グザヴィエ・ヴェイヤン インタビュー

大切なものは目に見えない
インタビュー/大舘奈津子


Installation view, Xavier Veilhan, “Free Fall” at Espace Louis Vuitton Tokyo. © Sebastian Mayer

グザヴィエ・ヴェイヤンは1963年生まれ。パリ国立装飾美術学校において学生時代に出会ったピエール・ユイグや、ドミニク・ゴンザレス=フォルステル、フィリップ・パレノらと共に、「関係性の美学」を打ち立てたニコラ・ブリオーや、エリック・トロンシーが企画したグループ展(注1)に参加しながら、パリ市立美術館での個展やグルノーブルのマガザン・国立現代美術センター、トゥールのCCC、ディジョンのコンソルシウムなど、フランスの地方に多数存在する現代美術センターでの個展でキャリアを積んでいった。彫刻や写真など作品に使うメディアは多岐にわたるが、知覚の現実化を試みる作品を制作しつづけ、鑑賞者とのコミュニケーションが可能な場所を作り上げようとしている。

今回東京に新たにオープンしたルイ・ヴィトンによるアートスペース、「エスパス ルイ・ヴィトン 東京」は2002年に青木淳の設計により建てられたルイ・ヴィトン表参道ビルの7階に位置し、3面がガラス張りのため、東京の街が見渡せる。ラグジュアリーで洗練された場所を彼はどのように変えたのか。


グザヴィエ・ヴェイヤン ポートレート © Keibun Miyamoto

ART iT まず、今回の展覧会『Free Fall』についてお話しいただけますか。

グザヴィエ・ヴェイヤン(以下XV) 展覧会のタイトル『Free Fall』は、作品名から来ています。その作品、「Free Fall」(2010)は自由落下シミュレーション装置という、空間につり下げられて重力の力で落下する装置を私自身が使い、飛行をした際に撮影したものを3つの平面作品にしたものです。何層にも紙を重ね、等高線地図のように見える「タブローパピエ(紙の絵画)」という独特の方法を使って作っています。撮影されたイメージを分解し、それぞれ特徴が違う紙を重ね合わせ構築することによって、イメージを形成するのです。白黒の平面作品で、壊れやすさや儚さを技術的にも表現的にも作り上げてみました。近くから見ると抽象的でわかりにくいですが、遠くから見えると何だかわかる、という作品です。

ART iT このガラス張りの場所にインスピレーションを受けた新作ばかりとお聞きしていますが、どのようなインスピレーションを受けたのでしょうか。

XV この場所にいると、ガラス張りのため上からぶら下がっているような感覚を受けます。これが作品を考えるきっかけになりました。しかも東京の街が一望できる場所ですから、そのまま開けておくことを選択しました。「Tokyo Statue」(2011)に登場する人物は外を向いて、街を見ているのです。この人物は私であり、鑑賞者でもあると言えます。下の部分が座れるようになっていますから、外を眺めるのも良いかもしれません。こうしたこの場所の開放性は、展覧会や作品が多くの人とのコミュニケーションに対して、また外の世界に対しても開かれていることに繋がっています。私は出会ったことのない多くの人とコミュニケーションをとることをとても大事に思っています。
私にとってこの場所にいることは、旅のせいかもしれませんが、綿帽子のように浮遊するような印象で、夢幻的な気分がします。ここ最近、私は日本も含め、アジアを巡る旅をたくさんしました。その旅のほとんどは夏だったので、暑さやとても白い空、柔らかな印象を感覚的に覚えています。また、アジアでは例えば街の中に書かれている看板や情報がまったく読めないといった利点があります。西洋の国にいる時には多少なりとも書かれたことがわかりますので、この利点については普段は経験できません。実は、街に書かれている情報が読めないというのは、非常に静けさをもたらすことでした。


Left: Xavier Veilhan, Les Architectes (2009). © X. Veilhan/F. Kleinfenn. Right: Xavier Veilhan, Tokyo Statue (2011). Photo © Keibun Miyamoto

