アピチャッポン・ウィーラセタクン「森からバンコクの街へ」


Installation view of Morakot (Emerald) (2007) at ArtUnlimited, Art 39 Basel, 2008. Courtesy SCAI the Bathhouse, Tokyo.

 

森からバンコクの街へ
インタビュー/クリッティヤー・カーウィーウォン

 

バンコクのラチャプラソン交差点で反独裁民主戦線の赤服デモ隊が政府に弾圧された2010年5月19日の一週間後、タイ人監督アピチャッポン・ウィーラセタクンの最新作『ブンミおじさん』(2010)がカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞したというニュースは、タイの文化人のみならず、国全体を沸かせた。パルムドールの受賞は全国紙の一面のトップを飾り、各方面の主流メディアでも取り上げられた。

「プリミティブ」という複合的なプロジェクトの一部である『ブンミおじさん』は、余生を送るために田舎に帰った男の物語である。男はそこで妻や生き別れになった息子に出会うが、死んだ妻は亡霊として現れ、息子は猿女と関係を持ったために民話に出てくる猿人間に変身していた。アピチャッポンの故郷、タイ北東部を舞台とするこの作品は、国の歴史と映画そのものの強力な寓喩を示唆するものである。

アピチャッポンは世界中から期待を寄せられる若い映像作家の一人として国際的に広く知られているが、タイ国内の観客の過半数は今も彼の作品を受け入れずにいる様子だ。映画監督としての仕事と平行してビデオアートやインスタレーションの作品も作っており、それらの作品が日本や欧米のギャラリーや美術館で広く展示されていることを知る者さえ少ない。バンコクを拠点とするキュレーター、クリッティヤー・カーウィーウォンが彼の作品と、作品を通して伝わってくる現代のタイ社会と政治についてART iTのためにインタビューした。

 


Still from Phantoms of Nabua (2009), from the project “Primitive.” © Chaisiri Jiwarangsan.

 

ART iT 過去十年の間、あなたは長編映画とビデオアートのインスタレーション作品との両方を作ってきました。東南アジアではそのようにジャンルを横断するアーティストは希少です。また、多くの場合、特に映画館で上映することも、美術館で展示することもできる短編の作品については、アートと映画との間の境界線を意図的にぼかしているように思えます。なぜこのような方向性を選ばれたのでしょうか。

アピチャッポン・ウィーラセタクン(以下AW) 私にとっては、映画とアートは互いに反響し合っています。二重性と変容といったテーマの作品が多いのですが、それらは映画を映画館の外に連れ出すことによって変容させようと試みる手法にも現れていると思います。

私の作品では、二重性と変容が内容・構成の両方の面で、様々なかたちで現れます。例えば、闇と光、人と動物、あるいは二重人格を持った映画などというかたちで二重性を探究します。変容については、登場人物が変身したりするわけですが、その変身は比喩的な、社会的な意味の変容である場合もあれば、例えば一人の男が僧侶、虎、パンチの効いたヒロイン、あるいは猿人間に変身するなど、身体的な変容である場合もあります。

 

ART iT アートプロジェクトでも映画でも、あなたはプロではない俳優と仕事をする傾向があります。主流な映画の多くでは大げさな演技が目立ちますが、あなたの映画では自然な雰囲気が保たれるため、一部の批評家はキャスティングをあなたの映画の長所として褒めることもあります。なぜプロではないキャストを選ぶのでしょうか。

AW プロではない俳優は、プロダクションのために時間を充てることができますし、他の作品における人格を私の作品に持ち込むことがありません。

 


Still from Syndromes and a Century (Sang sattawat, 2006), 105 min.

 

ART iT あなたの映画でもう一つ印象的なのは下層文化、つまりタイの貧困層や疎外化された少数派コミュニティーの描写です。具体的には、例えば『真昼の不思議な物体』(2000)の登場人物の幾人か、ミャンマー出身の移民労働者である『ブリスフリー・ユアーズ』(2002)の主人公、あるいは短編映画『ヴァンパイア』(2008)のシャン族の少年などに想起させられます。これはビデオアートやアバンギャルドアートの、社会に疎外された人々と関わっていく伝統を意図的に喚起しているのでしょうか。

AW はい。私自身もその疎外された一人だと思っています。主流のプロダクションシステムから外れて仕事をしていますし、タイ国内では居心地の悪い「実験的」というレッテルを貼られていますし、また、同性愛者でもあります。シネマの威力は固定概念に従わないことによって倍増させることができるということです。きっとタイのシネマはバンコクとそのスターたちや現代性を一旦葬り、他の領域やアプローチに挑戦してみるべきなのだと思います。

