47:自閉と距離、あるいは箱の中の光と紙の上の光

武田陽介(1982-)は、2007年、08年と連続してキャノン写真新世紀の佳作に入賞し、2009年に個展デビューして以来、徐々に頭角を現し、現在最も注目を集めている写真家の一人である。3月から4月にかけ、東京の4箇所(タカ・イシイギャラリー、タカ・イシイギャラリー モダン、空蓮房、トラウマリス)で同時に個展を開いている。すべて「Stay Gold」と名付けられた4つの展覧会は、同名のデビュー写真集に基づいており、その写真集、とりわけ最新の「Digital Flare」のシリーズは、この作家の感性を明確に表出している。

まずは2年前に遡ろう。私が武田写真のベースにあるその感性に気がついたのは、2012年、アーツ千代田3331での個展「キャンセル」を観たときであった(*1)。「光るもの」(光源となるもの;光、ハイライト)と「光らないもの」(光を受ける対象)を両極とする軸があり、点から線を通って面へいたる軸がある。2つの軸の交点、つまり個展の原点となる位置には線としての光があり(作品数3点)、その原点から、徐々に線が光を失って「光らない線」へ(5点)、線の要素が消えていって「光らない面」へ(7点)、光の線が溶け広がっていき「光の面」へ(4点)、光の線が途切れ収斂して「光の点」へ(7点)、線状の反射やハイライトが収斂していき「光の点」へ(4点)と、5本のルートが伸びる。最後の2つのルートは、その極点で「光の点」=金環蝕の写真と、「反射光の点」=光る猫の目の写真によって1つに融合する。念入りにプリントされた美しい出展作全30点は、このようなダイアグラムにきれいに納まっていた。


「キャンセル」展のダイアグラム[拡大]。ここから少なからぬ作品が写真集『Stay Gold』に収録されている。

往々にして武田陽介の写真は、ストレート・フォトグラフィーでありながら、抽象絵画のような構図や平面性を兼ね備え、それゆえ日常の雑景からやや遊離したシュールでクールな雰囲気を湛えていると評価される。どう形容するのも自由だが、彼の写真をストレートとピクトリアルの二元論において理解するのは間違いである。光源〜受光対象の軸 x 点〜線〜面の軸 — このダイアグラムはカメラの比喩に他ならない。前者の軸上、つまり逆光と順光の間で写真家は右往左往しながら写真を撮る。点は光源、線は像がピントを結ぶこと、面は投影面に相当する。光の点が、円錐状に伸び拡がり、線(輪郭、像)を結び、その像が面へと解けていく。そのプロセスが逆光と順光で遂行される。つまりこれらの写真は絵画的写真であるどころか、徹頭徹尾、写真の基本条件の写真であり、暗箱=カメラオブスクラの中の写真、写真機のなかに閉じこもった写真なのだった。

さて、『Stay Gold』を開くと、「Digital Flare」の原点となった逆光の写真が見られる。


「120733」2011年 ライトジェットプリント

この写真を見ていると、光源が写真のなかにあり、周囲の葉はその光を受けているように見える。つまり、カメラ=四角いフレームの中に光が導き入れられ、画面内がじんわりと微妙に光っているように見えるのだ。カメラ=暗室=フレームの中に光を入れ、空間に音を響かせるように、光を反響させ増幅する — ひとたびこの感性に気がつくと、武田写真のほぼ全てがそれに貫かれていることが分かる。


「202846」2012年 ライトジェットプリント


「025032」2010年 ライトジェットプリント


「070543」2008年 ライトジェットプリント


「140230」2009年 ライトジェットプリント

武田の関心は光にあり、カラーは、フレームの中で培養された光からにじみ出るプリズムカラーであって、決して絵画的色彩ではない。一見、木漏れ日の瞬く耽美な絵画的イメージに見えても、実は「Digital Flare」のシリーズは、カメラの中へ強い光を入れ、フレームの内部をいわば光の過飽和状態にする写真である。それは武田写真の純粋なモデルなのだ。高解像度で撮影された細部には、ほとんどカオスのようにうねる光のテクスチュアが詰まっている。


「144540」2014年 ライトジェットプリント

「Stay Gold」の黄金とは幼年時代のたとえ、つまり初心と基本の比喩である。箱の中に光を入れることは写真の基本と言えるから、武田写真は、写真の基本の写真でもあろう。Stay Gold。作者は、光とともにカメラ=部屋のなかに自閉している(*2)

