モニーク・フリードマン展 関連企画 オープン記念アーティスト・トーク


: 「壁の黄色」2005年、『区域』シリーズより. 中央:「カレイドスコープ」2010-11年. All images: モニーク・フリードマン展(金沢21世紀美術館 2011-2012年)展示風景 撮影:豊永政史 写真提供:金沢21世紀美術館

 

モニーク・フリードマン オープン記念アーティスト・トーク @ 金沢21世紀美術館

 

吉岡恵美子(以下、EY) 今回、モニーク・フリードマンさんの作品を当館で個展という形でご紹介できることを大変うれしく思っております。というのも、フリードマンさんは、ヨーロッパのいろいろな美術館やアートスペースでの個展を何度も行い、重要なグループ展にも参加しています。また、数多くの重要な賞も受賞しているのですが、日本で彼女の作品を見る機会がこれまでほとんどありませんでした。当館での個展以前の数少ない展示例としては、2000年に銀座のタグ・ホイヤーのスペースで展示が行われました。それからコミッションワークとして、山梨学院大学の図書館に大きな絵画作品が常設で展示されています。また、今回の展覧会に出品されている作品のひとつが、東京の在日フランス大使館のメインロビーを飾っていました。その関連として、フランス大使館芸術アタシェのエレーヌ・ケルマシュターさんが企画された『ノーマンズランド』というグループ展(2009-10年)にも参加しています。しかし、日本において彼女のここ30年にわたる活動の全貌を知る機会はありませんでした。この場でご本人にいろいろなお話を伺いながら、ぜひこの機会に、彼女の表現や考え方のより深い部分に触れることができればと思います。

フリードマンさんは1943年にフランスに生まれました。現在はパリに在住し、パリ郊外に大きなスタジオを構えて、そこで制作を続けています。フランスのトゥールーズとパリで美術を学び、その後、一時制作を中断されていたこともありましたが、1970年代の終わりに自身のスタジオを再開し、制作活動を開始しました。それから80年代、90年代と、常に絵画というスタイルで活動を続け、今でも絵画を基軸に制作を続けているのですが、2000年代に入った頃から、そのときどきに依頼されたスペースに合わせたインスタレーション作品を、紙、布、プレキシグラスなど、さまざまな素材を使って展開しています。

今回は、金沢21世紀美術館のスペースにおいて、彼女が軸足を置いている絵画を紹介しつつ、特徴あるこの建築空間で新作インスタレーションの制作も依頼しました。実際に私がスタジオに訪れたり、彼女が来日して対話を重ね、スペースに合わせた新作が3点、絵画作品が9点という形で展示が叶いました。これから、フリードマンさんがどういった作品を制作してきたのか、そのときどきのアートの状況とご自身との関わりなどについても伺いたいと思います。また、当館での展示についても詳細をお聞きします。

 


「カレイドスコープ」2010-11年

 

EY まず初期の絵画などをご紹介する前に、フリードマンさんがどのようにアートの世界に入ろうと決断されたのか、そこからお話を聞かせてください。

モニーク・フリードマン(以下、MF) まずお話ししたいのは、私が何者であるかということです。私はまず何よりも自分のことを画家だと考えています。画家とは何でしょうか。それは、ある言語を適用して、創作活動をする人間です。言語と言っても、われわれが話している言葉、音楽、身振り、手振りのジェスチャーではなくて、ある特殊な言語であり、画家とは、それを使って、空間を開いていく、ある知覚を感じ取って開いていく作業をする人間のことを指しています。そして、その特別な言語によって、鑑賞する人たちの感覚の世界も開いていきます。つまり、ある意味奇跡とも言えますが、その言語を使うことで、国や言葉が違っていようと、美術作品を見る人たちは新しい感覚に対して開かれていくと思うのです。

