ダン・ペルジョヴスキ インタビュー

L-I-F-E
インタビュー / アンドリュー・マークル


All images: Dan Perjovschi – Installation view at “MOT Annual 2016: Loose Lips Save Ships,” Museum of Contemporary Art Tokyo, 2016. Photo Shizune Shiigi, courtesy the Museum of Contemporary Art Tokyo.

ART iT 『MOTアニュアル2016 キセイノセイキ』の根底にあるテーマのひとつ、制度批判に対する態度のことからはじめましょう。(同展を美術館と共同で企画した)アーティスツ・ギルドの結成には、日本の制度的枠組みにおける若いアーティストへの支援不足という側面がありました。ですから、彼らを美術館に持ってくることは、制度的枠組みに異論を唱える面白い方法だと思いました。これまでの経験上、美術館の役割をどのように捉えていますか。

ダン・ペルジョヴスキ(以下、DP) 美術館はアーティストの味方であるべきです。ここ最近、具体的には2000年あたりから、美術界はどこか巨大なマーケットみたいになってきました。アートはコモディティである、と。しかし、東京都現代美術館(MOT)のような公共機関は収益を第一にしているわけではありません。彼らの使命は、新しいアイディアや新しい思考方法を生み出すこと。これはマーケットに支持されるわけではない挑戦的な作品に取り組むアーティストにとって大切なことです。もちろん、グローバル化の影響を受けたあらゆる制度と同じように、美術館は観客にスペクタクルを提供しなければならないという重圧だけでなく、地域文化にアートが十分に認められていようがいまいが、美術館の館長が権力側の誰かの取り巻きだろうがそうでなかろうが、政治的重圧も受けています。常に本来あるべき姿でいられるわけではありません。
おそらく、この展覧会におけるアーティスツ・ギルドの目的のひとつは、MOTの神経をとがらせ、言説の可能性をつくりだすという使命を思い出させることだったと思います。もちろんそれは今の時代そんなに単純なことではありませんが。私の作品を壁面に展示するのも簡単ではありませんでした。家族連れも来るでしょうし、政治家も来るでしょう。彼らがサッカー観戦に行かないのであればですが。美術作品を保護したり、観客を教育したり、いろんなことをしなければならないような場所で、なかなか現代美術は難しい。美術館は実験のためのプラットホームを創り出す場所です。アーティストは社会の中でおかしなものを見つけ、それを表現したいと考え、美術館がそれを試すプラットホームになる。この展覧会では、こうしたことに取り組んでいるのではないでしょうか。

ART iT あなたの作品の中には、政治的な内容を含む作品が修正を迫られたり、展覧会から取り除かれたりといった、現在、日本の美術館で起きている検閲に関する出来事に直接言及しているようなものもありますね。

DP はじめに言っておきたいのは、私は独裁政権下で育ち、検閲がどういうものか知っています。ここの人々は検閲がはじまったという警告を発していますが、検閲にはさまざまなものがあります。たとえば、首相の怒りを買って作品を撤去しなければならない。そういうことはありえるでしょう。そして、アーティスト自身が事前に検閲を察して作品を発表しなくなるという、より捉えにくい検閲の形もあります。本当に危険な検閲は後者です。健全な社会を望むなら、そこまでいってはいけません。ルーマニアのあらゆるアートやカルチャーは、検閲委員会を通過しなければならず、そのすべてが結果的に風刺的なものになってしまいました。ルーマニアのアーティストは、自分たちの言語を修正しなければならなかったので、ようやく表現の自由を手にしたとき、もはや何をすればいいかわからなくなっていました。このような検閲はその社会を滅ぼしてしまうでしょう。
当然ですが、表現の自由は責任を伴います。アーティストがキュレーターや美術機関、その他あらゆる人々を非難するのは簡単です。しかし、アーティストも自分自身の言説に責任を持たねばなりません。それが公共空間であり、あらゆる人々に開かれているのです。私たちも責任の一部を担う必要があります。私がここで発表している作品は誰かを非難するものではなく、検閲の概念、そして、それが起こる仕組みを扱っているのです。私は体制と争っているわけではなく、自分の意見として「気をつけなよ」と言っているのです。

