2013年 記憶に残るもの ART iT


Installation view of Mike Kelley at MoMA PS1, 2013. Photo: Matthew Septimus.

マイク・ケリー
2012年12月5日(水)-2013年4月1日(月)
アムステルダム市立近代美術館
http://www.stedelijk.nl/
(フランス国立近代美術館、P.S.1 現代美術センター、ロサンゼルス現代美術館を巡回)

2012年に急逝したマイク・ケリーの大型回顧展。新たに改装を終えたアムステルダム市立近代美術館の企画展スペースをすべて埋め尽くし、1970年代、カリフォルニア芸術大学在学中に制作を始めた「Bird Houses」シリーズから、2012年の「Mechanical Toy Guts」までのシリーズをほぼ網羅する200点以上の作品が展示された。この展覧会には、彼自身も展覧会企画に関わっていたものの、彼の死に伴い、より回顧展の意味合いが強まった。

マイク・ケリーの作品はこれまで多くの個展、グループ展に展示され、衆目を集めてきたが、こうして一堂に集められた作品を概観すると、彼がどれだけ多くの異なるメディアを使い、様々な表現形式およびテーマをとってきたか、そのあまりに広範な作品制作とその元となるアイディアに驚かされる。反権力、アメリカンポップカルチャー、挑発的、など彼の作品を形容する言葉はいろいろあり、そのどれもが正しいものの、一方でそうした言葉の範疇に収まらず、見る人を常に迷わせるような、複雑な作りになっている。そして、その根本には芸術、教育、啓蒙主義といったものに対する強いまなざしがある。

1988年にシカゴのルネッサンスソサエティで初めて発表し、その後各地でその土地にあったバージョンを展示した「Pay for Your Pleasure」は、そうした彼の複層的な考えの一端を感じることが出来る作品のひとつである。歴史的に有名な西洋の男性作家、アーティスト、哲学者—バルザック、ドガ、フーコーなどーのカラフルな大型のポートレートドローイング42点が両側に並んだ長い廊下を、そのポートレートの上部に添えられた彼ら自身による芸術が持つ、狂気や犯罪をもたらす感情や事実を表す言葉を読みながら進むと、突き当たりに地元で有名な殺人犯もしくは傷害犯の手による、決して上手いとは言えない絵が飾られ、犯罪被害者の家族を救済する団体への寄付を促す。著名な芸術家の狂気の言葉を、もっともらしいものとして受け入れ行き着いた先に、狂気がもたらした悲劇が生んだ芸術を見せられることで、観客は何とも言えないやましい感情を覚える。そうした芸術を鑑賞する心ある観客の、ある意味偽善的とも言える道徳観を利用して、寄付を求める。芸術と狂気の関係、そして芸術がもたらすとされる救済とは何かを考えさせるインスタレーションである。そして報復と返戻金の両義を持つpay backの意味を証明してみせる。


Installation view of Mike Kelley at MoMA PS1, 2013. Photo: Matthew Septimus.

2005年にガゴシアンギャラリーで発表された「Day is Done」は、ケリーが何年にも渡り、主にアメリカの高校のイヤーブックと、地元の新聞から集めた、学芸会、ハローウィン、クリスマス、聖パトリック祭のパーティーなどのイメージを元にして制作した32のビデオからなる複合インスタレーションである。教会の文脈の外で行なわれた宗教的儀式、いわばアメリカ固有の民族文化であり、真のポピュラーカルチャーとも言えるこの儀式文化を、そのスタイル別に丁寧に解体し、再構築している。ゴシック、バンパイア、悪魔など、おどろおどろしい視覚的な要素と、その舞台装置は、その表面的な意味とは別に、こうした儀式とその構造が、芸術の社会的機能の一面であることを露呈する。ケリーは、こうした大衆文化を敢えて解体することで、人々が文化に対して持っている個人的な記憶をその構造から見せる。文化の中に入っているように見せながら、ズレを見せることで、そうした大衆文化に対する距離を感じさせ、彫刻、ビデオ、インスタレーション、音楽が混在する空間に入り込むことで、身体的に取り込まれながら、その奇妙な感覚を体感し、その構造自体を意識させるものになっている。

コミック、スーパーマンに出てくる都市を再現した「Kandor」(2000/2007-2012)、ケリーが通った学校をすべてマケットにした「Educational Complex」などの大型プロジェクト、インスタレーションに肉付けするように、ドローイングを始めとする数えきれないほど、日常的に行なわれたであろう彼の芸術的実践が、ケリーの芸術に対しての飽くなき制作態度を詳らかにしている。

そうした大きな展覧会の最後に展示された「Mechanical Toy Guts」はケリーの最後の作品のひとつとされている。明らかに他の作品の残滓で制作された作品は、これまでの作品に見られるようなリサーチの跡も、スペクタクル性もなく、見逃してしまいそうな、はかないものであった。彼の死後だからこその穿った見方ではあるが、孤独な死を前に、それでも自らを絞り出すように制作したように見える作品であった。
フォトレポート Mike Kelly @ Centre Pompidou