画家になりたかったので、私は両親の了解を得て美術学校に通うことになりました。最初はフランスのスペイン国境に近い、トゥールーズの美術学校で勉強を始めました。ここはかなりアカデミックな教育をするところで、例えば、版画や彫刻、絵画、油絵を勉強する学校でした。その頃、私はふたつのことにはさまれていました。ひとつは画家になりたいという欲望、もうひとつは、画家になるという意思決定のふたつです。画家になりたいということと、画家になるのだという意思決定をすることには大きな違いがあるのです。そして、画家になるという決心を持ち続けることによって、毎日描き続けていくことができるのです。このことは強調しておきたいと思います。なぜかと言うと、絵画というのは娯楽ではなく、そこには存在を深めていく何かがあるからです。これは特に強調しておきたいことです。なぜなら、フランスにおける私の世代、特に女性がアーティストになりたいと言う場合、「いいでしょう。アーティストになりなさい。美術学校に行って勉強しなさい。」と受け入れられました。しかし、それにも関わらず、結婚して子どもができると「もう作品を作らなくてもよいのでは」と言われる時代でした。ですから、絵画というのは娯楽ではなく、絵画によって自分というものを見せる、アーティストとして証明することが必要なのだということを申し上げたいと思います。

 

EY 学生時代から画家になりたいという意思を固めつつ活動を始められて、その頃のパリやフランス以外の国の絵画にも影響を受けたり、展覧会を見に行って刺激を受けたりしたことと思います。具体的に影響を受けた作家や作品、ムーブメントはありましたか。

MF 当時、現代美術ではパリのさまざまな流派が知られていました。それらは確かに非常に質のよい作品に見えましたが、一方では、何か狭い、あるいは限界がある、絵の額に閉じ込められたものように感じていました。つまり、息吹とか自由な呼吸というものがないように思えたのです。

その頃、私はアメリカの抽象表現主義の作品を知りました。そこには限りない自由があり、空間と作家の間に無限の可能性があり、かつ、リリカルな息吹が感じられました。アメリカの抽象表現主義、ウィリアム・デ・クーニングやジャクソン・ポロック、ほかにも、例えばジョアン・ミッチェルもそうです。彼らの作品を私はパリで発見し、それらの自由さに影響を受けました。これは私にとって非常に大事なことでした。

例えば、バーネット・ニューマンは、ご存知のとおり、抽象絵画の作家ですが、非常に重要な問題提起をしています。つまり崇高性ということで、すばらしい色の緊密さがあります。これは人間の範囲を超えているとも言えます。つまり、見る人が絵の中に入って、それによって崇高な聖域に入る。別に宗教的な意味で言っているわけではありません。聖域に入っていくことが可能であるということを見せてくれた作家です。

ジョアン・ミッチェルも抽象表現主義の作家で、動作の力強さを見せてくれる作家です。日本人の方々の感受性で、よく感じ取っていただけると思いますが、この動作というのは、同時に動作の知性であると思います。

彼女は自分のことを「レディ・アーティスト」という呼び方をしていました。彼女はもともとアメリカ人で、ニューヨークで活動していたのですが、その後パリに来ました。パリ郊外のモネの家がある近くに住んで制作活動をしていました。非常に重要な女性アーティストであり、私の友人でもあります。そして、ジョアン・ミッチェルは、偉大な動作、力というものを示して、私に勇気を与えてくれました。彼女の絵画というのは、自分の家の庭の木々や、友人、犬などにも非常に関係しています。そして、いわゆる愛情との対話を非常に大切にしていた作家です。

せっかく友人である彼女の話をしているので、思い出を語りたいと思います。彼女はたくさん犬を飼っていました。私が制作活動の中で非常に困り、どうしたらいいか分からないとき、彼女は「あなたの犬を連れてきなさいよ」と言ったのです。実は、私は犬を飼っていなかったのですが、それに対して彼女は、「犬というのは疑いとかメランコリーのこと、それを私に渡しなさい。あなたは制作すればいいのよ」と言ってくれたのです。

 

EY そのほかにも、フリードマンさんがインスピレーションを受けたボナールやマティスについて伺いたいと思います。

MF 彼らについての話は、長く、多岐にわたります。なぜなら、私自身の制作活動そのものに関しての話になるからです。画家として活動するということは、対話をするということでもあると思うのです。古い洞窟絵画の先史絵画から現代に至る美術史の中で、さまざまな対話をしながら制作活動を続けていくのが、アーティストの活動ではないかと思っています。

 


モニーク・フリードマン展 展示風景

 