 

ART iT あなたの映画では、物語の構造や映画制作の歴史との戯れがよく見られます。例えば、長編映画はしばしばふたつに分割されており、観客を混乱させることもあります。物語の構造の分割は、ビデオアートの作品でも重要な役割を果たしているのでしょうか。

AW ビデオアート作品には長編映画のような明確な分割はありませんが、例えば『第三世界』(1998)、『マレーと少年』(1999)、『輝かしき人々』(2007)など、一部の作品には微かに見られます。

 

ART iT あなたにとって、ビデオアートの制作と、映画の制作とのふたつのプロセスの違いは何でしょう。

AW 私にとって、それらの異なるコンテクストの中では時間の概念が異なります。ただ、興味深いのはそれらの差異が消えていく、あるいは融合していく臨界点です。観客がひとつの位置に固定され、映画館における社会的な「ルール」を認識していると、時間の概念は基本的に一本の線を辿るかのようにしてひとつの方向に進みます。でも、他方で鑑賞者が展示室の中を歩き、スクリーンとの距離を自らの動きをもって調節していると、主観的な時間の概念が分散されます。そして更に——ここが特に興味深いところです——観客が自分とスクリーンとの位置関係をコントロールできるという感覚を持つため、その概念は親密なものにさえなります。私は作品、つまり映画とビデオを通して鑑賞者に直線状のシネマにおける開放感と親密さを届けようと試みています。

 

ART iT 映画とビデオ、どちらかの方が好きということはあるのでしょうか。

AW 気分によりますね。展示用の短編作品を制作していると次の長編映画を早く作りたくなりますし、その逆もあります。

 

ART iT 制作プロセスが異なるからそう思うのでしょうか。例えば長編映画を作るには制作班や膨大な予算、長期に渡る日程調整が必要で、ビデオアートの場合には映画よりももっと個人的かつ即時的なアプローチが可能であるというような印象を受けます。ビデオアートの制作は映画制作の後の治癒のプロセスなのでしょうか、それとも単に長編映画の制作のリズムからの休憩なのでしょうか。

AW ビデオアートの制作は長編映画の制作のリズムからの休憩だと思っています。ビデオでも映画でも同じ制作班、場合によっては同じキャストで作ることが多いです。このように、同じチームで違う種類の作品を作るのはとても刺激的なことです。

 


Production still from Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives (2010).

 

ART iT あなたのアート作品や映画の主なインスピレーションの源は何ですか。

AW 何よりも、ただ単にタイに住んでいるだけでインスピレーションを受けます。この国がいつまでも「発展途上国」と呼ばれていることが、ありとあらゆるインスピレーションを与えてくれます。押したり引いたりの愛憎関係を持っています。

 

ART iT それでいつもタイ、特に北東部のイサーンを現場に選ぶのでしょうか。

AW タイは映画制作の宝庫であり、イサーンはその中でも最も貴重な宝です。私はイサーンで育ったのですが、これは近年になって気がついたことです。貧乏な地域であるため、イサーンの人々は大抵、職を求めて持ち前の精神と共に他の土地へと移っていきます。こうして北東部の寛容で物活論的な文化が全国に広まりました。だから私は、北東部の活力がタイの社会と文化の基幹だと思っています。

 

ART iT しかし、バンコクの人々はその地域の食べ物、音楽や文化を日常の一部として楽しんでいるにも関わらず、北部の人に対して偏見と優越感を持っています。このような偏見は今でもタイに残っていると思いますか。また、この偏見はどこから発生しているものだと考えていますか。

AW バンコクは今でもタイ随一の主要都市で、中国系の人は今でも社会・経済面において最も影響力のある人種です。主流文化を生産し、経済力で「国」を再建することにより、中国系タイ人の商人たち、当局、軍隊らは国の農業地域の人々の依存状態に至る条件を整えてきました。彼らはいわゆる百姓一揆を隠れながら恐れており、偏見は彼らが自らの身を守る一つの方法です。

 


Still from Mysterious Object at Noon (Dokfa nai meuman, 2000), 35mm film, 85 min.

