ルアンルパ インタビュー

2016年12月3日
贅沢なリスク
インタビュー / 大舘奈津子




Installation view of commercial event at ruangrupa's Gudang Sarinah Ekosistem venue. Courtesy ruangrupa.


ART iT ルアンルパの結成から16年が経ったわけですが、どんなことが変わりましたか。目指すものもまったく変わったのでしょうか。また、逆に変わっていないことはどのようなことでしょうか。

RURU 実際、たくさんのことが変わりましたね。私たちのグループの規模だけでなく、社会的慣習も。16年というのはとても長い時間です。その間、私たちのアプローチと手法は継続的に発展してきました。組織としても同様です。組織内でいろいろ試しながら、その構造について有機的な挑戦をしてきました。最初は6人のメンバーではじめ、現在では30人以上がいっしょに活動しています。共同体としてはどんどん大きくなっています。しかし、ある意味で、私たちのヴィジョンはずっと変わらないまま、一貫しています。私たちは常にアートシーンだけでなく、その周りの環境においても、実際に社会で起きていることに関連したシステムやアプローチを発展させることをテーマとしてきました。したがって、芸術的な実践だけでなく、制度上の実践も行なってきました。「何を」するかだけでなく、「どうやって」やるかということですね。組織内においても、外の人達とも、どのように実践していくかを重要視していました。つまり、私たちは共同のステートメントを発表して、コラボレーション作品を制作するアーティストグループというだけではなく、プラットホームやイベント、展覧会、出版物、ワークショップ、フェスティバルを組織し、アーカイブをつくることで、あらゆる芸術制度を支えることに寄与しているのです。

ART iT そもそも、どうしてこのような組織をつくろうと思ったのでしょうか。その動機を教えてください。

RURU 2000年に私たちが基調となるテキストを執筆するにあたって、批評したものがふたつありました。アートマーケットと形式的な美術機関のふたつです。これらの存在が私たちの動機の一部となっていたことは確かなことです。作品制作だけでなく、調査研究をして知識を生み出すことも必要だと考えていたわけです。しかし、テキストを書いた当時と現在の状況を比べてみると、インドネシアのアートマーケットはあまりにも巨大化してしまいました。私たちがこの活動をはじめたときの何倍も大きくなっているのです。そして、2006年にはルアンルパ創設メンバーのひとり、アデ・ダルマワンが、私たちがもともと批判していた美術機関のひとつであるジャカルタ・アート・カウンシルのメンバーになりました。したがって、私たちは6年の間に、その制度のなかに入り込むことになったわけです。

ART iT どのような距離を保ちながら、アート・カウンシルと仕事をしているのでしょうか。

RURU たとえば、教師という仕事を例にとって考えてみましょう。私たちの多くがアートスクールで働いていますが、それらも抵抗のシステムの一部です。ふたつのことが同時進行しているわけです。ひとつは、制度や組織といったもの自体が近年急速に開かれたものになっているという事実。この変化は、私たちの実践により近い位置で起きています。もうひとつは、私たちにとってより挑戦的なことですが、外からの実践だけではなく、システムの内側から実践を試みるということ。先ほど話したアデにとって、ルアンルパは迅速かつ独創的な取り組みができる場所ですが、アート・カウンシルという機関では当然同じようにはいきません。つまり、そこで働くということは、非常に難しいことなのです。こうした制度の内部にどのように入り込むかを理解するのは、非常に時間がかかります。この状況に対して、私たちは物事を見るためにハッキング行為をして、新たな視点をつくることと比較しています。

ART iT ルアンルパという共同体での制作と、個人としての制作に違いはあるのでしょうか。

RURU お互いにアイディアを盗みあっているという感じでしょうか。共同で制作しているときも、私たちはそれぞれのプロジェクトのための多大なインスピレーションを得ていますし、その逆もまたしかりです。共同で制作しているときですら、個々で動いています。そして、共同体でいることは、ほかのアーティストと制作するということだけではありません。歴史家や研究者、さまざまな背景を持った人たちとの出会いがあるかもしれないのです。こうしたアプローチはグループとして活動しているからこそ得られる経験と言えるでしょう。
ところが、これだけ多岐にわたる活動をしていても、結果を見た人は「ああ、やっぱりルアンルパっぽいよね」と言うのです。とても興味深いのは、かなりの年数を経た後でも、人々がある種の美学を私たちと関連づけて見ることです。なぜなら、私たちはそうした美学をつくりあげようと思ったことがなかったから。ただ、思った通りに行動してきただけなのです。しかし、今になって、人々はそういう美学が見えると言っています。ということは、もしかしたら私たちも形式的、制度的になってきたということかもしれません。ルアンルパとして活動をはじめたのが2000年ですが、実際のところ、創立メンバーは90年代半ばに学生だったころからの知り合いで、一緒に仕事をしているわけですから。

