adrianのブログ

チェックと日本の現代美術界についての感想

ゴールドラッシュ後における

2009年10月22日


To complete a "trilogy" of blogs on Mottainai!/Sustainable Art themes, I'd like post below again my essay "After the Gold Rush", which was written for the opening week of the show THE ECHO: JAPAN NEXT at Yokohama ZAIM in Sept/Oct 2008. The artists included Kohei Nawa, Kei Takemura, Taro Izumi, Daisuke Ohba, Satoru Aoyama, Satoshi Ono and Kengo Kito among others, and it is the closest I have seen to a coherent new "Young Japanese Artists" style show in Japan these last few years. The website with info and images can still be consulted at:

http://www.the-echo.jp

Thanks again to Chisato Yamashita for her translation work with me on the text and various presentations, and to Haruka Ito for involving me in the event. The text is published in English on the English pages of ART-iT.


ゴールドラッシュ後における

日本の新たなポストバブル芸術とその重要性


西洋の人々が考える限りでは、日本の現代アートはいまだに全て「カワイイ!」という言葉に集約されている。バルセロナ、ロサンゼルス、そしてコペンハーゲンに続いて、パリやニューヨークで開催された最近の展覧会では、この定着した言葉のもとに、若くて新しい日本美術の試みが提示された(*1)。日本の現代アートは、日本政府が外国人に向けた観光イメージ政策とうまく合致しており、世界的に成功を収めているアニメ、マンガ、おもちゃ、そしてストリート・ファッションといった日本のポップカルチャーの一部として認識されている。実際、前内閣総理大臣の麻生太郎氏は、外務大臣時代に「ナショナル・ワンダー」と称される秋葉原のオタクたちと親交を深め、「クール・ジャパン」や「ソフト・パワー」といった政策を声高に叫んだのである(*2)。

日本に対するこうしたイメージは、今まさに活躍し始めた日本の優れた若いアーティストたちによる試み、「THE ECHO」展が与える印象とは全く異なるものである(*3)。日本で現代アートについて語る際、常にカワイイやアニメ、マンガ、そしてオタク、これら全てを乗り越える必要性が生じてくる。多くの面において、西洋が「Japan Now」、つまり今の日本について認識していることは、日本が勢いづいていた1990年代のオタク世代の成功、即ち10年も前の日本に関するものである。「THE ECHO」展のサブタイトル「Japan Next」は、古い世代にみられる特質の多くを完全に放棄した日本の作家たちの感性とものの見方を示し、近年西洋の巨大な経済的資本をもたらしてきたものとは全く異なる発展途上に位置している。日本の新しいアートはこれまでとは異なった文脈で読まれ、理解されなければならないのである(*4)。

1990年代後半、世界市場において日本のアーティストたちが人気商品としてもたらしたようなアートは、「THE ECHO」展で見ることはないだろう。当時のアーティストの中で特に有名であった、村上隆、奈良美智、森万里子らは西洋で広く流布している日本という東洋趣味的な概念への関心に適合し、商業主義とナショナル・ブランディングの組み合わせを勝ち得たことで名を挙げたのである。この戦略の多くは村上の怒りをもって著され、そして自らをさらけ出した『芸術起業論』(2006年)の中で詳述されている。ここで村上は、日本的なものを現代アートとして西洋に売りつけるゲームに、若くて有名になりたがっている「クリエイター」たちを導いており、彼らは今や村上が年に2回企画するアートフェア「GEISAI」に10万円もの金額を支払って自分たちの作品が将来性あるものとして展示している。村上、奈良、そして森の成功は、彼らがいかにして1990年代の広範囲にわたる世界的な傾向に適合していったのかにも拠っている。それは全てポスト・ウォーホル、ポスト・シャーマンアートである。すなわち、大規模なインスタレーション、他を圧倒する映像作品、自己執着的なプロジェクションであり、全てが外面的であり皮肉なのである。