ART iT 1989年のさまざまな革命から30年近く経ちましたが、公共空間に対する考え方に変化はありましたか。

DP ルーマニアの公共空間には劇的な変化が訪れましたが、それはどこも同じです。近年、欧米ではインディグナドスやオキュパイ運動といった若者のさまざまな運動がありました。こうした運動はウイルスに対抗する抗体に似ていて、人々は民営化された公共空間を取り戻そうと活動しています。歯に衣着せずに物を言うために、私の作品は美術館でトラブルに巻き込まれることもありますが、街中では誰でも「世界で一番おいしい飲みものだよ」と売り込みながら、どんな不味いものでも販売できて、そこに問題はありません。なぜでしょうか。誰もが嘘を売っているのに、私には真実を話すことができないのでしょうか。もちろん、自分はなんでも知っているとか、常に正しいなんてふりをするつもりはありません。だからこそ、私のドローイングは漫画みたいになっています。世界を解釈している。人を楽しませることと考えさせることの両方を狙っているのです。「This is bad」とは言わずに、「badはBとAとDという3つの文字で構成されている」と言う。概念の脱構築のようなものです。しかし、私がアーティストとして世界を解釈すること、これはひとつの見方にすぎませんが、美術館はたくさんの見方を調整しなければいけません。誰もどんなものが出てくるのかわからないわけで、私にこの空間を与えて、作品を発表するように招いてくれたのは、勇気のあることだと思います。素晴らしいことです。

ART iT あなたの作品は、この世界でどのように記号が作用しているのか、そして、いかに異なるイデオロギーが共存しているのかを研究しているのではないかと思いました。たとえば、“WWI / WWII / WWW”という頭字語を並べたドローイングがありますよね。ここには異なる世界の出来事の間の見過ごされている近接性が示されています。

DP それは文脈というものですね。何かを節合するとき、どんなものにもそれ自体の文脈、それ自体の歴史があります。もはや世界はひとつやふたつの超大国が動かしているわけではなく、現在ではより多くのものが関わりより複雑なものになっている。ここに描いた日本の国旗のドローイングを見てください。これは日本の「日の丸」であると同時に、独裁政権の象徴を切り抜き、穴があいたルーマニアの革命旗でもある。
ドローイングを描くとき、複数のレベルを表そうとしています。自分自身の体験や判断からはじめて、それから、より広い枠組みに当てはめていく。知的な言語をつくろう、と。私は高度な教育を受け、たくさんの書物を読んできているから、これは路上の抵抗の言葉というわけではありません。複雑な問題をシンプルにすると同時に、その複雑さをどうにかして保つ言語。しかも、ユニークな方法で。これは中国の元だろうか。それとも日本の円だろうか。どちらの可能性もある。通貨があなたを定義するのだろうか、と。
私はいつも既存のドローイングやどこかで描いたドローイングをまとめるところからはじめて、そこに展覧会のテーマや現地の出来事を参照した新しいドローイングを組み合わせています。今回の展覧会にはテーマがあったので、そこに焦点を合わせるようにしました。美術館というテーマ、検閲、オリンピック、政府についても少し、などなど。いつもよりちょっと洗練した形でまとめました。

ART iT とはいえ、これらすべてのイメージをダイナミックな相互性を持たせるように配置することで、どのように記号を変更したり、組み替えたりして、新しい意味をつくりだすのかを明らかにしていますよね。たとえば、「L」という文字からはじめ、横線をひとつ消して「I」、そこにふたつの横線を足して「F」、さらに3つ目の横線を足して「E」という文字をつくり、それらをひとつにまとめると「L-I-F-E」になる。

DP それもまた言語に関する問いですね。私のドローイングは、新聞に記事との対で掲載されるイラストによく似ています。しかし、テキストもイメージもどちらも一般的なイメージです。言葉もすでにひとつのイメージ−ひとつの概念を包含したイメージ−ですから、言語やことばとイメージという差異を取り払いたいと思っています。とはいえ、観客はそれぞれのやり方で自由に組み合わせる。経験上、彼らはドローイング群の一部しか見ていない。自分が認識するものや理解するものだけを見る。それはまるで観客がえり好みできるアイディアのスーパーマーケットみたいなものです。全体的な構成についてはあまり考えすぎないように、乱雑なままにしているので、展覧会から帰宅した後に展示風景の写真を見ながら、「なんでこんなふうにしたのだろう」と思うことがしょっちゅうあります。決定的なものはなく、いつでも変更されうる。それは何度も繰り返し描いてきたドローイングであっても。まるで書くたびに少しずつ変更を加える小説みたいなものです。

