クリスチャン・ボヌフォワ展

【アーティスト】クリスチャン・ボヌフォワ
【会期】2013年12月13日(金)~2014年2月28日(金)

絵画の織りなす星座
クリスチャン・ボヌフォワ

私はこの展覧会を、1974年以降の活動の節目をなしてきたシリーズ、すなわち「バベル / Babel」「ユリイカ / Eureka」「フィオレッティ / Fioretti」「ルド / Ludo」「コンポジション / Composition」「マシンとダイアグラム / Machine and Diagramme」に基づいて構成した。
全体としては、形式上の特徴が大きく異なるさまざまなオブジェを通して展覧会を彩る「思考」を前面に押し出した、一種の「選ばれた」回顧展と考えられるかもしれない。構造としてのデッサン(「バベル」)、技術の実験としてのノート、あるいはスケッチブック(「フィオレッティ」)、凝縮の場としての絵画(「ユリイカ」)、遊びと空間化としてのコラージュ(「ルド」、「コンポジション(銀座の上空の黄道十二宮の星座)」)、その後のイメージから言葉への概念化ともいえる移行(「マシンとダイアグラム」)。
これら一つ一つが並行して、変則的に、また序列をなさずに広がってゆく。それらは気まぐれに、あるいは通底する道しるべの糸の動きに合わせて、代わる代わる優位に立つ。この道しるべの糸は、アリアドネのほどく糸よりもプルーストの銀の糸に近い。この糸あるいは媒介手段は、光、より正確に言えば半透明体――深さも形状も像も持たないもの――である。フィチーノが言うように、それは一つの行動なのだ。「実に、光は第一の身体の第一の形である。また光は完璧な存在であり、行動とは一線を画すある種不活発な性質を帯びるのではなく、極めて力強く、効果的な行動として存在する。そのため、当然のことながら、光はそれ自身の源から離れることなく、一瞬のうちに全てのものを透過して広がるのである」。
 また一方、この展覧会は私にとって、制作のための手続き、身振り、態度によって作品の全てが表されるわけではないということを示す機会であった。実のところ、これらは表面に露出して見える部分に過ぎない。それに対して、作品を条件づけ、支え、可視化しているもの、いわば展示様式といったものは目立たず、見えないか、あるいは見えているものの周辺部にある。これは、モホイ=ナジのような前衛派にせよピカソのような「古典派」にせよ、20世紀前半の大きな発見であった。最も頻繁に例に挙げられるのは、ブランクーシの彫刻の台座である。彫刻を展示するための便宜上の存在から、少しずつ彫刻の一部になってゆき、その特殊性を侵食し、作品に融合してゆく。ミニマリズム以降は、展示様式そのものを作品に置き換えようとする試みすら見られるようになる……。コンセプチュアル・アートとはこの融合の動きが極まり、絵画は時代遅れであると主張し、絵画という技法が無用あるいは非生産的なものであるとするまでに至ったものだと考えられるかもしれない。
融合に向かうこの動きには同語反復的性質がある。私はそこに、コラージュから受け継がれた換喩的機能を対置してみたい。私は機械/作品の対立と隣接をしっかり維持しつつ、アヴァンギャルドの時が満ちたことを考慮して、展示様式に、形を支えるという単なる役割以上の機能を付け加える。それは、 作品と対等な権利を持つ実験の場としての機能である。形式的効果の一面を表現し、それを用いて自ら変容し、さらには自らの戦略を変更する能力を有する。これにより、展示様式は形と融合しないばかりか、形が展示様式の機能に影響を与えることになるのだ。私はその例として、展覧会の中に「空間調節材 / Space Modetators」と呼ぶ特定の要素を用いた。それは、展示されたオブジェ(レリーフ、絵葉書、デッサン、コラージュなど)と壁の間に挿入された薄い紙の膜のことである。これらにももちろん形式的な側面はあるが、その機能は何よりも、額縁となり同時に絵画となって、オブジェを迎えたり統合したりすることである。あるいは逆に、受け入れられたオブジェを過剰規定し、自律的で自由な存在として空中に跳ね返し移動させるトランポリンのような機能を果たすこともある。
後になって、私はこの概念とモホイ=ナジの「ライト・スペース・モデュレータ / Light Space Modulator」との類似性に気づいた。しかし「空間調節材」は、モホイ=ナジの「光の機械」における空間の複数性の実験よりも、時間的変換の方に関係がある。
私が「マシン」と呼ぶもの、そしてそれとともに同じ壁に集められているものは、ある形を生み出すために必要な、技術的、概念的その他の実験を展示している。
これらの中間的オブジェ、すなわち作品、絵画、コラージュとの関連で考えられるこの「生み出す力」は、ある時間の長さを意味している。そこでは、作品そのものは(たとえそれがハイライトであったとしても)一つの瞬間に過ぎない。そしていったん作品が完成すると、この違いあるいは区分は、鑑賞者のまなざしというもう一つの局面において再現される。このまなざしが作品を成熟させる――それはすなわち、目に見えるものから発散され、生まれた場所の外にあるどこか別の場所へと想像力を広げる情動の総計である。作品は「マシン」の可能性を引き受け、それら全てを結びつけた後、再びそれらをほどくのである。
言い換えれば、選ばれ、同じ空間内に集められたこれらの作品は、一種の「マスクとベルガマスクが歌いながら行く」風景なのである。だからそこには、木々や葉っぱ、小川のせせらぎや流れ、空や星、グノーシス派の硬貨あるいはボルヘスの架空の動物記から借りた新しい星座(馬座やギター座、曲芸師座や雲座……あるいは熊手座)を持つ黄道帯といったものもあるのだ。妻とともに大徳寺大仙院を訪れた時、私たちは「ラ・マルセイエーズ」の最初の1節を歌う力強い声に迎えられた。それは当時の住職の尾関宗園氏の声であった。カトリック・ベネディクト会の修道院とは、実に何たる違いか! 住職は庭と枯山水についての著書にサインをしていた。そのとき、私の頭にあのメランコリックな名詩が浮かんだ。

