木村友紀

イメージとそれが収まっている物質を拮抗させたような場所がつくりたい

時代、場所、文化。この世界の「出会い」は、そのときそこに居合わせ、会話を交わすことだけに留まらない。名もなき写真や出来事との偶然/必然の出会いを扱い、自分の中の「つながり」を再構築する作家の、最新個展におけるインタビュー。

聞き手:松浦直美


『1940年は月曜日から始まる閏年』展示風景,タカ・イシイギャラリー(東京) 撮影:市川靖史

——まずは、タカ・イシイギャラリーでの最新個展『1940年は月曜日から始まる閏年』のタイトルについて教えてください。

今回は主にドイツの写真をメインのイメージとして使っています。そのうちの一枚の裏に手紙のようなものが書いてあって、1940年の12月24日に姪が伯父・伯母に宛てたクリスマスカードだとわかりました。その写真を中心に何枚かの写真をイメージで(画像だけで)選んだのですが、調べてみると40年やその前後のものが自然に集まっていたのです。これまでの作品では時代性の異なる写真をわざとミックスさせて、ひとつのインスタレーションにするということを意識的にしていたのですが、今回は1940年という年号がはっきり出てきたので、それと向き合ってみようと思いました。


左:『Ursel (24,XII,40)』2009年 lambda print mounted on plexiglass, colored plexiglass, frame  190 x 130 x 7.9 cm  右:『1940年は月曜日から始まる閏年』展示風景 撮影(左右とも):市川靖史

具体的には写真の裏のドイツ語の解読を知人にお願いし、そのやりとりの中で、40年という年とその背景にある大戦や戦争で禁止された古い筆記法など、時代のことが少しずつ見えてきました。そんな中で1940年という年をもっと知らなければと思い、ウィキペディアで1940年を開いたら、最初に大きく出てきたのがタイトルのこの言葉です。それを読んで一瞬真っ白になりました。具体的なことを期待していたのに、完全に裏切られてしまって。同時にこのセンテンスにものすごく惹かれてゆきました。例えば、「月曜日から始まる」という言葉から、自分が日ごろ付き合っているこの月、火、水……をずっと遡った先に1940年があるのだという事を改めて感じたり。また、閏年を初めて知ったときの、ショックだった子供の頃の気持ちを思い出したり。そういうことにどんどんイメージが飛んでいって。この言葉を軸にひとつのインスタレーションにしてみようと考えました。

——そうしてできあがったものに、何か物語のようなものは存在するのでしょうか

物語はないです。ただ、言語的な物語とは違う次元の(いわゆるストーリーではなく)、視覚的な物語というか、そういった時間性を欠いた物語は自分の作品には常にあるかもしれません。


左:『月曜日』2009年 Lambda print mounted on alpolic, colored plexiglass, frame 82.9 x 82.9 x 6.7cm
右:『旧筆記法』2009年 Wood, lacquer, acrylic 30 x 30x 2 cm 撮影(左右とも):市川靖史

——米国でのレジデンスを終えた2003年以降、「ファウンド・フォト」というものが木村さんの作品の中核となります。美術評論家の清水穣氏は木村さんに関する論評で「ファウンド・フォトとは、蚤の市に流出したアマチュア写真の束のなかで作家が偶然に出会った、『気になる写真』である」(*1)と定義していますが、木村さんにとってはどのような意味がありますか。

まず、蚤の市等には限定していないということです。例えば、何年も前に自分が旅行に行って撮った写真も、あるテーマが出てきたことで急にそれが作品性を持ったりすることがあります。そういう大きな意味で、撮ることではなく、撮られてすでにあるものを見ることから始めるということが、自分にとってのファウンド・フォトです。

——写真を探す過程について教えてください。写真を選ぶ時の基準はありますか。

集めた写真から作品を作ると聞くと、集めることを主眼に一生懸命集めているイメージが湧くかもしれませんが、もっと日常的なことです。無理に照準を合わせるのではなくて、道ばたに落ちている物を拾ったりとか、ものに自然に惹かれていくような感じです。写真を選ぶ基準があるとしたらひとつだけ分かっていること、それは既視感です。

——欧米の写真を使うことが多いようですが、意識的に集めていますか。

それは特に決めていません。ただNYやヨーロッパの都市だと、このようなプライベートな写真が手に入りやすいというだけの理由で偏りが出ているんです。もうひとつは、実際には知らない場所の方がより簡単にイメージを広げることができるので。

——具体的な場所のイメージと切り離すということが、木村さんにとっては大事なことなんですね。

写真が想起させる過去というのは思念であって、写真自体はここにある、現在なんだということです。いま見ている現在にフォーカスを起こすようなことがしたい。写真も物質なので、紙の上にイメージが載っているのですが、そのイメージとそれが収まっている物質を拮抗させたような場所がつくりたいんです。

——これまでにもアクリル板を「影」として使った作品がありました。今回は色の濃いアクリル板の影が、画像全体を覆っていますね。


『image and the shadow 01』2005年
lambda print mounted on plexiglass, plexiglass, ø 40cm each
撮影:ホンマタカシ

これまでの影は写真の物質性を強調する役割でした。写真の下にグレーのアクリルを立て掛けて、それを影と名付けたんです。今回は影の中に写真を入れているんですが……ちょっと自分自身その意味はまだわからないのです。「こうしたらいいんじゃないか」というビジュアルのアイディアが先に沸いて、それが自動的に自分の考えていることとシンクロします。なので今回の影のフレームがはっきり言葉になるのはもう少し先かなと思います。

——最後に読者にメッセージをお願いします。

難しいものだと思い込まず、好きなように見てもらえたらうれしいです。

  1. ART iT連載:清水穣『批評のフィールドワーク:1』より

きむら・ゆき
1971年、京都生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。写真や映像、立体を用いたインスタレーションを展開する。2009年夏には、大和プレス・ビューイングルーム(広島)にて最新インスタレーションを含むコレクション展『Posteriority』を開催。同展をもとにした『DAIWA PRESS VIEWING ROOM vol.09 木村友紀』が10月刊行される予定。
『1940年は月曜日から始まる閏年』は10月10日(土)~11月7日(土)に、タカ・イシイギャラリー(東京)で開催された。

全写真提供:タカ・イシイギャラリー

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