中西夏之死去(1935-2016)

2016年10月23日、60年代のハイレッド・センターとしての活動、そして、絵画と光=色彩の関係、空間と身体と絵画の関係の継続的な考察で知られた中西夏之が、脳梗塞のため東京都内の病院で死去した。81歳。

中西夏之は1935年東京生まれ。東京藝術大学を58年に卒業。塗料に砂を混ぜた「韻」シリーズや63年の読売アンデパンダン展に出品した無数のアルミ製洗濯バサミを用いた絵画作品「洗濯バサミは攪拌行動を主張する」は初期の代表作として知られる。同63年に高松次郎、赤瀬川原平とともにハイレッド・センターを結成し、東京オリンピックをはじめ、安保闘争後、高度経済成長の道を邁進する人々の平穏な日常を攪拌すべく、白衣を着て銀座の並木通りを清掃する「首都圏清掃整理促進運動」など、さまざまなイヴェントを展開した。絵画と光=色彩の関係を考察する一貫した制作に加え、舞踏家の土方巽との舞台芸術における共同作業をきっかけとした空間と身体と絵画の関係の考察から、インスタレーション形式の作品の発表も行なう。85年の北九州市立美術館をはじめ、神奈川県立近代美術館 鎌倉(1995)、東京藝術大学美術館(2003)など数多くの美術館で個展を開催。2008年の横浜トリエンナーレでは、独自の絵画体験をもたらす絵画によるインスタレーション「着陸と着水-XⅡ YOKOHAMA 絵画列による」(2008)を発表。2012年には自身2度目となるDIC川村記念美術館での個展を開催し、上述した初期作品のほか、「擦れ違い/遠のく紫 近づく白斑」連作(2010-12)を発表した。また、戦後日本の前衛美術を担ったアーティストのひとりとして海外でも数多くの展覧会で作品が紹介されている。教育者としても美学校設立の企画に携わり、講師を務めたほか、東京藝術大学や倉敷芸術科学大学で教授を務めるなど、後続世代にも多大な影響を残した。

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