もちろんこうしたアーティストたちの知名度は、観光客の抱く新しく独創的な日本の魅力を日本にもたらし、その魅力が反映されたネオ・トーキョー・ドリームランドは、森や村上のイメージが典型的に日本的なものとして最初に日本に惹かれたかなりの人々を失望させることはない。しかしこういった表現と10年、もしくはそれ以上若い次世代の人々の作品や感受性は対照的なものなのである。「THE ECHO」展のアーティストたちは70年代や80年代にはまだ子供であり、90年代でもまだ学生で、1992年から93年にかけてバブルが崩壊した時にはわずか15歳から18歳という若さであった。それゆえ、彼らはアーティストとしてはまさにポストバブルの世界に成長した世代であった。彼らから生み出されるアートは相対的な衰退、そして確固たる未来に対する大きな疑念を受け入れなければならなかった日本、つまり過去15年における、しばしば痛みを伴う社会的・政治的状況の中に生まれたアートである。それとは逆に、村上とその仲間たちは世界的な経済力を持つに至るほどの劇的な発展過程にいた日本で育っている。日本は新たな現代性の発信地、まさに西洋に対してのアジアの現代性となった。何よりもこの時代のアートが、この自信に満ちた年代を映し出していることは言うまでもないことである。

今日の日本が抱いている不安の原因は主に、近隣の国々が発展を遂げようとしている中で、日本ではこうした発展過程が終わりを迎えようとしていることにある。日本はアジアの現代性にとっての典型であったが、今や人々は他の場所に目を向けている。(非西洋の)アートがその国の発展によって突き動かされているとすれば、突き詰めていけば、日本の発展は終わり、未来は中国にあるということになるだろう。中国人アーティストたちは近年、自分たちは日本よりもビッグで上質で大胆な作品を制作できることを存分に見せつけている。村上の理論は日本よりも、場所、生産、そして展示に対してより好ましい経済状態にある中国において、より効果を発揮するだろう。中国にはイメージに転換させるための無尽蔵の自国文化の伝統やポスト共産主義の問題があり、日本ではありえないほどのアートのインフラを整えるための政府による出資がある。新しい中国人アーティストの非常に大きな波は、日本をその影に押しやっている。

日本はもちろんアジアのアートブームの先頭を走っていた。しかしそういった観点からのみ、その事実を捉えてよいのだろうか?そうした場合、日本の現代アートには役割がなくなり、中国のアートが台頭し始めた新世紀において、その小間使いや仲介者としてしか生きる道が残されなくなる。アートが発展途上の地点でのみ興味深いとされるのであれば、問題は(国家が発展途上の状態から脱却することを「発展」というならば)発展は一度しか起こらないことになる。しかしこれは現在の日本の状況ではない。したがって日本の現代アートや現代社会は、中国や他のアジアの発展途上国とはかなり異なった、反対とも言える道を歩んでいると言うことさえできる。これらの国々とは異なり、日本は確実にポスト発展期、ポストバブル期にきている。アメリカやヨーロッパの現代性からの教えを吸収し終え、西洋とアジア(中国)のどちらでもない別の存在として位置しているのである。日本は成長や権力に取り付かれているアメリカよりも、衰えつつある退廃的な環境のヨーロッパに近いと言えるだろう。それゆえに、現在の日本の自信の揺らぎは、80年代と90年代に広まった、荒々しく持続不可能なグローバリゼーションの視点ではなく、21世紀の不確かさやもろさに端を発しているのである。そして2008年9月以来の財産価値の下落に伴う構造的な経済危機と信用を失った財政は、もはや日本だけが苦しんでいるのではない。今や全世界が同様の経済的状況に置かれているのである。