Shinro Ohtake. Installation view of NEWNEW at Marugame Genichiro-Inokuma Museum of Contemporary Art. Photo: ART iT

大竹伸朗 / 四国各所

2012年のドクメンタに続き、今年のヴェネツィア・ビエンナーレ企画展にも参加、これまでの国内での活躍に加え、着実に国際的にもその活動の場を広げつつある大竹伸朗の四国におけるふたつの展覧会と、新たなコミッションワークの発表は、彼の留まることをしらない作品制作とその源泉を改めて衆知させるものとなった。東京都現代美術館の全フロアを使って開催された2006年の『全景 1955-2006』が、幼少時からそれまでの大竹の芸術活動を、時系列に、執拗なまでに概観したのとは対照的に、その後の展覧会は彼の実践を再解釈する可能性を残すことはなかった。

2013年に時期をほぼ同じくして四国で行なわれたプロジェクトは、合わせれば『全景』に匹敵する規模であるが、彼が関心を寄せる事柄について、また彼の芸術観を新たに読み解くものとなった。

まず、多くの観客を惹きつけたのは、MIMOCA丸亀猪熊弦一郎現代美術館の個展『ニューニュー』で展示された、昨年のドクメンタ13のために制作され、カールスアウエ公園会場で発表された作品「モン・シェリー:スクラップ小屋としての自画像」(2012)だろう。同じ空間の壁を覆い尽くす小型のキャンバスに描かれたカッセルの森を想起させる緑の色調のペインティングと共に、美術館のメインの展示室に持ち込まれた作品は、大竹のコラージュやアッサンブラージュの作品のための素材の集積とコンポジションへと変容する純粋な身体性を伝達していた。丸亀では、美術館の中の美術館を暗示し、この「セルフポートレート」は、このような作品が、個々の、社会の、文化の、工業との間の関係の内に、極めて個人的でありながら冷静に思慮深い、美術館とは反対の空間をどのくらい作り上げることができるかを強調している。また、抽象的なコラージュも展示されていた。「時憶」(2010-)のシリーズは、彼の代表作であり今年のヴェネツィア・ビエンナーレにも展示された「スクラップブック」(1977-)にも現れる集積された時間の考古学的意味を強調し、美術館の3階分の高さをもった新作「時憶/BIBA」は、青白いネオンが錆びたボウリングのピンの形をしたタワーのフレームを強調していた。


Shinro Ohtake. Installation view of OKUSOKU VELOCITY OF MEMORY at Takamatsu city museum of Art. Photo: ART iT

高松市美術館で開催された『憶速』は1964年から2011年の作品を含む展覧会で、『ニューニュー』展を歴史的な観点から補完するものであった。ここでは「遠景の記憶」、「残像—内的露光」、「アフリカ—反響する記憶」と言ったように叙情的なテーマで作品がグループ化されている。これまで展示したことがなかった96巻にもわたるスケッチブックと共に展覧会に出品した彼の実験的な映像と写真作品は、彼の周りの世界を休むことなく見渡し続ける観察者としての大竹の考えを強調しつつ、1990年初期のミクストメディア「ペインティング」である抽象的な「網膜」シリーズの例に見られるように、写真の感光材を使うなど、彼が以前にアートへのアプローチと写真のプロセスの間について語った隠喩的な関係の上に練り上げている。写真はスケッチと絵画のための元になるものを供与し、一方、絵画や他の作品の複製写真とは、飽くことなき視覚的な出入力や再使用のサイクルの中で、マスメディアのイメージと合体し、コラージュやアッサンブラージュを引き立たせる。「憶速」というタイトルに示されているように、我々の視覚もしくはまさに詩的な印象が具体的な事実へと変容する速度と、記憶自体が消えてしまう速度が出会う直線のヴィジョンである。

速度は、もちろん質量や移動などの運動要因にも依存する。そしてこの大竹の実践に内在する彫刻的な側面は、しばしば彼のメディアサンプリングのより認識しやすい描写によりあまり注目されることがなかった。丸亀の「モン・シェリ」と高松に展示された自動演奏の小屋/ステージである「ダブ平&ニューシャネル」(1999)、さらに瀬戸内芸術祭のために女木島の廃校になった小学校に設置された「女根」(2013)がこの問題についての認識を改めてくれる。大竹のここ最近の活動で最も魅力的なもののひとつが、彼の植物に対する興味であり、例えば直島銭湯「I♥湯」(2009)におけるサボテンの温室であり、今回もプラントハンターである西畠清順とのコラボレーションを通じて、植物が作品に組み込まれている。小学校の中庭にそびえ立つ、「女根」の中心作品は、鮮やかな赤に塗られた巨大なブイで、大きなヤシの木が上に重ねられている。どぎつい緑に塗られた学校の建物の外壁とともに、中庭は他の植物と構造物が置かれて大胆に変容している。後に、古いラジオの歌とノイズのサウンドコラージュと、10メートルの高さに積み上げられた多くのネオンライトが組み込まれるなど、このプロジェクトは「スクラップブック」にもみられる、反復的な創造のプロセスをランドスケープサイズで、複数の感覚にわたる規模で、夏、秋を通じたトリエンナーレの会期中に何度も繰り返して制作をつづける大竹と共に、拡張し続けた。

