対談:ヘンク・フィシュ×西沢立衛(後編)

 

それはすでにここにある。必要なのは同意することだけです。
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水平・垂直・回転:アーティストと建築家の空間観

 

フィシュ 5年前には、直島へも旅をしました。船が到着した際に現れたフェリーターミナル(海の駅 なおしま)は感動的でしたよ。当時は、あなた方(SANAA)が設計したとは知りませんでしたがね。印象的だったのは、水平線を私たちの世界に再導入しているように感じられた点です。我々は移動するために水平性を必要とします――垂直ではなくね。垂直性とは、留まるために用いられるものです。東京のような都市では垂直の暮らし、垂直の世界があります。でもあなたの作品には、都市社会に水平性を取り戻す試みのようなものを感じました。

 


「海の駅 なおしま」(設計:SANAA) ©SANAA

 

西沢 まったくその通りだと思います。あの周辺は、建物のほとんどが平屋づくりか2階建てなのです。都市部とはたいへん異なる環境で、海や空や島々を眺めることができる――そこにインスパイアされました。方向と空間について今ご指摘していただいたように、水平的なものの魅力というものが町と海の魅力でもあったし、それを建築でつくろうとも考えました。

そういえば、シンガポールの大型ショッピングセンター『VIVO CITY』――ちなみに設計は伊東豊雄さんです――における、あなたのパブリックアート作品『There』(2006)も拝見しました。あれは空間の垂直性に対する興味深いアプローチでしたね。

フィシュ あれはチャレンジングな試みでした。私は最上階のスペースを与えられましたから……。自分がこの場所にこれ以上何かをすべきだろうか?とも考えました。ここにはもう上の階はなく、主に子供達が集う場所です。それで私はこの場所をいかに「完成」させるかを考えました。つまり、私がここで何をするにせよ、それはこの建物の中で最も高い地点を作ることになるからです。この考えをもとに思索を巡らせました。いったいどのように……

西沢 どのように建築を完成させるかを(笑)。

 


左:ヘンク・フィシュ「There」2006年 VIVO CITY(シンガポール)に設置された彫刻インスタレーション 右「Think」2005年 個展『I have seen real happiness nowhere, but it is doubtless here』にて(ワコウ・ワークス・オブ・アート/東京 5月22日まで開催中)© Henk Visch  Courtesy Wako Works of Art

 

フィシュ その通りです! それで、私はこの回転する彫像を作ることに決めました。いわば決められた終点を持たない存在として。結果、「ここが終点ですよ」と告げるような場所ではなくなりました。それは空間を逆転させるものとなり、これによって機能するのです。結果について私はハッピーな気持ちでいます。関連して「 here and there」ということに関する短いテキストも書きました。

 

「あるがまま」を受け入れる

 

西沢 最新個展に話を戻すと、今回は会場の外側も変容させていますね。ギャラリー手前にある駐車スペースに――今日は僕も車を停めていますが――彫刻『Think』( 2005)があります。またもや、こんな風に空間の機能を変えられるのかと驚かされました。

フィシュ あれは人間の行動を模したものですね。私はパブリックなものにとても興味を持っています。ひとつには、自分はそれほど公的な人間ではない気がするからです。いつも公衆の誰かのことを感じ取ろうとしているのですが、それはつまり、人々が何を見て,何を感じているかを映し出す存在だからです。自分の作品を、そうした人々の目線で見つめることも試みています。

西沢 『Think』は公的であると同時に、とても私的なものにも見えますね。何かとても個人的な物語が、その背後にあるようにも感じられます。あなたの作品はどれも本当に可愛らしくて魅力的ですが、同時にとても恐ろしいような気もします。こうした、大きく異なるふたつの性質が矛盾せずに共存しているのも、驚くべきことです。

フィシュ 矛盾せずに。よい言葉ですね。収束的なものの見方だと言えますし,
その考え方はひとつの到達点ではあります。しかし、ひとりのアーティストとして物事を受け入れ、かつ消化するためには、ときに拡散的な視点をも持たねばなりません。そしてそれは、アジア的な視点だとも言えないでしょうかね?

西沢 そうかもしれません。少なくとも日本人に限定していえば、日本人の感受性には「パースペクティブ」というものがあまりなくて、概してフラットですね。一点に収束していくような劇的空間ではなくて、もっと散在的かつ散文的なものだと思います。

 


豊島美術館(設計:西沢立衛 2010年オープン予定) ©西沢立衛建築設計事務所

 

フィシュ 西洋の遠近法では(すべての線が)1点に――おそらくこれは神を意味しますが――収束します。今朝、私は韓国の陶芸展を観てきたのですが、そこで彼らの使う文字のフォルムに、遠近法を読み取っていました。つまり西洋人たる私の目には、それが遠近法のように見えてしまったというわけです。しかしアジアに滞在し、また西沢さんの建築の前に立つことで、こうした視点から自由になることを学びつつあります。

