連載目次 竹内公太「三凾座の解体」2013年、銀幕に2台の映像プロジェクション、カメラ、椅子 昨年の暮れ12月23日まで森美術館で開催されていた竹内公太展「影を食う光」に足を運んだ。とはいえ東京、六本木にそびえる高層ビル最上階の森美術館ではない。福島県いわき市、といっても最寄りのView More >
椹木野衣
38:再説・「爆心地」の芸術(15)除染される大地と芸術(後編)
赤城修司「20130106福島市音楽堂」、2013年 赤城修司はもと、画家であった。いや、現在も画家ではあるのだが、絵はもう描いていない。その代わり膨大な量の写真を撮る。けれども、これらの写真が、かつて描いた絵の「代わり」をしているのかどうかは、本当のところわからない。赤城が絵をView More >
37:再説・「爆心地」の芸術(14)除染される大地と芸術(前編)
赤城修司「20120220福島県立図書館2」、2012年、H31.5×W42cm、ライトジェットプリント Courtesy of ARATANIURANO & YAMAMOTO GENDAI 前にこの連載で、惜しまれる逝去となったインディペンデント・キュレーター、東谷隆View More >
36:再説・「爆心地」の芸術(13) 核と新潟・補遺<3>
前回はこちら 吉原写真館四代目・秀長の五人の子供たち 1936年(昭和11年) 「SPAIRAL LIFE—吉原家の140年」展(2011年)より。写真提供:吉原悠博 同展では吉原写真館の六代目・悠博氏が、2004年に吉原家の土蔵で発見した乾板から50点を厳選、 池添数美氏によっView More >
35:再説・「爆心地」の芸術(12) 核と新潟・補遺<2>
前回はこちら かつての新潟県・蒲原地域。「樋曽山隧道の陥没で一面が湖と化した様子 白山より田子島方面を望む」(写真集『蒲原 昭和の記録』より 撮影:斉藤文夫) 以前、この連載で「核と新潟(後編)」を書いたとき、「水と土の芸術祭2012」の会場となった旧・巻町(現・新潟市西蒲区、以View More >
34:再説・「爆心地」の芸術(11) 核と新潟・補遺<1>
前回はこちら 吉原悠博 個展『プレジャー・ドーム』、スパイラル・ガーデン、1989年 100台のテレビモニターと5台のビデオプロジェクター、6 x6 x7m (w/d/h) 撮影: 畠山直哉 以前、本連載で書いた「核と新潟」と題する3編のなかで「水と土の芸術祭2012」をとりあげView More >
33:絵描きと「贋金つくり」——会田誠「天才でごめんなさい」展をめぐって(3)
前回はこちら 会田誠+21st Century Cardboard Guild「MONUMENT FOR NOTHING II」2008年− Courtesy Mizuma Art Gallery 激情と虚無との間にあって、この生きた少女の肉体が僕を一つの死へと誘惑する限り、僕はView More >
32:絵描きと「贋金つくり」——会田誠「天才でごめんなさい」展をめぐって(2)
※本連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。 前回はこちら 会田誠「犬(雪月花のうち“雪”)」1998年 パネル、和紙、岩顔料、アクリル絵具、ちぎり絵用の和紙 73x100cm 撮影:宮島径 © AIDA Makoto Courtesy MizumView More >
31:絵描きと「贋金つくり」——会田誠「天才でごめんなさい」展をめぐって(1)
※本連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。 『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 2012/11/17-2013/3/31 Courtesy Mizuma Art Gallery 撮影:渡邉 修 写真提供:森美術館 森美術館(東京、View More >
30:再説・「爆心地」の芸術(10) 核と新潟(後編)
前回はこちら アン・グラハム「Shinohara’s House」より(会場:五ケ浜・篠原幸三郎家住宅) 写真提供:水と土の芸術祭実行委員会 新潟(以下、ここでは新潟市の意)が、かつて小倉と並び、原子爆弾の投下目標の候補になっていたことは、今ではよく知られている。実View More >