46:陶土と形態 — 隠﨑隆一「事に仕えて」展評

菊池寛実記念・智美術館は、東京のホテルオークラの隣にある、2003年4月に開館した比較的新しい美術館だが、興味深い企画展の数々によって、すでに陶芸ファンにとっては見逃せない場所である。目下そこで、現代の備前焼を代表する作家としてつとに名高い、隠﨑隆一(1950-)の過去30年の仕事を回顧する展覧会「事に仕えて」が開かれている。作家自らが選び抜いた精品55点は、器であろうとオブジェであろうと、指先まで神経の張りつめたバレリーナの姿勢のように、作者の美意識が隅々にまで行き渡って凝結したような確固たる形態を見せており、非常に見応えがあるのみならず、隠﨑隆一という陶芸家の本質を、すなわち「事に仕えて」の「事」とは何であるかをはっきりと表出している。

隠﨑が展開してきたその形態は決して多くはない。それは長い時間を変えて研ぎ澄まされ、「ファランクス」「北想」「水蛭子」「芯韻」「双」「Zoi(*1)」と名付けられたいくつかの純粋形態として結晶化している。これら純粋形態のオブジェとそこからの派生型(花器や香合や水盤といった器)が隠﨑陶芸を構成しているのだ。そうした純粋形態は、オーソドックスなモダンデザインを踏襲しており(*2)、基本要素の組み合わせから成っている。隠﨑の場合、それは「面」(平面、曲面、断面)である。


「広口花器」1983年 h48.0cm w42.0cm d27.5cm
図版提供:菊池寛実記念・智美術館 撮影:渞忠之(本記事中の隠﨑作品すべて)

すでに初期の広口花器(1983年)が、立ち上がる薄い2つの曲面による構成をもっていた。その構成が純化されて最初の「ファランクス」が生まれる。2つの曲面が筒状に伸び上がって1つの開口部をもつと「北想」であり、低い位置で掌のように合わさると「双」となる。92年の「ファランクス」は、2つの曲面に1つの平面を挟み込んだ変化形であるが、このパターンが純化されて「水蛭子」が生まれた(*3)


「ファランクス」1991年 左:h26.6cm w25.0cm d22.0cm 右:h21.2cm w32.5cm d18.4cm


「北想」 1998年  h55.0cm w34.0cm d21.0cm


「双」2011年 h27.0cm w108.0cm d24.0cm
 
 
左:「ファランクス」1992年 h47.3cm w27.5cm d23.3cm
右:「水蛭子」2001年 h125.5cm w30.0cm d29.5cm

さらに、曲面と平面を組み合わせた同型のオブジェ2体を、まるで「水面」に映り込んだ「シーン」のように上下対称に接合した形態として「芯韻」が、曲面の数を増やした純粋形態として「Zoi」のシリーズが展開する。加えて、曲面が「面取り」の面、釉薬の面、器の表面(の効果)として表現されることによって、それぞれのオブジェや器の個性が多様化していった。

 
左:「芯韻」2013年 h67.0cm w29.5cm d29.5cm(*今回の個展には未出品)
右:「Zoi」2010年 左:h108.7cm w42.5cm d32.5cm 右:h109.7cm w38.0cm d41.5cm

基本形のバリエーションによって出来上がる純粋形態は、自律した形態であり高い独立性をもつ。だからこそ例えばモダニズムの彫刻家、ブランクーシは「卵」や「鳥」といった純粋形態を、大理石でも真鍮でもブロンズでも、つまり原理的には素材を問うことなく、制作出来たのである。

 
Constantin Brancusi Bird in Space
グッゲンハイム美術館の真鍮製(左:1932-40)とメトロポリタン美術館の大理石製(右:1923)

隠﨑の突きつめられた純粋形態も当然、自律しており独立している。それなら、なぜ鉄の「ファランクス」、ガラスの「北想」、木の「水蛭子」、石の「芯韻」……等々が存在しないのだろうか。
この疑問は、そのまま答でもある。自律的な純粋形態を、隠﨑は独立させたくないのだ。素材に繋ぎ止めておきたいのである。形態が純粋で強ければ強いほど、それを繋ぎ止めるためにはいっそう純粋で強い素材、物質感・存在感のある素材が必要となる。それが、彼が陶芸を、そして陶芸の中でもとりわけ土の存在感が純粋で強い備前焼を選択した理由なのだ。

