第10回リヨン・バイエニアル

The Spectacle of the Everyday
2009年9月16日(水)〜2010年1月3日(日)
シュクリエール、現代美術館、ビシャ倉庫、ビュルキアン財団(リヨン、フランス)
http://www.biennaledelyon.com/contemporaryart2009/

文:余小蕙(アートライター/パリ在住)

1991年に創設されたリヨン・バイエニアル。10回目を飾るのは、中国生まれにして世界を股にかけるキュレーター、侯瀚如(ホウ・ハンルゥ)が手がけた『The Spectacle of the Everyday(日常のスペクタクル)』だ。8ヶ月という極端に短い準備期間にもかかわらず、サンフランシスコ・アート・インスティテュートの展覧会及びパブリックプログラムディレクターを務めるベテラン国際展キュレーターは、困難を乗り越え、大規模展を作り上げた。首尾一貫しながらもゆるやかな概念的フレームワークと、刺激的な作品群。半数以上がバイエニアルのために考案された新作である。

20を超える国際展を世界各地で制作してきた侯は、リヨンにおいても、今日のグローバライズ化された都市文脈の中でアートを創り出すという探究を続けている。ギー・ドゥボールによって定義された「スペクタクルの社会」は、我々の実存の根本的な条件となっている。我々の知覚、想像、内省の能力は消費主義的イデオロギーに支配されており、ミシェル・ド・セルトーが20年以上前に『The Practice of Everyday Life(日常生活の実践)』(フランス語版原題は『日常の創出』/日本語版は『日常的実践のポイエティ-ク』)で提唱した考えに酷似している。侯は上記の前提に基づいて、日常の世界と創出的に(再び)関わることによって、これまでのものに取って代わる新たな秩序の構築を目指すアートを主唱している。

会期は9月中旬から1月3日まで。予算は690万ドル(約6億3千万円)。会場はシュクリエール(1930年代に建造された砂糖工場。2003年以来、会場として使用されている)、現代美術館、ビシャ倉庫、ビュルキアン財団の4ヶ所で、計1万2千平米の空間に、およそ60のアーティストとユニットが展示を行っている。「事物の魔術」「漂流を祝す」「別世界はあり得る」そして「ともに暮らす」という4テーマ構成で、作品は政治活動家的な志と楽天主義に満ちている。これに並行して「ヴェドゥータ」というプロジェクトが開幕のかなり以前から始められていて、アート界からは無視されがちな一般大衆をアートに親しませることを目論んでいる。リヨン郊外でアーティストレジデンスプログラムを行い、ものを作ったり、食事をしたり、一緒に暮らしたりするなどして、現代美術を体験する新たな方法を模索するものだ。

グローバリゼーションの力によって劇的に姿を変えてきた社会に生きる身として、アジアの作家は政治、社会、経済、文化、そして環境問題を問う点で傑出している。実務能力も創造性も優れていて、したがって本展においても強い存在感を示している。


エコ・ヌグロホ「cut the montain and let it fly」2009年、壁画
協力:Caisse d’Epargne, Rhône Alpes, M.E.R.I.C. / CIREME, CPRO / CAPAROL
撮影:Blaise Adilon

シュクリエールでの展示が最も力強いパートであることは言うを俟たない。体制に順応せず、知的に刺激的な展覧会で定評のある侯の企画力を、最もよく体現している。最初に目に入るのはもと工場の外部と入口に展示された、視覚的に圧倒的ないくつかの作品だ。ポルトガルのペドロ・カブリタ・レイスが、廃墟のような空間に束の間干渉したオレンジの塗装とネオンライト。インドネシアのエコ・ヌグロホの巨大な壁画。エントランスホールの壁4面、天井と床を覆う香港の曾建華(ツァン・キンワ)による装飾的な壁紙は、近くに寄って見ると、短いが一部は挑発的な文章が描かれているとわかる。観客は会場に入るやいなや、インドのシルパ・グプタによる鉄の格子扉の攻撃的な開閉音に出迎えられる。壁に向かって絶え間なく揺れ動き、徐々に壊していくのだ。