この点からすると、バブル期の思考にしがみついている村上隆やその周辺の1960年代生まれのアーティストたちは、非常に時代遅れにみえる。「THE ECHO」展で取り上げられている若い世代のアーティストたちには、いくつかの明確な傾向を認めることができる(*5)。彼らは一世代前のアーティストたちに主流であったオタク/スーパーフラットのスタイルを完全に捨て去り、まさに新しい方法でグローバルな影響を吸収して反映し、そして変換しているのである。さらに彼らは日本がポスト発展、ポストバブル危機を受け入れ、単に世界の流行を追うのではなく、今や将来のポスト国家主義的流れを導く姿勢を示しているのである。これらのアーティストたちを結びつけているのは、手法や技巧、技術がもたらすより安定した効果を重要視する点であり、またポップアートによるゴミやお金、大きさや外観への賛美ではなく、作品のもつ奥深さや美しさといった美的感覚への献身なのである。利己的な自己プロモーションによるブランド戦略や企業スポンサーへの拒絶と同様に、バブル期の大きく、けばけばしく、プラスチックで作られたアートに対する拒絶がある。さらに、彼らは決して「流行りの」とはいえないような労働、つまり工場で行われているようなライン生産的な作業とは異なる、集中した努力や細密な作業による生産に重点を置くことに夢中になっているのである。日本のアートはしばしば「理論」を伴っていないと批判されるが、手法や技術は正確であると同時に、作品を「日本的」にブランド化したり典型的な日本を思い起こさせたりすることなしに、日本的美意識を利用するもっと正当なやり方を試みている。

名和晃平の作品から見てみよう。手法と技術に重点を置くやり方は、今国際的に認知されようとしている名和の構築的で実験的な彫刻作品の中に認めることができる。彼は2007年のアート・バーゼルに続いて2008年はバルセロナやチューリッヒ、中国で重要な展示を行う多忙な一年を過ごしていた(*6)。そのような彼に関するここでの紹介は他のアーティストに比べて短くてもよいかもしれない。残念なことに西洋のキュレーターたちは彼の作品をいまだに「カワイイ」のレッテルを貼って見ているのである。彼らはまだ、村上のフラットなプラスチックによって作られた世界から遥か遠くにあるこのような作品が属するカテゴリーを見つけられないでいる。名和は、使用する媒体や生産過程における実験的な方法論に基づいて、見事に完成された優雅さや美の対象を作り上げる。水晶のような彼の「ピクセル」彫刻は、デジタル技術の論理を身体的なアートに変換し、インターネットで入手される日用品を変形させていくのである。このような「中和化」の過程は、同じ時期に制作された彼のプリズム作品においても見ることができる。しかしもっと印象的なのは、彼が石膏やシリコン、接着剤を使って考案した予測不可能で超自然的な造形であろう。ここで重要なのは彼のスタジオが実践しているような「工場」的方法は、多くの先人たちが好んだ大量生産を行うというよりは、独特の物体の中にある美を発見するための研究所の様相を呈しているということである。

2007年に森美術館で行われた日本現代美術の回顧展「六本木クロッシング2」の中でも、特に印象的であった名和の巨大な作品《Scum》は、影響力のあるキュレーター椹木野衣によって、「THE ECHO」展の主催者の一人でもある鬼頭健吾の電気を帯びた色彩豊かな作品と並んで展示されるために選ばれた(*7)。また、鬼頭のこの作品は銀座のエルメスでも展示されたものである。この展示の中心にある名和と鬼頭の目を引く作品と、榎忠など前の世代の日本人作家たちに対する彼らの肯定は、椹木やその他の人々によって日本の現代アートを著す支配的な表現として築き上げられてきた強迫観念である「ネオ・ポップ(*8)」を乗り越えるための重要な一歩となったのである。名和にしても鬼頭にしても、村上のアートに関する方法論や様式、そして主題に関してはきっぱりと拒絶するだろうが、村上の『芸術起業論』が名和や鬼頭が美術組織に対して抱いている「自分自身で行え」という考え方に、如何にして影響を与えたかに関しては認めることだろう。この世代は確かに、自分自身で何かを起こさなければならなかった。すなわち、アーティストがオーガナイズした展覧会、それが「THE ECHO」展であった。また、美大を卒業した後、アーティストとしてのキャリアを積むに至るまでの構造が脆弱であるために、「THE ECHO」展のアーティストたちの世代は、近年日本で注目されている若い才能を育てようとする動きに助けられてもいる。ここで論じるアーティストのうち何人かは、小規模で独立した組織であるmagical,ARTROOMで展示されたり、トーキョーワンダーサイトで新進作家として紹介されたり、国立新美術館や東京都現代美術館で行われている若いアーティストによる選抜展で展示されたりしている。さらに、政府や公的な助力が得られない中、日本ではコマーシャル・ギャラリー自体が美術館の役割を果たしており、彼らが若い才能を育て、若いアーティストに資金援助をしているのである。このような点において極めて重要な役割を果たしているのは、白石正美、小柳敦子、三潴末雄、そして小山登美夫といった人々が挙げられ、彼らに加えて最近では新しい世代のギャラリストたちのエネルギッシュな活躍も目立つ。山本ゆうこや無人島プロダクションの藤城里香、アラタニウラノの二人などがいるが、こうしたギャラリストたちの多くが女性であり、また一世代前のギャラリストの元で働いたことがあるという経験を持っている。