ART iT そういう意味では、ローレンス・ウェイナーのような言葉を扱うコンセプチュアル・アーティストに親近感を感じたりしますか。

DP もちろん感じますが、レイモンド・ペティボンやデイヴィッド・シュリグリー、ネドコ・ソラコフのような、より直接的かつシンプルな方法で描かれたイメージを扱うアーティストの仲間だと思っています。一方で、私は詩的ではなく、政治的です。私たちはそれぞれ異なる仕方で言語を扱っています。私の場合はルポルタージュのようなものです。観客に自分たちもできるんじゃないかという感覚を与えるような哲学を2、3行でつくりだしたいと考えています。それほど複雑なことではありません。私たちはみな、こうした言語を手にしています。子どもは誰に教えられるともなくドローイングを描くことができます。これはどこから来るのでしょうか。それは私たちに備わっているもの。私たちは今、写真を撮り、それをすぐにインスタグラムやフェイスブックに投稿するといった、誰もが絶えずイメージを利用する時代に生きています。イメージを通じて会話をしているけれど、私には彼らが何をコミュニケーションしているのかわかっていないのではないかと思えるのです。私は自分のアイディアを視覚化する方法をすでに手にしていることをみんなに思い出させようとしているのです。

ART iT ルーマニアの「レヴィスタ22」誌での仕事について興味があるのですが、現在、ニュースや政治は世界をどのように飛び回っていると思いますか。

DP 私たちはあるレベルのニュースを共有していて、ばかげていますが、それは有名人のゴシップです。インフォテインメントですね。もちろん各国にはそれぞれのニュースがあり、同じ現象もそれぞれの場所でさまざまな形で報道されています。滞在先のホテルには、ジャパンタイムズやニューヨークタイムズのサービスがあったので、各紙の書き出しを比べて楽しんでいました。このようにニュースがすべて均一であるということはありません。
私はいわば「オールドスクール」なんですけれど、テレビやインターネットなどはすべて、あまりにも拙速に反応すべきだという気持ちにさせられるので、印刷された新聞はとても面白いものだと思っています。新聞は印刷する時間が必要になりますが、この時間が本質的なものなのです。レヴィスタ22は週刊誌ですが、当時、実は私たちの間にイデオロギー上の対立が若干ありました。かつての共産主義的な社会の影響から、知識人は個人の権利や人権を賞賛することで何年もの強いられた集団主義を補正しようとしました。それは素晴らしいことです。ただ、私の考えでは、彼らはあまりにも極端に右に行ってしまったので、中道に戻る必要があるでしょう。
私にとって、ニュースは非常に重要なもので、その流通経路も重要です。新聞が大好きで、見出しやイメージ、広告までも含めたすべての組み合わせが1ページに収まっているところが好きです。知識のパッケージですね。オンラインメディアはスペースに制限がなかったり、あらゆる言葉をほかの言葉へとリンクできたりするけど、集中し続けることが困難です。私は55歳で、印刷されたものの方がスクロールするモニタよりも集中しやすいのです。しかし、ウェブもまた、グローバルで素晴らしいものだと思います。フェイスブックも使ってますし、そこにドローイングをアップしたり、設定も公開のままにしてあります。普通なら、作品は美術館に足を運ぶ人だけ見ることができますが、フェイスブックなら世界中の人々がシェアできるし、どんな結末が待っているかわかりません。
美術館についての質問もありましたね。彼らは新しいメディアに適応しなければならず、成長を止めるわけにはいきません。最近、展覧会で取材陣に会うと、彼らのほとんどがオンラインで活動しています。これはわかりやすい変化です。ルーマニアで興味深いのは、ヴィジュアルアートがテレビよりラジオで放送されていることでしょうか。テレビではもはや文化的なことを気にしなくなってしまいました。

ART iT アートにおける労働状況についてはどのように考えていますか。あなたは自分の作品を「ありのままのドローイング(naked drawing)」と呼んでいましたが、そこからさらに展開して「ありのままのアーティスト(naked artist)」を想像できるのではないでしょうか。あなたはペンを手にして現れますが、それ以外にあなたをアーティストだと気づかせるものは何もないので、誰もがあなたを容易に見過ごしてしまうでしょう。

