ダンカン・キャンベル インタビュー

即興的な関係性に先行するもの
インタビュー / アンドリュー・マークル


It for Others (2013), 16 mm film, 54 min, black-and-white and color, 16:9, with sound. Courtesy Duncan Campbell and LUX, London.

I.

ART iT 「ある状況に通じているものほど、その文脈は自明のものとなるだろう」という意味で、少し変わった質問から始めたいと思います。日本で「ポストコロニアル」を考えるとき、真っ先に思い浮かぶのはアジア、続いて、アフリカや南米、カリブ海、そして、おそらく第二次世界大戦後の連合国軍(主にアメリカ合衆国)占領下の日本ということになりやすい。しかし、あなたの作品を拝見し、アイルランド文学の別の側面について考えるとき、アイルランドや北アイルランドに適合するポストコロニアルの文脈が存在することは明らかです。そこで、あなたは「ポストコロニアル」という概念にどれくらい意識的に取り組んできましたか。または、作品の素材が「ポストコロニアル」の枠組みに陥ってしまうのをどのように回避してきたのでしょうか。

ダンカン・キャンベル(以下、DC) もし私がその枠組みを避けようとしているのであれば、まったく上手くいっていませんよね。「他のものたちに[It for Others]」(2013)では、植民地時代の遺産、ポストコロニアルの余波を扱い、冒頭は1953年に撮影されたクリス・マルケルとアラン・レネの『彫像もまた死す』の引用から始まります。1953年当時、フランスはまだ西アフリカの宗主国でした。作品は主にマルケルとレネとのオブジェに関する議論を反復していますが、私はこの文化的権威を巡る議論がどのように展開してきたのかを知るために、映画製作を依頼した黒人文化総合誌『プレザンス・アフリケーヌ』*1 のことも調べました。
この映画製作を促した言説、とりわけネグリチュードという概念、黒人文化の本質を定義しようとする疑似精神的な試みが、当時の西アフリカの独立運動に注ぎ込まれました。これらの運動は楽観主義に満ちたものでしたが、1970年代に入ると、現地のエリート主導で独立したアフリカ諸国では、ほとんどの場合、旧植民地官僚に取って代わった主導者たちの方がよっぽど酷く、その現実は悲観主義的なものへと様相を変えていきました。
西アフリカと北アイルランドの状況にはなんらかの類似点がありますが、私はその繋がりをくどくどと詳説したいとは思いませんでした。私にとって、北アイルランドにおける権力の統治構造のほとんどの問題は、独立しているアイルランド共和国にも当てはまるものです。それは経済的要因に帰結しますね。私が強い関心を抱くバーナデット・デヴリン *2 や「ピープルズ・デモクラシー」*3 のような団体は、そのことを認識していて、宗教的差異ではなく階級的連帯に基づくオルタナティブな政治を打ち立てようと試みていました。当然、現実はいくぶん違う結果になりましたが、その試みが存在していたというところに興味があります。


Above: Bernadette (2008), film transferred to video, 38 min 10 sec, black-and-white and colour, 4:3, with sound. Below: Make it New John (2009), film transferred to video, 50 min, black-and-white and color, 4:3, with sound. Both: Courtesy Duncan Campbell and LUX, London.

ART iT ポストコロニアルという枠組みは、北アイルランドでの出来事とどこか別の場所の出来事の繋がりを築く橋渡しになりますか。

DC ある意味ではそうでしょう。しかし、自分の映像作品におけるその枠組みの重要性をことさらに主張したいとは思いません。例えば、北アイルランドのナショナリストやリパブリカンが使った反植民地主義のレトリックの多くは、時代遅れかつ筋違いで、実際、あの状況で役に立たないものでした。*4 ですから、ポストコロニアルという枠組みは橋渡しになりますが、固有の経緯を持つそれぞれの状況を理解しなければなりません。西アフリカとネグリチュードの関係と、19世紀末に向けて台頭したアイルランド人の本質を発見しようとしたケルト復興運動には文化的類似点があります。しかし、アイルランド共和国でその復興運動は宗教的な存在となっていき、正統主義は抵抗を受けることになりました。
また、そこでは経済的支配や文化植民地主義もより巧妙な形で働いています。北アイルランドや西アフリカはポストコロニアルの問題の連鎖を抱えていて、今ではそこにグローバルな貿易協定や北アイルランドの場合であればEU(欧州連合)が重なり合ったり、代替されたりしています。
「新しいジョン[Make it New John]」(2009)では、こうしたあらゆる逆流の図式化を試みました。少なくともアングロサクソン諸国に見られたサッチャーやレーガンの経済革命、そして、ケインズ経済学や戦後経済からの転換という見地から、当時起きていた出来事に焦点を合わせたかったのです。サッチャーやレーガンはただただ戦争経済を非難し、「これはもはや機能しない。豊かになるためには社会インフラを犠牲にせねばならない」と述べていました。
これが私たちの今いる世界の現実です。未だにそのような時間を過ごしているのです。直接的であれ間接的であれ、北アイルランドにおける歴史的に特有の諸問題がデロリアン工場の成り行きを形づくったのですが、私があの中で焦点を当てたかったのは広義の経済的変化でした。