シルパ・グプタ「Untitled」2009年
Mobile metal gate. Swinging side to side breaking the walls
Courtesy the artist and Yvon Lambert, Paris
撮影:Blaise Adilon

「日常」が想像力と再創出を通して「スペクタクル」となり得ることは、米国のサラ・ジーによる「Untitled (Portable Planetarium)」に最もよく示されている。目立たない一角に展示された、巨大だがこのとき限りの彫刻作品で、あらゆる種類の平凡でありふれた日常品で作られている。綿棒、釘、定規、扇、羽根などが、音と光と微細な動きからなる魔術的世界、目を瞠るべき純然たる驚異を作り上げているのだ。脆弱さと堅牢さ、混沌と秩序への取り組み以外に、この堂々たる優美さに満ちたインスタレーションは、事物をリサイクルすることによって事物の生を褒め称えもする。展示後に作品は解体され、素材は他の作品を作るべく再利用され、新たな生命を生み出す。


サラ・ジー「untitled (Portable Planetarium)」2009年
ミクストメディア、オーバーヘッドプロジェクター、写真
Courtesy the artist and Victoria Miro Gallery, London
撮影:Blaise Adilon

リサイクルと集積は、台湾出身のマイケル・リンが用いている戦略でもある。複合的なインスタレーション「What a Difference a Day Made」は、作家が上海で買った工具/雑貨店の非文脈化された再構成とプレゼンテーションから成っている。観客はまず、小さくてカラフルな中国の店の中を歩かされる。店内にはブラシ、プラスティックのバケツ、ほうき、ポット、中華鍋、電気釜など、あらゆる種類の日常的な、だがどことなくエキゾティックな商品が床から天井まで積み上げられている。次に巨大な空間に入ると、それらの商品は分類され、目録化され、さらにはオープンな木箱に陳列され、あたかも貴重な芸術品のように見えるのだ。インスタレーションには、商品をジャグリングする芸人のビデオも含まれている。


マイケル・リン「What a Difference a Day Made」2008年
上海ストア(複製)、クレート、DVD Courtesy the artist and Shanghai Gallery of Art.
協力:台湾文化建設委員会、台湾文化センター(パリ) 撮影:Blaise Adilon

もうひとつのハイライトは、広島生まれ/在住の岩崎貴宏が寄せた作品だ。エディンバラ城、京都御所、通信アンテナなど、極めてデリケートで華奢なミニチュア建造物が、不条理なことに、くしゃくしゃになったゴミ袋や、バスタオルの山から突き出ている。奇妙なねじれを現実世界にもたらすことにより、この上なく精緻なこれらの作品は、詩的にして瞑想的な魅惑を具えている。

一方、サンフランシスコを拠点とするバリー・マギーのインスタレーションは、残忍、乱雑で刺激的なストリートアートの視覚体験を再現している。引っ繰り返され、グラフィティがスプレーされた古いバン、明るい色でグラフィックデザインが施されたパネル、3人で肩車している男の彫像、壁に常にスプレーされている黒い塗料などなど。


バリー・マッギー「Three Man Stack」2009年
16 components of three tagger sculpture
撮影:Blaise Adilon

小さく、軽く、別々の作品が、巨大で堂々たるインスタレーションに並置されている。例えば、フルクサスの「工作員」で、昨年没したジョージ・ブレヒトの歴史的シリーズ『Event Glasses』と『Chair Events』に遭遇するのはうれしい驚きだ。会場に散在しているが、前者はサイズの異なる長方形のガラス板から成り、表面に「Event」の文字が刻まれてる。後者は普通の椅子と別の物体を組み合わせたもので、明白な論理的関連はない。

ほかに強く印象に残ったのは、中国の林一林(リン・イーリン)の映像作品「One Day, 2006-09」。消費主義的都市社会が疎外をもたらすことについての感動的な省察で、腕を手錠で足首に留めた作家がシャンゼリゼを歩くのだが、通行人の多くは関心を示さない。現代美術館では、マレーシアのウォン・ホイチョンが『Days of Our Lives』と題する興味深い写真シリーズを展示。今日のヨーロッパの多文化的アイデンティティを示すために、かつて欧州諸国が植民地としていたアフリカ、中東、アジアのモデルを用いて泰西名画を再現している。

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