ART iT ルアンルパはインドネシアで「OKビデオフェスティバル」や「ジャカルタ32度」といったイベントを運営してきて、現在では海外でも認知され、このあいちトリエンナーレ2016だけでなく、サンパウロ・ビエンナーレなどにも招かれるようになってきました。さらに今年はオランダで開かれるソンズビーク2016のアーティスティックディレクターも務めていますね。これらの機会を通じて、美術館や国際展、または、美術機関の国際的なモデルと、ルアンルパのシステムをどのように比較していますか。既存の国際展や美術機関を見習うべきものとして考えているのか、それとも、対抗すべきものとして捉えているのでしょうか。

RURU どんなものでも、現実に組織を構成し、システム化すると、いきなり大きく、官僚的になり、人間味が薄れてしまう危険性を持っています。しかし、そこが違うところです。ビエンナーレのような国際展に参加したり、イベントを企画したりしても、私たちはそうした国際展やイベントを、ひとつのアートプロジェクトと捉えて取り組みます。つまり、それはもっと積極的な参加になります。私たちのアーティストや作品との関わり方は、工業的でなく、非常に人間的です。つまり、イベントというよりも私たち自身の作品になるわけです。
私たちはまた物理的な場所としてのルアンルパの問題を解決する試みも実施しています。最近、小さな家から6000平方メートルもある巨大な倉庫に引っ越しました。ビジネスモデルとして考えたら自殺的行為ですよね。しかし、大きなスペースに引っ越すことになったので、ほかのコレクティブにも声をかけ、5、6グループを誘ってみました。これも通常のアプローチと異なるもので、私たちはこうした仕組みを生態系と考えています。

ART iT とはいえ、美術館や美術機関をつくりたいわけではないですよね。

RURU やはりスペースは必要ですが、私たちが本当に欲しているのは、自由に何かができるということなのです。もし、現実のインフラに頼ることになったら、それがなくなったときにどうすればいいのでしょうか。私たちはその後も存在していられるでしょうか。ひとつのアイディアだと思いますが。続けられる人々もいるでしょうし、ルアンルパはあらゆるところに広がったということになるかもしれません。それはそれで素晴らしいことではないでしょうか。つまり、それくらい私たちにとって自由でいるということが重要なのです。
思うに、現在の傾向として、たくさんの人々−アーティスト、ミュージシャン、映画監督といった人々−をサポートする生態系になるというものがあります。つまり、形ではないのです。解体したり消えたりする一方で、成長し続けるという考え方があります。たとえば、私たちがいっしょに仕事をするほかのコレクティブももちろん経験を積んでいます。彼らの多くも10年以上活動をしてきました。したがって、私たち自身の経験や奮闘してきたことは、彼らとも共有していますし、それが「共同体の共同体」という形になりつつあります。このようにして、個人としてというよりは、生態系として、この共同体の考え方をより深く推し進めていこうと考えています。生態系においては、成熟したやり方で仕事をしなければなりません。もちろん自分自身のことも考えなくてはなりませんが、同時にほかの人々のことも考え、彼らの面倒をみる必要もあります。資金だけでなく、設備やほかのリソースも結合し、大きな協同組合のようになるのです。

ART iT これまでずっと発展を続けてきましたが、停滞するという不安はありませんか。止まってしまうことに対する怖れはありますか。

RURU だからこそ、ときどき自殺行為とも思われるようなことをする必要があるのです。しかし、そこには停滞するという怖れはありません。なぜなら、毎日新しい挑戦が待っているからです。私たちはジャカルタにいるんですよ。停滞なんてそこらじゅうにあって、怖れるべきものではありません。
さらに、私たちの多くが複数のことを行なっていて、単次元で活動しているアーティストではありません。たとえば、私たちはアーティスト/DJ/マネージャーなどなど、というように、それぞれが2、3の発表の場を持っています。ですから、ひとつの場所で動きがとれなくなったら、次に移ればいいのです。たとえば、ダニエラはアーティストであり、教師であり、ルアンルパのマネージャーとしても働いています。サレはミュージシャンで、アーティストで、カラオケの歌い手でもあり、MCやDJ、施工だってやります。バルトは教師でライター、かつて陶芸を学んだ、なりそこないの陶芸作家でもあります。そうやっていつも多くの分野で仕事をしてきて、私たちと同じように多くの分野で仕事をしている人々に惹かれますし、その組み合わせはより複雑になっていきます。






Both: Institut ruangrupa (lr.) for the Aichi Triennale 2016. Photo Ito Tetsuo.