 

ART iT 私たちは二人ともタイの歴史の中で最も興味深い時代を生きてきました。躍動に満ちた過去40年の間、いくつもの革命や改革を目の当たりにしてきました。成功したものもあれば、失敗したものもありました。しかし、この国における社会政治的な状況は一向に安定しません。現在の政治不安は多くの人を苛立たせ、危惧の念を抱かせています。タイ政府の人権や表現の自由に対する認識の欠如が目に付く度に、『世紀の光』(2006)や『トロピカル・マラディ』(2004)など、あなたの映画の題名が頭に浮かびます。国が反独裁民主戦線の赤服派と民主市民連合の黄服派との「色の闘争」の真っただ中にある今、人々はそういった政治的なステレオタイプに沿ってレッテルを貼られ判断されています。主流や与党と異なる考え方を表明するのであれば、反体制と見なされ法務省特別捜査局の調査を受けることになり兼ねません。ジョージ・オーウェルの『1984年』さながらの私たちの社会の状況について、アーティストとして、映画制作者として、あなたはどう思いますか。

AW タイの状況は、一方ではインスピレーションをもたらし、他方では私たちがあとどれくらい持ち堪えることができるか考えさせます。時折、アートのインスピレーションとは抑圧からしか生まれ得ないものなのだろうか、それとも私は抑圧の中毒者となってしまっているのだろうか、と、自問します。

 

ART iT これはきっと、これまで社会政治的な問題をあまり意識してこなかったタイの若い世代のアーティストや映画制作者にとって大きな転換を意味するでしょう。以前言われたように、今の時代はどこもかしこも政治だらけで避けることはできません。2009年4月と2010年5月の弾圧の余波は若いアーティストや映画制作者の社会観に影響を及ぼすと思いますか。それは彼らの目を覚まし、現実を見させることになるのでしょうか。

AW もちろん、そう思います。人々が町へ出て、無能な体制への苛立ちと怒りを露にしています。アーティストや映画制作者が作品を通して同じく表現すべき時が来ました。私たちは今まで、自らの無知のせいで、そして表現を規制する法律のせいで、社会政治的な問題から目を背けてきました。でも今はやっとそれらの問題の作品における扱い方を、貧困層のモデルを参照しつつ、身につけ始めていると思います。私たちが人間であることをより強く実感するためには、体制に挑戦する必要があります。もちろん、全てのアーティストが同じ政治観を持っているというわけではありません。しかし、少なくとも一部の者が自分たちの「現実」を提示するべき瞬間にいることは間違いありません。

 

ART iT あなたはタイ国内のアクティビズムにかなり深く関わってきました。映画『世紀の光』が検閲された後、あなたは若いアーティストや映画制作者の団体の先頭に立ち、フリー・タイー・シネマ・ムーブメントというインターネット上での嘆願を通して検閲に反対する運動を起こしました。その件について少し聞かせてください。

AW 検閲に対する運動は、体制を理解し、この国での暮らし方をも理解することを試みるプロセスの一貫でした。問題なのは、この国では政府による検閲だけでなく、各々による自主的な検閲もあることです。私は自分の経験について話し、他の人たちがこれらの問題といかにして向き合っているかを聞きたいのです。政府が公正とすることが以前にも増して法律をもって強制されるようになりました。それは私の日常生活、個人的な信条や映画制作の仕事を侵害することに及んでいると感じます。だから、今はタイの政治と社会の歴史を学ぼうとしています。過去を振り返ることは未来の特権です。

 

ART iT でも視覚芸術、特にビデオアートには映画や主流メディアに見られるような影響は及んでいないのではありませんか。

AW 同感です。しかし、別の角度から捉えてみると、視覚芸術における実験の自由度の高さは主流メディアを補完し影響し得るとも言えます。

 


Still from Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives (Loong Boonmee raleuk chat, 2010), 114 min.

 

ART iT 『ブンミおじさん』は実際には複合的なプロジェクトの一部であると理解しています。このプロジェクトについてもう少し詳しく聞かせてください。なぜ、このような方略を選んだのでしょうか。

AW 『ブンミおじさん』は「プリミティブ」というプロジェクトの一部です。他には同名のインスタレーション(2009)、『ブンミおじさんへの手紙』(2009)と『ナブアの亡霊』(2009)という2本の短編映画、そしてアーティストブックが1冊ありますが、全てタイ北東部の記憶にまつわるものです。2008年上旬にこのプロジェクトを始めたとき、まだ地元でもあるその地域を本当に探求しきれていないと感じたのです。そして先ほど、変容への興味についてお話ししましたが、このプロジェクトのコンセプト自体も正にこれらの異なる形式を通して変容し展開していきます。

 

ART iT カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞してからあなたの生活は変わりましたか。ライフスタイルや仕事のペースに影響はありましたか。

AW カンヌでの受賞は、まるでスタンガンのように私の動きを止めてしまいました。来年上旬までは不動のままです。

 

ART iT カンヌでの受賞に対し、賞賛も批判も含め、非常に大きな反響がありました。映画祭での出席がタイ国内で広く報道されたタクシン元首相が審査員を買収したのではないかという噂まで流れています。このような政治的な議論の最中にいることについて、どう思われますか。

AW このようなことが自分の身に起こると、タイの歴史について、そしてこの国の形成においてメディアがいかに重要な役割を担ってきたかについて考え始めます。インターネット上での人々の議論は、私たちがメディアによっていかに能力を低下させられてきたかを反映しています。次はきっとタイ映画のためにアカデミー賞を買い取るのでしょう!