EY あなたのスタジオに置かれていた書籍が非常に多種多様であることに驚かされました。古い時代のものから新しい時代のもの、西洋や中国のものから日本のもの、絵画、彫刻、工芸など、様々な書籍がそこら中にありました。日常の中でこういった様々な世界と対話がなされ、作品が生まれてくるのでしょう。
さて、フリードマンさんは1970年代前半は活動を中断し、紆余曲折を経て70年代の終わりにスタジオを再開したのですが、その辺りを少しお話しいただけますか。

MF 確かに私はその時期に創作活動をやめたというか、アトリエを閉めました。1968年頃で、パリ騒動やパリ革命と言われている、フランスの社会にとっては非常に重要な学生運動の時期でした。そして、当時私も含めて多くアーティストが、アートをイデオロギーの観点から考えていました。芸術というのは何の役に立つのだろうか。人民の解放、人民の自由のためにアートが何の役に立つのか。アートは階級闘争にとって何なのかというようなことです。非常に政治的、イデオロギー的に問題を考えていました。私もそういったところに入りすぎましたが、当然ですが答えは見つからないわけです。具象絵画を描きつつ学生運動の闘士であった私は、絵に対する関心をどんどん失っていきました。そして、自分のアトリエに行くということ自体が重い試練になってしまったのです。アトリエに行くためには、行きたいという自分の気持ち、思いがなければならず、絵に対する興味がなければ行けません。自分はそういったところに陥ってしまったのです。

そのとき、私を助けてくれたものがふたつありました。ひとつは、当時の著名なフランス精神分析学者であるラカンのセミナーです。ラカンのセミナーは、自我、自分自身とは何かということについての問い直しとなりました。もうひとつはフェミニズム運動でした。「革命、思想、そういうこともいいけれども、私たち、女性というのは何なのか」という問題についてです。そうしたことを経て、再び考える新たな道具というものを私は持つことができ、アトリエに戻ることができました。大手を振ってではなく、非常に静かな形で帰ることができたのです。当時まず始めたのはデッサンです。自分の感動に基づいてデッサンをしました。大きなメッセージを伝えようとか、世界を変えようということではなくて、自分が感じたことをデッサンで描くということを始めました。

 

EY 今のお話を伺っていますと、創作活動の中断から再開において、先ほどのお話にでたジョアン・ミッチェルをはじめ、フランス、そして世界のいろいろな女性アーティストたちの活動や作品から影響を受け、時には勇気づけられたりされたのでしょうね。そして自分とは何か、誰かというアイデンティティの再認識、再考によって、絵画という道にまた戻ることができたように見受けられます。この、アイデンティティに対する問いは、その後も、作品を制作する上での大きな原動力や動機になっているような気がします。

MF そうですね。つまり、私は先ほど言った絵画の言語、色の言語を発見したのです。色というものは非常に難しく、また危険なものでもあります。少なくとも私にとって、それに到達するには障害を乗り越えなければなりません。そういうものが色です。私は最初、白、黒、灰色といった色から始めました。すぐさま黄色や紫色といった色に到達したのではありません。まず、自分の内部で色というものを征服していく作業が必要でした。

 

EY そういった作業において、常に自身の身体を用いて探求を行ったというのが特徴的だと思います。頭の中だけで考えて探求するのではなく、素材である色彩やカンヴァス、顔料やパステルなどの材料を実際に手に握り、素材と格闘するかのように、非常に直接的な動きや対話の中で色が生まれ、画面に広がりが生まれると捉えています。

MF 全くその通りです。絵の創作というのは、私にとって知的な活動だけではありません。もちろん計画や方法はありますが、それだけではなく、絵画には現実の「手」が非常に大切なのです。日本では書道というものがあるので、よく分かっていただけると思います。

絵画を描く手というのは、特殊で不思議な知性を持っています。また、素材、物質と一緒に物事をなす共謀性というものが大切だと思います。素材のおかげで自分自身、創作を豊かにしてもらえることがあると感じています。素材が語っていること、伝えようとしていることを、作家が注意深く聞くと、作品をよりよく制作することができます。

今申し上げたようなことを作家が感じ取った後に、つまり手の知性の後で、方法というものが生まれるわけです。創作活動の間に何があったか、何が起きたかを把握し、それを繰り返すことによって、どういった方法を使うかを考える段階が生まれてくるわけです。つまり、まず身体的な経験の教訓を受けてから、方法論が始まるのです。

