足立正生 インタビュー(2)

連帯を想像/創造する
インタビュー / アンドリュー・マークル
Ⅰ.


Ⅱ.

ART iT 現在のメディアが置かれている環境をどのようにとらえていますか。

MA メディアはメディアでしかないので、彼らの権力への執着はせいぜい金儲けと自己保身のために過ぎません。それは長い歴史を経て培ってきた官僚の権力志向とはレベルが違って、メディアはすぐに体制の力になびいていきます。西欧、特にアメリカ、フランス、イギリスでは、時の権力を監視するためにメディアが存在し、ジャーナリズムもそこに立脚するという原則論がありますが、日本のメディアはそれには当てはまらない。せいぜい個別に小さく抗っているだけですよね。ですから、メディアが悪いと言っていても仕方がないわけで、いま必要とされているのは、メディア自体が自ら行なう改革ではないでしょうか。

ART iT それでも、例えば、TwitterやFacebook、YouTubeやファイル共有サイトといったソーシャルメディアの到来が、本来の大手メディアのあり方を揺さぶったとは思いませんか。

MA たしかにSNSは権力に媚びるしかないメディアを揺さぶることはできたし、情報というものは自分自身のリテラシーを持って接しないと危ないといったことを人々に知らしめることもできました。つまり、一種のメディア・ルネッサンスだったとは思っています。ただ、そこから先はあなたたちの仕事だよね。大手メディアのように肥大化したSNSにならないようにするにはどうすればいいのか、という問題があります。ただ味を薄めてSNSの海をつくったところでマスメディアはそのまま変わらないわけで、これを変えうる何かを生み出さないといけないのではないかと考えています。それはどんなものかと問われることもありますが、それは若い人で考えてよ。あなたたちの仕事だよ。

ART iT SNSが影響を与えたと言われる出来事のひとつとして、アラブの春があります。しかし、その一方で、そうしたSNSもまた大企業によって支配されていて、すべての情報がアルゴリズム化されています。つまり、Facebookだったら、Facebookのアルゴリズムが提供する情報しか見えません。

MA そういうことがあるから、SNS同士が揺さぶりあえばおもしろいと、それに期待していたのだけれど、そうはならなかったから残念だね。でも、そこでSNSの改革を真面目に考えるのではなく、全部ひっくり返すにはどうするのがいいかという方向で考えた方がおもしろいと思います。ハッキングという手段でもいいけれど、さっと引き上げるような、そういう形でコントロールを壊すことだったら平和主義者でもできるでしょ。そういう方法は若い人に考えてほしい。

ART iT 例えば、『赤P(赤軍—PFLP—世界戦争宣言)』の上映隊運動は、振り返ってみると、ある種のネットワーク・ハッキングみたいな運動だったとは思いませんか。

MA 実はそれも含んでいました。上映運動ではなくて、なぜ、わざわざ上映隊運動にしたのかというところには理由があります。ゴダールがちょうどジガ・ヴェルトフ集団をつくっていましたが、それにもかかわらず、一種の上映運動に留まっていたので、それは違うのではないかと思っていました。つまり、『赤P』というニュースフィルムをつくったのは私だから、私が上映しなければならないという態度は、それ自体が作家主義的な枠組みとなってしまうので、上映だけでなく、その後に映画を観た人々と討論会を行なうというように上映の方法を変えようと思いました。ニュースなのだから、ニュースを持ってきた人と観た人がしっかりと論争したり連帯したりできなければ意味がないということを基軸にして、だからこそ上映運動ではなく、上映隊運動だったわけです。若松さんが出発時にお金をたくさん渡してくれたけど、途中でお金が足りなくなって、朝市に落ちているくず野菜を拾って食べながらも上映を続けていました。しばらくすると、上映隊運動のバスから降りていった人たちの中から警察に目をつけられる人たちが出始めたので、30か40人乗りのバスに、パトカーが数台と機動隊のバスが付いて回るようになりました。岡本公三が鹿児島の上映隊運動をやっていたこともあり、イスラエルでのテロ事件以降、バスが走れなくなって、第一次上映隊運動は終わりました。バスを使わない形でニュース映画を配達するような第二次上映隊運動を二年半くらいやって、そうすることで製作した側と観た側とで連帯を求め、どうするかはみんなで決めたらいい、ということをやっていました。
もうひとつ、当時、新左翼の小党派がまだまだいっぱいあったのを、連帯をつくるために、そういう派閥や縄張り意識といったものを無視して走るというテーマを持っていました。公民館などを借りると、いろんな新左翼の党派が入れ替わり立ち替わり「自分たちを批判するのではないか」と監視にやってくる。さらに、機動隊も上映開場の横に待っているといったように、会場を潰そうとする人たちもいて、おもしろかったですよ。実際は、みんなが俺のところだけが正しい、という主張が蔓延していたことに対して、それは「どんぐりの背比べ」をしているだけだという事実と、それが無意味であるということを伝えたいと思っていました。バスがどんどん襲われて、その後ろにはそれを追い払う人たちがいて、私たちが挑発してまわっているように外から見えていたようです。私は挑発じゃなくて本当は連帯をつくり出したかった。そして、それが上映運動ではなく、上映隊運動だったということなのです。

