対談:ヘンク・フィシュ×西沢立衛(前編)

 

孤高の彫刻家として、また空間特性を繊細に操るアーティストとして知られるヘンク・フィシュ。美術館から住宅まで、そこでの営みや関係性を重視した建築デザインで躍進中の西沢立衛。2006年に、西沢の設計した住宅「森山邸」(東京)にてフィシュが展覧会を行うという縁を持つふたりでもある。今回は彼らの対談が、フィシュの東京個展スタート、西沢のプリッカー賞受賞直後というタイミングで実現。ジャンルを越えて、それぞれの創作姿勢について語り合う。

構成:パメラ・ミキ

 

それはすでにここにある。必要なのは同意することだけです。

 

西沢 東京での個展オープン、おめでとうございます。とても美しく新鮮な展示ですね。人を象った作品群は馴染み深い印象ですが、鋼線を使った彫刻には新境地を感じました。中でも大きな新作『I have seen real happiness nowhere, but it is doubtless here(ほんとうの幸せを見たことはないけれど、それは確かにある)』(2010)は、門のようでも、抽象画のようでもあります。こうした表現が生まれたきっかけは?

フィシュ デヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』で、洞窟の壁画が物語の鍵でしたよね。そこに、誰がローラを殺したのかという謎を解く秘密が隠されていた。私はこの新作の制作中、これも洞窟画のようなものだと感じました。何が描いてあるか見ることはできますが、その意味するところはわからない。

 


ヘンク・フィシュ個展『I have seen real happiness nowhere, but it is doubtless here』会場風景(ワコウ・ワークス・オブ・アート/東京 5月22日まで開催中)左:「I have seen real happiness nowhere, but it is doubtless here」2010年 右:「I was in your dream and could not sleep」2010年 © Henk Visch  Courtesy Wako Works of Art

 

西沢 その謎を解けば事件の真相がわかる(笑)?

フィシュ ハハハ。この作品から見い出せるのは、言葉で直接に表せる何かではないでしょうね。むしろ言語や知識の先にあるものと言いましょうか。そう、門のような存在で、ただし人々はそこを肉体ではなく、目によってくぐり抜けるのです。その意味では、すぐそばに併置された新作とも共通します。『I was in your dream and could not sleep』(2010)では、2体のブロンズ像は同一のもので、つまり同じ鋳型から生まれました。そして両者の間に立つ棒は、鏡の役割を果たすのです。鏡の中で事物は虚像化し、消失します。

西沢 鏡は壁の向こうにまた別の壁を、空間の向こうに違う空間を造り出すものでもあります。やはり僕には、ふたつの作品はとても異なるものに映ります。

フィシュ 私にとっては、すべての像が独立した存在だとも言えます。秘密めいていて、制限され、自己完結したもの。自らの内に自身を隠そうとしているけれど、それ以上隠すことも無理なのです。非社交的で、自分本位な存在——感受性を持たず、観る者が入っていける表面を持たず、しかし自身の空間は必要としている。ですから、鋼線の作品群を作ることによって——これらは私にとって空間のような存在なので——彫像たちに欠けている空間を与えているとも言えますね。

 

どんな空間も「アートのための場」になり得る

 

西沢 初めてフィシュ作品にふれたのは、レム・コールハースの設計したクンストハルで、あなたが彼とコラボレーションした際のものです。彫刻が「静穏の感覚」とでも呼ぶべき美しい何かを建築に吹き込んでいたことに、感銘を受けました。歩みを進めるひとりの男と一頭のラクダ、というシンプルな構成によって、そこに独特の異世界が生まれていました。

 


「Kameel met begeleider」1992年、クンストハル(ロッテルダム)の建築上に設置された彫刻インスタレーション © Henk Visch

 

フィシュ 90年代初頭の作品ですね。当時のオランダはイスラム諸国から大勢の人々が流入した時期で、それが社会的緊張を生んでもいました。そこで私は公共彫刻のひとつのあり様として、この関心事を作品に取り入れることにしました。「ラクダは砂漠の船」という言葉もあることから、彫像を船になぞらえたのです。そして、ラクダの進む方向は海へと——つまり、言ってみればこの社会へと——定めました。面白いことに、同時期にレムがパリの住宅プロジェクト『ヴィラ・ダラヴァ』に関する図録を作った際、彼はその写真撮影におけるモデルとして、動物たちを起用しています。

西沢 覚えています。 キリンが庭園にいる風景ですね。住宅の庭に巨大な獣が佇んでいるのはとても不思議でした。きっとあなたにインスパイアされたのでしょう。クンストハルの件では、レムとかなり親密に協働したのですか?