西沢 逆に僕には、あなたの作品は、とてもヨーロッパ的なものであるように感じられます。喜怒哀楽のありようについて、成熟したものが感じられるからです。

フィシュ 成熟なのかどうかはさておき、確かに私は根っからのヨーロッパ人ですね。自分が受け入れるべき事柄のひとつです。そして、これを考えたり話したりするのは好きではありませんが、キリスト教信者ではなく、信仰を持たないにも関わらず、私は芯からのクリスチャン的人間でもあります。もっと固定観念から自由でありたいと願っています。ただ、我々は誰しも特定の言語で教育を受けますし、言葉はその文化の考え方から生まれます。例えば、「過失」「恥」「罪」といった概念があります――あまり考えたくはありませんがね! 私はこうした言葉は使いませんが、それらは私の中に、いわば骨のように存在しています。私が受け継いだ伝統のようなものです。

西沢 僕も昔は、自分がどこに属しているかということに無頓着でした。しかし海外に行くようになると、誰もが僕のことを「日本人」だと言う。最初はぴんと来なかったんですが、何度も何度も言われるうちに、やっぱそうなのかなあと(笑)。おかげで、自分が育った文脈や由来を前より理解するようになりました。四季や草木食べ物、気候風土など日本固有の事柄が、僕の仕事に影響を及ぼしていると思うようになりました。

 

世界はすでに存在している


ヘンク・フィシュ個展『I have seen real happiness nowhere, but it is doubtless here』会場風景(ワコウ・ワークス・オブ・アート/東京  5月22日まで開催中) © Henk Visch  Courtesy Wako Works of Art

 

西沢 建築家はふつう、プログラムの要求事項と環境条件、または実際の敷地といった要件を踏まえて、各プロジェクトに取り組みます。つまり、まず場所が与えられ、その土地にプロジェクトが発生する。既存の文脈上で、新しい何かを作るのが我々の仕事です。あなたの作品にもこれと似た態度があるように思えました。すなわち、すでに存在している大切なものへの敬意や、既存の背景への関連づけといった傾向です。

フィシュ ええ、特にパブリックアートにおいてはその通りですね。ただしスタジオワークにおいては、「既存の背景」は非物質的で無形のものになります。つまりそこで私のための敷地を構成するのは砂や石ではなく、むしろアイデアや伝統なのです。そして、それこそが私が芸術を熱愛する所以とも言えます。ゾンビや異界からのエイリアンのような存在ではなく、我々は伝統の一部なのです。私は自由な制作を続けてはいますが――そして自分を伝統的なアートの作り手とはみなしていませんが――伝統的なものに意識的ではあります。イメージの世界には長い伝統があります。人々が何かを考えることを始めたのとほぼ同時期から、その考えを視覚化する試みも続けられてきました。それがまさに、私が発掘を続ける場所なのです。
どこかで読んだ一節で、とても興味を引かれた言葉があります。「人が何かを話すとき、それは実際、その言語の存在のおかげなのである」。私が何かを話すにせよ、前提として私はその言語の存在に賛同しているというわけです。同意や受容といった考え方は、やはり私が非常に意識している――まさにその存在に同意すべき――事柄です。そしてこの考え方は、ヴォルテールのSF短編小説『ミクロメガズ』から引用した今回の個展タイトル『I have seen happiness nowhere, but it is doubtless here』(ほんとうの幸せを見たことはないけれど、それは確かにある)にも反映されています。それはすでにそこにある。必要なのはそれに同意することだけなのです。

 

 


 

ヘンク・フィシュ

1950年、アイントホーフェン(オランダ)生まれ、同地在住。幼少のころの夢であった指揮者をはじめ、役者、作曲家、建築家等様々な職業を志した後、1980年に彫刻家になることを決意。ヴェネツィア・ビエンナーレ(1988)、ドクメンタ9(1992)などの国際展にも参加。その作品は様々な建築物におけるパブリックアートとしても登場し、2010年の上海万博におけるオランダ館にも彼の彫刻が見られる。2006年には、西沢立衛が設計した森山邸(東京)を会場に展示を行った。

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にしざわ・りゅうえ
1966年、神奈川県生まれ。95年から妹島和世と共にSANAA(Sejima And Nishizawa And Associates)を設立。97年には西沢立衛建築設計事務所を設立する。代表的な仕事に、金沢21世紀美術館、ニュー・ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート、十和田市現代美術館などがある。現在横浜国立大学大学院教授。2010年には妹島と共に「建築界のノーベル賞」とも言われるプリッカー賞を受賞した。
http://www.sanaa.co.jp/
http://www.ryuenishizawa.com/

 

ヘンク・フィシュ個展『I have seen happiness nowhere, but it is doubtless here』
4月2日(金)〜5月22日(土)
ワコウ・ワークス・オブ・アート(東京)
http://www.wako-art.jp/
*協力:オランダ王国大使館
*同展に関連して行われたヘンク・フィシュのアーティスト・トーク(聞き手:片岡真実 森美術館チーフ・キュレーター)の抜粋テキストが以下で閲覧可能。
http://www.wako-art.jp/exhibitions/data/2010/henkvisch_2010/HV_MK_Talk.pdf

『豊島アートプロジェクト』(豊島美術館 設計:西沢立衛 作家:内藤礼)
『瀬戸内国際芸術祭』会期中(7月19日〜10月31日)に開館予定
香川県豊島
http://setouchi-artfest.jp/

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