藤森照信「土と建築」

藤森照信「土と建築」@京都国立近代美術館

 

究極の建材とはなにか。人間にとって一番根本的な建築材料はなにか。石とか土とか木とかありますが、もちろんこの5、60年で普及したような工業製品ではダメですよね。石と木で対比すると、木は土から生え、それを使った後、灰にして土に戻るというように循環しているわけです。木材は誰でも持てる大きさ、重さである。それから人間が刃物なんかで削るとちゃんと自由に切れる。そういう、誰でも使えるということ。そして、人間の手の動きに対応してくれる表現が簡単にできる。日本の場合、どこでも手に入る木こそ人間の究極の材料だと思っていました。ところが、土の循環性は木よりもっと激しくて、人が介在すると建築になり、人が介在するのを止めると、やがて流れ落ちて土になる。循環性から考えると土の方が圧倒的であり、いまは土こそが究極の建築材料だと思っています。土には以前より関心を持っていましたが、実際に土の建築を見にアフリカへ行った経験が大きく、それ以来、土について考え、作品を意識的に作ることを通じて、私にとって大事な問題に気がつきました。本日はその辺をお話ししたいと思います。

あまり知られてないかもしれませんが、日本は土が建材としてほとんど重要性を持たなかった世界の中でも珍しい国です。日干しレンガという泥の塊を太陽で干し、固まったものを並べて、また泥状の土を入れながら、だんだん積み重ねていくような構造物は、世界的にごく一般的です。日本以外の多くの国はそんなに木が豊かではなく、土壁が中心になっていくわけです。たいがい土壁、レンガ造、石造という体系で建築を作るという風にヨーロッパは発展してきました。もちろん教会や寺などには使いませんが、ごく初期の建物あるいは普通の民家は土で作った壁の上に木の梁をかけたものという伝統がありました。しかし、ちゃんとした泥の建築というのは世界にふたつしかないんですよね。ひとつはアメリカのサンタフェにある泥の教会。もうひとつはアフリカのジェンネの泥の大モスクです。

 




Both: サンタフェ近郊、ランチョス・デ・タオスのサンフランシスコ・デ・アシス教会

 

まず、サンタフェの泥の教会、サンフランシスコ・デ・アシス教会ですが、これは日干しレンガで作っている泥の建築です。地元のインディアンのプエブロと、メキシコ経由のスペインによる征服が文化的背景になっています。メキシコから見るスペインによる征服というのは複雑です。スペインがマヤ文明を滅ぼしたとき、スペインはマヤの中で虐げられていた部族を手懐けて、彼らを煽動して攻め込みました。彼らはキリスト教に改宗し、スペイン人とともにここに来て、プエブロの人たちといっしょになった。だから、プエブロ、マヤ、それからスペインの3つの文化がここにはある。泥の教会としてはすばらしく、このバットレスがこの教会の重要な表現です。段々積んでいった日干しレンガが年と共にはらみ、ふくれた部分にどんどん土を塗っていくうちにこのバットレスができます。おっぱいみたいに膨らんでいますが、日干しレンガの建物は角が危ないんですね。角が割れて建物が潰れてしまわないように土を盛っていくので、こんなに大きくなるんです。写真では前の日に雨が降ったのですが、雨が降って土が少し溶けると中の藁が出てきます。これは日本の藁と違って麦藁なんですね。麦の藁と稲の藁の違いを知っている人はきわめて少ないと思いますけれども、決定的に違いまして、麦の藁はえらく弱いんです。縄になんかなりゃしない。それにもかかわらず、つやだけはものすごく、テカテカになります。それが宝石のように見えて、じっと見るといいものです。でもインテリアはくだらなくて、完全に漆喰で塗ってあるので、別に泥であろうが、レンガであろうが変わらない普通の表現です。

 


ジェンネの泥の大モスク

 

