「手の好き間」 須田悦弘+中村哲也展


[タイトル] 手の好き間
[アーティスト] 須田悦弘+中村哲也
[会期] 2002年4月20日~6月23日

「手の好き間」をめぐる対話

須田と中村はともに自らの手で一から作品をつくりあげる作家である。腕には自身がある。それはプロの美術家として当然のことともいえるが、現代美術の潮流においては、コンセプトが重要で、制作は発注するだけで成立するという場合が少なくない。その意味では、須田が言うように「時代の流れに反した」創作であるかもしれないが、美術とはある時代のひとつの流れだけのものではない。須田と中村が支持される理由のひとつに、確かな技術によって生み出された美術作品としての「もの」を完成度の高さが挙げられるのは、ひとりの人間が自分の手によって生みだす芸術が、人の心を動かすという証であろう。
「手」というテーマによって結びつけられた二人の作家とエルメスのあいだで、さまざまな対話が生まれた。須田が目をとめたのは、メゾンエルメスの隙間、銀座の隙間。今まで気づかなかった建築の特徴を引き出し、フォーラムの空間全体と拮抗する、密やかで可憐ながら強い花々である。中村の二台の「レプリカ・カスタム」はその磨き込まれた表面にガラスブロックのグリッド状の光を映しこみ、夜になれば銀座の象徴とも言えるネオンを映しこんで堂々と存在を主張する。
ものをつくる時、手は何を考えているのだろう。手が考える、とはおかしな言い方かも知れないが、この展覧会のフランス語タイトル「手が夢見た世界」のように、人は脳だけでものを思うにあらず、手に導かれて違う世界を夢見たり、ものをつくることがあるのではないだろうか。「手」の技がつくりだす繊細ではかない美、あるいはダイナミックな美。「好き」=数寄という、妥協のない美意識。「間」という、空間、時間、そして人との関係性に対する意識。須田悦弘と中村哲也という二人の作家が、手に導かれて現出させた空間との対話を通し、この展覧会を観る人の想像力がふくらみ、手の夢見た世界に遊ぶことを期待せずにはいられない。

児島やよい(インディペンデント・キュレーター)

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