adrianのブログ

チェックと日本の現代美術界についての感想

THE ECHO & その批評

2010年5月21日


1年半と長い時間を費やしたが、THE ECHOのカタログが先日出版され、私はそれを嬉しい気持ちで手にした。THE ECHO は2008年8月に若い日本人アーティスト達の主催で横浜のZAIMにて開催された。岡田聡氏によって出版されたそのカタログは、展覧会と同じようにエレガントで洗練された出来栄えである。私もそこに、『ゴールドラッシュ後における日本の新たなポストバブル芸術とその重要性』という、このブログ内でも読めるエッセーを執筆した。

http://www.art-it.asia/u/rhqiun/hM5OPpsLUrWje0vGDwo4/?lang=ja [日本]

私は、東京アート界のこの展覧会に対する様々なレヴューや反応について話し合いたいと思っていた。美術手帖 (2008年11月、no. 915) に掲載された主なレヴューは東京都現代美術館の学芸員である薮前知子によるものだった。私はミヅマアートギャラリーのO JUN展のオープニングで彼女に会っていた。薮前は、アーティスト達が野心的なアイデアとコンセプトで展覧会をブランド化することに不本意な事と驚くほど「穏当」とした場の雰囲気が「平板」な印象を与えていた事が、彼女が感じた論点に繋がっている事を指摘した。薮前のレヴューは親切で均衡が取れているが、展覧会についての疑念を残した。私が話をした豊田市美術館と国立国際美術館の学芸員達も同じように懐疑的だった。

ライター/キュレーターの工藤キキは、私と話している時もっとオープンに「つまらない」展覧会と評してくれた。おもしろいアートについての話をまとめた彼女の著書『Post no future: ポスト・ノー・フューチャー』は今年出版されたが、見ての通り彼女は、日本の90年代のポップアートの遺物を好むようだ。これはTHE ECHOが対峙する世代なのだ。彼らは、間違いなくムードも内容もとても異質である。

その中でも一番無遠慮な批評が清水穣だった。清水は写真についての著作でより良く知られているが、批評家として攻撃的な態度でも有名である。日本の現代美術の将来についてのエッセーの中で(美術手帖、2009年3月、no.919)、THE ECHOでのショーの「ポスト・ゼロ年代」について、彼のお気に入りの若手アーティスト達を紹介する為の切り口としてネガティブなコメントを残している。そして、THE ECHOのアーティスト達21名は、彼らの多様性にもかかわらず、一様に「ナルシシスティックなダサさ」、中堅作家なのに未だ「若手」になりすましている、そして作品の解説を観客に押し付けて概念的なガイドを怠ったと書き叩かれた。彼はこれを「日常」と「無意味」の罠と呼んでいる。これは美術手帖の同じ巻内の特集で、同じ若手アーティストの多くが現代アートの主役たちとしてとりあげられていたという事実にもかかわらずだ。

それでは、才能あふれ、組織的にも野心的な鬼頭健吾、磯邊一郎、名和晃平を「係長」レベルだと評する事は、公平な事だろうか。彼らのネットワークがこの展覧会をまとめたのだ。また、著しい個性で方法論的に革新的なビジョンを持った大野智史、青山悟、竹村京を「既視感満載」と評する事も。私はそうは思わない。いつも当世風の泉太郎だけが、彼のさげすみをまぬがれた。このような総括的な批評は、空虚なレトリック、批評家の役割を正当化するための著名なゲームとしてしか読み取れない。自分のお気に入りの1,2名を売り込む為に全ての現世代を掃き捨てる。批評家が、誰が誰かを決定する架空のランキングの一部として。しかし、彼のその他の場所での、田中功起や金氏徹平といったTHE ECHOに参加していてもおかしくないがしなかった他の作家に対する支持は虚偽で薄っぺらく見える。これらのアーティストは,何といっても、他の人たちと非常に多くの類似点、繋がり、相似点がある。清水はガラスの家に石を投げるべきではなかったのだ。