ART iT あなたは各作品で同じ文脈をさまざまな形で扱っているように見えます。例えば、「バーナデット[Bernadette]」(2008)には、ほとんど「ピープルズ・デモクラシー」に関する情報がありません。一方、おそらく進行中のグローバルな問題を扱っている「新しいジョン」はその社会的文脈を繋げやすい。そうした決断は主題によって判断していますか。それとも、自分では社会的文脈の扱い方は比較的一貫していると感じていますか。

DC それは映像制作の過程で決まりますね。「バーナデット」では当初、必要な制作予算が不足しているというのが主な理由となって、事前に長いリサーチの期間がありました。そこで、バーナデット・デヴリンや当時の政治的、社会的文脈に関する資料をできる限り読み、彼女といっしょに「ピープルズ・デモクラシー」に関わっていた人とも話していたのですが、アーカイブ素材にあたってみると、私が頭の中で組み立てていたナラティブは必ずしもそこには示されておらず、そこに相互関係はありませんでした。ここがちょっとした運命の分かれ目で、アーカイブ素材を自分のナラティブに合わせて無理に解釈するのか、見つけたアーカイブ素材を引き受けて映像作品をつくっていくのかというふたつの選択肢がありました。結局、私は後者を選びました。
私は最初からフッテージに映っている出来事を文脈付けたり、説明したりするためのナレーションは付けたくないとわかっていました。唯一手を加えたのは、部分部分の音を抜き出して、ほかのものと取り替えたことです。おそらく、それはフッテージにある空気を生み出しはすれども、どのみちそれが文脈付けされることはないでしょう。それにはさまざまな理由があります。とりわけ英国やアイルランド、また、ヨーロッパだけでなくアメリカ合衆国のある世代の人々にとって、バーナデット・デヴリンは象徴的人物なので一目でわかりますが、それと同時に評価が二極化される人物でもありました。彼女のことが好きで、親近感を持つ人々がいる一方で、自分たちが軽蔑する政治の権化、悪魔だと捉える人々もいました。そこで、この作品はそうした先入観を和らげる試みでもありました。


Both: Still from Falls Burns Malone Fiddles (2003), 35 mm photographic negatives and 16 mm film transferred to digital video, 33 min. Courtesy Duncan Campbell and Rodeo, Istanbul/London.

ART iT あなたの回答から拡げたいテーマがいくつかありますが、まず、あなたのここ10年近い制作活動の基礎をなしていると思われる映像作品「Falls Burns Malone Fiddles」(2003)について聞かせてください。この作品では、実体なき声がベルファストのアーカイブから取り出した写真を見ています。その極度に神経質で文語的なボイスオーヴァーは、作品が進むにつれてその音自体がどんどん不確かになっていき、写真のイメージも不明瞭になっていきます。この映像における自己や他者、差異への関心、どのように主観的に物質世界に関与するかという関心がその後の作品へと続いているような気がします。この作品はあなたの実践における根本原理だと捉えられるでしょうか。