ART iT 足立さんは今でも連帯は必要だと考えていますか。

MA 今でも連帯を求めていますよ。若い人と連帯を求めて行動したこともありますが、世代を超えると共有しているものに大きなギャップがあるよね。でも、ギャップがないと連帯はできないと思いました。本当に勉強になったよ。

ART iT フランツ・カフカの原作の『断食芸人』にも、そういうギャップの話が出てきますね。カフカの『断食芸人』を読んで、このストーリーは歴史のアレゴリーではないかと思いました。

MA それこそカフカの生きた世紀には、ヨーロッパの各都市に断食芸人が必ずいて、いわば、彼らも普通の大道芸人のひとりだったわけです。つまり、あれはカフカが新たに生み出したイメージではなく、実像の断食芸人の物語がたくさんある中で、カフカが整理してつくっただけです。だから、彼のほかの作品と違って、歴史的な背景をあんなに真面目に反映した小説はありません。昔から読んでいたけど、今回読み直してみたら、「ああ、カフカは落語として書いたな」ということがわかりました。落語は最後にそれまでの話を壊すくらいにオチをつける。(カフカの)断食芸人は最後に「食べたいものが見つからなかっただけ」って言うでしょ。まさに、これは落語のオチといっしょです。だから、紙芝居で落語をやろうというのが、今回の映画の最初のつくりかたとしてありました。カフカを読んでいると、自然に映像が頭に浮かんできます。加えて、魯迅のことも考えていました。カフカと魯迅は同世代で、どうして同じようなときに同じように歯車が狂った人が生まれたのだろうかと。『断食芸人』の中では魯迅もけっこう使っています。

ART iT やはり映画作品の中でも、歴史における過去と現在の日本が置かれている状況を関係付けて表出させたかったのでしょうか。

MA そうですね。ちょうど、カフカや魯迅の時代、とりわけ、魯迅の時代の中国は混乱期でした。その中で魯迅が見てきたこと、考えてきたことは、『阿Q正伝』と『狂人日記』の持つ暴力性とラジカルさに見られるように素晴らしいものがあります。魯迅もカフカ同様、映画を観るように読んでいました。だから、そういう意味でいえば、この紙芝居をつくるときは、カフカと魯迅を同列に撮りたいと思っていました。

足立正生 インタビュー(3)

足立正生|Masao Adachi
1939年福岡県生まれ。日本大学芸術学部映画学科在学中に自主制作した『椀』(1961)や『鎖陰』(1963)で脚光を浴びる。大学中退後に若松孝二の独立プロダクションに加わり、前衛的なピンク映画の脚本を手掛けるとともに、監督としても『堕胎』(1966)で商業デビューする。71年、カンヌ映画祭の帰路、若松とともにパレスチナに渡り、パレスチナ解放人民戦線のゲリラ隊に加わり共闘しつつ、その日常に迫ったドキュメンタリー『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』(1971)を製作。帰国後は既存の劇場公開を拒否し、全国各地の工場や大学をまわる上映運動を行なう。74年に重信房子率いる日本赤軍に合流し、国際指名手配される。97年にレバノンで逮捕抑留され、2000年に刑期を満了した後、身柄を日本へ強制送還される。2006年に赤軍メンバーの岡本公三をモデルに描いた『幽閉者 テロリスト』を35年振りに監督し、日本での創作活動を再開。2016年、フランツ・カフカの『断食芸人』を原作に、同名映画を監督した。
映画『断食芸人』公式ウェブサイトhttps://danjikigeinin.wordpress.com/

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