『マイ・フェイバリット』展 関連企画 やなぎみわ×河本信治 対談(2)


『プロジェクト・フォー・サバイバル』展(1996)展示風景 「ベネトンルーム:《サッコとヴァンゼッティの読書室》の再解釈」(1992/1996) 撮影:小西晴美

 

2. パブリックスペースとしての美術館:美術館は開かれるべきか

 

YM 引き続き『プロジェクト・フォー・サバイバル——1970年以降の現代美術再訪』展からですが、このベネトンのポスターとデュシャンのレディメイドの組み合わせの展示、これについても是非とも語っていただけませんでしょうか。

KS これはフランクフルト近代美術館(MMK)が、アメリカの建築家シャー・アルマジャーニの『サッコとヴァンゼッティの読書室』というプロジェクトの展示に併せ、独自の判断でベネトンの商業ポスターを同じ部屋に展示した時の騒動、美術館と一般市民との対話を取りあげています。この展示に対しフランクフルト市民の一部から猛烈な抗議が美術館に寄せられました。その多くは、「いま使われている商業ポスターを美術館で展示するとは何事か」という抗議でした。それに対して美術館が、非常に丁寧に、一通一通に対して誠実に対応していった。美術館はこの展示を2年間ほど維持し、市民との対話の記録も併せて展示していった。私にはそのプロセスが非常に興味深いものに思えました。私が『プロジェクト・フォー・サバイバル』の中のこの展示で紹介したかったのはベネトンのポスターではなく、美術館が市民の抗議に対してどのように反応し、どのような対応をしたかということ、つまり、美術館が美術館であるために行った具体的な行動についてです。ある意味でこれは、美術館の理想を守るための戦略的サバイバル活動の、とても誠実で典型的であると同時に例外的な事例ではないかと思うのです。ですからアンゼルム・キーファーとかマルセル・ブロータースとかヴディチコのような美術家と同じレベルで、MMKという美術館組織の自覚的プロジェクトとしてベネトン・ルームを取りあげたのです。フランクフルトではアメリカの建築家、シャー・アルマジャーニのプロジェクトと並置されたわけですが、美術館の行ったプロジェクトの構造を再現できるのであれば、必ずしもシャー・アルマジャーニである必要は無いと考えました。『プロジェクト・フォー・サバイバル』では、MMKの了解を得た上で、当館のコレクションであるデュシャンのレディメイドを並置して展示しました。

YM MMKの展覧会では市民とのやりとりはドキュメンタリーとして提示されていたのですか?

KS 展覧会を批判する新聞記事や抗議の手紙、そしてそれに対する美術館の解答が壁に貼ってありましたね。私も『プロジェクト・フォー・サバイバル』では抗議が寄せられるのを待ちかまえていました。会場にはフランクフルトでの市民と美術館との対話のコピーをケースの中に展示して、この後に日本での抗議と解答の対話が継続されることを少し期待していました、もっと増えるぞと。録音装置まで用意していました。でも全然増えませんでしたね。

YM そうですか。1通も無かったのですか……。美術館に抗議をするというのが、少なくとも私の時は考えなかったような気がします。そういう裏話をお聞きすると、作品がすごく面白いものに思えます。ただ非常にドイツ的ですよね。市民と美術館の関係をこうした形で結んでいこうとするのは、他のどのヨーロッパの国でもない、やはりドイツですよね。

KS ちょうどこの頃は、「美術館は開かれるべきだ」という以前から何度か繰り返された議論が、各地の美術館の現場で、具体的で個別的な対応として形を取り始めた時期と重なると思います。でも、「開かれた美術館」の議論には必ず、「では美術館とは何か」という基本的な議論が同時に行われる必要があると思います。日本の場合でも現象は似ていて、美術館で解説パネルを増やせとか、もっとギャラリーツアーやワークショップをしろとか諸々、「開かれた美術館」へ向けた試みが行われます。でも、「美術館とは何か」というもう一つの重要な議論は欠落していたような気がしました。美術館での展覧会とエンターテイメントとの境界が無くなる危険をすごく感じました。美術館が本当に敷居のない状態でいいのだろうか、という自分自身への問いかけが、この展覧会の形になっている部分があります。美術館はやはり娯楽施設ではない、来館者がある覚悟をもって自分で一つ階段を越えて、そして自分の意志で鑑賞し、展示に同意したり反発したりするものではないか、美術館はそういう自覚的行為が生まれる場であって欲しいと思っています。美術館の入り口から、「どうぞそのままお入りください。はい、この作品の鑑賞の仕方はこのようなものです」というようなテキストや案内に沿って、その通りに動くような鑑賞者の人たちを、少なくともこの美術館は求めてはいないという、そういう隠れたステイトメントはあります。