DC 「Falls Burns Malone Fiddles」は私にとって重要な作品です。私がベルファストで暮らし、学んでいたのは、アイルランド共和軍(IRA)の最初の停戦前のことでした。それはほろ苦い時代で、リパブリカンの武力闘争的共和派が紛争の裏で停戦を準備していたにもかかわらず、彼らは基本的に反対派を締結前に一掃したいと考えていました。彼らはロイヤリスト(プロテスタント系過激派)のリーダーを撃ち殺し、爆破するつもりで、また、ロイヤリスト側からの復讐もあるというスパイラルがありました。
私はそのような状況で起きている出来事に取り組むのは難しいのではないかと考えていました。街中の壁画やグラフィティといった類いの洗練された政治文化はそうした問題に既に取り組んでいて、当時も今も存在しています。現実の生と死を目の前に、私はこのような事柄を象徴として扱えないと感じていました。中立的な形でも、アイロニカルな形でも扱うことはできないと。
あらゆること、そこでの生活のすべてが政治的抗争に還元されるかのようなベルファストや北アイルランドに関するメディアノイローゼ、より正確には、紛争に対するメディアの了解がありました。これはすごく限定的で、矮小化された状況の捉え方です。私が使用した素材は地域の写真アーカイブに収められていたもので、このような表象空間への介入として開設されたものです。このアーカイブに関わった人々は若者とともに動き、彼らにカメラの使い方を教え、彼ら自身の生活を写真に記録すべく送り出しました。こうした理由から、このアーカイブは非常に興味深いものとなりました。これらの写真はしばしば撮影者によるキャプション、ときには詩とともに収められ、まだティーンエイジャーの彼らは何よりもまず自己不信でいっぱいでしたね。この映像における不信感の基盤となるのはこうしたところから来ていて、実際、ボイスオーヴァーはほとんどメタ−ナレーションへと展開していきました。イメージとナレーターの声を合わせるとき、大抵の場合、そこにはそれらふたつの良性かつ相補的で不可視の関係性があり、私はそうした仮説を複雑にしたり、問題にしたりしたかったのです。
質問に戻ると、普通に考えて「Falls Burns Malone Fiddles」の制作経験は北アイルランドを扱おうが扱うまいが、根本的なものとして役立っています。私はどんな素材も額面通りに受け取ったことはありませんから。とりわけ、アーカイブ素材に関しては絶対に。それは私が手にする前でさえ、高度に規定されたり、構築されたり、部分的なものだったりします。あらゆるイメージには選択や先入観といった沈殿的な層が含まれていて、それを明らかにすることが重要なんです。そのような傾向を「Falls Burns Malone Fiddles」はもたらしましたね。


*1『プレザンス・アフリケーヌ』:セネガルの知識人、アリウン・ジョップ(Alioune Diop)が1947年に創刊した文芸誌。とくに1950年代の脱植民地化期には、フランス語圏黒人知識人の主要な言論媒体として重要な役割を果たした。

*2 バーナデット・デヴリン(Bernadette Devlin):1947年クックスタウン(北アイルランド)生まれ。政治運動家。クイーンズ大学(ベルファスト)在籍時に「ピープルズ・デモクラシー」の設立に関わり、1969年、史上最年少で英国下院議員に当選。1972年のロンドンデリー暴動(血の日曜日事件)でバリケード闘争を指導したとして扇動罪を問われ、翌年の下院選挙で落選した。1980、81年のハンガーストライキを支持、同年、自宅でロイヤリストに銃撃され重傷を負う。現在はマカリスキー姓を名乗っている。著書に『ミニのカストロと呼ばれて:デブリンの自伝的闘争記』(訳/安井立子、サイマル出版会、1970年)※原著は『The price of my soul』(1969年)

*3「ピープルズ・デモクラシー」:1968年、北アイルランド公民権協会(NICRA)のデモ行進に対する警官の暴行をきっかけに、クイーンズ大学の学生を中心に結成された公民権運動組織。翌年、キング牧師のセルマ・モントゴメリーの行進に倣い、ベルファストからロンドンデリーまで3日間の行進を敢行した(3日目にロイヤリストと衝突)。

*4 ナショナリストやリパブリカン:どちらも英国からの分離独立と共和主義を基本とした「アイルランド人」の創造を戦略的目標とする。他方に、英国との連合を基本とした「英国人」としてのアイデンティティを重視するユニオニストやロイヤリストがある。

ダンカン・キャンベル インタビュー(2)

ダンカン・キャンベル|Duncan Campbell
1972年ダブリン生まれ。強烈な個性を持った人物に対する詳細なリサーチをもとに、事実とフィクションを織り交ぜた映像作品を制作する。代表作「他のものたちに」(2013)では、クリス・マルケルとアラン・レネの共同製作『彫像もまた死す』(1953)を素材として、文化帝国主義、文化の商品化に対する社会的、歴史的検討を試みている。2013年の第55回ヴェネツィア・ビエンナーレのスコットランド館で発表した同作品により、キャンベルは翌年のターナー賞を受賞している。そのほか、ジグマー・ポルケを扱った「ジグマー」(2008)、公民権運動に尽力を注いだバーナデット・デヴリンを扱った「バーナデット」(2008)などを制作。これまでに、カーネギー美術館、アーティスツ・スペース、トラムウェイ、チゼンヘールギャラリーなどで個展を開催、マニフェスタ9や第8回光州ビエンナーレなどに参加している。昨年から今年にかけて、出身地・ダブリンでは自身初となる大規模な個展が開催された。
また、2015年2月から3月にかけて開催された第7回恵比寿映像祭では、ベルファストの自動車会社デロリアン・モーター・カンパニー(DMC)に関するリサーチを基にした「新しいジョン」(2009)をザ・ガーデンホールで展示、「他のものたちに」と「バーナデット」を日仏会館ホールで上映した。

第7回恵比寿映像祭 惑星で会いましょう
2015年2月27日(金)-3月8日(日)
http://www.yebizo.com/

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