フィシュ 彼はあのアートプロジェクトの審査員を委託され、その手助けをしていました。私の提案を彼が気に入ってくれたので、制作できたのです。ただ、もともとの案では建物の周囲に青一色の海のような広場をつくり、そこにラクダがいるというものでした。ロッテルダム市に受諾されず実現しませんでしたが、それで私とレムは新たな案のために共に働いたというわけです。

西沢 そのオリジナル案のことは初めて聞きました。素敵なアイデアですね。

フィシュ 海へと流れてしまいましたけれど(笑)。勝つためにはまず何かを失うべきときもある、という一例です。

西沢 日本の森山邸での展示でも、建築の空間と作品とがとても幸福な関係を築いていました。あの場所の使い方としては、最も印象的なもののひとつだと思います。もともとは住居として設計された建物ですが、あなたはそのプログラムを全く別のものへと変容させました。あたかも美術館のように。作品が置かれることで、小さなバスルームやキッチンとして設計された空間が、異なる役割を果たす場となっていく。どんな空間も美術館に、つまりアートのための場所になり得るのだということが見事に示されました。

 



『Henk Visch at Moriyama House』展示風景 2006年 © Henk Visch  Courtesy Wako Works of Art 西沢の設計した住宅空間にて行われたフィシュの個展。同展と森山邸に関するフィシュのテキストも以下で読むことができる。http://www.henkvisch.nl/texts/33text.html

 

フィシュ ただ、森山邸には1ヶ所だけ、使わないでおこうと思った場所がありました。オーナーの森山氏が音楽を聴くための部屋で、ドアがなかった。ただ四角い開口部が開いているのみで……。

西沢 あれが扉なんですよ(笑)。

フィシュ 本当に(笑)? 何て典型的な「異文化間の誤解」でしょう! そっとしておくべき空間だと思っていました。あそこにあるすべての建物の原型のような存在で、使うべきではないのだろうとね。開かずの間みたいなものが、どの家にも必要だと思うときがあるのです。

西沢 それは素敵な考えですね。

 

後編はこちら

 

 


 

ヘンク・フィシュ

1950年、アイントホーフェン(オランダ)生まれ、同地在住。幼少のころの夢であった指揮者をはじめ、役者、作曲家、建築家等様々な職業を志した後、1980年に彫刻家になることを決意。ヴェネツィア・ビエンナーレ(1988)、ドクメンタ9(1992)などの国際展にも参加。その作品は様々な建築物におけるパブリックアートとしても登場し、2010年の上海万博におけるオランダ館にも彼の彫刻が見られる。2006年には、西沢立衛が設計した森山邸(東京)を会場に展示を行った。

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西沢立衛(にしざわ・りゅうえ)

1966年、神奈川県生まれ。95年から妹島和世と共にSANAA(Sejima And Nishizawa And Associates)を設立。97年には西沢立衛建築設計事務所を設立する。代表的な仕事に、金沢21世紀美術館、ニュー・ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート、十和田市現代美術館などがある。現在、横浜国立大学大学院教授も務める。2010年には妹島と共に「建築界のノーベル賞」とも言われるプリッカー賞を受賞した。
http://www.sanaa.co.jp/
http://www.ryuenishizawa.com/

 

ヘンク・フィシュ個展『I have seen happiness nowhere, but it is doubtless here』
4月2日(金)〜5月22日(土)
ワコウ・ワークス・オブ・アート(東京)
http://www.wako-art.jp/
*協力:オランダ王国大使館
*同展に関連して行われたヘンク・フィシュのアーティスト・トーク(聞き手:片岡真実 森美術館チーフ・キュレーター)の抜粋テキストが以下で閲覧可能。
http://www.wako-art.jp/exhibitions/data/2010/henkvisch_2010/HV_MK_Talk.pdf

『豊島アートプロジェクト』(豊島美術館 設計:西沢立衛 作家:内藤礼)
『瀬戸内国際芸術祭』会期中(7月19日〜10月31日)に開館予定
香川県豊島
http://setouchi-artfest.jp/

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