ART iT あなたはヴェルサイユ宮殿での展覧会で『Les Architectes(建築家)』(2009)と称したシリーズの彫刻作品を制作したことにも見られるように、常に建築や建築的なものに興味を持っていたと思います。東京はある意味で建築の街です。そして、このルイ・ヴィトンの建物同様ここ「エスパス ルイ・ヴィトン 東京」も建築家、青木淳さんによって創られたスペースです。そうしたことをふまえた上で、ここの建築、もしくは東京にある建築物などなにか東京という街が建築的観点からあなたの作品制作に影響を与えていますか。何かインスピレーションを受けたのでしょうか。

XV 私は日本の建築のファンでもあります。特にその中でも妹島和世さんの建築物は非常に好きです。ミニマルでありながら感覚的でもあり、そのアプローチは素晴らしいと思います。彼女の建築は人間的でもあります。一方でそのアプローチは日本的な建築の概念、寺院などの伝統建築と結びついているものです。特に構造やタイルのような格子のプロポーションなどについて言えます。例えば、安藤忠雄さんが設計した表参道ヒルズの建築は畳の比率にあわせてつくられていると聞きました。私はそうしたサイズや比率の問題について常に興味を持ってきましたから、日本の建築に含まれるこうした視点は非常に面白いと思います。

ART iT 2003年のリヨン・ビエンナーレで見せた「Projet Hyperréaliste」(2003)では、単なる作品展示に留まらず、美術館内にあなた自身による独自の空間を作り出しました。それは例えば囲いとなる部分も独自に作り上げており、単なるインスタレーション作品を越えた建築的な空間とも言えるもので、それが非常に印象的でした。そのように彫刻作品をつくりながら空間を作り出すということは常に行っているわけですが、例えば自身で建築物を創ろうと思ったことはありますか。

XV 多分、ほとんどのアーティストが単に作品を制作して、鑑賞者が優位に立つ空間に展示することだけではなく、例えば今おっしゃったように鑑賞者を巻き込むインスタレーション作品を作りたいという幻想や願望を持っていると思います。「La Foret(森)」(1998)や「La Grotte(洞窟)」(1998)といった作品のように、鑑賞者により総合的な——建築に対して感じるような——経験を提供できたらいいなと考えていますし、そういった関係を持つ方法を模索しています。
つまり、包括的な文脈ではなくて、総合的な文脈を意識しているのです。したがって、私が探求しているのは、人々をあるシチュエーション、雰囲気や文脈の中に置くことです。それらは単に視覚的なものではなく、身体的でもあるので、その意味で総合的なものなのです。その点では建築とは近いかもしれません。建築といえば、今年の7月にマルセイユにあるル・コルビュジエが建てた集合住宅「Cité Radieuse」の屋根で展覧会を行います。そこではそのコルビュジエの建物という文脈を使うか、既存の文脈だけれども刺激的な文脈を使って作品を作ろうと思っているところです。


Xavier Veilhan, Le Mobile (2009). © Selby

ART iT テクノロジーについて伺いたいと思います。あなたはかなり早い段階、20年くらい前からコンピューターを使った作品を制作しています。デザイナーではなく、アーティストがフォトショップを使って作品を作るのがまだ一般的ではなかった時代からです。一方で、そうした先端的なテクノロジーをつかいながら、ある種テクノロジーを使っている痕跡を残していることを興味深く思います。
あなたがそうした作品を作り始めてから、この20年の間にテクノロジーはかなり進化していて、多くのアーティストがテクノロジーを使うようになり、痕跡を残さない、もっとリアルな表現をすることが可能になっています。そうした発展によって、テクノロジーの使い方、あるいはテクノロジーとの関係や制作姿勢になにか変化はありましたか。