 


やなぎみわ「夢のあとさき」(1997)

 

YM 先ほど私が、美術館の展覧会で案内嬢をつけて作品を全部説明し尽くすというツアーを行ったことを話しましたが(注1)、あれは、その時にはそんな明快には考えてはいませんでしたけれども、確かに河本さんがいまおっしゃった美術館と鑑賞者の関係に対して、何か一石を投じたいという思いがあったかもしれません。

KS 先ほどのお話を聞いて非常に面白いポイントは、案内嬢が学芸員の書いたテキストを丸暗記して一生懸命覚えて説明する、覚えきれなくなっていくだんだん簡単になっていく、単純化すればするほどお客さんに喜ばれるという現象です。これはものすごく興味深いパラドックスというか真実を表していると思いますよ。つまり美術館員が否応なく持ってしまうある種の啓蒙意識、それと現実とのズレ、それから鑑賞者のみなさんも分かり易いものを求めていくという、とても微妙な相互依存、あるいは共倒れの関係がよく示されているという気がしますね。

YM 美術館というところも非常に演劇的な場所ではあると思います。まずロッカーの中に鞄を入れて、欧米の美術館だったらコートを脱いでクロークに預けるとかいうのがあり、身体一つになる。極端に言うと身体性を消して、眼だけになって展覧会を観る。その時点でかなりの人はいろんなものを強制されている。非日常的な状況ですよね、眼だけで観るという。プラス、日本の美術館であれば、やはり明治時代から続く、美術館という箱の中に入って来たら見世物を見て帰るという伝統があります。鑑賞者は観客として受け手であり、桟敷から観るというか、完全に分離された客席から観る。展示の場に参加するとか、あまりそういうことは考えない。その先入観からどうしても出られないところがあると思うんですよ。私の案内嬢のパフォーマンス、展覧会の作品に説明係を付けたらみなさん簡単になった説明をちゃんと聞いてくださって、最後は記念撮影までして、それで特に何事も無く帰ってくださって、非常にやりやすい感じだったのです。だけれど美術館への参加、作品への参加という点ではどうなんでしょうね、やはり鑑賞者はだんだん変化しているのでしょうか。私自身はあんまり変わっていないと思えるんですけれども。

KS 今のやなぎさんのお話、鑑賞者は荷物を置いてコートを預けて、眼だけで会場を移動するというのは、極めて象徴的に、美術館、特に近代美術館という装置の本質を話されていると思います。近代美術館という制度は、1929年に設立されたニューヨーク近代美術館、世界の近代美術館はこれをモデルにしているわけです。そこでは、【ホワイト・キューブ】と呼ばれる白い四角な部屋の中に、作品がほぼ視線の高さで横一列に展示されている。来館者は眼で、眼を運ぶことに特化した身体と共にそれを順番に追っていく。そして美術館が用意した物語、【近代美術史】という物語を受動的かつ自動的に理解していく。別の言い方をすると、壁を見ながら移動していくことで、美術館が用意した美術史のお話を自動的に送り込まれてしまう、そういうシステムが【近代美術館】なのです。これは抗しがたいほど巧妙な、優れた視覚の装置だと言えます。でも、美術館に来ると美術館が用意した物語を自動的に与えられてしまう、それに馴染みすぎると、鑑賞者が依存的になってしまうという問題が生まれます。鑑賞者から、「展示された作品を見ただけでは美術館が用意した物語を理解しきれませんでした。だから説明パネルを増やしてください」という要望に繋がっていきます。