鬼頭は日常から得た単純な素材を使い、主に色や感触、そして空間を使って新しい、独特な視覚的瞬間をつくり出す。「THE ECHO」展や2006年のトーキョーワンダーサイトでの展示、そして豊田市美術館に所蔵されているような抽象絵画作品にみられる型にはまらない表現スタイルなどからもわかる通り、彼の作品は彫刻としてもインスタレーションとしてもみることができる。彼の最も印象的な作品では、その作品が発する効果には驚くべきものがあり、また特異であって洗練されており、さらに直接的である。例えば色付けされたプラスチックの輪で満たされた特徴的な部屋は、公園などの遊び場のようでもあるし、凝縮した空間のようにも見える。彼はまた2007年に東京都現代美術館の「パブリック・スペースプロジェクト」で展示された水を使ったインスタレーション作品のように、大きな作品を作ることもできる(*9)。

「THE ECHO」展でみられる表現は、昨年キュレーターである松井みどりによって水戸芸術館での展示で論じられた「マイクロポップ」とは対照的なものであるといえるだろう(*10)。もちろん「THE ECHO」展との関連性や類似点もある。我々は同じ世代について論じていて、実際ここ横浜で展示されている一人のアーティスト泉太郎は、アート作品の中で鑑賞者が果たす役割についてユーモラスでシュールな考え方を表現しているという点においてマイクロポップの一員であった。日常的に見られる造形物や同時代の現実に対する個人的な思いを重要視しているというのは彼らに共通した特徴である。しかし、「THE ECHO」展の作家が異なっているのは、彼らの作品には、心理的なトラウマのようなもの、そして松井が極めて高く評価している素人的な要素や使い捨てのものが欠落している点である。松井は、村上が「トーキョー・ガールズ・ブラボー」(2002年)で行っているのと非常に良く似たやり方でティーンエイジ・ベッドルーム・アートを崇拝しているし、また、マイクロポップのゴッドファーザーとも言える奈良によって有名になった質素な手作りの美学を評価してもいる。マイクロポップが使い捨ての印象を与え、本やTシャツの形で簡単に再生産できるのに対して鬼頭や名和は、通常ならアートの文脈においては考えられもしないような素材から、むしろ高尚で洗練されていて、高級に見えるアートを作っている。西洋は、特に衰退したティーンエイジャーによるネオ・トーキョーの歓喜を映し出したヴィジョンと共に語られる時、マイクロポップを消費することに喜びを覚えてきたのである。

もちろん横浜の展示でもマイクロポップが発するエコーが聞こえてくる。山口智子と増田佳江による展示ではガールズアートの表現を見ることができ、星野武彦と政田武史の作品が展示された部屋ではマイクロポップのアーティストたちに取り付いている心理的な内的表現を感じることができる。榎本耕一や榊原澄人の作品に「カワイイ」の要素を認めることさえ可能である。これらの作品の多くは水戸で見ることはできなかっただろうし、むしろmagical, ARTROOMの代表である岡田聡や、2008年秋に自身のコレクション展「ネオテニー・ジャパン」展を行った高橋龍太郎らによる有名な「心理的」コレクションで展示されている方が相応しいだろう(*11)。しかしながら、「THE ECHO」展全体はどこか異なる様相を帯びている。つまり、これらの作品は内省的で問題の多いティーンエイジの夢想家の作品ではないのである。そうではなくて、彼らは確固たる信念を持ち、互いに良い関係を築いている成熟したアーティストたちで、松井によって見出された私的で疎外された世界に逃げ込むのではなく、現代の日本や世界の文脈に自らを組み込むことができるのである。