 




: 手前: 「アプサント」1989年. : 「黄色いタイル床」1989年. : : 「ナージュの婦人たち II,2」1995年. : 「ナージュの婦人たち II,1」1994年

 

EY これは私たちが「絵画の部屋」と呼んでいる展示室11です。大きなスペースに彼女の絵画作品を一堂に集めて展示をしています。これはそのすぐ外の通路のスペースに展示をしている三連画「アプサント」(1989年)です。黄色と黄緑、その上を走る白、ピンクなどが大変印象的な作品です。これはパステルと顔料で描かれていて、今回展示している絵画の中では一番古く、1980年代終わりの作品です。これともうひとつ、展示室11の奥にある「黄色いタイル床」(1989年)という、やはり黄色を基調にした作品があります。これも同じ時期の作品です。

本展ではそれ以後に描かれた作品を主に並べています。例えば「ナージュの婦人たち」シリーズ(1994-95年)などは前の二作と少し手法が違っています。私は、「ナージュの婦人たち」から始まって今に至る手法が、大変興味深いと思っているのですが、これについてご説明いただけますでしょうか。

MF もちろんです。主にふたつの重要な道具があり、ひとつはパステルです。ただ皆さんがよくご存知のパステルと違って、非常に大きな塊のパステルを使っています。それまではよくあるタイプの小さなパステルを使用していましたが、あるとき私は、そのパステルを扱う業者の担当者に「今はもう20世紀だからもっと違う、より面白い、より大きいものを使いたい」と申し出ました。しばらくして彼から「あなたにぴったりのものがあったよ」と連絡があり、パステル工場で小さな棒状にする前の大きな塊を持ってきてくれました。

パステルというのは色の塊というか、色の凝縮したものと言えます。非常にきれいですが、同時にこれほど大きくなると非常に力強く、手の中で力を与えてくれるものになります。私は創作中に、何度も同じ動作を繰り返します。それによって一種の自動作用(オートマティズム)というものを自分の体の中に植え付けていきます。そして、このときから線のアラベスク、曲線のアラベスクというものを創作したいと思うようになりました。これはアトリエで生まれた考えです。あるときアトリエにひもが転がっていました。濡らしたカンヴァスの下に、そのひもを偶然に任せて置いて、ひもの痕跡をパステルで取っていくという作業をしたのです。この痕跡を取り出すという作業は非常に興味深いものでした。ひもは作家にとって目に見えません。つまり、画布の下に置いてあるので、目に見えないものの跡をカンヴァスの上に取っていくということです。これによって、私は目を覚まされました。

 

EY 私はあなたのアトリエで、片手でようやくつかめるぐらいの大きさや、少し使いかけた小ぶりのパステルの塊が大体の色ごとに何箱にもわたって並んでいるのを見たときに、あなたの絵画の原型というべきものを垣間見た気がしました。

そこにはいろいろな細さや形状のひもやロープ、時には小枝やつるなどもありました。こういうものをカンヴァスの布の下に置いて、その上からパステルでこすることによって、模様を浮かび上がらせるという手法を「ナージュの婦人たち」の辺りから用いています。自身でコントロールして描く線ではなく、偶然性に任せ、それを身体をもってすくいとり、浮かび上がらせた、うねるような自由な線に、そういった行為のプロセスの結果が表れています。

MF おっしゃるとおりです。

 




: 左から: 「灰色」2004年.「アマランス色」2004年. 「金色 1」2005年. いずれも『輝き』シリーズより. : 『季節―ボナールとともに』より5点 2010年

 

EY こちらは本展で出品中の「アマランス色」(2004年)という作品です。ケイトウという種類の花の名前がタイトルに付けられており、250×250cmの非常に大きな作品です。ここに細かく見えるパターンが先ほどより説明があった手法によるものです。私からの質問ですが、この手法以前には、制作をするときにカンヴァスを立てて、そこに向かい合う形で描き、この手法を取り始めてからは、縦ではなく水平に、床の上にカンヴァスを置いてご自分が覆いかぶさるような形となる、つまり、制作の向きが垂直から水平に変わっていると考えていいのでしょうか。