私が大きなショックを受けたのはアフリカです。サハラ砂漠を流れるニジェール川の流域に地中海との貿易の基地であるジェンネはあり、泥の大モスクがあります。アフリカの泥の建築の特徴は上部に突起が並んでいること。年に1回、壁に泥を塗るための足場など、手順上作られる突起ですが、それが装飾として残っています。今まで世界中、古今東西の建築を見てきたけれども、ジェンネの泥の建築はなにか印象が違うんですよね。この建築は、自分の立っているところの土がずっと延びていったところに基壇があり、基壇が延びていったところに壁が立ち上がるんですね。それから屋根を廻って降りていき、また地べたに戻り、隣の家に繋がっている。つまり、継ぎ目がないんです。材料の継ぎ目のことを建築では目地(めじ)といいます。目地とはどのようにつくものか。建築家たちがもっとも苦労しているところですが、普通の人には一切わからない。例えば、京都国立近代美術館を作った槇文彦さんはモダニストですから、目地ができるだけ印象に残らないように作っています。それでも目地を消すとまではいかず、物の継ぎ目には必ず目地が出る。ジェンネの泥のモスクにはその目地がない。ジェンネは泥の都市で、3000人いる街中のどこにも継ぎ目がない。泥の建築には目地がないということに気がついたんです。泥の塊なんて僕らも山ほど見ているわけですが、継ぎ目があるかないかなんて、普通は考えないんですよね。当たり前だと思っていることが実は当たり前ではないというのは、よほど決定的なものを見ないと気がつかない。こんなにでかいものを見ないと、泥には継ぎ目がないということに気がつかないんですよ。

さらに目地の問題、目地とはなにかという問題について考えると、建築には目地があり、泥には目地がない。目地がないものはなにかといえば、生物には目地がない。人間、生物は、ひとつの細胞が内側から分裂していくから、目地というもののできようがない。人工物の特徴と生物の特徴の差は目地の有無なんです。建築にとって目地というのは人工物であるという証でもあるのです。ところが、泥の建築というのは人工物でありながら、目地がない。それは生物との接点にあるものだということ、つまり、生物と建築の接点は泥の建築なんだということに気がついて、ものすごく感動したんです。それ以来、泥の建築の本当のすごさは生物と建築の中間的なものだと考えています。生物学者はまったく興味を持たないと思いますが、私にとってはそういう存在であって、いまや別格なんですね。建築の論理だけで見れば、泥の建築は生物と建築の中間的なものである。中間的なものというのは建築と生物を媒介する、繋ぎ得る存在になるわけです。

モスクの内部空間には異教徒は入れません。女性も入れないので、イスラム教徒の女性が祈る場所は中庭を挟んで少し離れたところにあります。異教徒は入れないのですが、なにか上手い方法があるだろうと考えていたところ、ガイドが私たちをその場に置いていったので、辺りをうろうろしていると、子どもが近づいてきて、私たちを別の場所へ連れて行きました。そこには路上のイスラムの学校、学校というかイスラム教の経典を子どもたちに習わせている路上の教会みたいなものがあり、そこから中に入る事ができました。形式上は入れてはいけないが、教会、学校の運営費として外国人を入れている。昔は異教徒でも入る事ができたのですが、数年前に外国人がここでヌード写真を撮影したことがあり、それ以来、異教徒は入れないということになってしまったそうです。こういう経緯があったので、期待値を上げて想像を絶する内部空間があると胸を踊らせて入ってみたら、ただの廊下みたいなもので、幅がだいたい2メートルくらいの柱が林立している。空間というより通路があるというような感じで、奥にミフラーブというメッカの方向を指す窪みがあります。上もフランスのゴシック建築の影響でアーチなんか作っちゃっています。土のインテリアって印象がないんですよね。ところで印象がないという問題は後でまた出てきます。

 




Above: ドゴン族の倉庫, Below: 神長官守矢史料館, 長野県茅野市, 1991

 