松井が著した文章は、村上のキュレーションと共に東京の少女たちに対する強迫観念や内向的な様子を世界的に有名なものにした(*12)。しかし驚くべきことは、社会からの隠遁や異常さを強調した彼らの考えが、「THE ECHO」展の作家たちと関わりのあるよく知られた女性アーティストたちとはほとんど関連付けられていないということである。ここで例に挙げたいのは(「THE ECHO」展の作家たちよりも)少し年上で経験を積んだ二人のアーティスト、村山留里子と三田村光土里である。彼女たちはZAIMでは展示されていないが、「THE ECHO」展のアーティストたちとの関係は深く、同時期に展示されていた。

村山の作品を見ると、ガールズカルチャーに馴染み深い身の回りのもの、例えば刺繍、花、ファッションモデルなどが美の対象としてその形を変貌させているのがわかるだろう。彼女は別のやり方で対処したらただのクズとなってしまうような日常的なものを探し出してきて、技術や配置によってそれを変貌させるという点において「THE ECHO」展の美学と同じ方向を向いている。村山は秋田県北部の町を拠点として活動しており、例えば渋谷や表参道などのトーキョーストリートで見られるような、少女的消費主義の喧噪からは離れたところにいるアーティストである。とはいえ、彼女の作品が粗野であったり田舎っぽかったりするわけではない。彼女の作品はむしろ、例えて言うならば、2008年末に行われた府中ビエンナーレ「色をめぐる冒険」で一際目を引いた700もの色とりどりの断片が縫い合わされたタペストリーに変換されるような、驚くべき直観的感性を駆使した職人芸的な圧倒的情熱なのである(*13)。

三田村光土里のインスタレーションはまた別のことを我々に教えてくれる。彼女の作品は横浜トリエンナーレの期間中、桜木町駅内にある創造空間9001で見ることができた(*14)。三田村は部屋中をファウンド・オブジェクト、記念品や日々の詩などで埋め尽くし、それらはもろくてすぐに終わってしまうような瞬間の雰囲気を作り上げていた。この作品の一部分は、旅行によってヒントを得たものもあれば、ある適当な場所で得たものなどである。彼女はまた墨田で1ヶ月に渡り「(長いマフラーを)編み続ける」という滞在制作を行い、その成果は2007年の末、現代美術製作所で展示された。それは東京都が新しく、地域の人々にとっては容赦なく立てられるテレビ塔や企業の都市開発の名の下にその地区の半分を整備するという時に、地域社会や近隣の土地の保存を雄弁に訴えかけていた。三田村は、「THE ECHO」展のアーティストたちが旅や経験に対する新たな安らぎや世界への関わりを表現することに、どのようにして関心を抱いているのかを提示している。三田村の世代には、西洋の力に対する苦悩や怒りはほとんど見られない。そして、村山でもそうであったように、日常や取るに足らないことは、束の間のはかないものであったとしても、美の瞬間へと変貌するものなのである。

わずかな美的感触が古典的で日本的なものに聞こえ、そして感じられるのだが、「THE ECHO」展の作家たちの中にノスタルジーや感傷といった要素は見られない。こういった特徴は特に、技術をアートに変換する名和の作品に見られるだろう。渡辺豪と田幡浩一の白黒の映像作品は、ミニマルなアニメーションをれっきとした芸術作品に変換させている。カイカイキキとは対照的なのである。村上世代はいまだにフォトショップやYou Tube、スキャニング技術を習得するのに苦労しており、事実、ヴァルター・ベンヤミンの複製技術時代の芸術に対する悲観的な予言に降参したのである(*15)。もし誰もが、永遠に再生産する力、そして才能なしでアートを作る力を与えてくれるテクノロジーに勝てないのならどうだろう。おそらく次のように言えるだろう。プラスチックによる大量生産品やフラットアートのためにそれを使うべきだ、と。しかし、「THE ECHO」展のアーティストたちは機械技術を習得しており、テクノロジーを媒体として使った、たった一つしかない再生産不可能な作品に回帰している。田幡と大庭大介は、金と銀による抽象絵画を媒体にしてデジタル化の技術を完成された芸術作品に変換し、それをさらなる高みへと到達させた点において名和と歩みを共にしている。ここでは新しい形の抽象画を目にすることができ、これらはメディアに浸透したポップカルチャーとしてのスーパーフラットな芸術表現とはかけ離れて、技術による芸術の実験的な可能性を再び示唆している。