DP まさにそうですね。とはいえ、「放棄」も私の作品の一部です。誰かに「5歳の息子でもあなたみたいに描けますよ」と言われたら、「ええ、そうでしょう。でも、あなたにはできませんよ。あなたの息子は楽しんでやると思いますが、あなたはそれを忘れてしまったでしょうから」と答えるでしょう。
何を言いたいかというと、私の実践は長年の努力によるものだということです。すでに30年も制作を続けていて、ここで発表している作品には15年間、つまり、私のキャリアの半分を費やしています。しかし、それは悪戦苦闘の結果であって、物事をよりシンプルに優れたものにしたいという欲望によるものです。複雑な機械類には手を出さないようにしています。それにアートを輸送するのに多額の費用がかかります。保険、梱包、保管場所と。金銭的な価値のあるものをつくると困った状況に陥ってしまいますが、どうやって切り抜けたらいいのでしょうか。ですが、私がやっていることにはお金がかかりません。ドローイングはすべて頭の中だし、いつでもどこでも好きなときに取り出すことができます。それが私に余裕や順応性を与えてくれます。私と数本のマーカーだけですから。
それはまた誰にも依存しないという考えからも来ています。テクニシャンも必要ありません。こうしたことは意識的に決めました。規制や規則といったものによって自分の作品を修正する「装置」から自由でありたいと思っています。ケーブルを持ってきてくれるテクニシャンを待つ必要もありません。素晴らしいアーティストがさまざまな技術的問題を抱えて恐怖にさらされているのを何度も見てきました。
しかし、ここに来るまでにいろんなことを試してきましたし、すべてがうまくいったわけではありません。まず、自分のノートに小さなドローイングを描くところからはじめて、やがて、ポスターサイズのステイトメントになりました。それから、より大きな空間に挑んだとき、自分のドローイングにどこかパフォーマティブな要素が含まれていて、作品に対する確信が深まりました。なめらかではない、固く、抵抗力のある壁面に対して、マーカーで描くと確かな感触が残ります。

ART iT 「消去」もまたあなたの作品の重要な要素ですよね。あなたはかつて、自分自身の肩に「Romania」というタトゥーを入れるパフォーマンスを行ない、その10年後にそのタトゥーを消すというパフォーマンスを再び行なっています。このパフォーマンスのことを知ったとき、あなたのドローイングとなかなか結びつけられなかったのですが、この「消去」という概念は、実はあなたがつくる視覚言語の根本にあるような気がしました。

DP その通りです。私は風刺そのものではなく、自分自身と身体について扱っているのです。最初のパフォーマンスを行なった1993年当時、ルーマニアではタトゥーはそこまで評判が良いものではなかったのですが、身体は依然として表現のためのラディカルなツールとしてありました。1,000人近くが殺され、5,000人近い負傷者が出た革命は、血や身体に強く結びついていました。それに私たちは本当に貧しくて、その身体もとるにたらないものでした。マーカーでさえ高価だったのに、身体はすでにタダで手にしているのです。そういうわけで私はタトゥーのパフォーマンスをしました。それは反国家的な行為でした。それから10年後、私はドローイングと同じような手つきでそのタトゥーを消しました。上から何かを塗るという行為は新しい可能性を生み出す。作品の破壊ではなく、新しい生です。ほとんどのアーティストがある時点で何かを描いたら、描かれたものはずっとそのままですが、私の場合、継続的にドローイングを改善し、深めていくことができます。まるでノートブックの新しいページのように。

ART iT 以前のインタビューで、独裁政権時代にあなたが数多くの展覧会を組織したスタジオ35というグループでの活動について話しているのを目にしました。そこであなたは「我々は真実を犠牲にしたのだ」とおっしゃっていましたが、振り返ってみて、それは何を意味していたのでしょうか。