大竹伸朗展 『ニューニュー』
2013年7月13日(土)-11月4日(月)
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
http://www.mimoca.org/

大竹伸朗展『憶速』
2013年7月17日(水)-9月1日(日)
高松市美術館
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/bijyutu/

瀬戸内国際芸術祭2013 —アートと島を巡る瀬戸内海の四季—
夏会期:2013年7月20日(土)-
大竹伸朗「女根/めこん」

インタビュー 大竹伸朗「邂逅が生む衝動」
フォトレポート Shinro Otake: NEWNEW @ MIMOCA
フォトレポート Shinro Ohtake: OKUSOKU VELOCITY OF MEMORY @ Takamatsu city museum of Art


Kodai Nakahara. Installation view of Migration or Retrospective at Okayama Prefectural Museum of Art. Photo: ART iT

中原浩大展 自己模倣
2013年9月27日(金)-11月4日(月)
岡山県立美術館
http://www.pref.okayama.jp/seikatsu/kenbi/index.html

昨今、回顧展というひとつの形式に対するアーティストの意欲的な試みが世界的に増えている。とはいえ、回顧展の基本的な魅力とは、ひとりのアーティストが異なる時期、異なる場所で展開した実践をまとまりのある形で提示し、鑑賞者がそれらの実践を直接見たり、判断したりする機会を用意することにある。中原浩大にとって、初の大規模な回顧展となった『中原浩大展 自己模倣』は、従来の回顧展の形式に対する挑戦的な試みとその形式の強化を両立させていたと言えるのではないか。中原は1980年代から90年代にかけて、まずは既存の素材を用いた彫刻やギャラリー空間を満たす不規則な形態、そして、レゴ・ブロックの巨大な構築物で一躍時の人となった。しかし、その後の彼は徐々にメインストリームから離れていき、この10年間は比較的小規模な空間で散発的に展示を行なうのみであった。そのため、若い世代の美術鑑賞者からはほとんど伝説的な存在として見られ、「ポストもの派」やいわゆるオタク・アートなどといった言い回しによって掴み難い存在となっていた。


Kodai Nakahara. Installation view of Migration or Retrospective at Okayama Prefectural Museum of Art. Photo: ART iT

それゆえに、岡山県立美術館で開催されたこの展覧会は大勢の人々が中原作品を間近で体験する初の機会となったのだが、一方で、2010年の作品倉庫の火事でほとんどの作品が焼失してしまったという事実により、中原のこれまでの実践に対するなんらかの完結した理解を獲得する望みは叶わぬものとなっていた。キーワードとなったのは、修復、再制作、そして、シミュレーション(これは展覧会タイトルからも伺える)である。美術館の地下階に広がる展示は、スタジオの雰囲気もしくは壮大なワーク・イン・プログレスの様相を漂わせていた。入口のアトリウムには「無題(レゴ・ワーム)」(1990)と「レゴ・ワーム(部分/作家倉庫にて)」(2013年)という同一作品のふたつのバージョンが隣同士に、まるで出土したばかりの古生物学の標本のように並んでいた。それは完成されたオリジナルと部分ごとに仕上げられた再制作。ガラスの陳列棚に積層されたプラモデルの箱や未現像のロールフィルム群といったものが、未完成の考古学的な美をまとう表面や基層、顕在的かつ潜在的の作用を隠喩的なテーマとして浮き上がらせる。そのほか、レゴで作られたラジコンやさらに奇抜な素材を使った作品があり、しばしば言及されてきた名作アニメの登場人物の市販フィギュアを使った「ナディア」(1991-92)にはオタク文化とのいっさいの関係を否定したメモが添えられている。ここに、かつて現代美術の文脈を逃れていたものが、まるで中原自身が距離を置きつつ自分自身の作品を扱うアプローチのような、どこか思弁的な形で現代美術へと再合流しているように見えはしないだろうか。「僕が子どもに作った3つのレゴ(レプリカ)」(2008)と「それを分解して子どもが作り返したレゴ(オリジナル)」(2008)の組み合わせに強調されているように、中原の作品は二重のレディメイド、素材が指し示すファウンドオブジェと「アート」からの二重の疎外となる。この展覧会は中原作品の背後にある文脈を確認するのではなく、むしろ歴史化を待つ作者のアイデンティティという概念や、永遠の現在または「コンテンポラリー」としての美術空間それ自体を問うていたのではないだろうか。英語の展覧会タイトル「Migration or Retrospective」—回遊/回顧—には挑発的な両義性が秘められている。それは中原や中原作品が時空を越えて行き交うイメージを想起させ、回顧的な視座それ自体が絶えず変化し、相対的なものでしかないことを示唆している。
フォトレポート KODAI NAKAHARA: Migration or Retrospective @ Okayama Prefectural Museum of Art

2013年 記憶に残るもの インデックス

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