ART iT あいちトリエンナーレ2016のプロジェクトについて教えていただけますか。滞在期間はどのくらいだったのでしょうか。

RURU サレは開幕前から3週間ほど滞在していて、ほかの人も開幕数日前に到着しました。当初のアイディアとしては、ハブを設立しようというもので、私たちは2015年にさまざまなワークショップを通じて「ルアンルパ学校」という新しい教育のプラットホームを設立していたので、愛知にもこの学校を持ってこようと思いました。基本的な考え方はこうです。サッカーチームのように、持久力、スピードと文化領域で働くスキルに長けた11名の名古屋の人と協働したい。私たちはイベントのように簡単に終わるものにはしたくなくて、もっと長く続くものにしたいのです。
サレがリサーチのためにここに来たとき、彼から名古屋の中心部には20年近く独自に活動しているNマークというアートスペースがあると聞きました。そこで、彼らとどのように協働していけるのかを考えたいと思いました。重要なのは、私たちの考え方や物事に対する期待を押し付けずに、地元の文脈で制作することです。新鮮な考え方や地元に根付いたストーリーが欲しいのです。トップダウンではなく、水平的な状況を必要としていました。

ART iT サンパウロ・ビエンナーレに参加したときは、より深い関係性を構築するために、キュレーターのチャールズ・エッシェをジャカルタに呼んだと聞きましたが、愛知やソンズビークでも同じように何らかの形でジャカルタに還元できるような試みを行なうつもりですか。

RURU もちろんいつも何かを持ち帰られるように試みています。私たちは常に自分たちをインスパイアしてくれる自分たちの国の文脈から離れることはしたくないと思っています。私たちが持つローカルの文脈と国際的なプロジェクトがどのように関係性を持てるかということについて常に考えています。たとえば、ソンズビークでは、植民地時代のオランダとインドネシアの関係を考えています。あいちトリエンナーレ2016では、制度のなかでより発展的な新しい経験が生まれ、それをインドネシアにも持ち帰ることでしょう。愛知では、2、3カ月の会期を通じて、重要な交流が生まれると思っています。したがって、こうした国際的なプロジェクトに参加を呼びかけられたときはいつも、自らにこう問いかけるのです。なぜこれをやらなければならないのだろう、と。そして、その国際的なプロジェクトが私たちのローカルにおける実践に関連があると思われる場合だけ参加するようにしています。

ART iT 最後に、あなたたちの共同体に対する考え方について、もう少しだけ詳しく話してもらえますか。

RURU それは私たちの制度がどのように設立されたかという質問になると思います。国家や宗教、信仰の制度や倫理的な制度、これらのことについて、私たちはどのように同意して、ともに生きているのでしょうか。たとえば民主主義ですが、私たちは現在のところ、政府の制度としての民主主義に同意しています。しかしながら、それは変わりうるのです。したがって、共同体主義はこうした制度に対して常に挑戦し、私たちがどのように共生するのかと問い続けるための小さな方法であり、こうしたことについて深く考えるためのものです。熟慮するという贅沢を与えてくれているのです。現在、残念ながらこの贅沢を享受できる人はあまりいません。その余裕がないからです。世の中には、あまりにもたくさんの危機があり、どのように生きるかを変革する余裕がありません。誰も変革についてはリスクがあるために、深く考えたくないからです。しかしながら、共同体主義を通じて、こうした考え方ができる余裕が生まれうるのです。


(協力:あいちトリエンナーレ2016)




ルアンルパ|ruangrupa
ジャカルタを拠点に活動するアーティストが主導して2000年に設立。社会学、政治、テクノロジー、メディアなどあらゆる分野を横断しながら、アートの創造性を駆使して、インドネシアにおける都市問題や文化的課題に応答する活動を展開している。その活動は拠点となるアートスペースの運営をはじめ、展覧会やワークショップ、国際展の企画運営、アートラボ、リサーチプロジェクト、出版、オンラインマガジンなど多岐にわたる。2014年の第31回サンパウロ・ビエンナーレの会期中には、都市を巻き込むかたちでアートスペースを展開。あいちトリエンナーレ2016では、コミュニティ形成と人材育成を目的とした私設の学校「ルル学校」を、会期を通して数名のメンバーが長者町に常駐して運営した。アーティストやコミュニティ活動関係者を公募し、人々が自由に集い実践的に学ぶ場をつくり出した。
(ルル学校:https://ruruaichi.wordpress.com/
本インタビューは、ルアンルパのメンバーのうち、アデ・ダルマワン、レオンハルト・バルトロメウス、サレ・フセイン、ダニエラの4名による。

あいちトリエンナーレ2016
2016年8月11日(木、祝)-10月23日(日)
http://aichitriennale.jp/
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