これはアフリカのドゴン族の土の倉庫です。まったく知らないうちにドゴン族の影響を受けていたということはないんですけれど、この建物を見に行く14、5年前に作った神長官守矢史料館によく似ていたので、びっくりしました。守矢史料館が私の建築家デビューです。非常に矛盾した要求に応えなければいけなくて、まず、重要文化財になった史料、非常に古い文書があり、文化財を新たに保管する場合は可燃物の中に入れてはいけない。昔はお寺みたいな場所でもよかったのですが、新たに博物館を作るときにかならずコンクリートで作るという決まりがあるんです。一方で、守矢家の信仰がめちゃくちゃ古いということや、村の環境を壊したくないということから、コンクリート剥き出しの現代建築は作れない。苦肉の策として、コンクリートの周りを自然の素材で包むという方針にしたわけです。自然の材料の代表である土と石と木で包もうということにして、収蔵庫は土で、屋根は石で作り、壁はコンクリートで作った上に木の板を貼りました。木の板はできるだけ原始的にしようと手割の板を使い、壁がでこぼこになり、古く荒っぽい、いびつな自然の素材で建築を包むということをやりました。これが泥を使った最初の建築です。内部には縄文時代から続いている妙な伝統の儀礼の様子を江戸時代の資料をもとに正確に復元したものがあります。当時はあまり土壁を意識していませんでしたが、博物館なので、埃が立ち、人が触ったりするので結局本当の土が使えず、実際には土色をつけたモルタルを使用しています。建物の形は地方の民家を真似てやっていましたが、ぜんぜん気に入らなくて、最終的には勝手な形を作りました。どんな現代建築にも似てはならない、歴史的に知られているどのような様式にも似てはならない、現代の誰にも、過去の誰にも似てはならないと考え、追いつめられた中でえいやって作ったのがこれだったんですね。

反応はというと、村の人たち、私の親たちからは市役所に投書まであるくらい不評なんです。せっかく市役所が守矢家の貴重な文化財を守るために博物館を建てるのに、なんで昔のあばらやみたいなものを藤森は作るんだ、と。言われてみたらあばらやですよね。お金がないから手で割っているとか、土をただぐちゃぐちゃ汚く塗っているとか。今でも村の人は一切理解していないですよ。当時の建築界の反応はどうだったかというと、学会誌の最終審査に残りましたが、10人の審査員のうちただひとり、渡辺豊和先生だけが評価してくれました。以来、渡辺先生の言うことはなんでも聞くということにしています。誰も理解してくれないときに理解してくれるというのは恩人ですから。僕の友だちは、批判するのが好きな連中ですが、目はしっかりしていて、よくわからないけれど大事なことを感知する力があるんです。彼らの声に励まされて、1年に1作くらい今日まで続けています。

 


秋野不矩美術館, 静岡県浜松市, 1998

 

これは秋野不矩美術館です。秋野不矩さんは京都市立芸術大学の教授で、10年以上前に文化勲章をもらったんですけれど、秋野さんの美術館を郷里の天竜市(現在は浜松市天竜区)が作ることになったときに、ご子息が先程の神長官を見ており、秋野さんからの指名を受けて、私がやることになりました。この土壁を見て下さい。左官もだまされる土壁です。モルタルではなく土壁で作りたかったので、いろいろと実験したのですが、土壁は冬の凍結融解で絶対に崩れてしまう。左官のプロや材料の先生とか土に詳しい人全員に聞きましたが、原理的にありえないと言われました。要するに日本の冬の凍結自体に耐える土はない。土をあきらめるか、それとも本気で偽の土を作るか。そこで僕は本気で偽の土を作る方に賭けたんです。私だけが知っている秘密にして、見た人が土だと思ってくれればいい。結果的には日本の左官の神様といわれる久住章さんまでも秋野不矩美術館にも神長官にもだまされました。なぜ久住さんがだまされたか。簡単なことです。藁にだまされたんです。白セメントに土色を着けて、藁を入れて荒く塗ると、表面に藁が見えるんですね。人間は藁が見えると、藁から土を連想して目がだまされるんです。人間がものそのものを見るなんてことは、科学的にはまったくない。人間の目から入った情報は必ず脳に行き、そのとたんに脳はそれがなんであるかを過去の記憶に従って理解するのです。それはもう全部本能的にやるわけです。やらないと何が目の前に映っているかわからず、危ないですからね。つまり、藁が見えていると、脳は記憶から土を導き、その脳の力によってこれは土に見えるんです。普通の人はみんな土だと思っていますよ。しかし、プロは疑うんです。なぜかというと、土であれば、雨が降ったら崩れるはずなのに崩れない。近づくと藁が見えて、藁が見えると土に見える。触ってみてはじめてわかるのですが、表面に土が薄く塗ってある。0.2ミリくらいの層で、それだけ薄いと冬の凍結融解でも落ちないんですね。泥の仕上げというのはいいものですよ。汚れたら、また泥を塗ればいいんです。その度に仕上げが新しくなるという。本当に泥って変なものです。

 




Both: ねむの木こども美術館, 静岡県掛川市, 2006

 