いまや実りの季節というに
鋤と鍬とで 洪水に浸った土地を
あらたに耕しなおさねばならぬ……

これは私の目から見ると、非常に適切な余談に思われる。というのは、西洋で風景が絵画に欠かせないジャンルとなったのに対し、日本の伝統は風景に現実の中で「体を与える」、すなわち具体化する術を知っていたからである。与えられたのは体だけでなく、肉でもあった――というのはここで重要なのは「生けるもの」であり、そこではそれぞれ異なる時間が流れているからだ。宇宙の時を象徴する岩の重々しい永遠から、人の生きる時間に似た苔に見られる現在、儚い時、束の間の時、慈悲深い仏の見守る生と死の循環の時。例えば大仙院の庭は、1509年に古岳禅師によって造られ、その後、代々の僧侶、また四季のリズムに合わせた自然の時、双方の手によって発展し、変容し、変化してきた。フィロストラトスに言わせれば、最初の画家とは神々であり、それぞれの季節に色をつけたという。それは四季を区別するためだけでなく、流れる時に瞬間のすがたを与えるためでもあった。春の突然の芽吹き、秋の色彩がゆっくりと変わっていく時間の長さなどに。
人間の営為と自然の営為の組み合わさった行為は、芸術作品の本質、そして私がこれまでの文章で、不器用にではあるが説明しようとしてきたことを最も良く表している。すなわち、絵画も庭と同じように、絶えず変容する一つの過程であって、絵画の完成、それが壁に掛けられて展示されるオブジェとなることは、その絵画の運ぶ感情や思考がそこで終わってしまうことを意味しないということだ。感情や思考はそれぞれの道をゆき、他の媒体、他の身体に変容し、他の場所へ移動するのである。
「死後の生」について語ったとき、ヴァルター・ベンヤミンが言いたかったのはそれだったのだと思う。

メゾン・メゾンエルメス
中山英之

レンゾ・ピアノによるガラスブロックに包まれた建築「メゾンエルメス」の中に、もうひとつのメゾン(家)を建てるプロジェクト。8、9階の吹き抜け空間に、高さ最高6m、全長50m、厚さ41mmの、薄く大きな壁を自立させます。壁は折れ曲がりながら矩形の室内を横切り、均質な自然光に満たされたスペースにいろいろな大きさ、かたち、明るさの場所をつくり出します。前庭、広間、小部屋、廊下、裏庭。四角い敷地に建てられた建築がその内外に多様な場所を生むように、メゾンエルメスの抽象化された室内に、もう1つの架空のメゾンが浮かび上がります。

クリスチャン・ボヌフォワの作品は、時に木枠の透けた紗幕のカンヴァスに描かれ、あるいは木枠から切り離された色面が壁に直接ピンナップされることで、絵画とそれ以外を分節するフレームの存在を揺さぶります。そうした作品によって壁は、文字通りの展示壁にとどまらず、時にカンヴァスそのものとなり、それらに分節を与えるフレームとなり、もしかしたら彼自身のメゾンになるのかもしれません。

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