MF その通りです。カンヴァスを立てるのではなくて、床に平行に置いて描いています。いくつか申し上げますと、まず、私は絵画をシリーズで制作します。カンヴァスの下にひもを置くということは同じです。色は同じであったり、変えたりしますが、その痕跡を取るという動作に関しては同じことを繰り返します。しかし結果は、一点一点が全く違う絵になり、同じ絵はひとつもありません。創作活動の方式は同じです。痕跡取りをするための配置も同じです。使う素材も同じです。カンヴァスの大きさも同じです。でも結果はひとつひとつ違うのです。

そして、先ほど申し上げた動作の力強さが重要です。手の知性とともに動作の力強さなしには、ひもなどの痕跡を取っていくという作業はあり得ません。

 

EY 今お見せしているのは、現在展示中の「輝き」というシリーズで、それぞれ個別の色がタイトルについています。先ほどの「アマランス色」、そして「金色1」(2005年)、「灰色」(2004年)が並んでいます。

それから、今回展示している絵画の中では最新作『季節—ボナールとともに』シリーズ(2010年)から5点ほどご紹介しています。画面に見えるこういった帯のように区切られた区画というのは、これまではそれほどなかったと思います。もう一つ、このシリーズが他の絵画と異なるのは、タイトルが色の名前ではないということです。「季節」、それからボナールというフランス絵画の巨匠の名前が登場し、若干文学的なタイトルとなっています。この新作の制作にあたってのお考えをお話しください。
MF 『季節-ボナールとともに』は20点ぐらいの作品からなるシリーズです。ボナールというのはご存じのとおりフランスの作家で、私が大好きな作家です。ボナールは色の力や繊細さ、脆弱さをよくわかっているアーティストでした。そして、ボナールは手帳にさまざまなことを非常に静かな形で書き留めていました。例えば「今日、空は青い」「明日は空に雲が幾つかあるだろう」というような覚書です。そういった日々の色について、ボナールは書き留めていたわけです。つまり、色の言葉を大切にしました。ボナールはしばしば女性ヌードを描いていました。そのヌードの絵の中で構成の研究をよくしていました。つまり、絵の背景に「ダミエパターン」、日本語で市松模様や四角の模様ですけれども、そういう模様がよく見られます。それは女性が入っているお風呂場のタイルであったり、あるいは部屋の中のテーブルクロスであったりします。そのようなダミエパターンを使って、非常に微妙な色を変化させていくというボナールの手法があります。ボナールについて話し始めるととてもこの短い時間では語りきりません。

 

EY 素材は違いますが、ターラタンという薄い布を、絵画を描くときと同じ顔料で着色した上で、二重もしくは三重に重ねた『区域』シリーズ(2005年)でも、グリッドパターンが浮かび上がっていますね。素材が違っても共通性があります。本展で出品中の「壁の黄色」(2005年)という作品でも、長さ15mにわたって、黄色を基調に異なる色合いに着色されたターラタンが重なり合いつつ、長方形のグリッドを構成しています。このように、作品に時折現れるグリッドが非常に興味深いと思います。グリッドというのは、近代の抽象絵画の中にもよく見られます。しかしそういう隙がなく、ほかの要素の介入を許さないタイプのグリッドではありません。例えば布の作品は、布がレイヤーで一重、二重に留められていますが、きっちりと全部縫い付けられたり、壁に留められたりしているわけではありません。今回の展示にも見られるように、上の方はピン留めで、ふわっと浮き上がっている部分があり、境界線がゆらいだり、そこに光や影が介在してそのときどきで変化して見えることを、逆に強みとして持っています。見る人の側からしても、作品をいつ見るか。どういった光のときに見るか。どこから見るかによって、見え方が全然違います。この独特なグリッドの使い方について少しコメントをお願いします。

MF できるだけ簡潔に話したいと思います。正方形あるいはダミエパターンというのは、まさにモダニストのイコンです。シュプレマティストの作家にとってもそうです。ダミエ、あるいは正方形というのは非常に厳格、抽象的なものであり、固いというか、厳しい形であります。

