「雪」 曽根 裕展 プレスカンファレンスインタビュー

「雪」 曽根 裕展
プレスカンファレンスインタビュー
2010年12月13日 メゾンエルメス8Fフォーラム

曽根裕展、あと1ヶ月となりました。
冬の日差しの中、輝く雪景色にも、室内とはいえ光の変化が見られます。
立春に近づき、現在は午後2時から4時くらいが、なんともいえず美しいタイミング。
是非この時間帯にご来場くださいませ。

さて、曽根裕さんの『雪』にまつわるお話、記者発表の際にお伺いした内容を抜粋してこちらにご紹介いたします。

曽根裕:こんにちは。曽根裕です。今日はわざわさ集まっていただいて、ありがとうございます。私には、一つの夢、アーティストとして大きな夢がありまして。その大きな夢に向かって、毎日作品をつくっています。人生のなかでやってみたいと思っているプロジェクトの一つが、すべて違う形の雪の結晶を、水晶でできる限りたくさん作るということです。生きている限り、できるだけたくさん作って、いずれは100個、200個、300個となるまで。山では、一瞬のうちに数えられないぐらいの雪が降っているのが現実ですから、そこに追い付くという気持ちはないですけども、せっかくアーティストやっているなら、そういう大きな夢を持って活動してもいいかなと思って。その一つのゴールというのが、毎回違う形で雪の結晶をクリスタルでつくることです。
 
 冬になると雪の結晶を見ます。水分が雲の中で自然にくっついて、結晶化していくプロセスのなかで、水滴がどのように6方向に伸びていくのかということについては、科学者の中谷宇吉郎さんが素晴らしい研究をされています。中谷さんは実際に低温の部屋の中で人工の雪の結晶をつくって、その環境をいろいろと変えることで、雪の形がどういう形に変化していくかというのを50年も前に検証しているのです。その発見が今の天気予報とかに役立ってきているわけなんです。それは科学的なものですが、私の場合、もうちょっとそういう形の正確さが気になる。例えば一つの水滴が6方向に動く場合、形がこう伸びるんなら、こっちが減るとか、薄くなるとか、厚くなるとか。そういうのをなんかだんだん想像できるようになっています。

 つくり続けていくうちに、よりその水滴の動きが分かるようになっていくと思いますし、なりたいと思います。そして、いずれは小さいものや大きいもの含めて、たくさんの雪の結晶が一つのスペースに置かれて輝いている、そういうインスタレーションをやってみたいなと思っています。夢ですから。このプロジェクトをはじめたのは2003年ぐらいからで、実際につくりだしたのは2004年からですが、プロジェクトとしてだんだん固まってきたのは、実はごく最近なんです。今回が4回目ぐらいのインスタレーションなんですが、今までで一番数多く展示しています。夢がある以上、やっぱりちょっと数にはこだわってですね。古いものに加えて、今回新作で新たに9個つくりました。新しくつくったのと、古いのを見ると、やはりまだまだ雪の形に対する自分の感性みたいなものがちょっと緩かったり、その辺がまたかわいかったり、水晶の扱う技術が安定してなくて、磨き方が下手だったり。そういう古いものも含めて全部で16個をインスタレーションすることができました。

 数を増やしていきたいという大きな夢と、実践的な制作のなかで、今回のインスタレーションというのは、私は始めて8階というとちょっと地上から離れている場所で展示をしました。さらにメインの壁がガラス素材なので、ドローイングも空から降っているような感じがして。私自身は、雪が地面にくっつく前の、浮いている雪の結晶をつくっているつもりですので、今回そういうものがいろいろマッチしてうまくやれたかなと思っています。

エルメス(以下H):スキーとは、曽根さんにとって何であるのかを教えていただけますか。曽根さんは、趣味としてギターをされていますが、ギターは、ただ純粋に上達することの喜びやわくわくを得るということ。そうした趣味というものとは違って、スキーは制作活動とすごく密接に結び付いているもののように感じるのですが。

曽根:スキーは趣味です。ギターは永遠に初心者でいたくて、特に毎日上達するのがすごい楽しいわけですね。スキーは、すでにもう40年ぐらいやっていると思うんですけれども、毎日同じ状況というのがないんですね。例えば、私がロサンゼルスに移ってから毎年滑っているマンモス山、今回の一つのテーマにもかかわる山なんですけれども、そこで10年滑っても、まだまだ毎日新しい場所や滑る場所が見つかったり。それだけ滑っても、もうみんな知っているだろうということはなくて。スキーで移動するというのは、線で移動するわけです。体力はこれからどんどん落ちていくかもしれませんが、40年やってて、今の滑りが一番いいんですよね。山の上のほうに新雪滑りに行った帰りには、どうしてもアイスバーンを滑らなきゃいけなかったり、急に、風がこっちから吹いているときは、あそこに雪がたまっているとか、今月のこの風のときはあそこが新雪があるとかね、そういう若いときは知らなかったけれども、何年も何年もそこらの山に行くとわかってくる知識が増えてくる。そういうのも総合して考えるとまだまだ毎日上達しているというか、毎日うまくなっているというか、新しいことが起きる。そういう意味では、特に雪が降った日なんていうのは、朝8時にリフトが動きますから、7時半ぐらいからリフトに並ぶんですね。

H:新雪で滑りたいということですか?