一般に陶器は、軽く硬く焼き上がることを良しとする。陶芸とは、重く湿った(=水)陶土(=土)を焼き締めて(=火)、軽く硬い物体(=風)へと変化させる技である、と。この場合、陶芸の本質は重力の軸に並んだ四大元素を下から上へ辿ることにあるから、形態の問題は二次的である。形態と素材の間に本質的な関係はない。備前焼が、伝統的器形のバリエーションで留まっていられたのは、それが純粋な陶土を純粋に焼き締めることで完結する陶芸だったからである。

自律的な純粋形態を、素材に繋ぎ止めるために備前焼を選んだ隠﨑にとって最初の問題は、備前焼に形態の問題が存在しないことだったろう。従って始めは、素材と形態の間に何らかの本質的関係を見出すことが課題となり、その関係とは、可塑性の高い上質の備前土(田土)なら、隠﨑の基本形である滑らかな曲面を形成するために必要にして十分な素材だったということになるだろう。ここから、備前土の能力を最大限に活かして、優美な曲面によって構成された隠﨑流の備前焼が作られた。が、この関係は安易でもある。可塑性の高い素材(竹、木、金属、プラスチック……)ならば優美な曲面構成はいくらでも可能であろう。そこには素材が陶土である必然性がないのである。

そのとき、Una Misturaのシリーズは開始された。Misturaとはミックスのことであり、備前のブランド土である田土(田圃の下層の土)を採取する際、捨てられてきた屑土(田圃の上層の土)に他の土を合わせて合計30種類近くもミックスした混淆土のことである。言わば天然の練り込み土であるから、滑らかな可塑性どころか、ボソボソとして形成し難く水漏れしそうな素材である。つまり、上質な陶土=滑らかな曲面構成という素材と形態の関係を、Una Misturaははっきりと捨て去った。その結果、可塑性など当てに出来ない屑土のミックスと、基本面によって構成される自律的な形態は鋭く対立し、そこに隠﨑陶芸の本質が純粋な形で現れることとなった。それは、愚鈍な土の雑塊と、そこから独立しようとする純粋形態が強烈に綱引きをする、緊張感に満ちたテンションである。重力ではなく、テンション(張力)によって成立する陶芸。「事」とは陶土と形態のあいだのテンションに他ならない。隠﨑隆一は、たしかに「事」に仕えてきたのだ。


「三足羽皿」(Una Mistura)2006年  h14.9cm w93.5cm d54.5cm


「備前埦」(Una Mistura)2013年 h9.1cm φ11.5cm

Una Misturaには「埦」のシリーズもある。Una Misturaの頂点をなすシリーズと言えるかも知れない。それは「埦」が茶盌形であり、漠然と光悦茶盌(「乙御前」など)を連想させるからではない。一枚の面が屈曲して包み込むような埦形を作り、その内部に釉薬の面が加えられている。つまり2つの面による構成という点で、「埦」はこれまでの純粋形態と何ら変わらない。自らの陶芸原理の純粋な実現であるUna Misturaにおいて、「茶盌」という陶芸における純粋形態を、自らの純粋形態の延長線上で導き出せたこと、それが、これら「埦」のシリーズをひときわ輝かせているのである。


1. このタイトルがギリシア語から採られているならばζωή「生命」。
2. 例えば隠﨑の三足花器は、オスカー・シュレンマーの舞台衣装や、50年代のバルーンドレス、ピエール・カルダンの「バブル・ドレス」を連想させる。

左から、隠﨑隆一「三足花器」(2013);Oscar Schlemmer, Triadisches Balettのステージ(1928); Harvey Berinの50年代のドレス;Pierre Cardinのバブルドレス;。
3. 生長していく形態に対して、鉈のような一つの面が唐竹割りで食い込んでいる。阻害された生長?「然れどもくみどに興して生める子は、水蛭子。この子は葦船に入れて流し去てき。」(古事記)

『隠﨑隆一 事に仕えて』は、菊池寛実記念・智美術館にて1月18日(土)から3月30日まで開催。なお構成とデザインに作家本人が深く関わったカタログも秀逸。

清水氏関連情報:
「来たるべき写真のために -日本現代写真史をつくり直す-」
– PROVOKE series no.02 –
出演:清水穣、武田陽介(写真家)
日時:2014年4月5日(土)14:30開場 15:00開始
会場:VACANT 入場料:¥1,000
詳細:http://www.vacant.vc/d/66

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