もちろん日本的なものという問題は、いわゆる「日本人」アーティストのグループ展には常につきまとうものであるが、このことは「THE ECHO」展にも言えるだろう。この展示の紹介文には、我々が日本であり、これが日本であると書かれている。しかし、この展示は日本的なもののブランド化に甘んじることを拒絶している。これらのアーティストたちに問いかけると、彼らは躊躇することなく自分たちを「ポスト国家主義」と称するだろう。彼らは東も西も、世界中を旅している。彼らはロンドンもニューヨークも、北京もサイゴンも経験しているのである。しかしそういった経験はどれも、彼らに日本の力を支配的な西洋との関連において語らせようという気にはさせない。彼らは戦争を起こしたりしないし、反植民地主義のスローガンの後ろに隠れて東洋趣味の典型を売ったりもしない。我々は有難くも、茶道や禅の庭、生け花、マンガ、アニメ、ラブホテル、ラジオ体操、そしてコスプレを「THE ECHO」展で見ることはないのである。それにも関わらず、ここには消えることのない日本的なものというものがあり、それは旅や世界中で培った経験の後に、自らの源へ回帰しているのである。このことはこれらのアーティストたちが、作品を制作する際、特に美術、工芸そして洗練された細部に力を入れる場合に、いかにして日本が持つ源泉に導かれるのかを示しているのである。

青山悟の作品はこのような意味で理想的である。YBA(Young British Artist)の時代にロンドンで芸術教育を受けた青山は、控えめで、独自性に富み、そして一貫した制作方法を見せるため、村山のようにほとんど馴染みのない手工芸、
すなわち刺繍を取り入れた。青山の手工芸はテクノロジーと製造に関する新たなる解釈を示しており、今回の作品におけるように、産業の時代への感傷とコンピューター時代のデジタル再生産の両方を想起させるような、細かい織物の感触を繰り返し見ていると、非常に古い工業製品のエコーが聞こえてくるようである。これはとても写実的な作品でありながら、制作に必要な技術とコンセプトが共に完全に組み込まれている。ネオテニー・コレクションに所蔵されている作品のように、彼は時にはデジタルなエコーが聞こえてくる写真のような都市風景や人々の肖像が刺繍された布地によって自然主義的手法で制作を行い、またある時には、「THE ECHO」展や2008年秋に開催されたアートフラワー展の印象的な暗室で展示された作品のように(*16)、ミニマリスト的で抽象的な制作を行っている。赤坂で展示された作品でも真っ黒なカーテンに、青山による金の刺繍が散りばめられており、もちろんこの作品も1,000針にも及ぶ手仕事であり、この作品はジャーナリスト住吉智恵が経営していたトラウマリスというアート・バーの入口に飾られていた。青山の手によるこうした作品は、自己完結の形を取って節約されたその制作過程と共に学術的な考察を待ちわびているのである。