YM 美術館に抗議しなくてもいいのですが、鑑賞者と美術館とが交わる方法は何かあるのでしょうか。例えば美術館に行って展示が気に入らない、物理的な意味でなく、この文脈は納得できないとか、この作品をここにかけるのは自分では納得できないといったときにどうすればいいでしょうか。係の人に学芸員を、キュレーターを今ここに呼んでくれと言ったことは、私はまだ一度もないんですけれども。

KS たぶんこの文脈での真っ当な行動は、「質問があるのでこの展覧会あるいは展示の責任者と話がしたい」と要望することだと思います。他館の状況は分かりませんが、少なくとも京都国立近代美術館では、来館者からこうした要望があれば直ぐに学芸課に連絡する態勢でやってきました。担当者が直接対応する、あるいは後日、きちんと連絡できるように学芸課の同僚が質問内容を把握するようにしています。MMKでのベネトンのポスターの騒動を例にするならば、鑑賞者の不満は、今まできちんと伝えられてきた【近代美術史】というお話の文脈で、ベネトンのポスターは非常に異質なものに見えたことが理由だと想像できます。つまり、「ベネトンのポスターは自分の知っている正しい美術史の中の美術作品とは違うじゃないか、正しい【美術史】を伝えるべき美術館で、なんてことするんだ」、という抗議だと思います。これに対してMMKは、現代社会の多様な思想や理念を伝える美術館の社会的使命、それを伝えるビジュアル・コミュニケーションとしての展覧会の意味、ビジュアル・コミュニケーションの優れた例としてのベネトン・ポスター戦略の今日性など、丁寧に説明していきました。これは、最初の「抗議」という鑑賞者の自覚的アクションが無ければあり得ない方向だと思いますし、美術館側もこの対応を通じて、自分たちが目指す美術館の姿が具体化したのだろうと思います。

 


『プロジェクト・フォー・サバイバル』展(1996)展示風景 撮影:小西晴美 マルセル・ブロータース「近代美術館、鷲の部」(1968)

 

実はコレクションを使った今回の展覧会、『マイ・フェイバリット-—とある美術の検索目録/所蔵作品から』には、私たちが信じてきた【近代美術史】という物語は、ほんとうに唯一無二の【物語】なのだろうかという、美術館自身の内省的な自己検証の要素があります。この展覧会は当館の分類項目【その他 】を中心にした展覧会です。私たちの美術館は【近代美術館】という制度の下にあります。その中で、【近代美術史】という物語に沿う形で、収蔵作品の分類、整理、系統化を行ってきました。その過程でどうしても既存の分類項目に収まりきらない、【その他】としか分類しようがない作品が増えています。この【その他】を中心とした物語、100年近く続けられた【近代美術史】という真っ当な正史とは別の物語の可能性を探っているという側面があります。

YM 『マイ・フェイバリット』のカタログがとても渋くてかっこいいんですよね。先ほども冗談で言っていますが、最近の美術館は敷居を下げるというか、カフェに入るような気軽さを目指す方向、それが昨今の流行りじゃないかと。でも『マイ・フェイバリット』は、カフェではなくて高級なお寿司屋さんくらいの、暖簾に手をかけるのも結構はばかられるような高級感があるのではないかと感じます。

KS 半分非難、半分褒めてくれていると思って聞きます。この場を借りてできるだけ正直に言うならば、私は美術館に敷居は必要だと思うんです。たぶん敷居のない場所は、敷居を一つ踏み越える必要のある場所で得られるものよりも、はるかに少ないものしか得られないような気がします。もし敷居が高いとかと感じられるなら、やはりそこは自分で一段、それはそんなに高い段差じゃないですから、敷居を超えてみる覚悟を持って欲しいと思うのです。鑑賞者が自分で、「よしこれで階段を登ったぞ」という自覚的な行為を意識すれば、それから後の世界はとても楽な世界だと思うのです。美術館は既に知っていることを確認する場所ではなく、何かを発見する場所であって欲しいと思います。