DP ええ、それは独裁政権時代のことでした。私たちは検閲体制に直接立ち向かうことはできなかったので、メタファーや別の戦術で検閲を回避しなければなりませんでした。それは本能的なことでしたが、唯一自分たちで決めたのは、何も起きないこの国で異常なほど活動的であろうということでした。毎週なにかを試みていたので、それはほとんど検閲の手に負えないものとなっていました。「また別の展覧会をするんだろう」と聞かれましたが、彼らは姿を現さないときさえありました。しかし、私たちは対立することを犠牲にし、それを避けていました。脅威に向き合うのではなく、影に隠れていたのです。その頃の作品を見ても、何を言おうとしていたのかなんてまったくわからないでしょう。私はそこから学び、現在では真実を語り続けようと試みているというわけです。
ある意味、私はアーティスツ・ギルドの精神や、問題に向かい合う方法を共に探すという考え方を気に入っています。彼らは実際いくつかの興味深い解決策を見つけました。独裁政権と民主主義という私の両方の経験に基づけば、真実ではないものはいずれにせよ、文脈が消えてしまえば意味をなしません。隣にいる独裁者に絵画が何を主張しているのかを未来永劫説明しなければいけないということはないでしょう。独裁者はいつかいなくなるけれど、絵画は残ります。ですから、芸術作品は現在のみならず、ほかの時間も含む並行世界で機能するのだということに意識的でなければいけません。私の作品は最終的には消えてしまいますから、そこからちょっと距離をとっています。それでも、私の20年前のドローイングを見てみて、あの頃はちょっと右寄りだったけど、今なら中道左派ってとこかな、なんて言うこともできます。私はさまざまな方向に作品を向かわせているのです。
スタジオ35時代の経験に戻りますが、あれは単純に生き残るための方法でした。若かったし、発表したかった。現在、私はトランシルヴァニアの故郷に戻ってきましたが、そこには新しいプラットホームをつくろうとしているアーティストたちがいます。ある意味それは同じことです。つまり、自分のアイディアを共有したり、人々とコミュニケーションをとる場所をどうやって組織するかということ。アーティストにとって、それは非常に複雑なことです。私たちはほかの人々と同じく市民であるけれど、さらなる何か、何らかのサポートが欲しい。数々の問題を抱える人々が住むこの世界で、さらなる何かをどうやって主張できるだろうか。なぜ国家があなたを助けなければならないのか。このように、独裁政権と民主主義とでは文脈が異なるけれど、トランシルヴァニアの若いアーティストたちは私が45年前に抱えていたものと同じ問題に直面しているのです。彼らに対する私のアドバイスは、自分の作品に正直であれということです。どこかに合わせようと心配しなくてもいい。それはすべて非常に繊細で儚いもの。明日にはスーパースターになっているかもしれないし、その次の日にはどこの馬の骨かもわからなくなっているかもしれない。それが人生で、素晴らしい瞬間に溢れているだけじゃなくて矛盾もあれば、不安定なものもある。それに対する強い気持ちを持たなければいけません。ダンボール製の戦車で戦争に向かうかのように。
私の歴史は私の現在と繋がっているのですが、私はしょっちゅう自分の過去の再解釈をしています。私は独裁政権の時代に十分な勇気を持っていなかったと自分自身に怒りを感じていましたが、今はそれを受け入れています。いいこともしていたと言うことができます。究極的には、誰も気にしてはいない。抗議運動に参加し、命を落としたら、みんなは決して忘れないと言うでしょうが、あくる日には忘れられてしまうでしょう。それよりも賢くあるべきです。いいアイディアが思いつきました。私はがんばってドローイングを引き出し、壁に展示する。そして、フェイスブックに公開したらあとはみんなに任せて、世界中に拡散させる。素晴らしい。この時代、人々には時間がありません。長い記事を読む時間はないけど、イメージを見ることはできるでしょう。イメージを与える。これこそ私がすべきことですね。

(協力:東京都現代美術館)

ダン・ペルジョヴスキ|Dan Perjovschi
1961年ルーマニア・シビウ生まれ。独裁政権体制や革命による転換期を経験し、美術空間のみならず、雑誌媒体などでも積極的に活動し、政治、社会、文化にまつわる事象に対して、ユーモアや風刺を織り交ぜて言及するドローイングで知られている。近年は紙の上ではなく、展示空間の壁面や窓を支持体に大規模なドローイングを展開し、会期終了とともにそれらを消去するという形式をとることが多い。80年代後半より発表を重ね、98年にはマニフェスタ2に参加、99年には第48回ヴェネツィア・ビエンナーレのルーマニア館で展示を行なう。その後も第9回イスタンブール・ビエンナーレ(2005)、第16回シドニー・ビエンナーレ(2008)、第10回リヨン・ビエンナーレ(2009)、第52回ヴェネツィア・ビエンナーレ(2007)、第32回サンパウロ・ビエンナーレ(2014)といった国際展や、テート・モダン(2005)、ニューヨーク近代美術館(2006)、クンストハレ・バーゼル(2007)での個展など、国内外の数多くの展覧会で作品を発表している。日本国内では、あいちトリエンナーレ2013に参加し、愛知芸術文化センターの11階展望回廊全体にドローイングを展開した。2016年には東京都現代美術館で開催された『MOTアニュアル2016 キセイノセイキ』に参加。アルトゥル・ジミェフスキとともに、MOTアニュアル初の日本国外出身作家の参加となった。

MOTアニュアル2016 キセイノセイキ
2016年3月5日(土)-5月29日(日)
東京都現代美術館 企画展示室地下2階
http://www.mot-art-museum.jp/

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