しかし他方で、そのような写真的自閉に対して、作者ははっきりと距離を取っている。まず、実はどの作品も作者が地道に足で稼いだストレートなスナップである。閉じこもりどころか、作者がひたすら歩いてロケーションを探し、時間を限定して最適な光の条件を探したうえで撮影されるのである。それは地理条件や天候など現実世界の条件に依存し、根気の要る身体労働の果実であり、数百枚の類似写真・没写真から厳選された写真である。次に、武田作品には、写真に没入すると同時に、写真を写真として突き放す姿勢がある。基本モデルの「Digital Flare」は、強い逆光に向けられたレンズがハレーションを起こして、レンズ自体の存在を画像上に刻印する写真であるから、写真というメディアが透明性を脱落させ、間に挟まった機構(=メディア)として露顕する写真としても理解できるのだ。さらに、プリントされた作品をよく見れば、作者は画像の周囲に余白をとってフレーミングしている。やがて観客は、その余白と輝く光の部分が同じであること、すなわち光の部分が光沢紙の白地にすぎないことに気がつく。光の泡立ちとて、実はたんなる紙=物質にほかならないのだ。その他にも、画像自体を写真として(プリント紙として、矩形のフレームとして、写真史の引用として、同形の構図として……)突き放す方法には事欠かない。箱の中の光=写真に自閉すると同時に、それが紙の上の光=写真であることをさらけ出す — 武田陽介の写真は一種の自己治癒なのかも知れない。


左:「131222」2007年 ライトジェットプリント 右:「130000」2006年 ライトジェットプリント
杉本博司のジオラマ? いえ剥製の肖像です。ティルマンス風日常写真? でも造花です。


左:「132656」2012年 ライトジェットプリント 右:「073536」2012年 ライトジェットプリント
金星の太陽面通過と金環蝕の写真。画面内の丸い太陽の位置は全く同じ。



上:「063917_A」2009年 ライトジェットプリント
下:「063917_D」2009年 ライトジェットプリント
全く同じ構図の中で、存在と非在が明滅し、それに連れてストレート写真か加工写真かという認識も交代する。写真集の中で2点の写真は離して編集してある。


1. この個展で、武田はインスタレーションをコレクターの宮津大輔氏と清水に任せるという方法を採った。写真の自閉に対する当時の武田の1つの対処法であったと思われる。私はインストーラーの澤田氏の助力を得て、ここに示すダイアグラム通りに壁面を作った。
2. 空蓮房は、文字通り空いた間として、つまり限定されず仕切られない空間として設計された、定員1名の鑑賞空間である。窓のない白い室内には角がなく、部屋の奥の一番高い天井の隅だけが開口となっていて自然光が細く入射してくる。読者もお気づきのように、まさにこの空間はカメラの比喩であり、その鑑賞スタイルは自閉的なのである。武田は空蓮房に「Digital Flare」のみを展示したが、それはまさに誂えたような空間であった。カメラに喩えられる空間の中に、一人きりとなった観客は、フレームの中で虹色に泡立つ光へ没入する、と。


空蓮房、展示風景。

All art work images: © Yosuke Takeda / Courtesy of Taka Ishii Gallery, Tokyo
All installation shots: Courtesy of Kurenboh Chohouin Buddhist Temple Gallery, Tokyo and Taka Ishii Gallery, Tokyo / Photo: Kenji Takahashi

武田陽介 個展群
「Stay Gold」 タカ・イシイギャラリー
 2014年3月22日(土)〜4月19日(土)
「Stay Gold: Color Proof」 タカ・イシイギャラリー モダン
 2014年3月26日(水)〜4月19日(土)
「Stay Gold: Digital Flare」 空蓮房
 2014年3月26日(水)〜4月25日(土)
「Stay Gold: Two Walls」 TRAUMARIS|SPACE
 2014年3月26日(水)〜4月27日(月)

武田陽介 作品集『Stay Gold』

筆者関連情報
清水穣企画展 showcase #3 日本の肖像
石川竜一+内倉真一郎+原田要介
2014年6月6日(金)〜29日(日)
eN arts(京都円山公園内 金土日開廊)


作品写真:石川竜一「Okinawan Portraits」より

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