一種の挑発と言ってもいいかもしれませんが、私はこのモダニストたちのイコンである正方形を換骨奪胎して違う形にしてきました。つまり、私の正方形、ダミエパターンは壊れやすくて、軽くて、括弧付きで女性的とも言えるかもしれません。私にとっては一種の水彩画のようなものです。パウル・クレーもダミエパターンあるいは四角形を使っていました。先ほど言ったボナールもそうです。また、モンドリアンもやはりダミエを使っています。そういったモダニストたちのイコンである、固い、厳しい形のダミエを私は自分流のダミエにしたのです。

同じように、私は「赤の部屋」(2010-11年)で、ターラタンを用いて赤に関する追求も行いました。赤というのは、美術の歴史の中でもっとも基本的な色であると思います。ここでは、私はアメリカの抽象表現主義者のマーク・ロスコのことを考えながら、この作品を作りました。「赤の部屋」では、ターラタンを私が持っている赤い顔料で着色していますが、それも私自身の手でやっています。ターラタンの布は三つの層から構成されています。

鑑賞者の方々がこの部屋に入るということは、この作品、つまり、この赤そのものの中に入るということです。色の中に、赤に入っていくということです。これはある意味で非常に肉感的とも言える経験で、赤の只中に入っていくわけです。

 


「赤の部屋」2010-11年

 

EY 「赤の部屋」ですが、画像では、なかなか力強さや、ミステリアスで肉感的な感じが伝わりにくいかもしれません。どれひとつとして同じ赤がないのです。布と布の間に空気の層があり、上から差し込む自然光や人工光がその中にも入り、さらに鑑賞者がこの中で動くことから生まれる視点の変化で、非常に不思議な視覚的、身体的な経験を得ることができる部屋になっています。色に包まれるようなインスタレーションというのは、ほかの作家も作っていると思います。でもあなたの場合は、この三次元の空間のインスタレーションが、自身の「絵画」であるという認識を非常に強く持って作られていることが特徴的です。素材自体も絵画で使う顔料とメディウムを使っています。そこに表れるにじみのような跡を含め、作家自身がコントロールしつつもコントロールできないといったせめぎ合いの中で浮かび上がってくる濃淡さまざまなターラタンの表情は非常に絵画的です。赤は極めて強い色で、いろいろな意味を持っています。鑑賞者それぞれが、その中でどのように感じ、どう反応されるか、これからの会期中、とても楽しみなところです。

これまで絵画、そしてターラタンを使った作品をご紹介しながら、グリッドの扱いが、ご自分が影響を受けた近代絵画から出発して、どのようにそこから脱却されているかということを話していただきました。その関連で、今回の展覧会の目玉となっている新作「カレイドスコープ」(2010-11年)をご紹介します。展覧会エリアにわれわれが「光庭」と呼んでいる中庭がいくつかあり、そのひとつを横切るガラスの通路に彼女が20色ぐらいの、微妙にトーンが異なる色を選び、それをフィルム化してガラス面に塗布した作品です。いくつもの色の正方形からなるといった意味では、先ほど少しお見せしたモンドリアンの格子を連想できるかもしれませんが、全く別のもので、こちらはその日の天候、太陽の位置、鑑賞者の見る場所によって姿が異なります。作品とその他の様々な要素が互いに影響を与えながら成立するインスタレーションです。

この場所で、何かこういったものを実現してほしいとリクエストしたのは実は私でした。展覧会調査のためにフランスの作家スタジオを訪れているときに、モニークさんがトゥールーズの地下鉄駅に作ったコミッションワークをぜひ見せたいということで、一緒に行きました。その場所は、地下鉄の構内に通ずるホールのようなところで、人々にとっては単なる通過点として、とどまることはほとんどない、そんな無機質な場所です。彼女が恒久設置をした作品というのは、こういった色の付いたガラスを通して差し込む光がその空間を照らし、通る人々の上や、手すりや、階段の上に落ちるというものです。画像ではよく見えませんが、床の上に少しピンクがかったり、黄色がかった色の光が落ちています。上部の天窓ガラスに2つの異なる色がついていて、そこを通して光が入ってきます。光の落ちる場所は刻々と移り変わり、雲がかかったときにはさーっと色が薄くなり、太陽が出てくるとまたピンクと黄色の濃い影を落とします。単なる移動の通過の地点でしかないこの場所に、本当に美しくて深く心に残る作品を展示されていました。それを見て、何か当館でもしていただけないかとお願いし、実現に至った特別な作品です。

