。まず、これらは「木地と花弁を組み合わせた作品」の写真ではない。木地も花弁も、1つのイメージのために制作・選択され、撮影とともに役目を終えるからである。また、画像サイズ(原寸大ではなく、被写体はやや拡大されている)は確定されており、縮小拡大がないという意味で、写真作品ではなくむしろ立体化したイメージである。次に、木地は花のための器ではない。制作の順序としては、まず木地が制作され、その木地に対して花弁が選択されるからである。作品の意味は、写真展示の最後に添えられた新作の「scribble」を見れば明らかだろう。黒い木地に黒い艶やかな漆を組み合わせた作品は、白い木地にトルコ桔梗の白い花びらを組み合わせた作品の対となって、「漆」と「花」が白子において同位置を占めていることを明かす。イメージの立体化であること、木地が先行し、そこへ花=漆が付加されること — 新しい「connect」は白子勝之の漆芸のモデルとなっているのだ。それは、彼の漆芸がどのような意味で「伝統工芸かモダン工芸かという分裂から自由」であるかを示す作品群なのである。










「connect」シリーズより、いずれも 2013年


「scribble」シリーズより、2013年

伝統漆芸は周知のように分業制を取ってきた。まず木地師が木で器形を作り、そこへ塗師が下地処理をして漆を塗布する、と。この分業は、後者が前者を覆い隠す形で進行するが、出来上がった作品は木地師に由来する器のフォルムと、塗師に由来する表面の質感の融合として成立する。言い換えれば、塗りの工程は、木地素材を見えなくするとともに、それをフォルムへと昇華するのである。モダン漆芸では一人の作家が木地師と塗師の両方を兼ねるが、木地と漆の上下関係(下層+上層)、フォルムと質感の合一が基礎をなしている点では同じである。

伝統漆芸とモダン漆芸がともに前提としているこの関係に白子は従わない。木地と漆は上下に重なるのではなく、隣りあう。漆は木地を被覆することなく、木地に付加されるのである。従ってフォルムと質感は一体化せず、一種のコラージュ状態に留まり、木地(のフォルムと質感)と漆(のフォルムと質感)が複雑に「connect」しあうこととなる。この新しいconnectionのなかで、漆はどのような役割を担うのか?言い換えれば、従来の漆芸から自由な、独自の漆のありかたとは?

白子勝之の漆芸はまさにこの問いの終わりなき探究として展開中なのであるから、ここではっきりとした解答を出せるわけもないが、いくつか手掛かりを描写しておきたい。

1)すでに述べたように、木地のフォルムは二次元の線描や形態を出発点とし、それを素材からそのまま削り出して作られる。「scribble」に顕著であるが、そうして立体化したフォルムを、漆は少しだけ二次元へ押し戻す機能を担っている。漆は、言わば、立体フォルムからその立体性を少しマイナスするために付加される。

2)白子は漆を決して前面化しない。漆は、きわめて遠慮がちに付加されるもので、総漆のscribbleとて極小サイズである。「assemble」の強固な完結性は、木地と漆がちょうど拮抗していることに由来するだろう。

こう見てくると若い作家が、木地と漆の新しいconnectionを探り、新しい漆の輝きを求めて、ゆっくりと、手を伸ばしている段階であることがわかる。漆という花々は未踏の土地(テラ・インコグニータ)に咲くのだ。新作は、漆の永遠=死を、新鮮な花弁=生と重ね、漆=花が木地に一点で貫かれ接触したその瞬間を凍結している。漆とは、死と危ういバランスを保つ生の輝きなのかもしれない。これらの作品が時に痛切なエロスを感じさせるのはそこに由来するのだろう。体温を知らぬ、清い結晶体のエロス。

※白子勝之 個展『exhibition 4 』は、2013年8月2日(金)〜8月31日(土)、
eN artsにて開催。
詳細:http://www.en-arts.com/

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