XV 私が興味を持っているのは、一般的なテクノロジーが生み出す可能性です。でもその可能性はより多くの人にとって理解可能であるという条件の上でのことです。例えば、ピクセルを扱ったのはそれがピクセルをつかったものだと皆がわかるからです。共有できる可能性を広げるためのテクノロジーです。一方、とてもハイテクなもの、それが一部の人だけのものである場合はあまり好きではありません。でもテクノロジーによって、人々による直観的な理解を可能にするのも事実であり、そうした点には非常に惹かれます。
ただし、テクノロジーとテクニックを混同してはいけません。私が興味を持つテクニックというのは距離を持つことを可能にしてくれるもので、たとえばこれまでの絵画や写真であっても同様のことが行われていました。つまり対象物に対して、どういう選択をするかということでもあります。
それがテクノロジーの発展で立体におけるテクニックの使用に関しても可能になり、ロダンのように悲壮感を誇張しなくても、また素材との直接的な接触やモデルとの密接な関わりを持たなくても、ある種の距離を持つことが可能な段階に我々は達したと思います。

ART iT それについてもう少し具体的にお話いただけますか。

XV つまり個人的な属性を排除してより普遍的なものに触れることを可能にする距離です。例えば、3次元でだれかのポートレートを作ろうとした場合、具象でありながら感情的なものではなく、どちらかというと態度や姿勢、その人の空間における存在感を表せること、それは形式的な面を通して身体的に表現できるのでその人のアイデンティティを認識することができます。道で誰かに会ったとき、遠くからでもわかりますよね。これはある種とても不思議なことで、驚くべきことです。

ART iT 知覚の問題ですね。

XV そうです。知覚について非常に興味があり、そこにあるけれど見えないもの——存在はわかるけれどもほとんど幻のようにあるものに非常に興味があるのです。


Xavier Veilhan, Free Fall (2011). Photo © Sebastian Mayer

ART iT 先ほどお話いただいた「Free Fall」についても同じことですね。

XV はい、このスペースで感じた目に見えない浮遊というものを視覚化したものであり、一方、作品を近くで見るのではなく、遠くから見ることによって、つまり距離を置くことで作品が見えてくる、というその両方があるのです。私は科学や物理などに興味を持っています。日常的には目に見えないものですが、私たちの生活に確実に存在しているものを扱っているからです。宇宙工学や航空学もそうですが、そうした目に見えないものを扱っている学問に詩的なものを感じるのです。
「Regulator」(2011)では、もともと蒸気を使って圧力を調整する機械として存在するものを作品としました。回転することによって遠心力が生まれます。地球の自転など、回転といった要素も日常的にそこにあるにもかかわらず、普段はその存在に気がつかないものです。そうした考えからこの作品を作りました。

ART iT 展示作品ではないのですが、今回、床をベニヤ板で敷き詰めています。これによってもともとの空間の印象からだいぶかわっていると思います。その意図はどういうものでしょうか。

XV ここはラグジュアリーな空間だったので、工事現場のような空間に変容させたいと思いました。私は素材として、紙や木といった、素朴な素材が好きです。そしてベニヤ板を敷き詰めることによって、不規則性が生まれ、生き生きとし、柔らかい独特の雰囲気が生まれることを望みました。床というのは建築物と作品が直接的に接触する部分でもあります。
また、私はインスタレーション空間を作る際に、できるだけミニマルになるように心がけています。そのため、「Regulator」の支柱の部分には、この空間の窓枠などにつかわれている建築資材と同じものを使用し、作品が空間にとけ込むように意識しました。
展覧会というのは視覚的経験であることはもちろんですが、身体的な経験でもあります。そうした意味で、鑑賞者にとっても居心地のよい空間をつくりあげることをめざしています。

(注1) 前者は1996年にCAPCボルドー現代美術館で行われた『Traffic』展、後者は1991年にニースのヴィラ・アルソンで行われた『No Man’s Time』展および1995年にFRACブルゴーニュで行われた『Surface de Reparation』展を指す。

ニュース
エスパス ルイ・ヴィトン 東京 オープン(2011/01/14)

グザビエ・ヴェイヤン『FREE FALL』
会場: エスパス ルイ・ヴィトン 東京
会期: 2011年1月15日–5月8日

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