YM 私は決してカフェのように入れる美術館がいいと思ってはいませんが、やはり暖簾に手をかけるのも勇気がいるわけです。研究者とか専門家を目指す学生さん以外の、例えば絵を描いている美大生ですらも、なかなか最近は敷居を越えようとしないということがあるのではないでしょうか。その辺、非常に悩ましいところだとは思います。

KS その躊躇はとてもよくわかります。昨年開催した展覧会のために、ウィリアム・ケントリッジという南アフリカの作家を数年間、最初から言うと10年間くらいその仕事を丁寧に追っていました。その過程でしみじみ思ったのは、一人の人間が一生懸命に、自分で考え、手探りで作品を展開していく健気な態度は、人をすごく感動させるのだということです。とても青臭い表現かもしれないけれども、何かを得ることを制度/システムに依存してはいけない、自分で掴み取ったり読み解いたりしようとする意志を持ち続けること、そうした態度は今でも有効なのではないかと思いました。いまの時代、こうした部分に対する尊敬を割とみなさんが失っているような気がします。そのむかし私が美術館に入りたての頃に強く思ったのは、「美術館の啓蒙の時代はもう終わったんだ、いつまでも偉そうに人にものを教えるのは止めて、早く次のフェーズに移ろう」ということでした。この移行は80年代末に達成されたと理解していたのですが、このごろ折に触れ、【啓蒙時代の美術館】の亡霊が復活しているのではと思うことがあります。「美術館は広い層の鑑賞者のために開かれるべきだ、鑑賞者のために敷居を低くして、分かり易い展覧会を開催し、多数の入場者を獲得すべきだ。それは税金で賄われる美術館の使命じゃないか」などなど。これはとても正論に聞こえますよね、正義ですよね、もっともだと思います。でも、「誰が分かり易さを判断するのか?」という疑問、そして「美術館は娯楽施設か?」という疑問が強く残ります。この疑問を十分に検討した上でなら、「鑑賞者のレベルに合わせる」という判断は一つの見識だとは思います。でも私はどうしても、「鑑賞者にとっての分かり易さ」を語る側の、啓蒙主義的な押しつけがましさを感じてしまいます。鑑賞者の側も、展覧会に行けばネットで検索できる程度の解説が出てくることにあまり慣れ過ぎないほうがいいのではないかとも思います。自分の疑問に対して、古本屋で立ち読みして調べる程度の、身体的、時間的な努力はあったほうがいいのではないかなと思っています。

YM 河本さんの展覧会はいつも努力が必要ですね。確かに帰ってからカタログをもう一回見て、また展覧会を見てという、そういうことをしなくてはならない。食べやすい展覧会も最近たくさんあります。だけど実際に2回、3回行こうと思う展覧会というのがそんなにあるわけではないですから、非常に悩ましい。

KS 美術館の建物に入って、矢印があって、「はいこちらに行きなさい」というふうな指示があって、「次こっちに曲がりなさい」という指示があったら、もう無条件で、「うるさい。馬鹿にするな。自分でそれぐらい決める」と思ってしまう性格のせいかもしれないですけれども。そういう展覧会に出くわすと、見終わった後に、本当はもっと面白い隅があったんじゃないか、何かを見落としたんじゃないかなという気持ちが残ってしまいますね。

(注1)この対談に先立っておこなわれた作家による自作についてのレクチャーのこと。
画像提供:京都国立近代美術館(『プロジェクト・フォー・サバイバル』展)、やなぎみわ(「夢のあとさき」)

 

 


 

『マイ・フェイバリット』展 関連企画 やなぎみわ×河本信治 対談 (全3回)
1. 出会いの場としての美術館:作家個人との出会い / 作品制作に立ち会う
2. パブリックスペースとしての美術館:美術館は開かれるべきか
3. 避難所としての美術館:はみ出すものをすくうこと / 個人的な物語を編み出すこと

 

 


 

マイ・フェイバリット——とある美術の検索目録/所蔵作品から
会期: 2010年3月24日–5月5日
会場: 京都国立近代美術館
展覧会URL:http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2009/378.html

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