第1号 選択の自由

第1号 選択の自由

ここ最近、社会、政治と芸術の関わりを強く意識せざるを得ない状況が続いた。身近なものもあれば、他人事のようなこともあり、ままならぬ政治状況に対して芸術ができることを妄想する、というお遊びのようなもの(こうした政治的にみればお遊びにすぎない側面こそがジャック・ランシエールを現代美術に惹き付けているものなので、敢えて付記する。ランシエールの現代美術への造詣の深さは特筆すべきものがあるので、いずれ深く掘り下げたい)も含まれるが、いずれにしても何かしら自らの立ち位置に対する再考を迫るものであったことは確かである。

そのひとつがウィーンのオーストリア応用美術館 (MAK)で北朝鮮美術の展覧会『FLOWERS FOR KIM IL SUNG, Art and architecture from the Democratic People’s Republic of North Korea[金日成に捧げる花; 北朝鮮人民民主共和国の美術と建築]』が開催されているというニュース。この展覧会は平壌にある朝鮮美術ギャラリーおよび白頭山建築アカデミーの協力で開催されており、1960年代から現代に至る100点を超える展示作品はすべてこのふたつの公的機関の所蔵品である。この展覧会で注目を集めるのはあわせて16点の金日成と金正日の肖像画であり、MAK側がこれらの貸与を強く希望し、渋る北朝鮮側を説得、展示に至った。一方、展覧会が開催してから主催のMAKはオーストリア国内外から批判を受けている。北朝鮮の現体制に与するのか、という非難である。独裁政権で自由がない(であろうと推測される)芸術家の自分が描きたいものではない(かもしれない)作品を見せることで、現政権の素晴らしさを展覧会が喧伝している、というのが批判のポイントである。

ドイツの雑誌『シュピーゲル』の取材で、同じくウィーンにあるクンストハレのディレクター、ジェラルド・マットは自身が数年前に北朝鮮で写真展を開催した際、作品選択に介入された経験などをふまえて「問題は、政治的背景を考えずに作品が見ることができるかどうか。実際、それを抜きに見ることは難しいだろう」と語った。こうした批判に対しMAKディレクター、ピーター・ノーヴァーは「美術には国境がない」「芸術は政治を変えることはできないが、すくなくても芸術を通して、すこしだけ違う、もしくは新しい見方をすることができるようになるだろう」と話し、展覧会を開催することの意義を強調した。この問題に対して「金正日のプロパガンダに加担している」とMAKを非難することは「政治的道義」に適うものであり、一定の理解を得られるものかもしれない。

ありきたりではあるが、このニュースを読みながらノーム・チョムスキーによる歴史修正主義者、ロベール・フォリソンを擁護し非難されたいわゆるフォリソン事件のことを思い出した。チョムスキーによる、事実に対してではなく、表現の自由という観点からヴォルテールの言葉を引用したフォリソンへの擁護がフォリソンの主張する事実(ナチスによる虐殺はなかったとする説)を支持していると曲解され、チョムスキー自身も激しく非難された事件である。チョムスキーは、この顛末をアメリカのネイション誌に「His right to say it」(彼がそれを言う権利)として掲載し表現の自由の再確認を主張した[注1]。

芸術が自由である、というのを信じるほど我々はもうナイーブではないし、ヨーゼフ・ボイスが目指した芸術による社会変革がまったく進んでいないことも、そしてその前途が困難であることも理解している。しかしながら、現代の情報過多社会において、ある種の自由を享受できる国にいる以上、不自由(であろう)国や人々のことについて考えること、彼らの表現に対して少なくとも「見る」「知る」機会を持つことは重要であろう。政治や社会への批判を持つ作品が評価される一方で、北朝鮮の作品は見る機会さえ奪われようとしている。表現の自由は裏返して受容する側の選択の自由へ繋がるものという意識を再確認したい。そう考えると東京都青少年健全育成条例への対応もおのずと見えてくるだろう。

ただしそこで求めるのは答えではなく、考えるという行為自体だ。メディア(広義には展覧会もここに含まれると思うが)の役割は答えを押し付けることであってはならず、自由を享受する機会を提示する機能を持つだけであると反芻しながら、芸術家という途方もないアイデアを持つ人々を中心とした声を伝えることが「すこしだけ違う見方」を選択する自由を、さらには自身で考える行為への導線となっていくかもしれない、と期待している。

『ART iT』日本語版編集部

注1 http://www.chomsky.info/articles/19810228.htm

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