 


Still from Vampire (2008), single-channel video, 19 min. © Kick the Machine Films / Louis Vuitton Malletier, courtesy SCAI the Bathhouse, Tokyo.

 

ART iT 今年は映画界、美術界共にいくつもの重要な賞に推薦され、その多くを受賞しました。あなたの作品はなぜ他の候補作家のそれと区別されたのでしょうか。

AW もしかしたら私の過去の作品のテーマが近作によってより明確になり、ようやく私の活動の全容が理解されたのかもしれません。あるいは、ただ単に縁があったというだけのことかもしれません。

 

ART iT カンヌでの映画祭以降、タイ国内において『ブンミおじさん』の動員数が目に見えて増えたそうですが、そのことについてどう思いますか。

AW 良いことだと思います。私は観客にインスピレーションを与えることができれば嬉しいと思っています。この状況は、今住んでいるチェンマイに専門的なシネマハウス、ある種のシネマテークを建てるというかつての夢を再燃させています。

 

ART iT まずはバンコクに建てるべきではないでしょうか。タイでは世界各国とほぼ同時期にシネマが導入され、国立のフィルムアーカイブまであり、隣国に比べたら自国の映画史がかなり発展しているにも関わらず、シネマテークがないのは矛盾しています。

AW タイはそれほど発展していませんよ。アーカイブに補完されているフィルムは劣化していますし。最近、シネマテークを含む、より良いアーカイブ施設の建設のために公費・私費を集める動きがいくつか始まりましたが、私はバンコクは近々沈没すると信じているので、是非チェンマイに建ててもらいたいです。

 

ART iT 今ではFacebook上で「Support Thai Cinematheque」というソーシャルネットワークグループが発足しているようです。一部の参加者はバンコクで一番旧い劇場のひとつであるシャムをシネマテークに転換させるべきではないかと提案しています。シャムはあなたの映画『トロピカル・マラディ』初上映の会場でもありましたが、5月19日の弾圧の際に怒りに満ちた赤の群衆に焼かれてしまいました。この劇場をシネマテークとして復興させることは現実的だと思いますか。

AW 理想的な場所ですね。

 


Still from Phantoms of Nabua (2009), from the project “Primitive.” © Chaisiri Jiwarangsan.

 

ART iT ところで、次のプロジェクトはどのようなものですか。

AW 今は2本の長編映画のプロデューサーを務めています。一本は私の作品の編集を担当しているリー・チャータメーティクンの映画、もう一本はソムポット・チッガソーンポンの映画。リーの映画はアジア金融危機が起こった1990年代の設定で、自分の過去に取り憑かれている男がタイの社会における変化を目の当たりにする話です。ソムポットの映画は全く違うもので、タイの国中を巡る列車の旅のドキュメントを繋ぎ合わせ、絶えず動いてゆく人と風景のポートレートを作っています。かなり実験的なものになるでしょう。

 

ART iT あなた自身のプロジェクトに関してはいかがでしょう。新たなビデオアートの作品や長編映画の制作は予定しているのでしょうか。

AW 今は、死んだ動物がたくさん出てくる長編映画の構想を少しずつ練っています。

 

ART iT さるハリウッドスタジオに大ヒットと見込まれている映画の監督を打診されたと噂に聞いています。どのような映画で、なぜ断ったのかについて聞かせてください。

AW ハリウッドのスタジオからのオファーではありませんが、膨大な予算の映画でした。予算には興奮しましたが、ストーリーはそうでもなく。私よりもプロジェクトに適し、より貢献できる映像作家は他にいるでしょう。

 

 


 

アピチャッポン・ウィーラセタクンの作品は9月7日から11月17日までソウル市内各所で開催される第6回メディア・シティー・ソウル『Trust』にて展示予定。

Unless otherwise noted, all images © Apichatpong Weerasethakul, courtesy Kick the Machine Films.

 

 


 

クリッティヤー・カーウィーウォンはバンコクのジム・トンプソン・アートセンターのアーティスティックディレクター兼キュレーター。1996年にプロジェクト304ならびにバンコク実験映画祭を共同創設。

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