MF 「カレイドスコープ」においては、鑑賞してくださる人たちの経験が大切だと思います。壁や床に色が反射、反映していきます。また、晴れのときでなくても、雨のときでもとてもきれいです。水たまりの上にあたかも鏡のように色が反射します。ここで大切なのは経験ということです。

 


「ざわめき」2010-11年

 

EY インスタレーション3点のうち、最後にお話をいただくのが、「ざわめき」(2010-11年)です。「ざわめき」の前身といえる作品は、2008年にベルギーのブリュッセルにあるエルメス財団のスペース、ラ・ヴェリエールでの「ささやき」という作品です。半紙のように薄い紙を壁に2カ所で留めていて、空調の流れや鑑賞者の動きで紙がふわりと浮き上がり、その下に塗られている色を知覚するという作品でした。

こちらが今回、当館の丸い展示室に作られた「ざわめき」です。先ほどの「ささやき」と今回の「ざわめき」とでは、受ける印象が全然違うかと思います。いろいろな要素が関係していると思いますが、そのひとつとして、下に塗られている色を今回変えたことがあるかと思います。「ささやき」では、薄い緑がかった、青でした。今回この場所のために彼女が選んだ色は薄紫です。展示室でしばらく目や身体が慣れるまで過ごしていただかないと、実際は何色なのかというのが分からないぐらいの、ごく薄い紫色になっています。

ここでは鑑賞者の動きによって紙が動き、無限の動きを見せます。今回、薄紫という色を使われたことで印象が随分変わったように思いますが、この色に決めた背景にはどういった思いがあるのでしょうか。

MF 実は、この部屋には5色の薄紫色を使っています。私にとっては、それは一種、日本の色でもあるのです。薄紫色は精神的な色でもあります。そういったことから薄紫色を日本で使いたいという思いがありました。

 

EY この作品が完成して面白いと思ったのは、鑑賞者が歩いていく前方には風が起きないので、常に自らの後ろで風が生まれ、追いかけるように紙がめくれあがり、ふわふわと舞っていきます。その現象は振り返らなければわからないわけです。また、逆にそうやって紙を動かしている姿を他の人が見る、そういう体験の仕方もあって面白いと思いました。従って、誰もいない無人の状況では、この作品は完成したとは言えないと思います。何人かが入って動きながら、自分で風を起こしてそれを周りにいる人たちと一緒に体験する。きっとそこで、皆さんが発する声や生まれる音といったことが「ざわめき」につながるのではないでしょうか。

当館のスペースというのは非常に特徴的で、建物の外側だけでなく展示エリア内にもガラスが多用され、多くの光が入るため、外の天気やその時の光によって展示空間の見え方が大きく変わります。作品のアイデンティティはこうでなければいけない、こう見えなければいけないとかっちり決めるのではなく、「ゆらぎ」を、作品の存在のひとつの大きな要素として併せ持っています。

「カレイドスコープ」のカラーフィルムを通し、そばの通路に展示されている「壁の黄色」(2005年)を見るとき。光の影があちこちに伝わっていくのを見るとき。「ざわめき」の作品が人々の動きによって無限の形を見せるとき。見えない、聞き取れないぐらいのほんのわずかな微細なこと、微細なものに、私たちが耳を傾け、目をこらす。そういうことを促し、どこか別の次元に導いてくれるようなフリードマンさんの展示が今回完成したということは、担当キュレーターとして大変うれしく思っております。

MF 私も心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

(通訳:飯山雅英)
『モニーク・フリードマン展』の関連イベントとして、2011年11月23日、金沢21世紀美術館レクチャーホールにて行われたアーティストトークより

 

 


 

モニーク・フリードマン展
会期: 2011年11月23日(水)– 2012年3月20日(火)
会場: 金沢21世紀美術館
http://www.kanazawa21.jp/

Lecture@Museumシリーズは、美術館で行われた講演を、関係者の協力のもと、ART iTが記録、編集したものを掲載しています。

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