ここで「THE ECHO」展から学んだ最も重要な教えに触れておきたい。1990年代のバブル期の精神は、国際化で浮き足立ち、大きなアートを探し、使い捨ての美学と共に歩みを進めたプラスチックに包まれ、またそれによって成り立っていた。「THE ECHO」展世代はそうではなく、その時都合の良かったものを使おうとし、とりわけ持続可能な材料を革新し、それによって美しいものを作ろうとしている。ここでは、この「THE ECHO」展にベルリンから参加し、2008年にトーキョーワンダーサイトと国立新美術館でその作品が展示された竹村京に言及しながら、この事実について述べていきたい(*17)。このインスタレーションもまた、三田村のように旅行、記念品、友達、そして道中の細々とした断片を反映している。この方法はまた、異なる形式であるが、「THE ECHO」展で大野智史によって制作中のスタジオから溢れ出たものとして表された精神分析学的探究にも認めることができる。竹村自身は古いイケアのベッドや借りてきた服、郵便パッケージ、あるいは会場を訪れた人々のために、彼女が再び歌うであろう友人たちのカラオケの思い出などから作品を制作している。しかし、特徴的な写生を基にした彼女のタペストリーには、針仕事とドローイングの結合を実現したシンプルな方法を見ることができる。見捨てられた材料が、新しく半透明で神秘的なものに生まれ変わっているのである。そこに置かれている馴染み深いものたちは、世界中のものやベルリンの思い出の品々であるのに、彼女による地震の予言は彼女自身や我々に、東京そして日本を想起させる。繰り返すが、これはとんでもない美的効果を生みながらも、バブル期の精神が称揚した自己陶酔に頼らない経済的で持続可能なアートなのである。

ここが重要なところである。アンディー・ウォーホルはアートと大量生産を同一視し、成功したアート作品はお金を生み出すガラクタだと思うように世の中に呼びかけた。それ以来、そのはるかに大きく、力強く、輝かしい娯楽の対象に出資できるという能力によって、お金はアートを評価する唯一の影響力を持った価値判断の基準となったのである。世界のアート界はジェフ・クーンズやダミアン・ハーストの自己声明に支配されており、これによって我々は現在、村上まで辿り着くことができた。たった一つの発想、そしてそれを尋常ではないスケールで実行する力は《マイ・ロンサム・カウボーイ》で15,000,000ドルを稼ぎ出した。また、ハーストの骸骨のことを考えてみよう。それは大規模な投資を使って最も大きな結果を生み出したのである。

私はここで別の美学を提案してみたい。それはまさに節約の原則である。もちろん、これにはこれで古典的な日本の概念の中にそれ自身が起こすエコーが存在すると言われているのかもしれない。例えば「もったいない」などがそれにあたるのであろうが、これもまた世界的な共鳴、エコーである。美的価値と経済的価値は同じではないし、印象的なアートというのは実際、何でもないようなものから何かを作り出せるものなのかもしれない。それは大企業の投資や、現実逃避者のポップカルチャーを生産する生産ラインを持つ精密な工場よりも、アーティストたちが日常生活の中で捕まえる造形物や道具、そして方法からできているアートである。これは現代アートを考える上で十分に支持できるものであろう。

このことが重要な考え方であり、またこうした考え方が適した時に成されたという事実は容易に理解できる。「THE ECHO」展が開催されて2日後、ダミアン・ハーストがサザビーズにおいて最高価格で作品を販売し、このことはそれまでの世界的なアートバブルの終焉と絶頂を示したのである。さらに、そのまさに2日後、リーマン・ブラザーズの破綻によって世界経済を何年ものあいだ包み込むであろう沈滞と不景気、そして破壊的な金融危機の始まりが暗示された。現在、世界経済で起こっていることは全て、1990年代初頭に同じような経済状態を経験した日本には馴染み深いことであろう。アートマーケットは不動産や金融のように至る所で急騰している。しかし、その他の商品がそうであるように、上昇していくということはない。今や破綻が起きているのである。そして現代アートを再評価する時期がやってくるのである。それにより、巨大なプラスチックのインスタレーションは最終的にはガラクタでできたものに成り果てることだろう。我々が入っていこうとしている新しく、はかないこの世界に慣れてしまったアーティストたちは、これまでとは全く異なるアートを作ることだろう。ゴールドラッシュを終えて、かつて失っていた、現代アートが成し得ることに対する我々の確固たる思いを取り戻すために、「THE ECHO」展で展示されているようなアーティストたちに注目していきたい。