曽根:誰も滑っていない、雪が降った山って真っ白で、すべての形が白でアートストックされて。夢のような世界で。そこにスコッと自由に、どこにでも行けるというのは、やっぱり新雪スキーヤーの一つの欲望というか、目的というか、耐えられない瞬間がありまして。だから、地元の人間とつばぜり合いをしながら、リフトの一番を狙うわけですよ。最初の1本目は本当に誰も滑っていないところを滑ることができます。2本目になると、誰かの跡があるわけですよ。スキーを滑った人のね。3本目のスキーリフトになると、もう少し滑った人の跡があって。それでもやっている行為は新雪スキーなんだけども、視覚的にはちょっと弱いですね、線があるから。本当に何もないところに滑っていくときは、自分の前に線がないですから、本当に気持ちいいんですよ。

 日本というのは、低気圧に挟まれた島ですから、日本の山というのは天気が読みにくくて、割と降るところはどかどか毎日新雪が降るんですね。でも、私の通っているところ、マンモス山は、シエラネバダ山脈といいまして、アメリカの西海岸のサンフランシスコとロサンゼルスの間にあるぐらいの場所にありまして、砂漠の真ん中にある山で、標高が大体3千300メートルぐらい。太平洋型何気候っていうのかな、ひとたび大きなストームがガツンと来ると、がーっと雪が降って、それが終わるとカランと一週間ぐらい天気。すると、だーっと降り始めて、降ってないと滑れますから、降り始める前にそこにインして。降っている間滑って。降ってるときは、風が強いから、上のほうは結構滑れないんですよ。本当に風速が100メートルとかそのぐらいになっちゃうんで。で、リフトも全部止まっちゃって、下のほうで木の間をちょろちょろちょろちょろ楽しむ。そのストームが終わって、天気が晴れると、まず最初にパトロール隊がアバランチシュートって、ドンドンドンドンドンって、バズーカ砲みたいなもので全部雪崩を落としちゃうんですね、落ちそうな雪崩を。そのあと、パトロール隊がチェックして、それでリフトが開く。

H:素材について伺いたいのですが、ご自身の表現を完成させるためにどのように素材や手法を選ばれていらっしゃるんでしょうか。

曽根:それはそれぞれのプロジェクトによって、選択のされ方が違うと思うんですね。今回に関しては、「雪」っていうサブジェクトが先にあって。で、もう一つどこからの心の中で、彫刻をやる以上、一つの、もう一つの違う夢があって。なんか、彫刻、立体から影を抜いてしまいたい、そうしたら、時限が変わったような出来事が起きるのではないかという。それで、ガラスじゃないかって、考えたんだけど、ガラスというのは分子構造でつながっているから、結晶体ではないんですよね。のりでくっつけたベニヤみたいなものなんですよ。そういう意味で、ちょっとピュア感が足りないんですね。あと、ガラスというのは、削りにくい。それに対して水晶は削れるんですよ。もちろんガラスも削れるんですけれども、割っていくという感じですね。水晶は、完全に削っていくという感じです。そういう違いがありますね。あと、透明のものというと、アクリルのプラスチックとかになるんですけれども、やっぱり時間がたつと黄色くなっちゃったり、やっぱりのりみたいなものですから、ちょっと違う。雪の感じも違うなと。そのようにして、素材を決めるのにも、かなり時間がかかりました。水晶だということを確信できるのに、プロジェクトを始めてから3年ぐらいかかっていました。

久しぶりの日本での展覧会ということで、少々緊張気味に見えた曽根さんも、まさにライフワークともいえる大好きなスキーの話になると、まるで雪を見るこどものように生き生きと目を輝かせていました。
トークを聞きながら、曽根さんの雪の結晶プロジェクトに微力ながらも加担できたことを改めて嬉しく思いました。同時開催のオペラシティーでの展覧会も相関性が高く、曽根裕ワールドを皆さんに堪能していただけるまたとない機会となりました。

■「雪」 曽根 裕展 

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