これはねむの木こども美術館です。屋根の上の部分、これは芝棟(しばむね)と言い、草葺きの上に土を乗せて草を生やす非常に伝統的な技術です。けっこう大きなもので、土を作って、盛って、その上に芝生を張る。僕の建物を作る縄文建築団という、ゴルフの代わりのスポーツとして私の工事を手伝うという、大変ありがたいグループがあります。彼らにお金を払うと労働になってしまうといって怒るんです。南伸坊なんか古くからいて、赤瀬川原平さんとかも僕の作品全部に参加している。真夏の最中、普段は冗談言いながらやってるんですが、この屋根のときに限って誰もしゃべらない。終わり頃に南伸坊に聞くと冗談言うのを忘れてたそうで、みんな黙々とやっていたのは、やっているうちにしゃべるのを忘れちゃっていたのではないかと。泥というのは作業しているうちに意識が消えてくるんですね。なにかを意識しながら考えたりしていると、しゃべりたくなります。でもしゃべらないんです。無我の状態に段々、段々なっていくわけです。

泥が人を無我にするといえば、常滑市にINAXの土の博物館(INAXライブミュージアム内「土・どろんこ館」)があります。そこには泥だんごを作る親子教室みたいなものがあり、子どもたちといっしょに親が泥だんごを作っている。すごく異様なところなんです。何故異様かというと、子どもがたくさんいるのに、会場がシーンとしていて気持ち悪いんですよ。子どもとその親が下を向いてシーンとしている。泥を触っていると、どうも言葉が消えてしまう。ということは意識が消えている。没入という言葉がありますが、何に入るかははっきりしていません。それは土のこと、泥のことではないのか。つまり、泥を人間が手にしていると、意識が消えていく、没入してしまうんです。先程、ジェンネの泥のモスクを前にして言いましたが、泥の構築物は建築と生物、つまり自然の中間的な性格を持っている。それに続く第2の泥についての認識、泥は意識を吸収する。吸い取り紙がこぼれたインクを吸収するかのように、意識を吸ってしまうんです。土は、人為と自然の中間的な存在であり、かつ人の意識を吸ってしまう材料である。

 


Roof House, 滋賀県近江八幡市, 2009

 

<これまで見てきたように、本当の土を外部で使うことはできないので、内部で本格的に土を塗ってみようと思って取り組んだのがこれ(上写真「Roof House」)です。間口が8軒の奥行きが4間、畳でいうと64畳敷きくらいでそうとう大きい家です。これを全部、地元の土で塗ったので、さぞかし印象深い、むしろ毎日こんなうっとうしい中で住めるか、といった問題が起きるのではないかと考えていたました。ところが、なんの印象もないという驚くべき答えが返ってきたんです。住んでいる本人たちも土を塗っていて、壁に家族の手形が残っていたりするにも関わらず、印象を尋ねると、そういえば土ですねえ、と。要するに土というのは人に印象を与えないんですね。最初のうちは土を意識していると思いますが、特別訴えてくるものはない。絵であれば、訴えるように作ってあるから、よくわからないみたいなことも含めてなにかしら訴えてくるんですよ。土はそんなことも訴えない。先程、僕は土には作業中の人の意識を吸収する変な魔力があると言いましたが、それだけではなくて、土というのは人に印象を与えないんですよ。ものすごく変な力、変な力というか、無力という感じ。
土というのは人工物と自然物の中間的な性格。それから、作業している人の意識を吸収してしまう。表に何も出してこないので、作っている人の意識も、見る人の意識も吸収してしまう。これは芸術を全面的に、根本から否定しているようなものです。しかし、私にとって、土は究極の材料で、人間が生きているとか表現をするとか、そういう根本のところで深く関係しているというか、そういうところに届いた状態でよくわからない不思議な性格をもった材料であるということが現在の私の土に関する経験的な結論でございます。

 

「Trouble in Paradise/生存のエシックス」展のプロジェクト「水のゆくえ:アクアカフェ @KCUA Café」関連イベントとして、2010年7月30日、京都国立近代美術館にて行われた講演会、藤森照信「土と建築」より

 

 


 

Trouble in Paradise/生存のエシックス
会期: 2010年7月9日–8月22日
会場: 京都国立近代美術館
公式サイト:http://www.engagementkyoto.jp

Lecture@Museumシリーズは、美術館で行われた講演を、関係者の協力のもと、ART iTが記録、編集したものを掲載しています。

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