共訳:山下千智、野中祐美子


[1]i.e.: Kawaii! Japan Today, Fundació Joan Miró, Barcelona, 21 Sep 2007–20 Jul 2008ここでは日本人新進作家による5つの個展というプログラムが組まれていた。; Just Love Me (Kawaii Kills), Royal/T, Culver City, LA, 12 Apr–25 Aug 2008; and Manga! Japanske Billeder, Louisiana Museum of Modern Art, Humblebæk, Copenhagen, 8 Oct 2008–8 Feb 2009. 以下の例は明らかに村上隆の影響下にあるキュレーションであった。i.e.: Kawaii! Vacances d’été, Fondation Cartier, Paris, 2002, and Little Boy: The Art of Japan’s Exploding Subculture, Japan Society, New York, 2005.
[2]元外務大臣の麻生太郎氏のスピーチを参照:‘A new look at cultural diplomacy: a call to Japan’s cultural practitioners’, 28 Apr 2006.日本に焦点を当てた新政策の可能性を最初に見出したのはダグ・マックグレイである。Doug McGray, ‘Japan’s Gross National Cool, Foreign Policy, May/June 2002.
[3]「THE ECHO」ZAIM、神奈川、2008年9月13日—10月5日。
[4]日本の現代アートの新たな方向性に関して書かれたものとしては前森美術館館長でデヴィッド・エリオットによる以下の文献を参照、David Elliott, ‘The zombie, the alien, the hybrid and the mask: late Showa anxieties in Heisei art’, essay for opening of Off the Rails, Mizuma and One Gallery, Beijing, 26 Apr–24 Aug 2008. エリオットは現在ニューヨークのジャパン・ソサエティにおいて新たな企画を進行中である。Bye Bye Kitty!!! Between Heaven and Hell in Japanese Contemporary Art, Japan Society, New York, scheduled 2011.
[5]これらのアーティストの多くは美術手帖の特集「日本のアーティスト・序論」(『美術手帖』vol. 60、no. 909、2008年)に取り上げられている。
[6]The Poetry of Bizarre, Fundació Joan Miró, Barcelona, 30 May–20 Jul 2008; PixCell (PRISM), Pekin Fine Arts, Beijing, 7 Sep–30 Nov 2008. 名和は最近自分自身が選んだ京都のアーティストによる展示をチューリッヒで行った。Senjiru – Infusion, Galerie Kashya Hildebrand, 12 Jun–16 Aug 2008.
[7]「六本木クロッシング:未来への脈動展」森美術館、東京、2007年1月14日—10月13日。
[8]椹木野衣「ネオ・ポップ」(『美術手帖 』vol. 44、 651号、1992年、pp.86-98。)及び彼がキュレーションした展示、「日本ゼロ年」水戸芸術館現代美術センター、茨城、1999年。
[9]「Starburst Galaxy」MOT×Bloomberg パブリック・スペースプロジェクト、東京都現代美術館、東京、2007年6月2日—2008年1月20日、「TEAM04+05 鬼頭健吾+田幡浩一」トーキョーワンダーサイト渋谷、東京、2006年3月17日—4月12日。
[10]「マイクロポップの時代:夏への扉」水戸芸術館現代美術センター、茨城、2007年2月3日—5月6日。
[11]「ネオテニー・ジャパン—高橋コレクション」札幌芸術の森美術館、北海道、2008年11月22日—2009年1月25日(霧島アートの森、鹿児島、2008年1月18日—9月15日、上野の森美術館、東京、2009年1月—5月20日)。
[12]松井みどりによる以下の文献も参照:Midori Matsui, ‘Beyond the pleasure room to the chaotic street: transformation of the cute subculture in the art of the Japanese nineties’, in Little Boy (2005),pp.209-239.
[13]「第四回府中ビエンナーレ:True Colours—色をめぐる冒険」府中市美術館、東京、2008年11月15日—2009年2月1日。
[14]「三田村光土里@YOKOHAMA」創造空間9001、神奈川、2008年9月13日—11月30日、「向島芸術計画2007」現代美術製作所、東京、2007年10月20日—28日。
[15]ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」(1935)in Illuminations, trans. Harry Zohn, ed.Hannah Arendt (London: Jonathan Cape, 1970), pp.219-254.
[16]「赤坂アートフラワー08」赤坂サカス、東京、2008年9月10日—10月13日。
[17]「TEAM14竹村京:Apart a part」トーキョーワンダーサイト渋谷、東京、2008年6月28日—8月31日。



ADRIAN FAVELL
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