私がアーティストの名和晃平とこの反応について話したとき、彼は寛大だった。アーティストにとっては、自己組織化の重要な学習プロセスだったのだ。彼らの代理の画廊やキュレーターにまかせていたら絶対にひとつの場所で一緒に選ばれなかったであろうグループをまとめ、コネクションを作るのに良い機会だったのである。このグループをまとめたネットワーク効果が、実際の所コンセプトだった。青山悟に紹介されたアイディアである、波紋が電子画面に広がるように。明らかに、清水はこれを理解することができなかったようだ。

「イコール」(= は)の概念である、グループ内のヒエラルキーとコミュニケーションに対して協調的で率直な態度は、また作品と表面の新たな才能を高める助けとなった。THE ECHO展は、確かに、例えば大野智史や大庭大介に訪れた非常に良い年にプラスの影響を与え、田幡浩一、増田佳江そして政田武史の注目度も上がった。それは、個人が参加したグループショーというよりかは、グループが一緒に作り上げた展覧会であり、彼らは似たような社会的、世代的な条件に直面し、限られた展示場、そして相互接続する必要性があった事を認識したのだ。

キュレーター達もまた、アーティストが展覧会を組織するという発想を嫌った事は明らかである。THE ECHOは、彼らを無駄な存在であるという気持ちにさせ、彼らが書くアートの世界が時にどれほど空虚で不必要になり得るかを示したのだ。美術手帖の先の特集に執筆している椹木野衣と松井みどりのように、清水の批評は不必要な芸術論にあふれ、ケージとデュシャン、ハート&ネグリとドゥルーズといった言い古された西欧の哲学的、審美的なアイコンを飛ばしている。宗教的なモチーフで個人の好みやヒエラルキーを正当化するように。このような文章に対して言える最も親切なことは、それは大抵不明瞭で理解しがたいという事だ。対照的に、薮前は、経験に富んだキュレーターのように日本美術史の目で書いていた。我々は、THE ECHOが歴史的な一幕だったのかどうかはわからないが、この点においては彼女は正しかった。一方、工藤は、DIY ポップスタイルであり、彼女が言うには、現在の主な美術批評家/理論家ではない、より根拠付けされアーティストに関連した90年代の西原みんのような作家に影響を受けている。これは新鮮なスタイルであり、インターネットスタイルのコミュニケーションと似ている。アーティストが自分で展覧会を開く事が出来、誰もがブログで好きな事が言える時、キュレーターの優勢さが試され、そして美術批評家の伝統的な形態は絶滅品種なのだ。

清水のレヴューで一番あきれた箇所は、画廊外でした展覧会を「保守的な」従来の画廊内個展から一味も違えない「政治的鈍感」とする主張だ。私もアーティスト達が、皆で何を仕上げるべきかを見る為によれよれの産業装飾が施されたZAIMに入って行った時、一緒にいたのだ。彼らは場所代を払わなければいけないこと、多くの規制に直面したことに対して、嬉しく思ってはいなかったのだが、設置過程は劇的なトランスフォメーションだった。開催される頃には、彼らはその不可能なほどにみすぼらしかった場所をクールで雰囲気のある哀愁的な場所へと作り変えたのだった。そこは、アーティスト達と部屋が釣り合いが取れるように完璧なほど調和していた。彼らは難しい事をとても簡単な事のように見せたのだ。写真を見直してみると、ちかちかする蛍光灯に汚れたカーペット、割れた窓ガラスを名状しがたい背景とした、精巧な再生芸術、これは「ホワイト・キューブ」の展覧会ではありえない事がわかる。むしろ、それは、2002年に行われた佐賀町食糧ビルディングの有名な「エモーショナル・サイト」展のように、東京・横浜の風景から消えゆく別の都市アートスペースにとって最後の芸術的な生命の息吹だった。

THE ECHOは言いたいことを気品をもって言ったのだ。我々はここにいる。日本の今日の現代美術に興味がないキュレーター達にトリエンナーレから締め出されても我々は、今横浜にいるのだ。それは静かに自信を持った宣言であり、清水が言うように傲慢でもナルシシスティックでもなかった。清水と違い、彼らは怒鳴ることも無遠慮になる必要もなかったのだ。


ADRIAN FAVELL
http://www.adrianfavell.com

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The Echo & Critics
投稿元 : cheap christian louboutin / 2013年05月18日01:55

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