スハニャ・ラフェル(後編)

——今回は日本人作家が4組参加しています。YNG、大巻伸嗣、名和晃平、さわひらき……。彼らを選んだ理由は?

YNGは、コラボレーションがどのように機能するかを考えていたからです。ひとつには北朝鮮の作品と比べてね。北朝鮮ではあらゆる労働が集産化されていて、アートの制作も例外ではありません。アーティストは工房という組織の中で制作を行っています。そこで私は、対話の席に着けるような協働アートプロジェクトを探していました。YNGが面白いと思ったのは、何かを成し遂げるために複数の人々が力を合わせることに関心があるという点です。政治的には正反対でありながら、北朝鮮とその点が似ています。


北朝鮮「マンスデ美術工房」の作品群

——北朝鮮のシステムに似ているというのは面白いですね。

我々にはベールで閉ざされていますからね。我々美術館の人間には、北朝鮮のような国は訪ねることもできなければ、舞台裏を知る機会もない。でも今回は、この国の多くのアーティストや映像作家と長期にわたる関係を築いてきた、ニコラス・ボナーという共同キュレーターを得て、展示を実現できました。まさに巨大展の中の展覧会。あの部屋には69点の作品があるんです。

——今回は、トルコ、イラン、チベットからも初めて選ばれていますね。

西アジアは重要でした。南アジアを経てインドネシア、マレーシア、フィジーに至る、基礎的な文化言語ですからね。ルーツに目を向け、対話を始めることが大切です。

——イランとトルコの作品、特にイスラムの文様が東方アジアに大きな影響を与えてきたことはわかります。でも、ゴンカル・ギャツォの作品はまったく違うものですね。


ゴンカル・ギャツォ「Reclining Buddha – Shanghai to Lhasa Express」(部分)

そうですね。ギャツォは西アジア出身ではありませんから。彼はチベット出身で、ぜひ参加してほしいと思っていました。とても興味深い政治的主題を前面に出していて、とりわけ仏教の図像や、消費文化、それに都市化、大衆的で日常的なイメージなどを取り上げています。いまや非常に実力ある作家だと思います。

今回のAPTは、カンボジアも初めて紹介しました。年長の故スヴァイ・ケンからソピアップ・ピッチ、そしてヴァンディ・ラッタナまで、3世代にわたるカンボジアの作家が見られます。映画部門のリティー・パニュは、ソピアップと同じく、真ん中の世代に属していますね。とても力強く、感動的な映画です。

ディアスポラと他者の重要性

——映画部門と言えば、今年のセレクションには驚かされました。特にアン・リーと北野武にですが、なぜ彼らが選ばれたんでしょうか。


映画部門のポスター(ビジュアルはアン・リー監督『ラスト、コーション』)

アン・リーは、彼がハリウッドで作品を撮っているのが非常に面白いからです。本場へこちらから乗り込んでいった。台湾人としてね。

——ある種のディアスポラである、と?

そうですね。ルナ・イスラムみたいに。ディアスポラはAPTにおいては重要です。人々を動揺させ、再考させます。

——北野武は生粋の日本人ですよね。

北野は日本では有名かもしれませんが、こちらでは違います。そして私たちは、地元の観客のためにキュレーションを行っている。海外から来る方々もいて、それは素晴らしいことですが、海外の観客のために展覧会を作っているんじゃありません。観客の大半は間違いなく地元の人々で、私たちはそれに自覚的です。誰かがよく知っていることでも、私は知らないかもしれません。別の取材で「ビエンナーレ疲れ」について尋ねられましたが、私は「あなたにはあるかもしれないけど、ほとんどの人にはないでしょう」と答えました。ほとんどの人は、あらゆるビエンナーレに行ったりはしない。実際、ほとんどの人はまずビエンナーレなんかには行かないものです。行くとしたら地元のものへでしょう。それこそが、海外のアートをいちばん観ることができるフォーラムですからね。「ビエンナーレ疲れ」が存在するのは、アートの世界のほんのわずかなパーセンテージ。あちこちに旅するお金や時間がある人たちだけです。

——いわゆる「ビエンナーレ・ジェット族」。

でも全人口から考えたらわずかな数でしょう。だからあまり重要ではないんです。私たちにとって重要なのは、地元の観客、オーストラリアの観客にコンテンポラリーアートについての考えを伝えることです。

——そこで質問ですが、コンテンポラリーアートとはなんでしょうか。特に、非西洋地域においては?

それは大きな問題であり、よい質問でもありますね。決して結論は出ず、毎回解釈が異なる質問ですから。(オープニングパフォーマンスと、ミュージックビデオで参加した)パシフィック・レゲエは、なぜこれがコンテンポラリーアートなのか? 北朝鮮は、なぜこれがコンテンポラリーアートなのか? ヴァヌアツの、北アンブリムの伝統的オブジェは……? この質問は問題意識自体がいいですね。ちょっと厄介だし、居心地が悪い。でも、重要です。この問題を、いま生まれているというだけの理由でコンテンポラリーだとするような、ある種の包括的な多元主義とごっちゃにしてはいけない。例えばパシフィック・レゲエは、先住民の人々が視覚と声を用いて、いかに文化を創り上げているかについて考えるための土台を提供し、あるいは今回の場合では、レゲエに内在する、パフォーマンスと政治の地域的な条件について議論する活動家的なエネルギーを結集させました。私たちは、特定の規範に縛り付けられざるを得ないと思ってはいません。多くの美術史が、地域の美術史があるのだから。私たちはそれらに耳を傾けるべきです。


ヴァヌアツの彫刻群

例えば北朝鮮の肖像画を観るとき、私たちは筆と墨がいかに重要であるかを理解します。これは、日本、中国、韓国といった東アジアにおける水墨画の歴史に遡ります。筆と墨や書は、東アジアに属する規範であり、西洋とはなんの関係もありません。

——アニメ、フィギュア、漫画など、最近の大衆文化のイコンについてはいかがですか。まずは日本や韓国など、アジア諸国で生まれたものですが……。

やはり非常に地域的な規範に属していますね。地域文化の内部から生まれ、外へ飛び出した。

——でも、外に飛び出す際に変化しましたね。

ええ、変化します。そして、変化は双方向で発生する。だから「他者」がいいんです。他者は自身の内部に存在するもので、「あちら」にあるものではないんです。

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Suhanya Raffel
スリランカ生まれ。クイーンズランド・アートギャラリー(QAG)アジア=パシフィック美術部門主任。シドニー大学で芸術学とミュージアムスタディーズを学び、英国、オーストラリア、南アジア諸国などで数々の展覧会企画に携わる。1996年にAPTのキュレーションチームに参加し、2001年より現職。APT6では主任キュレーターを務めた。QAGでは『アンディ・ウォーホル』展(2007-08年)、『The China Project』展(09年)などを企画制作している。

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